5.馬車の上で
俺は今ヤトクから資源大国フィスクへと向かう馬車に乗っている。いま、バルーシャさんから御者のやり方を教わったところだ。
「意外と簡単なんですね」
俺はバルーシャさんに率直な感想を述べた。もっといろいろ大変なのかと思ったが、馬たちはこちらの意図を読み取ってくれるので、これといって技術を要するものではなかった。
「まぁな。野生の馬をしつけるのは大変だが、町なんかで売っている馬は調教されてるからな。たまに、気性の荒い馬なんかもいたりするが、こいつらは優秀な馬だな」
バルーシャさんが馬たちを褒めると、それが伝わったのか馬たちはどこか嬉しげに唸った。
「このまま街道を行けばいいんですよね?」
俺が確認すると、バルーシャさんは「ああ」と言いながら、大きな欠伸をした。
俺たちが向かっているのは、バルーシャさんの家があるフィスクの首都ドルジナよりさらに北、ドラゴンたちが生息すると言われるエルカント山へ向かう途中にあるカペラという町だ。
なんでもカペラという町の周辺は、ラバラロル大陸でも有数の温泉地帯だそうだ。
この世界には各家庭に風呂というものはなく、俺が住んでいたヤトクという町はわりと大きな町だったので、公共の浴場があった。どうやら、この世界では湯船につかるというのは、贅沢なことらしく、一般の民の習慣にはなっていない。
普通は、数日に一回、濡れタオルなどで体をぬぐう程度らしい。俺は両親に無理を言って、二日に一回は公共浴場に足を運んでいた。
やっぱり、日本人としては毎日風呂につかりたいものだ。しかし、これから旅も多くなるであろうから、それもあきらめなければならないだろう。
自宅に風呂を持つのは一部の豪商か貴族などぐらいと聞いていたが、これから向かうカペラには温泉源があるので、たくさんの家庭に風呂があるらしい。
バルーシャさんの家にも、大きな風呂があるらしく、俺はそれを楽しみにしている。
「暇だな、レイン。モンスターの大群でもこねぇかな」
バルーシャさんは冗談交じりに言った。
横をみると、バルーシャさんがまた大きな欠伸をしていた。今ので何回目だろう。家を出てからちょうど丸一日、今はヘルトバニアとフィスクの国境線の近くのはずだ。
俺は地平線に目を凝らして、関所が見えないかどうか確かめようとしたが、立ち込めている霧のせいで確認できなかった。
「暇しているなら、なにか教えてくださいよ」
俺がバルーシャさんに話を振ると、バルーシャさんはめんどくさそうに手を振った。
「俺は鍛えながら教えるのがモットーなの。だから、いまは教えることなんてねぇな。何か質問あるなら答えるけどよ」
「じゃあ、質問します。初めて会ったとき、どうして俺に追いついてこれたんですか?」
バルーシャさんはこちらをにやりと見てから、得意げに話し始めた。どうやらこの話はしたかったらしい。
「最初にレインを追いかけた時は、『気配感知』を使って追いかけた。んでもって、レインが『敏捷上昇』をつかって逃げた時は、レインと同時に『敏捷上昇』と『気配感知』、これはお前と同じ中位魔術なレベル、をかけて先回りしたってわけよ」
『気配感知』とは人などの生物を感知することが出来るレーダーのようなもので、無属性の中位魔術に値する魔術だ。その有効範囲は籠める魔力の量にもよるが、大体で1キロ程度だと言われる。
「どうして、俺と同時に『敏捷上昇』がかけられるんですか?無詠唱でかけたから、バルーシャさんにはわかりようがないと思いますが……」
無詠唱のもっとも優れている利点は、相手の先手を打てることにある。相手が防御の態勢を取る前に魔術を発動することができるため、無詠唱による魔術の発動は、非常に強力なのである。
