02
この国の貴族は、十四歳になると王都の学園に通う。
平民も通えるけれど、学園卒業は貴族のステータスみたいなものだ。
入学試験、学期ごとの試験、卒業試験と、一定の学力が必要になる。
学園卒業は、そうした知識や教養があると示すことになる。
学園を卒業していないと、社交界では貴族と認められない。
まあ、うちの辺境伯家は社交にあまり力を入れていないのだけれど。
入学前の試験を受けに、ボクは今日、辺境伯領を旅立つ。
試験を受けて数日すれば、結果が来てすぐに入学だ。
次にこの領地に帰るのは春期授業のあとの、夏期休暇だ。
学園の授業は、春期と秋期の二期で一年。
冬期休暇も長い休みがある。
家族と領城の人たちが見送りに来てくれている。
ボクは家族と順番に抱き合って、最後にマリーを抱きしめて、行ってきますと声をかけた。
「行ってらっしゃい、ジル兄!」
マリーは元気に見送ってくれる雰囲気だ。
兄としては、少し寂しい。
もうちょっとこう、寂しがってくれてもいいんだよ。
マリーは今八歳だ。
六歳で冒険者ギルドに登録してから、魔法関係の勉強と冒険者活動に夢中だ。
この年齢でもうポーションをいくつか作れるようになり、魔道具の初歩技術も教わっている。
自分で採取したもので、ポーションや魔道具を作ることが、すごく楽しそうだ。
辺境伯家の男児は、六歳になると冒険者登録をして活動する。
六歳の頼りなかったボクも、冒険者登録をして、薬草採取などを経験した。
辺境は魔獣との戦いが日常的にある。
領兵だけではなく、冒険者との連携も必要になる。
実際に冒険者活動をすることで、魔獣の知識と冒険者の知識が得られる。
マリーは女の子だ。
貴族令嬢のマリーが冒険者登録なんて、本来は両親が反対するところだ。
でもマリーの魔力がもし誰かに知られたとき、冒険者として逃げられる。
貴族令嬢以外の生きる道がマリーには必要だと、両親と祖父は判断した。
マリーの冒険者活動は、学園を卒業したロイ兄が監督している。
始めた当時は、解体などの教え方が厳しいと、マリーは文句を言っていた。
でもロイ兄なりに、理由を話してきちんと諭し、今ではマリーも納得している。
ロイ兄はがさつだけれど、基本になる考え方はしっかりしている。
未来の領主にふさわしい素質なんだろうなと、ボクは思っている。
でも細やかな気配りは出来ない兄なので、ボクはそれを補佐したい。
ただ、マリーをロイ兄にとられたみたいになっていることは、気に入らない。
冒険者活動のため、今のマリーは、ボクよりロイ兄と一緒の時間が多い。
いちばん懐かれていた兄としては、複雑な心境だ。
「マリーのことはオレに任せて、安心して勉強しろよ」
マリーを抱きしめたまま離さないボクに、ロイ兄が言う。
「ロイ兄は婚約が決まったし、婚約者を構わないといけないでしょう」
「彼女もまだ最終学年が残っている。顔も二度ほど合わせただけだからなあ」
嫡男のロイ兄は、二十歳になった。
身分の釣り合う近隣領地の伯爵令嬢と、婚約が整ったばかりだ。
今年が最終学年の彼女は、卒業後一年の準備期間のあと、辺境に嫁入り予定だ。
領地同士の話で決まった婚約なので、ロイ兄自身は、婚約者への接し方がわからないみたいだ。
両親は健在で、先代の祖父も健在。嫡男の婚約が結ばれた。
マロード辺境伯領は、父の代になってから戦争も災害もなく、豊かだ。
明るく見送ってくれる家族に手を振り、ボクは王都へ向かった。
王都にも辺境伯邸はある。
辺境伯家の者が滅多に来ないので、学園に通う子供が来ると、皆張り切って迎えてくれる。
主人が滅多に来ない家を守るというのは、きっと寂しいものなのだろう。
マリーが学園に通うときは、ボクも一緒に来ようかなと思う。
我が家は社交に重きを置いていないけれど、貴族なのだから、社交で情報収集だって必要なはずだ。
ロイ兄がそれをする気がないなら、せめてボクがしないとと思っている。
試験の心配はしていなかった。
充分に勉強の時間をとり、準備をしていた。
おかげでボクは首席入学だった。
学力の上位人数が多ければ、Sクラスという特別なクラスが開かれることもある。
でもボクの学年はそうでもなかったようだ。
入学式は学園長や国の重鎮などから入学を祝う言葉を頂き、ボクは新入生代表として決意表明をした。
決意表明といっても、無難に学園で学びたいことを話した程度だ。
この入学式のあとには、交流会という名のパーティーがある。
皆の意識は、きっとそちらに向かっている。
交流会は、在校生が先に会場へ入り、新入生を迎える。
そこで新入生は順に名を呼ばれて、一礼をするのが習わしだ。
「マロード辺境伯家ご令息、ジルベルト様」
ボクがそつなく一礼をすると、背後からボソリとした声が聞こえた。
「なんだよ。辺境伯家の無印か」
近隣の伯爵領の奴だった。
ボクはしばらく言葉の意味に戸惑っていた。
いや、言葉の意味はすぐにわかったけれど、自分の気持ちが不思議だった。
だって、無印であることを気にしていたはずが、今ではまったく意識の外になっていたからだ。
ボクは魔法をそれなりに使えるようになっている。
たぶん、属性があっても魔法の修練をそれほどしていなかった人よりは、ずっと魔法が使える。
マリーが教えてくれた、魔力循環の効果だと思う。
