割っておきますね、え? 既に割れてる。まぁなんてこと!
どの関係も大体割れ鍋に綴じ蓋。
メイリンは子爵家の令嬢である。
そこそこの歴史を持つ家、そこそこの資産。当主の立場も大体そこそこ。
貴族社会全体から見れば、子爵家としてまぁそれなり、といった立ち位置であった。
つまりは、特に面白みのある何かがあるわけでもないごく普通の子爵家である。
そんなメイリンには妹がいた。
きちんと血の繋がった本当の妹だ。
姉妹なので顔立ちは似ているが、妹の方が愛らしく華やかさがあり、また性格も愛嬌があるためか家族の愛情をたっぷりと受けていた。
名を、リンリンという。
なんだかペットにつけられそうな名前よねぇ、とはメイリンは声に出さなかったが、幼い頃からずっとそう思っていた。なので、とてもちやほやされている妹を見ても羨ましいと思うでもなく、むしろやはりアレは愛玩動物なのではないのかしら? と思い始めていた。
この家にいる子はメイリンとリンリンだけではなく、姉妹から見て兄もいるので家を継ぐのは彼の役目だ。
であるからして、メイリンとリンリンはいずれどこぞの家に嫁として出されるのだろう。
といっても子爵家である。
引く手あまたな家柄と言うわけでもないため、婚約者が決まるまでにそれなりの時間が経過した。
いい家柄の令息令嬢はさっさと決まるものだけど、そうでないのであれば昨今貴族も恋愛結婚だとかが増えてきているので、あまり高位身分ではない家の婚約は余計に決まらなかった。
ある程度の年齢になったら通わねばならない貴族学院で、こうなればお相手を見つけてこい! なんていうところもそれなりにある。
そうして、メイリンとリンリンもその流れに乗る事になってしまった。
メイリンは結婚にそこまで夢と希望を持ってはいない。
メイリンが結婚相手に望むのはそこそこの財力と、そこまで離れていない年齢と、あとは貴族社会から見ての一般常識を持ち合わせていてついでに金銭感覚が破綻していない、倫理観も一応それなりに持ち合わせている人物であれば、文句を言うつもりはこれっぽっちもなかった。
相手に求めるものとしては、そこまで無理難題でもないので高望みさえしなければ割とすぐに相手など見つかりそうではあるけれど、条件に該当する男が必ずしもメイリンを見初めてくれるかと言えばそうでもない。
出会いはそれなりに好感触であっても、妹のリンリンを見るとそちらに心が移るのがよくわかった。
顔立ちは勿論姉妹なので似ているのだが。
年を重ねていくにつれ、成長していくにつれ、リンリンの華やかさはより一層成長したのである。
リンリンから華やかさを引っこ抜いたのがメイリン、なんてちょっとそれはどうなのかなぁ? と思うような噂も流れてきた。
メイリン自身、自分に華やかさがないのはわかっているのでそこまで怒る事ではないけれど。
一体全体何をどうしたら華やかになるのか、というのはメイリンにもよくわかっていない。
メイクでちょっとゴージャスに顔面を盛っても、リンリンそっくりにはならないのだ。それどころか逆にリンリンから遠ざかっている気がする。
メイクをしない状態であればリンリンに似た顔であるのだけれど、しかし華やかさが足りぬ。かといってメイクでもって華やかさをプラスした途端、リンリンとは圧倒的別人になってしまうのである。
どうしろと、とメイリンは悩んだけれど、別にリンリンになりたいわけでもないのでメイリンはメイクで妹に寄せてみようという試みは早々に諦めた。
外付けの華やかさではだめならば、内からくる華やかさなのだろうか、と思ったけれど内側から華やかになる、とはどうしろと……? となったので、メイリンは周囲から地味な方、とかパッとしない方、とかコソコソ言われている事に関しても早々に割り切って開き直った。
まぁ、妹と間違われて、なんて展開もこれならないでしょうね、と思いながら。
さて、そんなメイリンは妹を虐げるそれはもう酷い姉らしいのだ。
なんか噂で聞いた。
学院に通うにしても、実のところメイリンとリンリンは一緒に通学しているわけではない。学院近くのタウンハウスで暮らしているが、メイリンは部活動に精を出しているし、リンリンはリンリンで学院でできたお友達と交流を重ねている。
故に朝はメイリンの方が学院に先に向かうし、帰りだって場合によってはリンリンと一緒、なんて事もない。
学院でのクラスも別、実家に居た時と異なりタウンハウスでの生活になってから、思えばメイリンはリンリンと顔を合わせた事など片手の指で数える程度だ。
だがしかし、そんなメイリンにリンリンは虐げられているらしい。
やれ折角解いた問題集を破り捨てられただの、やれアクセサリーを壊されただの。
わたくし家に戻るのが恐ろしいですわぁ、なんて泣き言をのたまっている、というのはメイリンの友人経由で聞いた話だ。
タウンハウスでの部屋だって姉妹別々だし、カギをかければ合い鍵など持っていないメイリンはリンリンの部屋に入る事など不可能なのだが。
虐め、らしき内容はメイリンにとってこれっぽっちも心当たりがなかった。
だがしかし、可愛く可憐で時として儚く見えるリンリンのその哀れを誘う言動は、間違いなく一部には信じられていた。
そのせいで、別段知らん相手から睨まれたりしてメイリンとしては正直鬱陶しいなと思う事もあった。
ただ、現時点あくまでも妹の訴えだけで現行犯逮捕ができるわけでもなく、またメイリンが確実にリンリンを虐げたという物的証拠もないので正義感を拗らせた馬鹿が乗り込んではきていないけれど、あまりにも度が過ぎればそれも時間の問題かと思っている。
とりあえず一度、学院から戻ってきて夜、リンリンの部屋に行き話を聞いてみようと思い立った。
なんかこういう噂が流れてるんだけど、どういう事? と。
