03
それから彼女と急激に仲良くなったかといえば、そうでもない。
日々は淡々と過ぎていった。
ボクは独りで授業を受け、ときに必要に応じてグループワークに参加して。
彼女も同じく独りで多くを過ごし、授業を真面目に受けている。
Aクラスの女子は、お上品でそれなりに生真面目そうな人が多い。
二人だけ、華やかな伯爵家と子爵家のご令嬢が、はしゃぐ声を上げることはある。
でもギスギスした雰囲気はそう見えない。
他のクラスの女子は、少し怖い雰囲気を見かけることがある。
うちのクラスは平和だ。女子については。
男子は、公爵家令息を中心にした集団と、経済的に豊かな伯爵家令息を中心にしたグループが、対立関係にある。
ボクがボレスに嫌がらせを受けていることで、伯爵家サイドから声をかけられたけれど、独りがいいと断った。
あの対立関係に巻き込まれるのは嫌だ。
ボレスはあのあとも、地味な嫌がらせを仕掛けてくる。
あるときは階段で足を引っかけられた。
怪我をさせると面倒だと咄嗟に跳んで、下の階へ一気に着地した。
我ながら華麗な動きを見せた。
あるときは背後から押された。
身体強化をしていたので、何か当たったかなくらいだった。
むしろ背後でボクを突き飛ばそうとしていた奴が、ボクを押した反動からか、自分が転がっていた。
いや、最初のときと同じだから。学べよ。
男子だけがする剣術の授業では、振り回した木剣の先がボクをかすめた。
でも表面硬化をしていたので、怪我はまったくなかった。
やはりボレスの方が、木剣がボクの横の壁に当たった反動で、転けていた。
さらに見ていた教師により、彼がこっぴどく叱られた。
下手をすれば大怪我をさせるところだが、わかっているのかと。
彼は口でもボクに勝てない。
だって理論立てて反論する穴が、たくさんある。
最後に「バーカ」とか言われても、程度が低いなと思うだけだ。
ボクの憐れみを込めた目に気がついたのだろう。
彼は次第に、何もしなくなっていった。
ボクへの嫌がらせは、公爵家嫡男のグループ全体ではなく、あくまでもボレスだけだった。
何がしたかったのかは、今もよくわからない。
一度だけ、サーリウム公爵家嫡男のレオリオスに謝られたことがある。
取り巻きのボレスが迷惑をかけたと。
別に被害はなかったと淡々と返したら、少し意外そうな顔をしていた。
ボクがどう返すと思っていたのだろうか。
王都の辺境伯邸には、家族がいない。
ボクは家でくつろぐよりも、学園の図書棟に通い詰めた。
馬車の迎えは、学園が閉まるギリギリにしてもらった。
学園の図書棟は、申請すれば静かに学習が出来る個室が使える。
備え付けの魔道具のポットがあり、茶葉を持ち込めばお茶を淹れられる。
蔵書も豊富で、興味深い本が多くある。
辺境伯家の蔵書も多かったけれど、種類に偏りがあった。
学園は、幅広く様々な分野の書物がある。
ボクは一学年の春期、多くの時間を図書棟で過ごした。
ある日、奥の本棚の片隅にひっそりとあった本が目についた。
古びた薄い物語みたいな本だ。
何気なくそれを読み、ボクは大きな声を上げそうになった。
人の魂は巡る。
その魂はまれに、死にかけて戻ってくるときに、魂の中にある、古い人生の記憶を引っかけてくることがあるそうだ。
死に戻りというその現象は、他人の記憶、知らない知識を与える。
マリーの不思議な言葉を思い出した。
もしかしてマリーは、死に戻りの記憶があるのだろうか。
三歳の熱から目覚めて、いきなり魔力循環というものをやり始めた。
あれを境に、考え方がしっかりした。
動揺したけれど、記憶が増えただけで、マリーはマリーだ。
魔力循環という考えは、マリー以外から聞いたことはない。
死に戻りの記憶の中にあったものなら、その巡り合わせに感謝する。
だってボクはたぶん、その記憶に救われたのだ。
基本は独りだけれど、授業のあと、たまにクラスメイトと話すこともある。
ボクは優しそうに見えるみたいで、女の子たちが将来のことを聞いてくる。
嫡男の兄を支えると言うと、残念そうな顔をされる。
春期の中間テストも首席だったので、次男のボクは文官を目指していると思われたみたいだ。
辺境伯家で嫡男の兄を支えるのは、女の子の結婚相手に向かないらしい。
でもそうした人生を歩みたいと、ボクが決めた。
あの辺境伯家で兄を支えたい。今の家族が大好きなんだ。
夏期休暇で帰省して、マリーを構うのは、ほっとした。
我が家がいちばんいい。
学園に通っている間は離ればなれだ。
卒業してからマリーの入学までは家族の日々なので、ボクは卒業が待ち遠しい。
マリーの入学も、ボクが王都について行けば、マリーとずっと一緒だ。
一学年が終了した冬期休暇で帰省をしたとき、辺境の異変を聞いた。
先日、魔力溜りが複数見つかったそうだ。
稀少素材を採取に行きたいとマリーがロイ兄にねだり、森の奥に行ったとき、見つけたという。
そして領兵に調査をさせたら、複数見つかったと。
