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第七章(初めてのお泊りと死からの逃避行)

朝目を覚ますといい匂いがした。身体がいつもより少し重くて、痛い。

そして、見慣れない天井が目に入った。

一瞬だけ、自分がどこにいるのかわからなくなる。

昨日の夜、ユリの家に泊まったことを思い出すまでに、数秒かかった。

窓のカーテンの隙間から、やわらかい朝の光が差し込んでいる。

外では小鳥が鳴いていて、遠くから車の走る音も聞こえた。

俺はゆっくり体を起こす。

布団の上に座ったまま、しばらくぼんやりしていた。

夢のことを思い出していた。

丘の風。

星の並び。

チェロみたいな低い音。

そして―ユリ。

あの丘では、全部が本当に感じられる。

風も、音も、空気も。

夢なのに、現実よりはっきりしている。

扉の向こうで足音がした。

「起きてる?」

ユリの声だった。

「……起きてる」

そう答えると、扉が少しだけ開く。

ユリが顔をのぞかせた。

寝ぐせのついた髪のまま、パジャマ姿で笑っている。

「おはよう」

「おはよう」

ユリは部屋に入ってきて、窓を少し開けた。

朝の空気が流れ込む。

「夢、見た?」

俺は少し迷ってから答えた。

「……丘」

ユリは少しだけ笑った。

「やっぱり」

その反応を見て、俺は聞いた。

「ユリも?」

「うん」

ユリは窓の外を見ながら言った。

「同じ丘だった」

やっぱりそうか、と思った。

偶然とは思えない。

俺たちは何度も同じ夢を見ている。

同じ場所。

同じ空。

同じ音。

普通の夢なら、こんなことは起こらない。

俺は布団から立ち上がる。

「なあ」

「ん?」

「どうしてだと思う?」

ユリは少しだけ考えてから答えた。

「分かんない」

それから振り向く。

「でもさ」

少しだけ真面目な顔をしていた。

「理由は、あると思う」

俺は黙って聞く。

ユリはゆっくり言った。

「夢って普通は、ばらばらでしょ」

「昨日のこととか、考えてることとか、ぐちゃぐちゃに混ざって非現実的な世界に連れていかれる」

「でも、あの丘は違う」

窓の外を見ながら続ける。

「ちゃんと場所がある」

「時間も流れてる」

「音もある」

それから、小さく言った。

「だから、ただの夢じゃない気がする」

俺は何も言えなかった。

ただの夢じゃない。

俺も、なんとなくそう思っていた。

ユリは少しだけ笑った。

「まあ、わかんないけどね」

そして机の上に置いてあったノートを持ってくる。

「それより」

「これ」

ノートを俺の前に置く。

昨日の夜、二人で書いたノートだった。

表紙にはペンでこう書いてある。

『死ぬまでにやりたいこと』

俺は少し苦笑する。

「すごいタイトルだな」

「いいじゃん」

ユリは普通の顔で言った。

「どうせ死ぬんだし」

その言い方は、昨日と同じだった。

軽い調子。

でも、どこか本気。

ユリはノートを開く。

そこには、いくつかの項目が書かれていた。

海を見る

夜の遊園地に行く

流れ星を探す

朝日を見る

写真をたくさん撮る

ユリはペンを持ちながら言った。

「まだ足りない」

「もっとたくさん書かなきゃ!」

俺はノートを見ながら言う。

「半年でできるのか?」

ユリは笑う。

「できるよ」

そして、少しだけ真面目な顔になった。

「だってさ」

「まだ半年もある」

その言葉を聞いて、俺は少しだけ驚いた。

俺にとって半年は、短すぎる時間だった。

でもユリは違う。

まるで、まだ長い未来があるみたいに言う。

俺はふと聞いた。

「ユリ」

「ん?」

「ユリは、あとどれくらいなんだ?」

その瞬間、部屋の空気が少しだけ止まった気がした。

ユリはペンを止める。

そして、しばらく黙っていた。

やがて、小さく笑う。

「前も言ったでしょ?なぎちゃんと一緒」

「それ本当?夢でもお前のほうが低い音出してるし、」

「んー、秘密」

ユリはノートを閉じる。

「でもね」

静かな声で言った。

「時間の長さって、あんまり関係ないと思うの」

俺は黙って聞いていた。

ユリは窓の外を見ている。

朝の光が、横顔を照らしていた。

「一年でもつまらないものだったら、振り返ると一瞬だし」

「一日でも楽しかったら、振り返ると長い」

それから、こっちを見る。

「だからさ」

「半年でも、きっと長いよ」

その言葉を聞いたとき、胸の奥が少しだけ軽くなった。

もしかしたら。

本当にそうなのかもしれない。

ユリはまたノートを開く。

「よし」

