Flip the coin.
豪華な病室のベッドに一人の老いた男性が横たわっていた。
かつていくつもの会社の運営に携わっていた凄腕の経営者であった彼に対して、主治医が延命治療を施すかを尋ねる。
老人はゆっくりと手を伸ばすと枕元に置いてある一枚のコインを取り、慣れた動作で指で弾く。ほんの少しだけ跳ねたコインはきれいに老人の手の甲へと吸い込まれていった。
その男は昔からなにか大きなことを決めるときには必ずコイン投げを行っていた。
好きになった女性に告白をしようか迷ったときに。
大学を受験するかを決めるときに。
どの会社を受けるかを決めるときに。
結婚を申し込むときに。
会社から独立するときに。
娘の名前を決めるときに。
新しい事業に手を出すときに。
大きな決断をするときに必ずコインを弾き、それを手の甲で受け止めてきていた。
その様子を見ていた彼の友人たちはみな「人生を運任せにするのはやめろ」と口を揃えた。
だがその心からの忠告を聞くたびに彼は謎めいた複雑な笑みを浮かべるだけだった。
「延命治療は受けない」
手の甲を確認した彼ははっきりとした声でそう言った。主治医はその言葉に頷くと、その決定を家族や関係者へと伝えるために病室を出た。
数ヶ月後、彼は安らかに息を引き取った。多くの関係者が集った葬儀は滞ることのなく静かに終わった。
墓石にはこう刻まれているのを見て、彼を知る多くの者は苦笑を浮かべた。
「どんな時でもコインはじいていた男 ここに眠る」
一人の女性がいた。
父親から受け継いだ会社をあっさりと他人の手へと渡すと、自分は全く別の分野に飛び込みそこで才覚を発揮した才女だった。
結婚をし家庭に入ったその女性に旦那となった男性がある日尋ねた。
「君も、君のお父さんもなにかを決めるときはいつもコイン投げをするね。人生を運任せにすることは怖くはないのかい?」
「私はいつも自分で人生を決めてきたのよ、父さんと同じようにね」
女性は微笑みながらそう答えると、旦那の方へ向かっていつも自分が指で弾いているコインを投げて渡した。
そのコインはどちらの面にもなにも描かれていない、まっさらなものだった。
女性は財布から硬貨を一枚取り出すと、指で弾いて「こんなのはただ縁起を担いでるだけ」と言うと、楽しそうに笑った。