「あーそれな。だから、レインは戦いに関しちゃ素人って言ったんだよ。俺がおまえに『敏捷上昇』を使ったのか疑っていたのにも、関わらず『観察眼』で確認しなかったからな。
無属性の魔術が使えるなら、だれでも使える戦闘の基本となる『観察眼』を始めに使うはずだ」
「『観察眼』? あれは武器や防具なんかに付加された能力を読み取る魔術じゃないんですか?」
「それは一般的な説明だな。『観察眼』のもっとも優れているのは、相手がどんな魔術を体に付加しているか見ることができるってことだ。もちろん相手が『観察眼』を使っているのかどうかもわかる。
俺はレインが体に『敏捷上昇』をかけたのを『観察眼』で見て、自分にもかけたってわけだ。だから、正確には全くの同時ってわけじゃないがな」
「そうだったんですか……」
『観察眼』にそんな使い方があったなんて、俺が読んだ魔術書は初歩の魔術書だったから、戦闘を想定した魔術の記述は、極端に少なかったからな。
「だから、俺はレインが逃げるのをすぐに追いかけることが出来たってわけよ。氣が使えるって言っても、その体じゃまだ満足には使えてないからな」
「俺はまだ氣を使いこなせていないんですか?」
俺は驚いて、聞き返した。あれだけの身体能力の向上だ。もうある程度使いこなしていると思っていたが。
「馬鹿言ってるんじゃねぇよ。レインの魔力はまだまだでかいんだ。あれだけの魔術を使って、少しも疲れてないんだからな。体が子供なんだから、扱える氣の量も、自然と拒否反応が出て減っちまうんだ。だから、成人になる、いや体が成長を止めるころぐらいにならねぇと、完全に自分の中の氣を使うことはできねぇ。
第一、レインはまだまだ氣のコントロールが下手糞だ。あんまり調子に乗るんじゃねぇよ」
そういって、バルーシャさんはガハハと笑った。
「勉強になります」
「なに、これから氣の使い方に関しちゃ、みっちりと教えてやるから覚悟しとけ。
いま覚えておくのは、戦闘になったらかならず『観察眼』を使えってことだ。これは癖になるほど、体に染み込ませるよう反復するんだな。意識して使うようじゃ、一瞬の遅れがでてしまう。実力が同じくらいのやつや、上のやつとやるときは、その一瞬が命取りになるぜ」
「はい」
「それと、逃げる時は必ず自分に使える最大限の『敏捷上昇』をかけること、逃げると決めた以上、魔術の出し惜しみをする必要はねぇ。
それと『気配感知』も同時に使うこと、これで相手との相対的な距離を測れる。ちなみに『気配感知』は野営するときも使えるから、自分の使える範囲と時間を詳しく知っておくことが重要だ」
このおっさん、バルーシャさんはただの脳筋だと思っていたが、こういうことに関しちゃしっかりと学習をしているみたいだ。説明も要点をつかんでいてわかりやすい。
俺が感心したように、バルーシャさんを見ると、バルーシャさんはこちらを見て、にかっと笑った。
「どうだ? 少しは見直したか?」
やばい、顔に出ていたのか。俺はそんなに表情に感情が出る方じゃないと思っていたんだが……。
「じゃあ、関所に着くまで寝てるから、着いたら起こしてくれ。それまで『気配感知』であたりの警戒でもしといてくれ。
この辺は、魔力の淀みが少ないからモンスターは出ないと思うが、『気配感知』のいい訓練にはなるだろ」
そういって、バルーシャさんは馬車の中へと入っていった。俺は『気配感知』を無詠唱で唱えた。うん、半径2キロってところか。魔力の量を調整して1キロ程度に範囲をしぼる。
俺はバルーシャさんが入っていった、馬車の荷台をちらりと見た。さっき俺の心を読み取ったのは天然だろう。何も考えてないようで、相手の心の声を言い当て、ものごとの核心をつく、そんな人は前の世界にもいた。
バルーシャさんには、嘘はつけねぇな。
俺は小さく呟いた。