ストーカーにラリアットしたことが原因で左遷されましたが、先輩である空箱と楽しくやってます
「時に託児所、時におもちゃ屋、時におば様たちのサンドバック。それがタリアの市民マモノ課――別名、何でも課です」
低いが、優しい声。それは女性の膝丈ほどある空の蓋付き木箱から聞こえるものだ。
「まぁ仕事内容はそれくらいにしといて……まずはよろしく、後輩」
木箱の中から白い男性の腕が差し出される。
異動先の先輩は――空箱だった。
◇
人間と魔物が戦争していたのはかつての話。
今では魔物のことを「マモノさん」と呼び親しみ、二つの種族は共存していた。中でも多くのマモノさんが住んでいるのがアストニエ国だ。
そのアストニエ国本土から船で二日。そこに、海で囲まれた島――タリアは存在する。変な名前の壁や塔くらいしか観光資源がない島だが、水とご飯はおいしいと評判だ。
そんな島の役場にコヒラが異動となったのは三週間ほど前。理由は簡単――左遷である。
この単語だけでは響きが悪いが、蓋を開ければただの正当防衛だ。
ストーカーにラリアットをかまして、そいつの前歯を折ってやった。しかし、そのストーカーが村の地主の息子であったことがまずかった。職場にクレームを入れられ、村八分を恐れた村民は誰も声をあげず、あれよあれよという間にこんな遠い島まで飛ばされることになったのだ。
そしてそんな彼女は今――船上で、釣りをしている。
コヒラ・ケイチツは小麦色の髪を海風になびかせ、海と同じ青い瞳はどこか遠くを見つめていた。
(何で釣りしてんの私……?)
今日は平日、普通の社会人であれば出勤するはず。お役所勤めのコヒラは役場に登庁となる。だというのに、船から伝わる波の揺れに身を任せ、竿を握っていた。同じく隣で竿を持っている蓋付きの木箱に視線を向ける。
「……先輩」
「……何だい、コヒラさん」
船の揺れによって先輩と呼ばれた木箱が少しだけ宙に浮いた。
がこがこというやかましい音を聞きながらコヒラは口を開く。
「これは、市民マモノ課の仕事なんでしょうか……」
魚特有の生臭さ、強烈な潮の匂い、どれもコヒラ自身から香るものだ。
役場支給のジャケットは脱いでおくべきだったと後悔するがもう遅い。釣った魚が勢い余って身体に何度も当たってしまったのだ。
そんなコヒラに、木箱――ヌル・ヴォイドは告げる。
「んふふ……正確に言うと、違う」
「あ、やっぱ違うんですね」
「うん」
まずは自分の認識が誤っていなかったことに安堵する。が、ならばなぜこんな状況になっているのか理解できない。
ヌルは開いた蓋の隙間から出る手で竿をゆっくりと左右に揺らした。
「そもそも市民マモノ課って人間とマモノさんの橋渡しに加えて、市民の悩みを聞いて最適な課に話を通すことが主な仕事だしね。これはうちがおかしいだけ。初日にも言った通り、面倒事ばかり回される場末の何でも課なので。……んふふ、仕事辞めたい。魚も全然かからないし」
ヌルはぼそぼそと話を続ける。
「昨日は人事課で働いてる方の子どものお世話。一昨日は腰を痛めたパン屋のおつかい。そして今日は入荷が間に合わないと泣きついてきたシースー屋のために魚を釣っている。……コヒラさん、シャルウィーサボタージュ?」
「ノーです。ノーサボタージュ」
「じゃ、じゃあ、一緒に失業手当とかもらいに行かない?」
「それもう仕事辞めてるじゃないですか」
コヒラがため息をついたその時、ぐんっとヌルの竿が沈むように動いた。二人の目線が集中する。
「え、え……どうしよこれ。え、これどうするべき……? どういう状況……?」
「まず竿を引いてください! 魚がかかったんですよ!」
「そ、そっか。よし、引くぞ……! オーエス! オーエ――」
瞬間、船が大きく揺れ、