魔力溜りは、大気中の魔力が、何かの要因でひとつの場所に滞る現象だ。
魔力溜りからは魔獣たちが大発生して、近隣の街に被害が出ることも多い。
規模にもよるが、一ヶ所の魔力溜りからでも大発生は起きる。
さらに、複数の魔力溜りがあった場合は、大規模魔獣発生になる。
一ヶ所なら魔獣発生、複数箇所は大規模魔獣発生と呼ぶと聞いている。
大規模魔獣発生とひと言で括られるが、被害の大きさはまちまちだ。
大規模に発生しても、弱い魔獣ばかりなら、それほどの脅威でもない。
でも過去には、ドラゴンが出るような大災害もあった。
父は即座に国へ報告し、辺境は緊急態勢になった。
魔力溜りのそんな説明を受けたとき、父からは、ボクだけ王都に戻れと言われた。
ちょっと待ってよ。勘弁してくれよ。
そんなのまるで、全滅の危機にスペアを逃がすみたいなものじゃないか。
嫌がったけれど、大人の決定は覆らなかった。
せめて学園の休暇ギリギリまでは、辺境にいた。
すぐに発生する程度なら大丈夫。でも、今はまだ発生する感じではない。
ボクが辺境に帰っているときなら、ちゃんと戦力になる。ボクだって戦える。
そう主張して、学園に帰った。
王都へ向かう馬車の中、ボクは自分の言葉を後悔した。
だって、魔力溜りが出来てから時間がたつほど、大規模な災害になると聞く。
万一、ボクが言ったようになったら。
たとえばボクが卒業してからの災害になったとしたら。
とんでもない規模の被害が出る。
マリーの教えてくれた魔力循環と身体強化で、ボクたち家族はとても強くなった。
でも、大規模魔獣発生は、そんなボクたちでもどうにもならない、大きな災害だ。
学園に戻ってからも辺境が心配で、何度も家族に手紙を書いた。
そんな中で、ボクは国の異常な対応を知った。
マロード辺境伯家の報告に、国がまったく反応していないなんて、あり得ない。
「マロード辺境伯家は嘘つきだな」
ある日、そんなことを言われた。
その頃には、国が動かない理由とされるものを耳にしていた。
マロード辺境伯領と同じように魔の森に接するレイモン侯爵家が、自領に影響がないから、大規模魔獣発生など起きるはずがないと、主張していると。
近隣領地に影響がないから、うちの報告を嘘だと、貴族議会が判断したと。
こういう連中は、実際に大規模魔獣発生が起きたとき、どうするんだろう。
うちで抑えられなければ、あれは国中が食い荒らされる大災害だと、わかっているのだろうか。
まあ、そのときは、うちが真っ先に犠牲になる。
あのとき言っただろうがと主張をすべきボクの家族は、もういなくなっているかも知れない。
弱い魔獣ばかりなら、なんとかなるだろうけれど。
学園の春期授業を終えても、辺境に動きはなかった。
国にも動きがない。
ボクは辺境に戻り、そのとき母からそっと耳打ちされた。
マリーが所構わず寝ているという、奇行の話だ。
妹は突拍子もないことをするときがあるけれど、基本的に頭が良くていい子だ。
奇行というのが、マリーと結びつかない。
不安でそんなことをしているのかしらと、母は言う。
大人たちが忙しく、家庭教師の学習もなくなって、拗ねているのかしらなんてことも言う。
でもマリーらしくないのは、母も気がついている。
マリーなりに何かを考えて行動しているのだろうと思った。
夏期休暇で辺境にいたとき、ボクもそんなマリーに遭遇した。
庭で寝ているので、起こそうとして、異常に気づく。
これ、マリーは寝ているんじゃなくて、魔力切れの気絶じゃないのか。
ボクの魔力循環は、マリーが教えてくれたものだ。
初めて教える相手として、マリーは何度もボクに、自分の魔力を流してくれた。
だからマリーの魔力は、ボクにとってとても身近なものだ。
そのマリーの身体に、マリーの魔力がとても希薄だ。
何をしているのか訊いても、マリーは教えてくれなかった。
気になりながらも、夏期休暇を終えればボクは王都へ戻るしかない。
秋期の授業は、辺境への心配で気が散り、首席を維持できず二席になった。
でもそんなことは、どうでもいい。
冬期休暇に入ったその日に、辺境へと向かう。
ボクを迎えたマリーは、ボクに手伝って欲しいと言ってきた。
ようやく何をしていたのか、教えてもらえるみたいだ。
「あのね、結界魔法を使えたらって、思ったの」
ボクの頭は真っ白になる。
いや、それは、ダメだ。
だって結界魔法は、聖女や聖者、金の魔力を持つ者が使う魔法だ。
「違うの。空間魔法で結界を張るの!」
ボクの心配に対して、マリーはそう主張した。
「失敗して、収納魔法が完成しちゃったけど、今度こそ結界魔法なのよ!」
そうしてその場に、薄青い膜が、マリーを中心に広がる。
膜を隔てた場所は別次元の空間だと、マリーは力説する。
「私以外を弾けるか、実験に付き合って欲しいの!」
可愛いマリーが何を言っているのか、ちょっとわからなかった。
次回更新は1月30日予定です。