それに対してリンリンはにこりと微笑みながら言った。
「だってその方がよりわたくしの事を可哀そうだから、と皆さま親切にしてくださるのですもの」
――と。
つまり悲劇のヒロインぶって周囲にちやほやされるためだけに、別にされてもいない虐めをされたと嘆き悲しみ、周囲の同情を買っているのだ。
「あのねぇ、それ、いつか身を滅ぼすわよ」
「大丈夫よ、お姉さまが余計な事を言わなければ。まぁ、今更本当の事を言ったところで果たして誰が信じてくれるのかしらね、おほほほほ……!」
勝ち誇ったような笑いに、メイリンはカッチーン! ときたけれど。
その勢いでリンリンの頬をバッチーン! と引っ叩いたりはしなかった。
したならば、されたという事実だけを大袈裟に訴えてこれまた周囲から同情を買おうとするのが目に見えていたので。
実のところリンリンは実家にいた頃から姉に意地悪をされた、なんて周囲に訴えていたのだけれど。
勿論メイリンはやっていないし、最初の頃は正直にやっていないとも言っていた。
けれども、大きな瞳に涙をうりゅうりゅに溜めて被害者面をする幼女に、周囲はリンリンがそんな嘘をつくはずがないと思い込みまんまと騙された。
メイリンはこっ酷く叱られたし、一時期はメイリンの扱いも酷くなったのだけれども。
所詮は子供の浅知恵であったので。
何度目かの冤罪擦り付け行為の時に、その嘘がバレたのである。
リンリンの証言を信じるのならば絶対に不可能な状況でメイリンが犯行に及んだ事になる、という状況になってそこで今までのだって嘘だった、とバレたのだ。
最初に成功して二度三度と上手くいってしまった事で、リンリンはもう何をしても上手くいくものだと刷り込まれていたのだろう。
だから、思った以上に雑な結果になってもそれでも成功すると思い込んだ。
だがしかし結果、それを実行するにはメイリンには状況的に不可能である、となってしまったのだ。
嘘じゃないわ、本当よ、とリンリンが涙ながらに訴えたところで、ではメイリンがどのようにそれをやったのか、を説明するとなればメイリンが時間を止める魔法でも使うだとか、瞬間移動するような魔法を使うだとか、実はメイリンは二人実在した、だとか。
そういった、明らかに現実ではありえない状況でもない限りは無理だったのである。
リンリンがメイリンに擦り付けようとした悪事は、家の壷を割った事、とそれだけ見れば大したことではないように思えるが。
しかしその壷は大事な大事な壷だったのである。
形あるものはいつか壊れるとはいえ、だからわざと割っていいわけではない。
しかも相手を陥れるために罪をかぶせ、濡れ衣を着せようとしたその性根はその時引退して別邸で暮らしていた祖父の怒りをおおいに買った。
今まで甘やかされるばかりだったリンリンは祖父の怒りを受けて、その場で漏らした。
ついでに甘やかしに甘やかしていた両親と兄にも祖父の雷は落ちたのだけれど、まぁそれは自業自得である。
犯行時刻とされていた頃、メイリンはずっと祖父と一緒にいた。どう頑張っても祖父の目をかいくぐってあの壷を割るなど不可能であったし、そう簡単に割ろうと思っても割れる場所にあったわけでもない。
事前に準備をしておかなければ、壷があった場所はメイリンにもリンリンにも手が届かない場所だったので、メイリンが割るにしてもではその事前に必要な道具をいくつか準備していなければ無理なのだ。
適当に物を放り投げて壷にぶつけて割るにしても、まだ幼かったメイリンの力でそれは無理だ。
とんでもない剛腕の持ち主であった、とかであれば可能性はあったけれど。
仮にもしその方法で割れていたのであれば、それはそれで一種の才能なので叱られつつもその才能を活かす何かを勧められたかもしれない。
それでも当時のリンリンは往生際悪くメイリンがやったの! と言い張っていたけれど。
皆メイリンに騙されてるの! とか、支離滅裂なことまで言い出したりもしていた。メイリンがそういう魔法を使っているのだと。
ところが生憎この世界には魔法というものは存在しない。
お伽噺の世界でそういうものは時々出てくるけれど、実際に使えるという人間はいなかった。
大体、メイリンが皆を騙す魔法を使っているのであれば、そもそも最初の時点で家族から叱られるような状況になるはずがない。根本的な部分を指摘すれば、リンリンはぎゃんぎゃん泣きながらそれでもメイリンが悪いんだもん! と駄々をこねたのである。
幼女のすること……とはいえ、流石に今までの事も全部リンリンがやらかして、それをメイリンのせいにしていたとなれば少々悪質である。
祖父に叱られ漏らしたリンリンに関してはその後、家族からも甘やかしすぎたと反省してこれからはリンリンがきちんとした淑女になるように、と甘やかす事をやめる宣言と、メイリンに今までの事を謝罪したりとで一応家の中での事は解決している。
あれから性根を叩き直されて、一応表向き反省してマトモになったと思っていたが、しかしどうやら性根はなんにも変わっていなかったようだ。
家族の目がなくなって、学院でならリンリンの過去のやらかしを知らない者ばかり。
いける、と思ったのかもしれないが、それを本当に実行する馬鹿がありますか、というのがメイリンの正直な感想だった。
一応メイリンは実家に手紙を書いた。
その後返ってきた手紙には、既にリンリンから手紙が来ていて、学院で虐められているという訴えをされていたらしい。
今度は本当なのだ、信じてほしいと。
前のは嘘だった。でも今度は本当なの。と切々と訴えていたらしい。
そしてそれを危うく両親も兄も信じかけたそうだ。馬鹿かな?
そりゃあ、確かに?
リンリンのあの容姿はちょっと儚げで、可憐さとか愛らしさもあって?
いかにも深窓の令嬢でござい、みたいな外見だけれども?