「――す?」
ヌルは竿ごと、船外に放り出された。
「せ、先輩ッ⁉」
コヒラは宙を舞う木箱に手を伸ばしたが、ただ空を切るだけだった。
◇
「いやぁ、ありがとなぁ。本当に助かったよ」
「いえいえ、困った時はお互い様ですから……と口では言うけれど内心もう二度と釣りはしたくないと思っておりますヌルです……」
「しっ! 先輩しっ!」
木箱のどこから声が出ているのかわからないが、コヒラはとりあえず蓋と下半分の隙間を腕で塞ぐ。海に落ちたからだろう、しっとりと濡れていた。
「すみません」
「はっはっは! 大丈夫だよ新人さん! 空箱の兄ちゃんはいつもこんな感じだ!」
笑った拍子に、今回の依頼人の身体が波打つように揺れた。
透き通った緑色、つつけば指が沈み込むやわらかさ、そして足首ほどまでしかない背丈。スライムのマモノさん――寿司屋のゲンは「気にすんな」とでも言うように、コヒラの赤いスニーカーを軽く叩いた。
「ま、兄ちゃんが本心で言ってるなんて誰も思っちゃいねぇさ。安心しな」
「本心です。ザ・本心。そうやってみんなボクのSOSを見て見ぬ振りするのよね……」
「シャラップ先輩!」
蓋を閉じるよう上から押さえ込む。すると、そんなコヒラとヌルのやり取りを見ていたゲンは再度ぷるんっと揺れた。
「ほぉ。急に新人が赴任するっつーから島のみんなで心配してたが、この感じを見るに杞憂だったみてぇだな。けっこう相性いいじゃねぇか」
「んぐ、いつ下剋上されるかと不安に押し潰される毎日を送ってるけど……ていうかコヒラさん力強いのね」
「先輩が失礼なことばっかり言うから塞いでるんですよ! どうすんですかクレーム来たら!」
「思ってたよりも現金な理由。……んふふ、シンパシーを感じる。仲良くやれそう」
くぐもった声でそう告げるヌルに、コヒラは口を噤む。
仲良くやれそうという言葉に、喜んでしまった自分がいるのだ。
(いやチョロすぎるぞ私……!)
気持ちを切り替えるために頭を振る。
それを微笑ましそうに見たゲンは会釈した。
「ま、何はともあれ、今日はありがとよ。また何かあったら声かけさせてくれ」
「んふふ、正直嫌。でもお礼の言葉は素直に受け取っておきます」
「先輩の言うことは気にしないで、いつでも来てください」
去って行くゲンを見送る。
「――さて、役場に戻りますか。先輩」
緑色の背中が見えなくなったころ、コヒラはヌルに声をかけた。
「うん、そうね。……あ、その前にお願いがあるんだけど」
「何ですか?」
「コヒラさんのジャケット、数日貸してもらえないかな……? もちろん、ちゃんと返すから」
「……え、」
手のひらを上にして伸ばされた腕を見て、コヒラの体温が一瞬で下がる。
「な、何に使う気ですか。それともコレクションですか。私がいくらうら若き乙女だからってそれはちょっと……」
「あれ、今ポリス案件のご想像されてる? 違いますが? これでもまだ前科なしですが? ……と、とりあえず貸しなさいったら。先輩命令だからこれ」
そう言われてしまえば、コヒラは従うしかない。そうして渋々ジャケットを手渡したのだった。
◇
今日も今日とて、市民マモノ課はおおよそ役場の仕事ではないようなことをしている。
両親が手続きに集中できるように、と子どもを預かったのだ。
「うちの課、託児所になる頻度高。もういっそ児童クラブとか開業した方がいいと思う」
ゴブリンの子どもと手を繋ぐコヒラを見て、ヌルはぼそぼそと言った。
そうして怪我をしないよう子どもを見張りながら書類仕事を進めていたのだが、ここで面倒なことが起きてしまう。それは――
「これより! ここを秘密基地とする!」
――ヌルの空っぽの中身を、言葉通り秘密基地にされてしまったからだ。
