11
今ボクは、エオナ嬢と菓子店の喫茶コーナーで、向かい合って座っている。
なぜか、彼女とお茶をすることになってしまった。
彼女から誘われて、うっかり了承してしまった。
なんだか懐かしいと、感じてしまったのだ。
彼女の声の印象はあまり変わっていない。
涼しい空気が流れるようなあの声は、たぶんボクの初恋だ。
とはいえ、何かアクションを起こすような状況ではなかった。
最初はロイ兄の婚約者の妹で、同じ家から嫁に来てはもらえないと思ったし、婚約解消を知ったときの印象は最悪だった。
彼女とは気まずい状態になり、あれから話もしていなかった。
あの頃のボクらはまだ学生だったけれど、今はお互いに二十歳。
大人になり、彼女はとても大人びた女性になっている。
「王都にいらしたのね」
マリーとは違い、彼女はこんな街の店でも、貴族女性らしい所作だ。
「妹が学園に通っているんだ」
そう返すと、そうと呟いて彼女は目を伏せた。
「ご家族は皆様ご無事と伺っているわ。本当に良かった」
それは、彼女の心からの言葉みたいだった。
次に彼女は、ボクに向かって頭を下げた。
「その節は大変申し訳ございませんでした」
驚くボクの前で、彼女は言葉を続ける。
「言っていい言葉ではなかったと、あとから気がついたの」
姉の婚約解消の理由を、ボクに告げたときの話だ。
大規模魔獣発生が起きるような領地に姉を行かせられない。
そして大規模魔獣発生が起きないなら、嘘つきの辺境伯家に嫁がせられない。
それは彼女の父の言葉として伝えられたけれど、彼女の口から告げられたことだ。
「マロード辺境伯家側に偽りはなかった。あなたたちは立派に領地を守ったわ」
彼女はあの言葉を、悔やんでいた。
ボクがあれから彼女を避けたので謝罪も出来ず、気に病んでいたのだろうか。
あの頃のボクには、そんなことを気遣う余裕はなかった。
「もういいよ。兄はもうすぐ幸せな結婚をする。あなたの姉とは縁がなかった」
「そう。幸せな結婚なのね」
ボクの言葉に、彼女は少し苦い顔をした。
「姉は、幸せそうじゃないわ。あのあと父の選んだ男性は、ろくでもなかった」
そんなことは、ボクらに関係がない話だ。
彼女もそれはわかっていたのだろう。息を吐いて、頭を切り替えたみたいだ。
「謝罪がしたかったの。今さらなにが出来るわけでもないけれど」
「贖罪というなら、情報が欲しいかな」
ボクの言葉に彼女は目を瞬いた。
席についたとき、彼女は城で侍女の仕事をしているとボクに話した。
つまり王都の内情に詳しいはずだ。
「仕事で知った情報を漏らすことは出来ないわ」
「皆が知るような話でいい。セリオス公爵家のアルスベルト様のことを聞きたい」
マリーに勉強を教えている男の話だ。
「彼は不遇だわ」
彼女はそんな言葉を皮切りに、セリオス公爵家について知ることを教えてくれた。
彼の母は男爵家出身で、保有魔力が低かった。
当時、公爵家嫡男だった父が惚れ込み、かなり強引な婚姻となったようだ。
そのあたりで、おおよその予想はつく。
高位貴族と男爵家などの低い爵位の者が結ばれることは、歓迎されない。
それは授かった子供の魔力が、母体より大きいと、母体に負荷が大きく不幸が起きるからだ。
ロイ兄がメイシャさんに求婚したのは、彼女の保有魔力が大きかったこともある。
惚れた相手が低い魔力だったなら、ロイ兄はけして求婚をしなかった。
相手のために、諦めたはずだ。
ボクの予想したとおり、不幸は起きていた。
アルス様を産んだことにより、アルス様の母は亡くなった。
そうしてなぜか、父はアルス様を疎んだという。
ずいぶんと自分勝手な奴だと呆れる話だ。
アルス様は使用人たちに育てられ、きちんと教育は受けた。
雲行きが変わったのは、後妻が来て、その後妻が子を産んでから。
アルス様は学園に通っており、昨年あたりの話らしい。
自宅の公爵家で、毒を盛られたという。
そのときは従者が解毒剤を処置して、どうにか助かった。
ただ、嫡男が毒を盛られた大事件なのに、父は対処をしなかった。
第二王子が幼なじみの窮地を知り、なんとか助けようとしたそうだ。
学園入学準備の学びのためだと、アルス様を城に招いた。
城ではさすがに、毒に倒れることはなかった。
