04
マリーはとんでもないことに挑戦していた。
空間魔法で安全地帯が作れないか、魔法を開発していたのだという。
厳密には無属性の空間魔法で、聖属性の結界魔法のような効果を出したいという話だった。
そして目の前には、マリーが作った空間魔法らしき薄青い膜がある。
隔てられた空間の安全地帯という発想に、ようやく理解が追いついたとき、吐く息が震えた。
ちょっと、凄過ぎて本当に理解が追いつかない。
それは聖魔法の結界よりも、すごいものじゃないのか。
ボクは空間魔法の境目に手をかけ。
簡単に、空間の境目をボクの身体はすり抜けた。
でもすり抜けるときに、強烈な違和感はあった。
中の空気が違う。
マリーが言うように、ここは別空間なのだと理解した。
すごいなと感心するボクの前で、マリーは泣き出した。
「違あああああうっ! 今度こそって、思ったのに! これじゃない! これじゃ、みんなを助けられないよう!」
可愛いマリーの子供らしい声が、悲痛に響く。
「せっかく、ここまで。だって、やっと出来たって、思ったのに」
マリーはわかっているのだろうか。
とんでもないことだ。とんでもない偉業だ。
別の空間が、既に生み出されている。
奇行と呼ばれたあの魔力切れの気絶は、どれだけの努力の跡か。
空間魔法をマリーは操っている。
マリーの歳で、たったひとりで。
試行錯誤をしてそこまで出来たこと自体がすごい。
狙った物とは違って泣いているけれど。
無力だと悲しんでいるけれど。
「マリー、すごいよ。絶対にこれは、無駄じゃないよ!」
「でも、私以外を弾くはずが、ジル兄が普通に入れたよ。これじゃあ魔獣まで出入りできちゃうよ! 意味ないよ!」
意味はある。とんでもない。
誰も到達していない領域の、魔術研究。
そんなすごい実践をしていることに、気がついていないのか。
これだけのことが出来るのは、死に戻りの記憶によるものかも知れない。
でも知識があっても、新しい魔法に挑戦するのは大変だっただろう。
「大丈夫、きっと意味はある。すごいよこれ、ちゃんと完成させれば、すごいものになるよ」
ボクも手伝うからと言うと、マリーはべそをかきながらも、立ち上がった。
マリーはこの空間魔法の実験で、魔力切れで倒れていたのだ。
所構わずに寝る奇行なんかじゃなかった。
無茶をする妹が心配だったけれど、まだ学生だったボクは、学園に帰る日が来る。
心配で、なるべくたくさん手紙を書いた。
マリーの試行錯誤に、ボクの意見も加えてもらった。
マリーのことで頭がいっぱいだった春期の、授業の合間の休憩時間だった。
考え事をしていて教室移動に出遅れたボクを、彼女が待ち構えていた。
ロイ兄の婚約者の妹、ハルバド伯爵家の令嬢だ。
「ごめんなさい」
彼女はいきなりボクに頭を下げた。
「父が、姉の婚約を解消すると、マロード辺境伯家に申し入れたの」
最初は意味がわからなかったけれど。
少しずつ、わかってくる。
つまり彼女の伯爵家は、婚家になるはずのマロード辺境伯領を見捨てるんだ。
大規模魔獣発生が起きる領地と、繋がっていたくないと。
今は危険だから、輿入れ時期は延ばそうという申し入れを、ロイ兄はしていた。
それを幸いに、逃げるつもりなんだ。
「災害が起きるなら、姉をそんなところに行かせられない。起きないなら、嘘をつく辺境伯家と縁を持てない。そう、父は判断したの」
正直は美徳だと、誰が言ったのだろう。
そんな正直さはいらない。ただの暴言じゃないか。
「そう。じゃあね」
ボクは彼女に背を向けた。
正直、これ以上の時間を、彼女に費やしたくはなかった。
ひたすら待った夏期休暇に入り、もどかしい気持ちで急いで辺境へ帰る。
マリーを探して、合流して、空間魔法の研究の続きだ。
収納魔法を見せてもらい、結界用の空間魔法を見せてもらい。
「ねえマリー。こっちの空間を、収納魔法みたいに閉じるのは出来るかな」
ボクが提案すると、マリーは懸命にイメージをして、魔力を込める。
そうして出来た空間は、ボクもマリーも弾く。
マリーは困った顔をするけれど。
「大丈夫。これを結界として、あとは選別した人を通すイメージが出来れば、ちゃんと結界魔法になるよ」
ボクの提案に、マリーが明るい顔になった。
勝手なことを言うボクに、怒るでもなく、ありがとうとマリーは言う。
本当に素直で可愛い、頑張り屋の妹だ。
そうして辺境ではマリーと一緒に過ごして。
ボクは学園最後の秋期授業のために、王都へ向かう。
次に辺境へ帰るのは、卒業後だ。
大規模魔獣発生は、まだ起きない。
これはいよいよ、大災害が来ると考えなければいけない。
でもたぶん、ボクらはきっと勝てる。
あのマリーの魔法と、ボクたち家族の身体強化と、聖銀の剣で。
またマリーと手紙のやりとりをしながらも、最後の学期をボクは真剣に勉強した。