コヒラの前で、木箱の中にゴブリンの子どもがすっぽりと収まっている。瞳が輝いていて、心底楽しんでいることがうかがえた。
そんな中、小さくくぐもった声がコヒラの耳に届く。
「……けて。たすけて……」
(あぁ、先輩が聞いたこともないような悲しい声で助けを求めてる……)
書類仕事も残っていたし、今すぐヌルを解放してやりたいとは思っている。だが、相手は五歳ほどの子どもだ。普通に頼んだとて素直に聞き入れてくれるとは到底思えない。
(うぅん……どうしたもんか)
コヒラが頭を捻っていると、
「……と。……こと」
と、ヌルの声が聞こえてくる。
全神経を耳に集中させると、次第にその音は言葉となった。
「……面白いこと。秘密基地より心躍るもの……」
(なるほど! 別の方向に興味を逸らせばいいのか)
ヌルの言葉を理解したコヒラは頷く。だが、か細い声はまだ続いた。
「……でも、ボクのこの居心地良い空っぽの中身をコヒラさんに越えられるかな。無理じゃないかな。荷が重いんじゃないかな」
その声には、嘲笑の色が混じっている。
(……腹立つなこの先輩。永久に秘密基地でもいいんだぞこっちは)
そう思い呆れた視線を送ると、びくりと木箱が揺れた。
「ごめんなさい。嘘、お茶目な嘘です。助けてください、口の中を土足で荒らされてる感じなんです。内臓云々が無いミミックでもこれはきつい」
早口で謝罪が返ってくる。コヒラはため息をついた。何と手のひら返しが早いことか。
(それにしても、ミミックにとって箱の中は口の中ってイメージなんだ)
生まれてから早十七年ほど経つが、初めて知る事実である。
ミミックとは、宝箱などの木箱に擬態し、油断して近づいた者を襲うというマモノさんの総称だ。箱以外にも擬態できるらしいが、ヌル曰く、箱でいるのが一番楽らしい。先祖代々遺伝子に組み込まれているのかもしれない。
(書類仕事をする時は人間の腕だけ擬態してたりするし。こういうこと聞くと、人間とマモノさんってこんなに違う生き物なんだって実感するな)
そんなことを考えていると、がたがたと音を立ててヌルが震え始めた。もう限界だという意思表示だろう。
(そうだ、まずはゴブリンの子どもをどうにかして先輩を解放しないと)
コヒラは赤い肌を持つ小さなゴブリンに近づくと、目線を合わせるため屈みこんだ。子どもらしい無垢な瞳がコヒラを捉える。
「ぼくちゃん、その秘密基地よりも面白いもの見せてあげよっか?」
「おもしろいもの?」
「うん」
「なにそれ」
「そりゃもちろん決まってるよ――」
コヒラは立ち上がり、その場で歩き出した。だが、一向に前に進まない。たしかに床を踏みしめて歩いているのに、立ち上がった場所から動いていないのだ。
すると次は、壁に当たったかのようにコヒラの身体がよろける。そして何もない空間に手を当てて、ヌルたちとの間にある見えない障害物の確認を始めた。上から下へ何かを触り、右から覗き込むように顔を出して破顔する。
「――パントマイムですっ!」
しばらくの間、コヒラのパントマイムステージは続いた。
事務机からペンを持ってきたかと思えばそれを床に置き、重くて持ち上がらないというパフォーマンスをみせる。はたまた一人綱引きをしたりと、準備していたのではないかと疑うほどネタは尽きなかった。
ゴブリンの子どもはヌルの中から出ることはしなかったが、静かにコヒラのパントマイムを見つめていた。
「――どうもありがとうございました」
コヒラの息が上がってきたころ、彼女の単独公演は幕を閉じた。額に滲んだ汗を己の腕で拭う。全力で行ったからだろう、コヒラは達成感に包まれていた。
(実家にいたころから定期的に練習してたし、きっと先輩の中よりも魅力的なパフォーマンスができたはず……!)