でも中身腐ったままだぞ。
たとえ根は悪い子じゃないんですって言っても根っこ以外全部腐ってるも同然だぞ、とメイリンは言いたい。
むしろ葉も茎も花も実も、根っこ以外腐ってたらそれもうアウトじゃん、と思っている。むしろそこまでいって根っこだけ腐ってなかったって言われても……というやつである。
まぁそれはさておき、反省して真人間になったと思った妹の性根が全然改善されてなかったのと、また人の事勝手に悪役にして人の評判落っことしてるという迷惑もあって。
メイリンは反撃に出る事にしたのであった。
「――というわけなんですよ。何かいい方法ありません?」
翌日、放課後の学院の図書室にて。
読書愛好会という部活動に所属しているメイリンは、同じく所属していた面々に事の次第を相談した。
相談というか暴露と言ってもいい。
なんだったらかつての家であった出来事、リンリンが祖父に叱られて漏らしたところまで暴露した。
雉も鳴かずば撃たれまい、とはよく言ったものである。リンリンが学院でメイリンに虐められているなんて言わなければ、おじいちゃんに怒られて怖くておもらししちゃったの……なんていう過去を数名とはいえばらされる事はなかっただろうに。
「虐げられている、って言ってる割におかしいなとは思ってたけどやっぱり虚言だったのね」
大体朝早く学院に来て授業が始まる前の空き時間で図書館にて本を読み、授業が終わった後もまた図書館で本を読み、最終下校時間まで居座るメイリンの事を同じく読書愛好会の面々は知っている。
現時点使用しているハウスに戻った後の事までは知らないが、帰ってからわざわざリンリンと関わるくらいなら、借りた本を読む事を優先しそうなメイリンだ。
虐められているの、と言うリンリンを見ても、果たしていつそんな事をしているのか……と愛好会のメンバーは思っていたくらいだ。
とはいえ、メイリンの事を知っているからそう思うだけで、メイリンの事などロクに知らない者からすればリンリンの言葉をまるっと信じているのだろう。
リンリンの見た目の儚さに守ってあげたいと思い込む男性は特に。
リンリンは何も男性にだけそのように憐れみを誘おうとしているわけではない。
女子生徒とも交流を深めている。深めているというよりは、せっせと姉の悪評を流して自分が可哀そうな目に遭っている、という同情票を稼ごうとしているだけではあるのだが。
ただ男性相手にだけそのような哀れを誘うのであれば、女性陣からすると「それ何かおかしくない?」と思う部分もある。男性がコロッと騙されるような女性のぶりっこだとかも、しかし同じ女性目線で見ればアレは明らかにわざとやってる、とか意外とわかりやすかったりするので。
だが、リンリンは姉の非道さを訴えつつ、どうせなら貴方のような姉妹がいればよかったのに……なんて。
そうやって相手の女性の素敵なところだとかも褒めたうえで言ってくるものだから。
なんだかまるで本当に姉に意地悪をされている可哀そうな妹、という風に周囲は見てしまったのである。
男性相手にだけ非力さを強調して、しかし同じ女性相手にはそんな事全然ありませんよ、だとかであればもしかしたら、もっと複数の女性は違和感を覚えていたかもしれないのだが。
意地悪をされているの、という内容も、聞けばそこまで酷いものではない。
ない、のだがまぁ数が多い。あれをやられたこれをやられた、とやられた事をあげていけば、一つくらいならまぁ、ちょっとした嫌がらせね、で受け流せそうではあるが如何せん数が多すぎるのだ。
まさに数の暴力。
そうやってちょっとずつ嫌な気持ちにさせられていって、ちょっと気持ちが落ち込んでいる時により効果的な嫌がらせをされてしまうのだ、などと言うのである。
あからさまな暴力をふるわれた、というような事はない。
というか実際にメイリンは嫌がらせなど何一つとしてしていないのだから、暴力どころか暴言も何もという話なのだが、それらを訴えられている相手からすれば知った事ではない。
暴力はふるっていなくとも、しかしじわじわと精神的に甚振っている、とみればまぁ割と酷い姉の完成であった。
これが兄弟であったならねちねちした嫌な兄だな、で済むのだが姉妹であるがゆえに。
女同士の争いってじめじめしてるよな、なんて思っている男性からすると何一つ違和感がなかったのである。
学院ではメイリンとリンリンを不必要に接触させないようにしよう、という考えなのかリンリンの周囲には常に人がいるようになった。儚げで姉に虐げられている可哀そうなリンリンを守る騎士の立場に酔っている者もきっと中にはいるのだろう。
とはいえ、学院でメイリンがリンリンに近づく予定は一切ない。
お友達に可哀そうな悲劇のヒロイン扱いされているリンリンの行動範囲と、悪役に仕立て上げられているがそんなもん知ったこっちゃねぇとばかりに図書館に籠るメイリンが学院で出会おうとするのであれば、どちらかがどちらかの行動範囲に足を運ばねばならない。
リンリンがいくら可憐に儚く訴えたところで、その現場を直接見たという者はいない。
リンリンの言葉を信じるならば、巧妙に尻尾を出さずに嫌がらせをするような狡猾であくどい女がメイリンである。であれば、間違った――と本人は思ってなくとも――正義感だけで突撃をかけても、決定的な証拠はない。故にその場合、メイリンに物申しに行った側が危険である、とそれくらいは理解しているのだろう。
中には肉を切らせて骨を断つ、みたいな戦法でこちらの落ち度を無理にでも誘発させようとする者がいるかもしれないが、それだって現実的ではない。
万一失敗すればメイリンがリンリンを甚振る理由を与えかねない。
いやまぁ、そもそもやっていないのだが、とは向こうは一切思っていないのだろう。
だがそうやって慎重に動いてくれるのはメイリンからしても面倒が少ないというか、危害を加えられるまではいかなさそうなのでまだ安心であった。
まぁそれでも、敵意のこもった眼差しを向けられたりするので鬱陶しい事この上ないが。
同じく愛好会のメンバーに相談したわけだが、しかしすぐに名案が浮かぶ事はなかった。
そりゃあ確かに貴族の生まれではあるけれど。
まだまだ彼ら彼女らは学生の身であって、社交の場で敵対関係にある家の者の足を引っ張るような事に長けているわけではない。
多少の意地悪くらいは思いつかないでもないけれど、リンリンに対してやり返すとなるといかんせんパンチに欠けた。
要はまぁ、この場にいた面々はそれなりにお利口さんだったのだ。
リンリンに対してやり返すにしてもやり方を一つ間違えればあっという間にこちらが悪いとなってしまう。元は向こうが悪くとも。それくらいは理解できていた。
相手が平民であったならもっと処分は簡単だったのだが、リンリンはメイリンの妹であり貴族令嬢である。周囲を巻き込んでいるとはいえ、元をただせば一つの家庭でのいざこざでしかない。
あまりにも事を大きくさせると余計な飛び火が周囲に迷惑をかけかねない。いやもうリンリンがやってるので今更ではある気がしているのだが。
「…………確認したいんだけどさ、リンリンの目的って、なに?」
丁度いい塩梅の反撃方法って中々浮かばないのね、と一同が頭を悩ませていたところ、最初から我関せずを貫くように本を読んでいた一人の令息がそんな質問をした。
キルシュヴァーン・レネ・ノエルヴィヨン公爵令息であった。
「え? えぇ? 何なのかしら。私より注目を浴びたい、とかではないのかしら。家にいた時、そんな感じだったし。両親の、私以外の家族の愛情を独り占めしたい、とかもあったのかもしれないわ。
ほら、風邪とか引いた時ってみんな親切になるでしょう? ああいう感じの延長なのではないかしら?」
言われて、皆一応納得はした。
季節の変わり目で体調を崩した時、普段は仕事で顔も滅多に見せない父が夜遅くに様子を見に来てくれた令息もいれば、普段は礼儀作法に口煩い侍女たちが甲斐甲斐しくお世話してくれた令嬢もこの場にはいる。
いつもは厳しい態度であっても、そういう時にふとした優しさを見せてくれる家族はいたし、使用人たちだってそうだった。
というのを思い返してみると、まぁ一応メイリン曰くのリンリンの行動はわからないでもない。