「次書くよ」

「なに?」

ユリは少し考えてから、ペンを走らせた。

そして、俺に見せる。

そこにはこう書かれていた。

丘にもう一度行く

俺は少し笑った。

「夢なのに?」

ユリも笑う。

「うん」

そして小さく言った。

「だって、あそこ」

「なんか大事な場所な気がするから」

その言葉を聞いたとき、俺も同じことを思っていたと気づいた。

あの丘は、ただの夢じゃない。

きっと、何か意味がある。

まだ分からないだけで、

そのとき、遠くで時計の音が鳴った。

朝の時間が、静かに進んでいる。

俺たちはノートの上に、新しいページを開いた。

やりたいことは、まだたくさんある。

時間は限られている。

でも――

まだ、終わりじゃない。

僕らはこの日学校を休むことにし、親に連絡をお願いした。

スマホが震えた。

机の上で小さく光る。

画面を見ると、にこからだった。

俺は少しだけためらってから通話ボタンを押した。

「もしもし」

電話の向こうで、少し荒い息が聞こえた。

「なぎ?」

にこの声だった。

いつもより少し低い。

「今日学校休みって聞いた」

「……うん」

「体調?」

俺は少し迷った。

でも、にこはもう知っている。

昨日の夜、親から聞いたはずだ。

だから、嘘をつく意味もなかった。

「まあ……そんな感じ」

短く答えると、にこは少し黙った。

それから、言った。

「今どこ?」

「友達の家」

「ユリ?」

俺は少し驚いた。

「……なんで分かる」

電話の向こうで、にこが小さく笑った。

「昨日聞いた」

「お母さんが」

そして少し間を置いてから言う。

「ユリも……病気なんだってね」

俺は何も言えなかった。

ユリは俺の向かいで、ノートをいじっている。

聞こえているのか、聞こえていないのか、分からない顔だった。

にこが続ける。

「今から行く」

「は?」

「ユリの家」

「いや、別に来なくていい」

「行く」

間髪入れずに返ってきた。

にこらしい。

「じゃあね」

電話はそこで切れた。

俺はスマホを見つめたまま、しばらく動かなかった。

「にこちゃん?」

ユリが聞いた。

「……うん」

「来るって?」

「うん」

ユリは少し笑った。

「久しぶりだなあ」

その言い方は、とても自然だった。

まるで昨日も会っていたみたいに。

「覚えてるのか?」

俺が聞くと、ユリはうなずいた。

「もちろん」

そして、少し遠くを見る。

「小さい頃、よく三人で遊んだでしょ」

その言葉を聞いて、俺の記憶の奥で何かが揺れた。

砂場。

ブランコ。

小さな公園。

でも、はっきりとは思い出せない。

ユリは続ける。

「四歳のとき」

「私、フランスに引っ越したんだよね」

「うん」

「だから、会うの久しぶり」

そのとき、玄関のチャイムが鳴った。

俺たちは顔を見合わせた。

「早いな」

ユリが立ち上がる。

「行ってくる」

玄関へ向かう足音がする。

ドアが開く音。

そして――

「ユリちゃん!」

元気な声が聞こえた。

間違いない。

にこだ。

俺も廊下へ出る。

玄関に行くと、にこが立っていた。

息を少し切らしている。

でも、目はまっすぐだった。

「久しぶりー!」

ユリが笑う。

にこも笑った。

「ほんとに久しぶり」

それから、少しだけ真面目な顔になる。

「十年以上ぶり?」

「たぶん」

ユリは肩をすくめた。

「もうそんなに経つんだね」

にこはしばらくユリを見ていた。

まるで、本当にここにいるのか確かめるみたいに。

それから、小さく言った。

「ユリ……」

「ん?」

「病気なんだってね」

空気が少し静かになった。

ユリは驚いた顔はしなかった。

ただ、少しだけ笑った。

「うん」

短い返事だった。

にこは続ける。

「お兄ちゃんも」

俺を見る。

「昨日聞いた」

俺はうなずいた。

「そっか」

三人の間に、少し沈黙が流れる。

でも、それは重い沈黙じゃなかった。

ただ、言葉を探している時間みたいなものだった。

やがてユリが言う。

「入ってよ!」

「うん」

にこは靴を脱いで家に上がった。

リビングに入ると、机の上のノートに気づく。

「なにそれ」

俺は答える。

「やりたいことリスト」

「死ぬまでに」

にこはノートを開く。

ページをめくる。

そして少し笑った。

「いいじゃん」

それからペンを手に取る。

「私も書いていい?」

俺は肩をすくめた。

「好きにすれば」

にこは少し考えてから、ノートに一行書いた。

そして俺たちに見せる。

そこにはこう書かれていた。

三人で丘に行く