期待を込めた眼差しでゴブリンの子どもを見る。が、彼の表情は無だった。
「……驚きはあるけど、おもしろくはない」
「ぐっ……」
落ち着いた声音で発せられた感想は鋭い刃となってコヒラに突き刺さる。
「素人にしてはレベルが高い。でも粗削りな部分が目立つ。パントマイムは三次元にありながら二次元のような異様さがなくてはならない。肩で息をするなど言語道断、まずは体力をつけて。あと自己満足でパフォーマンスしすぎ。自分は誰に向けて披露しているのか、それをちゃんと意識してください」
至極真っ当な講評に心を抉られたコヒラは、その場で膝をついてしまった。そしていつの間にか鬼教官のような顔つきに変わっているゴブリンの子どもに震えながら頭を下げる。
「……ありがとうございました」
「一年後を楽しみにしてますよ」
「コーチッ……!」
お互いの手を握り合うコヒラと、コーチことゴブリンの子ども。その一部始終を低い位置から眺めていたヌルは呟いた。
「……パントマイムの申し子なん?」
結局、両親が迎えに来るまでゴブリンの子どもがヌルの中から出てくることはなかった。最初は中をいじくり回していたが、だんだんとただ落ち着く場所としてそこに入っているように見えた。
ゴブリン親子を出入り口まで送り、コヒラとヌルは一つ息をつく。子どもは元気が一番だが、接し慣れていない者からすると小さな怪獣のようでどうしていいかわからないのだ。
言葉通り、疲労困憊である。
コヒラは視線だけヌルの方に向けた。古くもしっかり磨かれていた木箱に、所々泥が付着している。おそらく、ゴブリンの子どもの靴裏が当たったのだろう。それを見て、申し訳ない気持ちになる。
「……あの、先輩。すみませんでした、何の役にも立てなくて」
「え、なに、何の話?」
「ゴブリン少年の話です。口の中を土足で荒らされてる感じって聞いていたのに、最後まであの子をどかすことはできなかったので……。パントマイムにもアドバイスをもらう始末ですし」
すると、ヌルはようやく気づいたようで「あぁ、あれね」と言った。
「んふふ、大丈夫。蝶番が壊れたわけでもないしね」
「でも泥で汚れちゃいましたよ」
「洗えば落ちるさ。それに、迷惑かけられるのは先輩の特権だよ。何の役にも立てなかったって言う後輩を見上げるのも、先輩の特権だね」
がこっという音と共に、ヌルがコヒラの方へ一歩分近づく。
「つまり、えっと、まぁ……気にしなさんなってことです、はい」
「そうやって茶化す」
「これはしかたない。気の利いたこととか言える性格ではない空箱ですので。……あ、そうだった」
不意に何かを思い出した様子のヌルはコヒラに向き直った。どうしたのかと思っていると、ヌルは箱の中から手を出し拍手を始める。
「え、何ですか急に」
理解が追いついていないコヒラがどうにか問うと、ヌルは拍手を続けながら答えた。
「あの時は拍手を送れなったから、今やってます」
「あの時っていつのこと――」
そこまで言って、一つの答えが頭に浮かぶ。
(いや、多分、絶対違う。違うはずだけど……)
でも、そうであってほしいという思いが口をついて出る。
「も、もしかして、私のパントマイムにですか?」
「うん。ゴブリン少年は辛口だったけど、ボクは上手だな~って思ったよ。きっといっぱい練習したんだろうね。んふふ、えらいね」
いつもと同じ、ぼそぼそとした話し方。もしかしたらコヒラを慰めるためのお世辞かもしれない。だが、
(それでも、すっごい嬉しい……!)