そもそも周囲からあの人可哀そうな人なんだよ、と憐れまれても普通に考えて嬉しいか? となればこの場にいる者たちには理解できなかった。同情されたところで何か得する事があるわけでもないし、下手をすれば弱みととられ家そのものが侮られかねない事もあるのだから。
「小さい頃にそれで味を占めたのもあるのでしょうね。その後でがっつり叱られたくせに」
メイリンをまたも巻き込んだリンリンでも、一応他の第三者に虐められている、などと言えば大ごとになりかねないと判断したからかもしれない。
身分的に男爵家のご令嬢に虐められて、とかであれば家同士のいざこざであってもまぁ、こちらにそこまでの損害は出ないかもしれない。
あくまでも『かもしれない』であって絶対大丈夫というわけでもないが。
男爵家だからといっても、それ以外の繋がりからとんでもない大物が出てくる事だって有り得る。そうなれば、リンリンが可哀そうな令嬢ごっこをしていただけ、で済むはずがない可能性も充分にあり得るわけで。
だがメイリンに虐められているのであれば、ちょっとコトが大きくなってもあくまでも家庭内でのいざこざとして終わらせられる。周囲はちょっと正義感でもってリンリンを助けてくれただけ。そういう言い訳ができる。
リンリンは一応そこら辺の事も考えているのだろう。メイリンに関しては全く何も考えてくれていないようだが。これが家族なんだから許してくれるだろうという甘えからくる行為だったとしても、もうとっくに許してあげようとはメイリンも思っていなかった。
遠い異国には仏の顔も三度まで、という言葉があるらしい。
神様みたいな存在でも三度目にはいい加減怒りますよ、とかそういう感じの意味なのだとか。
であれば。
メイリンは別に神様でもなんでもない、ただのどこにでもいるような令嬢なので。
三度どころかこの時点でとっくにブチ切れたって何もおかしくはなかったのである。
まぁ、メイリンに虐められているの、なんていうネタは二度目ではあるけれどそのためにコツコツこちらの評判を落としてくれた分の回数含めたら三度以上になっているのだ。大きなカテゴリに分ければかつての家で一件。今回の学院で二件、と数えられるけれど。
意地悪をされただのという内容をコツコツ集めたらその数とっくに二桁突入である。
「要するに同情されてちやほやされるのが目的って事か……可哀そうな自分に酔ってると言えなくもない、と。ふぅん……?」
納得したのか、キルシュヴァーンは読んでいた本をぱたりと閉じた。
「いい方法がある」
そしてあまりにもあっさりと言ってのけた。
キルシュヴァーンの作戦は、果たして本当に作戦と言っていいものかはメイリンにはわからなかった。
ただ、この件を実行するなら条件があるとも言われた。
その条件とはキルシュヴァーンの嫁になるという事で。
「公爵家の生まれとはいえ四男だから後を継げるとかでもない。一応学院卒業後、家にある余分な爵位をもらって家を出る事になってる。とはいえ、与えられるのは伯爵位。まぁ、悪い話ではないんだろうけどそれでも今まで公爵家の人間だと思ってたのが伯爵家扱いだと、他所の令嬢からするとあまり旨味があるように見られなくてな。大体他にいい婚約はごろごろしてるし。
身分が下の男爵家あたりなら狙い目だと思われるかもしれないけど、生憎とそういうガッついた感じの令嬢とはちょっと……と思うわけで。
その点メイリンなら趣味も同じだし既にどういう人物かもわかっている。
言い方は悪いかもしれないけれど、自分にとってはとても都合がいいんだ。
勿論、君に他に添い遂げたい相手がいるというのなら、無理強いはしない」
公爵家との繋がりを求めるタイプであれば、伯爵家になろうともキルシュヴァーンとの結婚は悪くないのではないか? と思えるのだが、本人曰くまぁ色々とあるらしい。
生憎そこら辺子爵家の出であるメイリンにはさっぱりだったが、そこを深堀する必要は今のところなさそうだったのであえてスルーした。
重要なのはリンリンに対する事である。
「でも、本当にそうなる? 大丈夫?」
「可哀そうな自分に酔えて、ちやほやしてくれる人がいればいいのなら問題ないだろ」
メイリンがどこか疑わしげな眼差しを向けるも、キルシュヴァーンはしれっとしている。
他の面々は難しい顔をしていたが、それは作戦が上手くいくとか以前に、知らなくていい事知っちゃったナ……という顔であった。
「うーん、まぁ、それじゃあ、それで」
とても煮え切らない態度であったけれど、それでも確かに。
メイリンはキルシュヴァーンの案にのっかる事にしたのであった。
――作戦の決行は案外早かった。
メイリンとリンリン宛てに婚約の申し込みが来たのである。ただし時間差で。
最初に婚約の話が出たのはメイリンであった。
公爵家の四男、というのはメイリンの両親には思ってもみない相手であった。
とはいえ、家を継げるわけでもなく、家を出た後は伯爵位をもらって、ついでにちっぽけな領地をもらっての生活になると言われた。
もらった領地はどこか、となると王都から少しばかり離れたところである。
静かで、のんびりとした町があって、煌びやかな世界ではないけれどそれでも生活していくのであればそこまで苦労はしそうにない感じであった。
婚約の申し込みをしたキルシュヴァーンという男の容姿はそこまで悪くはない。
といっても、恐らく夢見る乙女からすればパッとしない……なんて言うかもしれない程度には落ち着いた雰囲気であった。それでも、子爵家から見ればかなり良い婚約である。
元々事前にメイリンはキルシュヴァーンから話を聞いていたので、とても落ち着いていた。
両親が反対するような相手でもなく、またメイリンもキルシュヴァーンがそれで良いのなら、と若干の乗り気姿勢を見せた。
結果として、リンリンがとても羨ましがった。
リンリンの方が美人だし、最初に婚約の誘いがくるのは自分だと信じて疑っていなかった。
意地悪な姉に虐められている可哀そうで可憐で儚い美少女、それがリンリンである。あくまでも自称だが。
普通、こういう時って、まずそんな意地悪な姉から救い出してくれる王子様みたいな人が来るもんじゃないの!? なんて内心で憤慨したりもしていた。
実際のところメイリンにあからさまな嫌がらせをされた事は一度だってない。
ないのだけれど、それでも自分の方が上でなければならない、とリンリンは思い込んでいたのだ。
どこかパッとしない姉、それに対してとても美人な妹、とまるで物語にありがちなやつではないか、とリンリンは幼い頃から思ってしまっていたがために。
確かに幼い頃からちやほやとされていたのだけれど、だが姉も同じように両親から可愛がられていたのが不満であった。
自分が、自分だけが一番でなければ気が済まなかったのだ。幼いリンリンは。
けれども両親は姉も平等に可愛がって、それがとても気に食わなかった。だから、そんな両親の気持ちをちょっとだけこちらに傾けるつもりで意地悪をされたなんて言い出したのだ。
メイリンが何かをしたというわけではないけれど、でもメイリンのせいで自分だけがちやほやされない、というとても自分勝手な思い込みでリンリンはメイリンに濡れ衣をかぶせたのである。
意地悪をされているのではない、意地悪をしているという事実にリンリンは気付きもしなかった。
それどころか、この行いは正当なものであるとさえ。
そうやって自分が可哀そうな立場になれば、両親や兄はメイリンを叱り、そしてリンリンを一層可愛がってくれた。簡単に自分の望んだ展開になったから味を占めたのだけれども。
まぁそんな幼い子どもの浅知恵でやらかした事がいつまでも成功し続けるはずもなく。
祖父にバレてこっぴどく叱られて、家庭内でのリンリンの信用度は大きく下がった。
ちやほやされていたのはリンリンの人生の中でほんの短い間だけ。
第三者が聞けばそりゃ当然だろうと言いそうなものであっても、リンリンが納得できるはずはなかったのである。
リンリンは次の機会を狙っていた。
両親は一度やられているので、二度目はすんなり信じてはくれないだろう。けれども他の人ならば?