でも学園で事件は起き、そのときも教師の対処により解毒はされた。
見かねた第二王子が解毒の指輪を贈った。
それからは無事に過ごしていたそうだけれど。
これでマリーの話につながった。
解毒の指輪は、解毒できる量を超えると壊れる。
それで入学後の交流会で、彼は倒れた。
父は彼の死を望み、当主として対処をしていない。
なんだ。それなら彼は、うちに婿入りしてもらえれば、すべてうまくいく。
その手はずさえ出来れば、マリーの恋は叶うかも知れない。
「ありがとう、助かった!」
明るい顔で礼を言うボクに、彼女はきょとんとした顔になる。
涼しげな無表情が多い彼女だけれど、ちゃんと表情はある。
「続きの話は、もういいの?」
「あれ、続きがあるんだ」
ボクは浮かせていた腰を下ろした。
カイルリード殿下は、幼なじみのアルスベルト様を助けるため城に招いた。
名目は、殿下の勉強指南として。
歳の近い家庭教師など不要だろうと、周囲は反対していたらしい。
それに対して殿下は、結果を出せばいいはずだと好成績の維持を約束したそうだ。
周囲はさらに要求を上げ、首席を求めた。
もしSクラスが開かれるほど優秀な学生が多いのなら、Sクラス所属でもいいと。
そして今、カイルリード殿下はSクラスに在籍している。
アルスベルト様は、城に滞在しながら学園に通っている。
実家が敵地というのは、かなり厳しい。
使用人は彼の味方であっても、命令されれば終わりだ。
これもマリーが言った、カイルリード殿下が成績を落とせないという話とつながった。
事情を知り、マリーのために出来ることがありそうだと上機嫌のボクに、彼女はくすりと笑いを漏らす。
「あなたは変わらないわね。自分の目的にまっすぐだわ」
それは褒め言葉なのか、貶されているのか。
「学生のとき、あなたは周りがくだらない話をしていると、思っていたでしょう」
彼女の言葉には、少し決まりが悪かった。
そういう考えが透けていたのなら、気をつけなければいけない。
「そう見えたというよりも、私もそうだったから、同じかと思っていたの」
なるほどとボクは頷いた。
彼女も一人で過ごすことが多かった。周囲のグループに混ざらなかった。
「勝手な同族意識を持っていたわ。でも、私もくだらない一人だった」
彼女は自嘲気味に言う。
「噂を信じて、あなたたちマロード辺境伯家は嘘つきなんだと、思っていた」
ボクは目を瞬いた。
「なんだ。大規模魔獣発生で一番にやられそうな領地だから、関係したくないと逃げたんじゃなかったのか」
「そんなひどい人と思われていたのね」
彼女は傷ついた顔をする。
でも広められた嘘を鵜呑みにしたのも、どうだろうか。
「周囲はそういう人が多いと感じていたからね」
「本当に、申し訳なかったわ」
それは彼女の心からの言葉なのだろう。しゅんとした顔だ。
まあ、あの頃は十五、六歳か。人生経験も未熟で、判断力は低かった。
「もう過ぎたことだ。家族は無事だった。もういいよ」
「ええ。あなたが生きていてくれたから、こうして謝罪も出来る。ありがとう」
顔を上げた彼女は、大人びた綺麗な笑顔を見せた。
そうして彼女は別れ際に、また会おうと言ってきた。
ボクはお城の情報が今後も欲しいので、了承した。
予定のお菓子を買ってレオの邸へ行くと、彼は不機嫌な顔を見せた。
「君の妹は、私の妹の婚約者とどうなるつもりだ」
マリー、気をつけていても、やっぱりカイルリード殿下と噂になっているみたいだよ。
ボクは心でマリーに呼びかけてから、レオと向き合う。
「どうなるつもりもないよ。マリーはセリオス公爵家のアルスベルト様に、惚れちゃったみたいなんだ」
ボクの言葉に、レオは目を軽く見開いた。
「アルス、か」
「そう。勉強を教えてもらっている上級生という立ち位置だけどね。嫡男だから婿入りはしてもらえないなんて、傷ついた顔で言ってくれちゃってさ」
彼はなるほどと頷いてから、いつもの顔に戻って質問をしてくる。
「カイル殿下とは、どうなんだ。一緒に食事をとっているのだろう」
「だから、アルスベルト様主催の勉強会メンバーなんだ。むしろカイルリード殿下との接触は避けたいのに、アルスベルト様についてくるイメージだよ、マリーの中では」