今学んでいることは、きっと今後の辺境のために、役に立つ。
この国の商業知識も法律も、各地の産業、異国の文化。
あれから二年近い厳戒態勢で、辺境伯領の財政は悪化している。
本番の災害で冒険者の力も借りるのなら、金策が必要だ。
解決策らしきものは、なんとなくある。
だってマリーの魔法がある。
結界魔法の方じゃない。収納魔法だ。
結界魔法の拠点は、もちろん災害を戦い抜くために必要だ。
でもマリーの収納魔法は、金策の点で、非常に頼もしい。
大規模魔獣発生は、討伐できるのなら、稀少な魔獣が手に入るチャンスだ。
それらを素材として回収できれば、お金になる。
それらの素材を、本当に求められている地域で売れば、高額で売却出来る。
災害を生き抜く知恵はもちろん、その後の辺境のための資金作りも必要だ。
授業で学ぶ知識は、それらを考える基になる。
ボクは積極的に、先生方にも聞いて回った。
どの地域でどのような素材が求められるのかを、地理関係の先生に。
経済学の先生には、高値で売るための知識を。
先生方は、冒険者ギルドや商業ギルドまでが、マロード辺境伯領で警戒態勢になっていることを知っていた。
ボクに対して積極的に、知る限りの知識を与えてくれた。
「交渉というのはな、いかに相手に利があるかを考えることが、肝心だ」
「相手の利、なんですか?」
「そうだ。自分の利で話しがちだが、交渉の鍵は相手の利だ。相手にも利があり、自分にも利がある。それが示せれば、交渉に勝てる」
「それは、勝ちなんですか?」
「自分の利がきちんとあるんだ。勝ちだろう」
その先生は、商売とは何の関係もない、歴史の先生だった。
でもその教えは、なんだか面白い考え方で、今後に役立つ気がした。
卒業間際、サーリウム公爵家のレオリオスが、そっとボクに話しかけてきた。
「何の力にもなれなくて、すまない」
意外な声をかけられたと思ったけれど、テレンス公爵家のことかと理解した。
三大公爵家と言われる、テレンス公爵家、サーリウム公爵家、セリオス公爵家。
その筆頭のテレンス公爵家が、マロード辺境伯領の大規模魔獣発生を否定しているため、国が動かない。
魔の森と接しているのは、うちの辺境伯領だけじゃない。
隣のレイモン侯爵領も、魔の森と接している。
そしてレイモン侯爵家が「自領に影響がないから、マロード辺境伯家が嘘をついているのだ」と主張をしている。
魔力溜りなんて兆候はない。大規模魔獣発生が起きるなんて、嘘だと。
レイモン侯爵家の背後には、親類のテレンス公爵家がある。
あちらが国と貴族議会を動かして、今の状況を作り上げている。
本来なら、他の公爵家がそれを諫めるところだ。
でもサーリウム公爵家は、動けないらしい。
「妹が第二王子の婚約者になり、王子妃教育で城に通っている。下手に動けば、妹が標的になる」
テレンス公爵家と事を荒立てることが出来ない事情があるらしい。
レオリオスに妹がいるとは、初めて知った。
そんな個人的な話はしたことがなかった。
第二王子の婚約者だというし、噂を集めていれば、きっとわかったことだろう。
社交的ではないマロード辺境伯家の血が、ボクにも流れている。
「妹にそんな大役は務まらないと我が家は断ったが、婚約は結ばれた」
悔しそうにレオリオスが言う。
「妹は、すごく可愛いんだ。あの子に何かがあったら、私は…」
「わかる。妹はすごく可愛い。ボクだって、マリーに何かあったら…」
レオリオスが顔を上げ、ボクを見る。
ボクも彼を見る。
何かが通じ合ってしまった。
国も貴族たちも、マロード辺境伯領の大規模魔獣発生には、動かない。
まあ、今となっては、もうどうでもいい。
きっとマリーの魔法が完成する。
ボクたちは、ボクたち辺境の戦力だけで生き残る。
国の手出しはもう不要だ。その覚悟は既にしている。
「ボクの妹はすごいんだ。今回のこと、貸しにしておくから」
そんなふうに言ってみたら、レオリオスはいつかのように、驚いた顔をして。
少ししてから困ったように笑った。
「わかった。もしマロード辺境伯家が生き残った上で、事後処理などで困ったことがあったならば、きっと手を貸そう」
意外な好条件の約束をもらえた。
大規模魔獣発生が実際に起きれば、そしてマロード辺境伯家がそれを抑えきれば。
テレンス公爵家が、逆に窮地に立たされる。
国を危険に晒す行いをしたことが、明るみになるからだ。
ボクらはきっと生き残る。
そのときに、困ったことがあればサーリウム公爵家が手を貸してくれるのは、非常にありがたい。
ボクは頷いて、了承を示した。レオリオスも頷いてみせた。
卒業式までの日は、淡々と過ぎた。
学園生活が終わる感慨はなく、ただ辺境に帰りたかった。
でもボクに様々なことを教えてくれた先生たちには、感謝をしている。
次回更新は2月10日予定です。