だからこそ学院で、クラスメイトからじわじわと姉に意地悪をされている可哀そうなリンリンという印象を植え付けた。
またもメイリンに嫌がらせをされているとしたのは、他の誰かを選んだ場合、相手によっては祖父のようにあっさりと看破してくるかもしれなかったからだ。
クラスが離れているメイリンが直接学院でリンリンと顔を合わせる事はない。だから、噂を広めるにしてもすぐに本人が訂正できる機会をなくすようにリンリンは注意深く噂を流していったのである。
前回に比べれば今回は多少なりとも知恵の回る感じでやらかしていたけれど、しかし結局のところ。
メイリンにはリンリンの嘘が嘘であると確定しているわけなので。
リンリンは気付いてすらいなかった。
この婚約の話すら、リンリンに対する反撃の狼煙であるという事に。
キルシュヴァーンにいかにメイリンが性格の悪い女であるかを訴えようと思ったリンリンであるが、しかし仮にも公爵家の人間。気軽にリンリンが一人で近づけるような隙が全く! これっぽっちも!! 存在しなかったのである。
両親がいる場でやらかせば、お前はまた! と叱られるのが目に見えている。
だからこそキルシュヴァーンが一人になったところでそっと接触しメイリンがいかに悪辣な姉であるかという事を植え付けなければならなかったのだが、四男とはいえ公爵家の人間であったからか、彼は護衛と常にいた。ちなみに護衛はリンリンがいらん事を吹き込んでくるのを見越した上で連れてきた所謂仕込みである。簡単に事情を説明して家から連れてきているので、偽物の護衛というわけではないが、普段から連れているわけでもなく、あくまでもこの家に来る時だけのものだ。
更には、リンリンの両親が何かを仕出かす可能性を考えて使用人たちに密かにリンリンの様子を監視させてもいたのもあって。
最初から対リンリン仕様となった状況で、リンリンに打つ手はなかったのである。
このままでは、姉は何食わぬ顔でキルシュヴァーン公爵令息と結婚してしまう。
いや、どうせ将来は伯爵になるから身分としては下がるのだけれども、けれども実家より上だ。
自分を差し置いてそれなりに良い結婚をしようとしている姉がリンリンは羨ましくてどうしようもなかったのである。
キルシュヴァーンはリンリンの好みではない。確かに外見は整っている方だけれど、やや地味なのだ。
リンリンは自分の美貌と釣り合う華やかなタイプの男性が好みであった。
だが、それはそれとしてメイリンの結婚をそのまま祝福できそうになかった。
自分の結婚も決まっていたのであれば、そしてその相手が自分にとっても納得のいく相手であったならば、リンリンは優越感を抱いた状態で姉の婚約を表向き祝福しただろう。実際内心で見下していようとも。
けれどもまだ自分の婚約は決まるどころか浮いた話の一つも出てきやしないのだ。
学院で、確かに姉に意地悪をされていると言えば自分の事を可哀そうだと言って守ろうとしてくれる人はいるのだけれど。
基本的には同じクラスの人や、隣のクラスといった割と身近なところからだ。
そしてリンリンのクラスとその両隣は、男爵や子爵家といった低位貴族が多い。
家の釣り合いを考えればそこから選ぶのがいいのかもしれないけれど、でも、自分の結婚相手が姉に劣るようなのであれば論外だった。
なんとか姉の落ち度をキルシュヴァーンに伝えて、惨めに婚約破棄とか解消とかされないものかしら……なんて考える始末である。
実際姉の落ち度などありはしないので、伝えるだけ無駄であるのだけれど。
どうしてキルシュヴァーンがメイリンに婚約を申し込んだのか、という根本的な部分を知らないので、何を言ったところでリンリンの言葉など全て戯言でしかない……という事すらリンリンは知らなかったのである。
婚約の決まった姉は、特に日々これといった変化があるでもなかった。
ただただ穏やかに、いつものように過ごしている。
まるでそうある事が当たり前だと言わんばかりに。
それもまた、リンリンにとって苛立つ原因の一つだった。
自分にはまだ婚約者なんていないのに。
でも姉は婚約者が出来たことすら当然の事、みたいな顔をしていて。
自分の方が姉よりも優れているはずだ。はずなのに……!
正直な話、リンリンがメイリンより優れている点は何か、と問われれば精々見た目くらいでしかない。だがその明らかに目で見てわかる部分が、リンリンにとっては何よりも重要だったのである。
どうにも地味でパッとしない姉。そんな姉の周囲に思った以上に人がいる事を知って、リンリンはどうして!? と叫んで頭を掻きむしりたくなる衝動に駆られた事も何度かあった。
見た目がパッとしなかろうがメイリンはそれなりに人望があった。それ故に周囲に友人と呼べる存在が集まったにすぎないのだが、目に見えてわかりやすいものしか理解できないリンリンにはそんな簡単な事も理解できなかったのである。
勝手に怒って勝手に落ち込んで勝手に追い詰められて、リンリンは日を追うごとに少しずつ憔悴していった。
なんで、どうして。
どうして私じゃないの。
婚約が決まって、周囲からおめでとうなんて言われる祝福が何故自分にはないのだろうと思えば思うほど、お前は姉と比べて大した人間ではないのだと突きつけられているような気持ちになって余計に落ち込んでいく。
元々儚さ漂う美貌を持っていたリンリンだが、精神的に(自ら)追い詰められていった彼女の美貌はよりそちら側に傾いていった。
今のリンリンならば人ならざる存在である、と言われれば素直に信じられるかもしれない。
まぁ中身はどこまでいっても人間でしかないのだが。
さて、メイリンの婚約が決まって少しした後、今度はリンリンに婚約の話が出た。
お相手はなんと辺境伯である。
最近当主が代替わりしたばかりの辺境伯はまだ若い男で、勝手に辺境伯と言う言葉から想像されるイメージの、ちょっと偏屈なおじいさん、みたいな想像をしていたリンリンですら一瞬で頬を染める程の美丈夫であった。
流れるような金の髪に、まるで菫のような色の瞳。すらりと伸びた背と武人であるが故の鍛えられた肉体。
だがしかし、武骨と言うほどでもなくどちらかといえば物語に出てくるような騎士のようで、世の中にこんな素敵な人がいるなんて……! とリンリンは目の前の現実が信じられなかったのである。
隣国との境目である領地は、確かに自然が多いのだけれどしかし少し先に行けば第二の王都と呼ばれるような街があって、生活に関して不便はないのだとか。隣国との関係も長年落ち着いたものであるし、危険は少なくともないように思える。
そして。
そして何よりリンリンにとって衝撃的だったのは。