魔力の扱いがスムーズで、体の中で魔力を自在に操れる。
そして魔法を使いこなせていなくても、たぶん気にならなかった。
身体強化で人よりずっと速く力強く動ける。
表面の硬化も出来るので、攻撃を受けてもほぼ怪我をしない。
家族間での手合わせに手加減が不要になったので、実は裏庭がひどい状態だ。
特に父と祖父の手合わせは、災害級になっている。
母屋の一部を破壊してしまったときは、しばらく手合わせ禁止令が母によって出されたほどだ。
ボクは、自分が無印であることを、すっかり忘れていた。
そのことがとても不思議で、同時にマリーを思い出して、胸が温かくなった。
魔力循環を知らないままだったら、きっとボクは、卑屈になっていただろう。
ロイ兄をボクなりに支えるという目標も、なかったかも知れない。
そして今の、無印だと蔑む言葉にも、傷ついたかも知れない。
その言葉が今のボクには、まったく響かないことに、少しおかしくなった。
Aクラスは十八人で、男子十二人、女子六人と偏りがある。
我が家はマリーにも専門の家庭教師をつけたけれど、家によっては女性にそれほど教育を与えない。
そのため入学直後の一学年は、上位クラスでは男子が多くなると聞く。
同じクラスで一番身分が高いのは、サーリウム公爵家の嫡男だ。
レオリオスという彼には、常に取り巻きがいる。
ボクを無印と蔑んだ伯爵家の奴も、取り巻きのひとりだった。
ボクは特に誰かと仲良くするでもなく、淡々と授業を受けた。
グループで話し合いをする授業では、必要なことは話す。
雑談も、話を振られれば応じるものの、ボクから働きかけるつもりはなかった。
クラスには自然とグループが出来ていたけれど、ボクはどこにも所属しない。
こうしたところが、マロード辺境伯家の社交的ではない部分かも知れない。
でも周囲の話していることが、くだらないのだ。
誰が誰と仲がいいとか、どの女子に気があるとか。
家に借金がある、学園に通えなかった親類がいる、領地経営が落ち目だ。
特に人をけなす言葉が多くて、うんざりする。
まあ、社交というものは、そうした言葉を拾って情報を集め、分析することも必要なのかも知れない。
でも聞こえる会話は、不愉快だった。
借金があるから支援をしようとか、領地経営が落ち目だから手助けをとか、そういう発展性がない。
人をバカにすることで、自分の優位性を誇示するみたいな態度。
貴族には多いのかも知れないその考えは、なんだかなあと思った。
だからボクは、そういう人の輪に、入りたくなかった。
「おい、無印」
どうやらボクに向けられているらしい声に、ちょっと考える。
無視をしようかと思ったけれど、向き合った方が、あとの面倒が少なそうだ。
そう考えて、足を止めて振り返った。
ボクをずっとこう呼ぶのは、ホーティエ伯爵家のボレスという男だ。
交流会のあのときから、ずっとボクを蔑んだ目で見ている。
身分差で言えば、辺境伯家より伯爵家は下なんだけどな。
お互いに嫡男ではないから、いずれ身分差が消えると思っているのだろうか。
でも今は公的に、ボクの方が身分が上だ。わかっていないのだろうな。
公爵家令息の取り巻きでも、君自身は伯爵家なんだけどな。
彼はひとりで、ボクに歩み寄ると、ボクの肩に手をかけて押した。
身体強化をしていたので、当然相手が倒れた。
壁に手をかけて押して、自分が倒れたようなものなのに、大げさに喚いた。
「何しやがる!」
ああ、言葉が汚いな。貴族として礼儀作法はどうしているのかな。
ボクは冒険者活動もしているので、そういうときに言葉が崩れることはある。
でも、辺境伯家の息子としては、言葉には気をつけろと注意を受ける。
使い分けは大事なんだと、彼は学んでいないのだろうか。
「彼は何もしていないわよ。あなたが彼の肩を押して、勝手に倒れたのでしょう」
かけられた言葉は涼やかで、清涼な空気がそこに流れたような気がした。
見知った顔がそこにいた。
あまり話したことはないけれど、クラスメイトとして、そして兄の婚約者の妹として知っている。
ハルバド伯爵家のご令嬢、エオナ嬢だ。
姉のシエナ嬢が、ロイ兄の婚約者で、今はこの学園の最終学年に通っている。
「彼が何をしたというのか、明確に教えて頂けるかしら」
彼女の無表情の、冷たくも響く言葉に、ボレスは怯みながらも言葉を返す。
「こいつが抵抗しやがったんだ!」
「押されて倒れないから、抵抗したと言うのも、どうかしらね」
彼女は少しだけ首を傾げた。
さらりと、つややかな黒髪が肩を流れた。
彼女もまた、ボクと同じように、ひとりで行動していることが多い人だ。
彼女もボクを、姉の婚家の者として認識しているはずだ。
嫡男以外は辺境伯領へ来てくれたときに、顔を合わせた。
でも今のは、ボクを援護してくれたというより、事実を淡々と指摘したみたいだ。
彼女はたまに、そういうことをしているのを見かける。
別のクラスの女子が廊下で揉めていたときも、淡々と指摘をしていた。
まあ、それで揉める人たちが納得したかといえば、そうでもなかったのだけれど。
今もボレスは、苦々しげにボクと彼女を見て、舌打ちをして立ち去った。
貴族の令息が舌打ちとは。
ボクと彼女は顔を見合わせて、お互いに肩をすくめてみせた。
次回更新は1月20日予定です。