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引っ越し当日、俺は粗品を3つ用意した。隣の101号室、2階の201号室と202号室に挨拶に行くためだ。今時引っ越しの挨拶など時代遅れであることは重々承知している。しかし、無職の俺としてはきちんと挨拶をすることで自分の立場を確保したいという算段があった。狭いコミュニティの中で浮いてしまうことに対する恐怖心は、本能に刻まれた田舎者の性なのかもしれない。


樹さんからは、他の入居者の情報も得てあった。

101号室はオーナーである叔父さんの知り合いの女性が住んでいるという。叔父さんが小学校に入学する年に彼女は中学に入学していたため幼馴染と呼ぶには違和感があるが、家が近かったために交流があったそうだ。

201号室はサラリーマンが住んでいるらしい。有名企業に勤めており、営業職についているという。叔父さん曰くなかなかの男前だそうだ。

202号室は大学生だ。近所の大学の文学部に通っているという。契約の際には親が付いてきており、その親というのがいかにもな富裕層だったのが印象に残っていると、叔父さんが言っていたらしい。

全員家賃の滞納や騒音などのトラブルもなく、優良な借主だという。そもそもひとり暮らしで1LDKを借りているような人たちだ。お金に余裕があるタイプなのだろう。


まずはお隣、101号室のチャイムを押す。老婆が出てきた。


町場の高齢者はシュッとしている。それが俺の最初の感想だった。白8対黒2の比率の髪は大分薄くなっており、顔のたるみも肌の艶の無さも、70歳は優に超えていることが分かる。四捨五入すれば80歳かもしれない。しかし自分の祖母と比べて、その差は歴然だった。田舎では彼女と同年代の女性はほとんどが腰が曲がっている。農業に携わってきた人が多いからだろう。服装も、いかにもおばあちゃんですといったデザインのチュニックとスラックスを、全員がまるで制服であるかのように着ている。しかし目の前の彼女は髪や肌の質感は老婆であるにも関わらず、腰は曲がっておらず、ボーダーのカットソーにグレーのカーディガンを羽織り、黒のロングスカートをはいていた。


「102号室に越してきた桜井です。」

俺は、粗品のタオルを差し出しつつそう言った。精一杯の笑顔を作る。「無職の男ではありますが、決して怪しい者ではありませんよ」という笑顔の圧をかけるつもりだった。しかし消え入りそうな小さな声でお礼を言う彼女はどこか上の空で、俺にはまったく興味が無い事がよく分かった。恐れていた事態、「あら、どちらにお勤め?まぁ、お仕事されてないの?」などという会話に発展する事、も無かった。と言うよりも、彼女はお礼以外の言葉を口にしなかったのだ。


「それではこれからよろしくお願いします。」

沈黙に耐えかね、そう締めくくって引き上げる事にすると、彼女は半分閉めかけた扉の隙間から意を決したように俺の顔を見た。そしてこう言った。

「あの事は聞いているの?」

あの事、とは、もちろんあの事だろう。

俺が頷く。すると彼女は

「そうなの。」

とだけ言って、そのまま扉を閉めた。

そう言えば名前すら聞いていないと、自分の部屋に戻ってから思い出した。


2階の住人にはなかなか会えなかった。3回ほど2階に上がり、101号室、102号室の順でチャイムを押しているが、どちらも応答はない。しかしながら上の階からの生活音や外階段を上る音は時折聞こえてきていた。セールスか何かだと思われて警戒されているのだろう。そう思った俺は、その内会えたら挨拶すればいいや、と考える事にした。



最初の夜から、それは始まった。初めての書斎に浮かれ、嬉々として小説を書いていた俺がリビングに置いたベッドに入ったのは、深夜2時を回る頃だった。


バンッッ

という音が一度だけした。

うとうとしていた俺は、すぐに覚醒する。


──なんだろう。


そう思いながら、体はベッドに寝ころんだままでいると、もう一度同じ音がした。


バンッッ

バンッッ

今度は2回。手のひらで壁を叩くような音だった。


──次は3回だろうか。


そんな下らない予想をしながら待っていると

バンッッ

バンッッ

予想に反してまた2回、音がした。


流石に気になって体を起こして電気をつける。ドラマや映画だと、明るい部屋では心霊現象は起こらないはずだった。


しかしまたしても予想に反して音が鳴った。同じ音、同じ場所、同じ大きさ。回数は1回から3回の間をランダムに、しばらく間をおいて、また同じ音がする。それが数回続いた。


モールス信号、なんて考えが頭に浮かぶ。しかしそれなら音は「ツー」と「トン」の2種類必要だ。一応スマホで解読表を検索するが、この音からそれを読み取ることは出来ない。大体幽霊がモールス信号を送って来るなんて話は聞いた事がない。


音の出ている場所を探して俺は部屋を歩いた。そして見当をつける。


それは101号室と102号室の間の壁だった。2部屋の間には外階段があるが、このリビングの部分だけは接している。普通に考えれば、壁を叩いているのは101号室の住人だ。しかし老婆が夜中の2時過ぎに壁を叩くなんてありえない。


音はその後数回して収まった。最初の音がしてから、時間にしたら30分にも満たないだろう。


つまり、だ。

俺はベッドに座ると、事実を整理した。


丑三つ時に101号室と102号室を隔てる壁を叩く音がする。

その犯人が隣の住人である確率は低い。

モールス信号ではない。

ここは女性が殺された事故物件だ。


──これらを総合して考えると、これは心霊現象なのだろう。


思ったよりも冷静な自分に自分で驚く。とはいえ、何の覚悟も情報もないままこの状況になったのであれば、今頃青ざめて布団に包まり過呼吸になっていただろう。御札を握りしめて十字を切っていたかもしれない。しかし俺は分かった上で覚悟を決めて入居をしているのだ。まったく怖くない、と言えば嘘になる。というか、普通に怖い。しかし、ポジティブに考えるのならば、音がするだけのことだ。白や赤のワンピースを着た女が出た、というわけではない。


気が付くと寝ていたようで、起きたらお昼に近い時間だった。


──小心者だとばかり思っていた自分にこんな図太さがあったなんて。


俺は複雑な気持ちになった。

・本作品は「ネトコン14事故物件」に応募しています

・小説家になろうに投稿するのはこれが初めてで、暗黙のルールやマナーを分かっておりません。至らない点があったら、申し訳ありません。



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