彼が――エーデルハルト・ヴィド・スティルフォがリンリンを見初めたのが学院であるという事だ。
エーデルハルトは既に学院を卒業している。故に、リンリンを学院で見る、というそれそのものは本来ならば有り得ないはずだった。
ただ、エーデルハルトが仕事の都合で王都へ来た際、学院で教師をしている友人に会いに行くべく、自分もまたここの生徒だった事もあり懐かしさを覚えて少しだけ見学をしていたのだそうだ。
その際、姉の行いのせいで心を痛めていたリンリンを見かけ――それ以来彼女のことが気になっていたのだとか。
その時点で駆け寄って声をかけるべきか悩んだそうなのだが、いかにかつて生徒だった事があったといえども今は違う。
教師でもない年上の男性が突然近づいたなら余計に怯えさせてしまうのではないか、と思って自重したものの、しかしそれからずっと気になっていたのだとか。
そして、あまりに気になりすぎて調べた結果、エーデルハルトはリンリンという存在を知ったのである。
――という事になっている。
リンリンが知る事は決してないが、まぁ全部嘘だ。
エーデルハルトがかつて学院の生徒であった事は事実であるし、教師になった友人がいるのも事実である。故に話を合わせる事は容易いけれど、別段ここ最近エーデルハルトが学院に足を運んだ事はない。
なので別にリンリンを見初めたなんていうその話は完全にでっち上げである。
適当にそれっぽい話を捏造しただけだというのに、それでもあまりにもそうと思われないくらいの出来になっているのは、メイリンからのリンリン情報とあとはキルシュヴァーンと二人に協力していた面々からの情報の繋ぎ合わせの結果であった。
あの時からずっと貴方の事が忘れられなくて……という言葉。
自分の年を考えて、一度は諦めようと思ったのだけれど……という言葉。
貴方を救えるのが、どうか私だけであればよいのに……なんていう言葉。
そういった言葉の一つ一つにリンリンはあっさりとのぼせ上がった。
年が離れている、といっても別に結婚するのであれば貴族社会の中でもまだ常識の範囲内だ。自分の父親よりも年上だとかであればともかく、精々兄と思える範囲の年齢差。
更に何より、自分が見た中でトップクラスと言えるくらいに素敵な容姿。
身分だって才能だってある、本来なら自分が知り合えるような相手ではない存在が、自分に跪いて愛を囁き愛を乞うのだ。
リンリンの胸の中は、今まで感じた事のないくらいのときめきで爆発しそうだった。
学院で、姉に虐められている哀れな妹を演じていた時に、リンリンを守ると言ってくれた男子生徒はいた。
まるで騎士のよう、と思ったのは本当だ。
けれども。
エーデルハルトを見て思う。
学院の男子生徒たちのそれは、単なる騎士の真似事でしかなかったと。
児戯にも等しい――いや、それよりも劣るのだと。
リンリンの頭の中はもうすっかりエーデルハルトで一杯になってしまって、この機を逃してはいけないと思ってしまった。
がっついていると思われないように、あくまでも淑女然と振舞ってリンリンはエーデルハルトの誘いを受けた。わたくしでよろしければ是非に……と。
姉メイリンに続いて妹リンリンも結婚が決まったことで、二人の両親は大いに喜んだ。
兄が家を継ぐ前までにはどうにか結婚相手を見つけなければと思っていたが、まさかこうもあっさりと見つかるなど思ってもいなかったのだ。しかも自分たちが見繕おうとしたならば決して有り得ないようなお相手である。
キルシュヴァーンはともかくエーデルハルトは辺境伯だ。政略的な結婚を強いられるものではないのかと思ったが、今のところはそういった政治的な結びつきを重視しなくても良いらしく、それ故にエーデルハルトは自らリンリンへプロポーズしに来たのだ。
そこまで言われてしまえば、両親がお断りをする事もない。何より本人だって望んでいる。
子爵家はそれはもう大層盛り上がったのである。
そう、知らぬはメイリンを除いた子爵家の人たちばかりなのだ。
リンリンだって自分の結婚相手が姉の相手と比べて優れている事で、今まで持っていた劣等感のようなものは簡単に吹っ飛んで今では姉に対する優越感しかない。
外見だって身分だって、何もかもが上。
そしてそんな素敵な相手が、自分を! この自分を選んでくれたのだ!!
ようやく報われた……!!
そんな気持ちにすらなっていた。
結婚は学院を卒業してから、という事になった。
メイリンもリンリンもである。
リンリンとしては一刻も早く結婚したいと思っていたが、結婚して我が領地に来れば学友と今のように会えなくなるのだから……とエーデルハルトが言ったので。
だからこそリンリンは幸せいっぱいですと言わんばかりのオーラを漂わせながらも、友人たちに結婚が決まったの! とおおいに惚気たのである。
これに対して友人たちは祝福してくれた。
今まで姉に虐げられていたのだとさめざめと泣き耐えていたリンリンが、姉から物理的に距離をとってこれから先幸せになるのだと思えば、まぁ友人であるならば祝福はする。
お相手が辺境伯だと聞いて、やっぱり美女には美男がくっつくのねぇ……なんて感想を抱く者もいた。
リンリンの騎士のように振舞っていた者たちは己の恋が破れた事を自覚したが、しかし相手が辺境伯ともなれば逆立ちしたって勝ち目がない。外見だけではなく才能も身分も権力も持ってるとなれば、低位貴族でしかない彼らが唯一勝てるのはリンリンへの気持ちくらいだろうか。とはいえ、それだって辺境伯が熱くリンリンへの想いを語れば一瞬で勝ってしまうのだろうけれども。
いつも悲しそうにしていたリンリンが、幸せそうに毎日を過ごして、そうして学院を卒業する日がやってきて。
卒業後の結婚式は華やかなものだった。
メイリンとキルシュヴァーンの結婚式は世間一般から見た伯爵位の結婚式と考えれば妥当かつ無難なものであったけれど、リンリンとエーデルハルトの結婚式は盛大に行われた。
それもまた、リンリンの気持ちをおおいに震わせるものであった。
姉が望んだってこんな素敵な結婚式、決してできないだろうという優越感。
何もかも姉に勝利したという思いから、リンリンは自然と笑顔になっていた。
これから先、自分はもっと幸せになれるのだと思えば浮かぶ笑みを止めるなどできるはずもない。
リンリンはその日、きっと世界で一番幸せな花嫁であった。
結婚後はそれぞれお互いの家に嫁に入るので、今までのように会う事もなくなる。
けれどもリンリンにとってそんな事はもうどうでもよかったのだ。
メイリンを出汁にする必要なんてもうどこにもない。
これから自分はエーデルハルトに愛されて、そうしてその先もずっと幸せに暮らしていくはずなのだから。
だから。