王子を邪魔扱いするような言葉に、レオは瞬きをみっつほど。
そうして額を押さえて息を吐く。
「妹が、悩んでいるんだ」
カイルリード殿下の婚約者、ミルレイア嬢のことで、レオは悩ましい顔になっていた。
「ミルはカイル殿下のことを慕っている」
ボクはちょっとだけ固まって、顎に指を当てた。
だって、なんだか変な感じだ。
「妹は王子妃に向かないから、婚約の申し入れを最初は蹴ったと聞いたけど」
「ああ、そうだ」
「でも妹さんは、カイルリード殿下に惚れている、と」
レオはボクの言葉に、苦々しそうな顔をする。
「そうだ。妹の方はカイル殿下を慕っている。だからこそ、後ろ盾目当ての婚約だと理解して、苦しんでいる」
好きな人と結ばれそうで、幸せじゃないなんて。
どうにも、ややこしいことになっているなと感じる。
「マリーはミルレイア嬢を見て、カイルリード殿下とお似合いだって言っていたよ」
レオはそうかと呟いた。
そうして気を取り直した顔で、訪問の意図を聞いてきた。
「知っていることを教えてもらおうと思ってね」
「ああ、君も辺境伯の弟、君の叔父の話をつかんだのか」
ボクの頭にその言葉は、すぐには届かなかった。
しばらくしてから、変なことを言われたなと思ったけれど。
レオの話はそのまま続く。
「彼が辺境伯家を手に入れるからと、テレンス公爵家に持ちかけた話だとか」
「はあああ?」
思いっ切り不審な声を上げたのだろう。
レオが眉を上げた。
「その話ではなかったのか?」
「初耳だよ。え、叔父?」
あの大規模魔獣発生のときに、王都に一家で逃げていた叔父。
ボクとマリーが白の魔力だったことに、難癖をつけに来ていた叔父。
復興のことで腹を立て、領地を放置して爵位剥奪された人。
「初耳だったか。では順を追って話そう」
そう前置きして語ってくれたのは、テレンス公爵家の思惑らしきもの。
あちらは第一王子を立太子させるため、彼に何らかの実績を作りたかった。
性質がどうのと問題視される声は、実績があれば「ただの噂だ」と言える。
表面はそう見えるが、やることはやる王子だと、印象づけたい。
それが、マロード辺境伯家の聖銀につながった。
近隣諸国でも聖銀の需要は高いが、聖銀の採掘は難しい。
うちもそれなりに採掘しているけれど、彼らはもっと自分たちの自由に採掘が出来るようにしたかった。
近隣の有力国に聖銀を輸出して、良い関係を作る。
それを第一王子の実績とし、立太子を迫るつもりだったそうだ。
その思惑と、叔父が持ちかけた話が、彼らの中で繋がってしまった。
叔父は、大規模魔獣発生で自分が王都に逃げれば、辺境伯家は丸々自分のものだと言ったそうだ。
自分に協力してくれるなら、聖銀の融通をすると。
「何だそれ」
わけがわからない。
確かにまあ、可能性はある話だ。
もしボクら一家が全滅した場合は、直系として一番近い血筋はあの叔父だ。
父の死亡であれば、祖父の復権も、母の代理も、ロイ兄が継ぐこともある。
叔父に爵位が行くのは、ボクとロイ兄、両親と祖父が死亡していることが前提だ。
マリーは未成年の娘なので、マリーだけが生き残った場合も、叔父が後見人として辺境伯領の領主代理に立つ。
ありえた話、ではあるけれども。
「大規模魔獣発生の兆候を見つける前から、そんな話をしていたのか?」
タイミングとしては、そうでなければおかしい。
国は最初から動いていなかった。
でも、それはなんだか、おかしな話だと感じる。
大規模魔獣発生が起きると、わかっていたみたいだ。
辺境伯家を全滅させる手段に、大規模魔獣発生の支援をしないことを選んだのが、やはりわからない。
その手段を選び、実際にボクたちは生き残り、彼らは窮地に立たされている。
本当に、わけがわからない。
「経緯はさらに調べるが、君の叔父が話の発端だったことは、確認が出来た」
レオも腑に落ちない顔をしているので、彼もおかしな話と感じているようだ。
経緯もわからないけれど、心理も訳がわからない。
自分が辺境伯になりたいから、大災害への備えを国が怠るように仕向けたなんて。
領主になりたがる人物としては、ありえない選択肢だ。
いったい領民の命を何だと思っているのか。
次回更新は3月19日予定です。