俺とユリは顔を見合わせた。

「丘?」

にこは首をかしげる。

「え?」

「なにその顔」

俺はゆっくり言う。

「……なんで丘知ってるんだ」

にこは少し笑った。

そして言った。

「だって」

「幼い頃丘によく遊びに行ってたじゃん?みんなでまた行きたいなーって」

空気が止まる。

「あと、昨日」

にこは静かに続けた。

「夢で見ちゃった。二人が話してるところ(笑)」

「あーね、ね、そういえば」

「ん?」

「にこちゃん、体調大丈夫?」

にこはきょとんとする。

「え?」

俺も少し気になって聞いた。

「同じ夢見たって言ってたじゃん」

「うん」

「俺たちと同じ夢」

ユリが静かに続ける。

「もしかして、どこか悪いのかなって」

にこは少し黙ったあと、苦笑した。

「なにそれ」

「私まで病人扱い?」

ユリは慌てて手を振る。

「ち、違う違う」

「ただちょっと気になって」

俺も言う。

「俺たちの場合、病気になってから夢見るようになったから」

にこは腕を組んだ。

「なるほどね」

それから、わざとらしく胸に手を当てる。

「えーっと」

「今のところ健康です」

「熱なし」

「咳なし」

「息切れなし」

そして笑った。

「病院行ってもいいけど?」

俺とユリは顔を見合わせた。

ユリが小さく言う。

「……顔色も普通だね」

俺も頷く。

確かに、にこはいつも通りだった。

元気そうだし、呼吸も普通。

どこか悪いようには見えない。

にこが言う。

「ほら」

「問題なし」

それから少し首をかしげる。

「でもさ」

「なんで二人だけ同じ夢見てるの?」

俺は少し考える。

それはずっと気になっていたことだった。

ユリが静かに言う。

「ねえ」

「一つ思ったんだけど」

俺とにこはユリを見る。

ユリは少し言いにくそうに続けた。

「怒らないでね」

「怒らないよ」

「変な話なんだけど」

それから、小さく言った。

「私たちって」

「死にかけてるでしょ」

部屋の空気が少し静かになる。

にこは黙って聞いていた。

ユリは続ける。

「だから、もしかしたら」

「生きてる世界と、死ぬ世界の間みたいな場所を」

「夢で見てるのかも」

俺は言葉を失った。

生と死の間。

そんな考え、今まで一度も言葉にしたことはなかった。

でも―

どこかで思っていたこと、

あの丘は、普通の夢じゃない。

にこがぽつりと言う。

「……はざま?」

ユリはうなずく。

「うん」

「生きてる人の世界と」

「死んだ人の世界の」

「ちょうど間」

俺は窓の外を見る。

朝の光。

鳥の声。

普通の世界。

でも、あの丘は違う。

空気が違う。

音が違う。

時間の感じも違う。

にこがゆっくり言った。

「じゃあさ」

「もし本当にそうなら」

俺たちはにこの方を見る。

にこは少し笑って言った。

「丘に行けば分かるんじゃない?」

ユリが目を細める。

「どういうこと?」

「だって」

にこは肩をすくめた。

「丘ってさ」

「夢の中だけじゃないでしょ」

それは、確かにそうだった。あの丘は本当にある。昔、三人で遊んだ場所。にこが続く。

「もし夢がそこから始まってるなら」

「実際に行ったら」

「何か分かるかも」

俺は少し考える。胸の奥で、何かがざわついていた。怖いのか。それとも期待なのか。

自分でも分からない。

ユリが静かに言う。

「……行こう」

俺は顔を上げる。

ユリはまっすぐこっちを見ていた。

「本当に?」

俺が聞くと、ユリはうなずく。

「うん」

「確かめたい」

「夢の丘と」

「同じ場所なのか」

にこが笑う。

「よし決まり」

それから玄関の方を見る。

「今から行こう」

俺は思わず言う。

「いや、準備くらいさせろ」

にこは笑った。

「じゃあ急いで」

ユリはノートを手に取る。

そして、新しいページを開いた。

ペンを走らせる。

そこにはこう書かれていた。

丘に行く(本物)

ユリは少し笑う。

「これ」

「もしかしたら」

「一番大事なページになるかもね」

俺たちは家を出た。

朝の空気はまだ少し冷たい。

空は青くて、

雲はゆっくり流れていた。

あの丘は、ここから歩いて二十分くらいの場所にある。

昔、よく遊んだ場所。

でも―

今は少しだけ違う意味を持っている。

もしユリの言う通りなら。

もしあの夢が本当に

生と死のはざまだとしたら。

俺たちは、

その入口に向かって歩いているのかもしれない。

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