「これでお別れね。……可哀そうなリンリン」
最後の最後で姉がそんな事を言ったのだって、ただの負け惜しみでしかないのだと。
そう、信じて疑ってすらいなかった。
さてその後の話ではあるのだが。
メイリンは概ね幸せな生活を送っている。
もう妹のバカみたいな嘘に巻き込まれなくて済むし、夫になった相手とは話も弾むし一緒にいて息苦しさを覚える事もない。
キルシュヴァーンは中々いい結婚相手がみつからなくて……なんて言って半分くらいメイリンに対しては妥協のような言い方をしていたけれど、しかし結婚した後もそれ以前に婚約した段階から彼は優しかった。
そんな相手にメイリンは自分ができる事をして支えていこうと思ったし、その結果伯爵家はなんだか本人たちが思っていたよりもいい感じに国に対してちょっとだけ有益な結果を出す事にもなってしまった。
伯爵家がある町には大きな図書館があって、メイリンとしてはそこに気軽に通えるだけでも幸せだったし、同じく読書を好む友人たちも新しく増えた。
リンリンの存在を気にさえしなければ学院に居た時と同じか……いや、それ以上に楽しい日々を過ごしていたのである。
一方のリンリンはどうしているかと言うと。
恐らく生きてはいる。
恐らく、とつくのは辺境伯の元へ嫁いで以降、便りも何もないからだ。
第二の王都と呼ばれる程度に発展した街で過ごしているはずだけれど、そちらでの噂はとんと聞かない。
辺境伯エーデルハルト曰く、どうにも慣れない環境で体調を崩しがちのようで……と最初は言っていたが、その後も社交の場に出てくる事はなかった。
エーデルハルトが結婚したという事実は明らかであるし、必ずしも妻を伴って参加しなければならない社交ではない、というのであれば、エーデルハルトは基本一人で参加していた。
だからといって他の女性に手を出すような行動は一切していない。
妻には家で待ってもらっているのです、身体に障りがあっても困りますので……なんてどこか含みをもった言い方をすれば、大抵の者は勝手に察した。
これから生まれてくるのは男児か女児か、なんてエーデルハルトがハッキリと言っていないにも関わらず。
身籠ったのであれば、人前に出てくるのは大変だろうと周囲は勝手にそう思い込んだ。
実際のところはまだ孕んですらいないのだけれど、そんな事は誰も知る由がないのだ。
キルシュヴァーンとエーデルハルトは遠い遠い親戚関係にあった。
だから、というわけでもないが、幼い頃に何度か交流する機会があったのは確かだ。
といっても、キルシュヴァーンからすればエーデルハルトは兄の友人みたいな認識だったけれど。
ただ、それでもキルシュヴァーンはエーデルハルトの幼い頃からのどうしようもない性癖とでも言おうか、なんとも歪んだそれを知ってしまっていた。
エーデルハルトは弱者を好んだ。
辺境伯という立場であるならば、部下が弱ければ問題だが、しかし守るべき存在が弱い事に関してはむしろ望むところであったようだ。
小さくてか弱くてロクな抵抗もできない相手、というものをエーデルハルトはこよなく愛した。
そんなつもりがなくとも生殺与奪の権を自分に渡すしかないような相手に同情し、味方であれば真綿でくるむように慈しみ、敵であればじわじわと追い詰めて仕留める。
そういった行為に対して精神的な高揚を抱くのが、エーデルハルトという人物であった。
現状平和であるけれど、しかしいつ危険な事になるかはわからない。故に辺境伯の所に嫁ぐのであれば多少の強さは必須だろう、と言われてはいた。けれどもエーデルハルトの女の好みとして見れば真逆なのだ。強い女性を弱くして、というのもやってやれなくはないかもしれないけれど、少なくともエーデルハルトの食指は動かなかった。
どうせなら儚げで、触れたら壊れてしまいそうな、そんな女性がいたならばと彼は結婚というものに対して理想を高くするだけ高くして、伴侶ができなくとも跡取りは最悪親類のどこかから養子を迎えればいいという考えであった。
ところがそんなある日、必要最低限程度にしか交流していなかった遠い親戚から連絡が来たではないか。
お前の好きそうな女紹介する。
もうこの一文だけでとても乗り気だった。
聞けばされてもいない虐めを捏造してまで自分を可哀そうな立場に追い込んで悲劇のヒロインぶりたい女なのだとか。
そういった女は別に他にもいたけれど、だがここからが重要である。
見た目は間違いなくエーデルハルトの好みである、というのがやたらと強調されていた。
身分は子爵家。
辺境伯の嫁として見れば家格はどうなんだろうかな……と思わないでもないが、そもそも結婚のけの字も出てこないようなエーデルハルトだ。彼女じゃなきゃダメなんだとかなんとかごり押ししたとして、それで後継ぎが生まれるなら周囲も願ったりかなったりである。
どうにも架空の苛めを捏造したのは今回初めてというわけでもなく、以前に家族相手にやらかしてその悪事が暴露され、家族との仲は悪くはないが何かあった時の信用は低い。
つまりそれは、こちらに嫁がせたとして、生活が上手くいかず家族に手紙で助けを求めたとして、一度目から信用される可能性は低いという事だ。
そうでなくとも学院で悪い癖か姉を悪者にして可哀そうな自分、という演出をしているようなのでもしその女が周囲にそんな事を嘆いたとしても事前に情報を知らせておけば、またやってるとしか思われないだろう。
であれば、エーデルハルトがそんな彼女を嫁として迎え入れて、そこでじわじわと虐げたとして。
女が周囲に助けを求めたところで、また悲劇のヒロインぶりたいだけ、と周囲は見るだろう。
エーデルハルトは己の悪癖というか性癖を大っぴらにしているわけではない。何が良くて何がダメかくらいは弁えているので、周囲の評価は平民にもお優しい辺境伯様だ。勿論有事の際は頼りになると信頼も得ている。
そんな辺境伯と、過去虚言で自分を悲劇のヒロインに仕立て上げようとした相手とであれば。
間違いなく自分の方が信用される。
それに、自ら悲劇のヒロインになりたいのであれば、そういう風に扱っても構わないというわけで。
簡単に家に逃げ帰る事もできそうにない、自力で現状を打破できる程強かでもなさそうな、他者を利用しないと生きていけない女。
しかも見た目はエーデルハルトの好みとくれば。
エーデルハルトがキルシュヴァーンの話に乗るのは当然と言えた。
その女を手に入れるために、ちょっとした三文芝居を演じなければならないとなっても、むしろそれだけで手に入るのならばとてもお手軽。
キルシュヴァーンの言う通り、実物を見てエーデルハルトはまさに理想の女性であるとリンリンを一目で気に入った。