布が水を吸い込むように、じわじわとある感情がコヒラの中で広がっていく。あたたかいそれは、いつもより心臓を早く鳴らす。
「……ありがとうございます、先輩」
「うん、どういたしまして」
頬に溜まる熱には気づかない振りをした。
◇
パントマイムの一件以降、タリア島の道にも慣れてきたコヒラは、一人で依頼に出向くことも多くなった。
ゆっくりとだが、確実にできる仕事が増えている。そんな充実感があった。
(島のみんなは優しいし、先輩も……ちょっと変だけど話は最後まで聞いてくれて、何だかんだ言いながら依頼者を助けちゃういい人だし。左遷されたのも悪くないと思えるな)
末永くこんな日が続けばいい。
役場からの帰路、そんなことを考えてしまう。
しかしその願いは、コヒラの前で足を止めた男によって一瞬で砕け散った。
コヒラの視線の先――そこには、一本の乱れもなく撫でつけられた白髪の男がいる。
「やぁ、久しぶりだねコヒラちゃん。会えて嬉しいよ」
笑った拍子に、折れて歪な形となった前歯が現れた。
コヒラはこの歯を知っている。当たり前だ、彼女が折ったのだから。
「……インさん」
かすれた声で名を呼ぶ。
五十代ほどに見える彼の名はチョー・イン。コヒラが本土の役場で働いていたころ、彼女をストーキングしていた男だ。
(何でこの人がここに……いや、まずは冷静でいないと)
「名字で呼ぶなんて相変わらずシャイだね。お互いこんなにも想い合っているというのに」
「おもい、あってる……?」
人通りが少ないとはいえ、全く人がいないわけではない。そう思い努めて平静を装っていたコヒラだが、インの言葉によってぶつりと何かが切れた。
「――っざけんな! こんなとこまで追いかけて来やがって! また前歯折られたいんか⁉ パントマイムでフェイント入れながらラリアットすんぞ‼」
「んんん! 歯は折られたくないが、キミのことは手に入れたいというこの複雑な男心!」
「やかましいわ‼」
(妻子持ちのくせに何言ってんだこのじいさん!)
通りすぎる人々の視線が刺さる。大声を出したからだろう、一瞬で注目の的だ。
それに気づいたインはばつが悪そうな表情で舌打ちする。そして辺りを見渡し、コヒラの手首を掴んだ。
「ここは人目がありすぎる、まずは落ち着いて二人の今後を話し合おうじゃないか……!」
「嫌です、離してください。今後のことなんてありません」
「このっ、いいからこっちに来なさい!」
「うわッ⁉」
勢いよく腕を引かれ、コヒラはすぐ横にあった路地に連れ込まれる。ラリアットするにしても厳しい狭さだ。これでは思いきり振りかぶれない。
「……ッ!」
不安や恐怖はあれど、精一杯相手を睨みつける。今のコヒラにできることはこれくらいだ。
「あぁ、そんな目で見ないでくれ。こんな廃れた島に異動したと聞いたから周りの反対を押し切ってまで迎えに来たんだよ?」
「ふざけんのも大概にしてください。こちとらあんたのせいで島流しされて――」
そこまで言って口を噤む。コヒラはこの男のクレームによって左遷された。このまま反論を続けていたら、また職場に文句がいくかもしれない。
(そうしたら課だけじゃなくて、先輩にも監督不行き届きとして迷惑がかかる……)
そう考えて、下唇を噛みしめた。
「あれ、急に静かになったね。どうしてかわからないけど助かるよ。やっぱりキミは優しいね。島に来たことによって変わっていたらどうしようと思っていたけど、本土でワタシに笑いかけてくれたあの時と同じままだ」
(役場に来たあんたに挨拶しただけだろうが……! 私が誘ったみたいに言うな!)
見当違いな言葉に腹が立つも、手のひらに爪を立てて堪える。
「さぁ本土に帰ろう。仕事に関しては安心して、ワタシの方からキミの左遷を取り消すよう役場に掛け合ってみよう」
(ふざけんな、お前のせいで左遷されてんだよ!)
唾と共に言いたいことを飲み込んだ、その時――
「――ちょっと待って」
どこかで聞いたことのある声がコヒラの鼓膜を揺らす。
インの腕を掴む手――そこから視線を上げると、
「合意無しはよくない。本当に、よくないので」
そう言って首を振る黒い蓬髪の男がいた。
「あ、あなたは……」
コヒラの目が大きく開かれる。
気弱そうなたれ眉に、血を彷彿とさせる赤い瞳。インよりも一回り以上大きい背丈。コヒラはその男のことを――
「――どちら様ですか⁉」
――全く知らなかった。
「え⁉ コヒラちゃんも知らない人なの⁉ 本当に誰⁉」
「登場が全然キマらない……泣きたい」
男は、んふふ、と特徴的な笑い声をもらした。瞬間、コヒラの中で点と点が繋がる。
「あ、もしかして……ヌル先輩?」
そう名を呼ぶと、男は赤い瞳を細めて頷いた。
「んふふ、正解。気づくの遅かったからちょっと傷ついたけど」
(こ、この一言多い感じは紛れもなく先輩だ!)