エーデルハルトは己の見た目をよく理解している。故に、女性からどのような目で見られる事が多いかも充分に把握していたし、それもあってリンリンが自分を見た時にどう思ったかも手に取るように理解できた。
あぁなんて可哀そうなんだろう。
幸せになれると信じて結婚して生家を離れて、そうして新たな家に入ったら、今度は自由に出入りできないなんて思ってもいないのだろう。
最初のうちは多少の外出もできていた。けれどもいつまでも自由にさせておくつもりはなかった。
だってエーデルハルトはリンリンには可哀そうな女であってほしかったのだから。
だからこそ、屋敷に用意しておいた彼女のための檻とでも言える部屋に彼女を入れて、そうして愛でた。
牢獄、と言えばまぁその通りなのだが、実際の牢獄と比べれば劣悪な環境とは正反対でむしろ部屋から出ずとも生活は可能な程度に快適にしてある。
けれども、自分の意思で檻に入るのとそうでないのとでは大きく違いがあるわけで。
こちらで新しい友人でもできれば話は違ったかもしれない。
けれどもそうなる前に、エーデルハルトは手を打った。
リンリンを屋敷の奥に閉じ込めて大事に大事に囲っている。
周囲からはそう見られるだろう。
外に行きたいというリンリンの願いはことごとく却下した。
「可哀そうなリンリン、私のような男に目を付けられなければ、こんな目に遭わなかったのにね」
決して暴力をふるったりはしていない。
言葉で追い詰めるでもない。
けれどもリンリンの自由は奪われ、関わる人間は極一部のエーデルハルトに忠誠を誓う使用人とエーデルハルトのみ。
己の現状を嘆こうにも、嘆く相手は限られている。リンリンをその状況に置いた人物に嘆いたところで現実は何一つとして変わりはしないのだ。
周囲からは大事にされているようにしか思われないのだろう。
けれども、リンリンは。
家族との連絡もとれず、外にも出られず、友人などこちらにはいないので愚痴の一つも零せない。
エーデルハルトにお願いだから外に出してと懇願したところで、その願いは聞き入れられない。
言ったところで可哀そうにと憐れまれるだけだ。
君はこのまま、ずっと可哀そうなままでいてくれればいい。
なんて言われて。
これからはお姉さんを悪役にしなくても君は一生可哀そうなままでいられるのだと言われて。
リンリンはようやく気付いたのである。
そうやって悲劇のヒロインぶっていた結果が今の状況を作り出してしまった事に。
とんでもない男に目をつけられてしまったという事実に。
違う。
違う、そうじゃない。
そうじゃないのだ。
リンリンは別にそこまで可哀そうな生き物として扱ってほしいわけではない。
ただちょっと同情からくる優しさを向けてほしいだけだった。
同情がなくたって優しくしてくれる人はいるけれど、しかしその優しさは常に降り注ぐわけでもない。
けれども弱っている相手、可哀そうだと思える相手であるならば、そういった相手には人というのはいつもよりちょっとだけ優しくなれたりするもので。
リンリンはそういったちょっとした優しさを向けてもらって、ついでにそこから甘やかして欲しいだけだったのだ。
エーデルハルトは別にリンリンに暴力をふるったりはしていないし、酷い言葉を言うわけでもない。ただリンリンの自由を奪って部屋から外に出してもらえず、社交にも参加させてもらえず、ロクに誰かと言葉を交わす事もないというだけだ。
リンリンは今まで、可哀そうな自分を演出しつつも周囲にそれなりに人を集めていた。
常に誰かしらいたのだ。
けれども今は。
決まった時間にやってくる使用人はリンリンと決して言葉を交わそうとはしないし、話ができるのはエーデルハルトだけ。
しかし彼には彼の仕事があるので、一日中一緒にいるわけでもない。
いうなれば、今までとは異なる環境に置かれた結果寂しかったというのもある。
一日の大半を誰とも口をきかずに過ごすなど、今までのリンリンの生活ではありえなかった。
それもあって余計に、誰かこちらで友人を作りたいという思いもあった。
だが外には出してもらえない。
それでも、このままではいけないと決死の思いで脱走を試みたのだが。
あっさりと捕まってしまった。
屋敷から出る以前の話であった。
せめて外に出たならば恥も外聞も何も知らぬとばかりに叫んで助けを求めただろうに。
脱走しようとした結果、リンリンは部屋に戻され今度は同じ事にならないようにと足に枷がつけられた。
「もし次があったなら。
今度は事故で足の腱が切れてしまうかもしれないね。
大丈夫、たとえ歩けなくなっても君の世話は私が請け負おう。安心してくれていい。
世話も、切るのも、どちらも得意だから」
穏やかに微笑むエーデルハルトに、リンリンは必死に謝った。
そんな、何かを慈しむような表情で言う言葉ではない。
次逃げようとしたら足の腱を切ると宣言されて恐れないはずがない。
しかも今は平和でロクに戦う事がないとはいえ、全くないわけではないのだろう。
そういった事も得意だなんて言われたって何も安心できやしない。
確かにリンリンは自分を甘やかして欲しいが故に、周囲に悲劇のヒロインのような態度をとったこともあった。そう思われるように振舞った。
けれども、だからって本当の悲劇のヒロインになりたいわけではなかったのだ。
下手なことをすれば、次は間違いなく本当の悲劇のヒロインになりかねない。
リンリンにできる事は、ただはらはらと涙を流して夫の赦しを得る事だけだった。
同時に。
ふと最後に別れた時の姉の言葉が蘇る。
もしかしなくても、姉はこの男の本性を知っていたのだろう。
教えてくれれば、と思ったがしかしあの時点でメイリンがエーデルハルトの事を悪く語ったとして。
リンリンは間違いなく負け惜しみだと断じて聞く耳をもたなかった。実際あの言葉だってそうだと信じて疑わなかったのだから。
運よく家族に助けを求める手紙を出せたとしても、きっと信じてはくれないだろう。
辺境伯、エーデルハルトの評判は国内でも有名だ。彼がこんな人間であるなどと知られていない以上、またリンリンが構われたいために嘘をついているのだと家族は思うに違いない。
過去の自分のやらかしが原因なのはわかっている。
だからこそ、もう逃げ場などないのだと。
理解するしかなかったのだ。
次回短編予告
転生ヒロインに絡まれる悪役令嬢っていうよくあるテンプレ。ジャンルは相変わらずのその他。
というかその次ともう一個次の短編も大体これと同じ説明で終わる感じのテイストである事に気付いてしまってどうしましょうね。なお文字数は今回の話の半分とかそれよりもうちょっと少なめのサクッと読める感じとなっております。誤字脱字直していくついでに加筆とかしなければ。