おそらく人間に擬態しているのだろう。こんな状況だというのにまじまじと観察してしまう。
「な、何だいキミは! これはワタシとコヒラちゃんの問題だよ! 部外者は入ってこないでくれ!」
「なら、部外者でないボクは安心して首突っ込めますね。んふふ、どうも初めまして。彼女の職場の先輩やってます、ヌル・ヴォイドです」
「いや部外者じゃないかっ‼」
インのその一言に、ヌルの浮かべていた不気味な笑みが消える。
「……え、部外者? 先輩なのに? アイアムア先輩ですが?」
「先輩は完璧部外者だろう」
「え、あ、う、うぅん……」
(あれ、何か雲行きが怪しくなってきたぞ)
コヒラが思うと同時に、眉をより下げたヌルはぼそぼそと自信なさそうに言葉を続けた。
「で、でもお父さんみたいな立ち位置でもあるかも。職場内限定のお父さん的な……」
「彼女はもう一人で暮らせる年齢だ。父であれば余計に首を突っ込むべきではないと思わないのかね。恋人であれば別だが」
「あ、やっぱり少し恋人的な側面もあるかも……。お、お父さん兼恋人……的な?」
「お父さん兼恋人⁉ そんな複雑な関係なの⁉」
(駄目だこれ。最悪の形で嘘が塗り固められていく……)
コヒラは思わず頭を抱えた。
ヌルが続けて言葉を発する毎に、インの顔が苛立ちに歪んでいく。
「ほ、本当に何なんだキミは! 茶化すことが目的ならどこかに消えてくれ!」
「あでっ」
手を振り払われた衝撃で、ヌルが尻もちをつく。それによって人間の擬態が解け、いつも通りの木箱に戻ってしまった。
「先輩!」
「大丈夫……人型は維持が難しいだけだから」
インに掴まれていた腕を無理やり解き、木箱となったヌルを支える。怪我がないことに安堵すると、インの笑い声が聞こえた。
「ふっ、これはこれは、マモノさんだとは知らずに失礼したね。……それにしても何だい、その姿は」
上下左右、インの目が舐め回すようにヌルを観察する。
「そんな姿でお父さん兼恋人など笑わせる。口づけすらできないだろうに。……なんてったって口がないのだから」
差別または侮辱とも取れる発言。
自分に向けられたものであれば、先ほどのようにクレームを恐れて口を噤んでいたかもしれない。だがこれは、自分を守ろうとしてくれたヌルに向けられた言葉だ。
(黙っていられるわけない)
「――できます」
と、コヒラは真正面からその発言に嚙みついた。
「……は?」
インが間抜けな声をこぼすと同時に、コヒラはヌルの蓋を開け、中に上半身を突っ込む。
そして、箱底に己の口を押しつけた。
箱の中から上半身を引き抜いたコヒラは、真っ赤な顔で「ほらッ!」と声をあげる。
「こういうことも! ちゃんとできます! なので、さっきの発言は撤回してください! 必要なのはガッツだけなんで‼」
コヒラの啖呵に困惑した様子のインとヌル。しかし、数秒後ヌルだけは笑い声をもらした。
「んふふ、ふっ、ふふ……だそうですミスター。だったら、ボクたちでもできると思いませんか?」
「は? な、何を言って――」
「ボクみたいなおじさんと、ミスターのようなおじさん。おじさん同士のそういうシーンなんて見れたもんじゃないだろうけど、まぁある一定層には人気出そう……。ということで、ミミックにもできるってとこを見せてやる。そう、熱~いチッスを‼」
にじり寄るヌルを見て、インの顔はみるみるうちに青ざめていく。
「い、いやだぁぁぁぁぁぁぁ‼」
そして全力拒否し、背を見せて逃げて行った。
インの姿が見えなくなったころ、先に口を開いたのはヌルだった。
「んふふ、ビクトリー……ていうかあのおじさん誰? とりあえず追い払っちゃったけどよかったやつ?」
満足そうな声から一転。おろおろとし始めたヌルにコヒラは頷く。
「大丈夫です。ありがとうございました先輩。あの人、本土で私にストーキングしてきた人なんです。ラリアットで撃退したら前歯折っちゃって、クレームつけられた過去があるんですよ」
「あ、異動はそういう理由だったのね……ヌルさん初知り。んふふ、やることがヤングでいいね……って、それ言ってもいいことなの?」
「隠してるわけでもないので大丈夫です。それより、先輩はどうしてここに?」
お互い定時で役場を後にしたはずだ。たまたま通りがかったというわけではないだろう。そう思って尋ねると、
「そうだ、強烈なことを前に本題を忘れてた」
と、ヌルが己の蓋を開けた。
すると、どこからともなく、透明の袋に包まれたこげ茶色のジャケットが現れる。まるで魔法のような光景に、コヒラは開いた口が塞がらなかった。
「んふふ、驚いた顔、いいね。ミミックの箱の中は亜空間だからね、個人の意思で好きなものを出し入れできるんだよ。ちなみに、普通の箱底にすることも可能……んふふ、なんて有能」
ヌルは腕のみ人間に擬態し、ジャケットをコヒラに差し出す。
「えっと、話が逸れちゃったけど。コヒラさんにこれを届けたかったから追いかけてきたんです。その、思ったより長く預かっちゃってごめんね……?」
目の前にあるのは、役場支給のジャケットだ。釣りをした後、ジャケットを貸してくれと言われた場面が脳裏をよぎる。
「……クリーニング、してくれたんですか?」
「うん、魚臭くなっちゃったからね。もちろん魚臭くてもコヒラさんは素敵だけど、女の子だし気にするかと思って」
何てことないような声音で言うが、その思いやりがどれだけ人を喜ばせるのか、この木箱はわかっていない。
苦しいほど、心臓が速く動き出す。
「先輩」
「あ、お礼ならノーサンキューだよ。今日分のお礼飽和容量は越えたから――」
「――好きです」
「だからお礼はいいって……え、」
これはまずいと思った時、感情はすでに音となっていた。
(あ、言っちゃった。なら……もういっか)
どこか他人事のようにそう思ったコヒラは、固まったヌルからジャケットを受け取り、空いている右手で木箱の縁をなぞる。
ヌルは驚いたように、がこっと音を立てて跳ねた。
「先輩。私、さっき先輩にキスしましたよね」
「んふふ、記憶にございません……」
「え? アンコールですか?」
「覚えてます。それはもう感触までしっかり」
「それは何よりです」
血液が、身体が、脳が、沸騰するように熱い。
でも、口から出る言葉は驚くほど落ち着いていた。
「あの時、たしかに勢いもありましたけど、やったことに後悔はありませんよ。むしろ今はよくやったぞ自分って褒めたいくらいなんです」
「あ、そう、そうなんですね……」
「そうなんですよ」
沈黙が落ちる。が、すぐにくぐもった声がコヒラの耳朶を打った。
「……あの、そういうのはもっとよく考えた方がいいんじゃない? ってヌルさんは思います、はい」
コヒラは目の前にいる空の木箱を見つめる。目鼻口が無いため、ヌルが嫌がっているのか、困っているのか、わからない。
(でも、触れてるのに振り払われないし、距離を取ってくることもない)
これはよくない。期待してしまう。
――だが、古来より先輩の言うことは聞いておくべきだというではないか。
「わかりました」
コヒラは大きく頷いた。
「先輩の言う通り、よく考えてからもう一度告白します。ので、その時までに腹くくっといてください」
そう言って、コヒラは晴れやかな笑みを浮かべたのだった。
この度は本作「ストーカーにラリアットしたことが原因で左遷されましたが、先輩である空箱と楽しくやってます」を読んで下さり誠にありがとうございます!
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