上履き隠し
「転校生の上履き、隠しちゃおーぜぃ」
急に背後から肩を抱き、耳元に呟いてきたのはリコだった。
この中学のアイドル的存在で、かつ定期テストでも常にクラスのトップ5内には入っている彼女。
なにかにつけ、地味なアタシに絡んでくる。
引き立て役として適当なのだろう。
地味で不細工でドン臭いアタシは。
「止めなよ。そんな昭和なオフザケなんか」
昭和な、とは言ったけれど、令和になっても下らないイジメがガキ共の間で影を潜めたわけではない――らしい。
アタシが馬鹿なイジメの対象とされていないのは、単にアタシがリコの親友ないしは僕であると皆に認識されているからだ。
『将を射んと欲すれば、まず馬を射よ』
というわけで、リコに気がある男子やリコに気に入られたい女子は、アタシに対して丁寧に接してくる。
別にアタシと親しくしたいわけじゃなく、単にアタシがリコの付属物だからという理由で。
彼女の存在をウザイと感じるときが無いわけではないが、ツマラナイ面倒事を遠ざけてくれているわけだから、アタシはリコに感謝している。
中学生活を無事に終えるまでの間の、強固な防壁として。
だから彼女が『下らないイジメ行為の加害者』として、しかもパワープレイの実行者として、今の学園アイドル的位置から転落するようなリスクは、とことん排除しなければならない。
――ワタシ自身の平穏のために。
◆
リコが転校生を気に入らない理由は解っている。
超に弩が付く田舎から転入してきた彼女は、イモ臭い外見に加え、やる事なす事が全てトロい。
アタシにとっては、まるで自分のことを鏡で見せられているかのように感じる愚劣な女だ。
リコにとっては、相手にする必要もないほどの虫ケラ同然なのだが、転校生の席がクラス委員長の隣に決まると、そうも言っていられなくなった。
委員長は見てくれも運動神経も平凡以下だが、とにかくヒトは良い。
悪意というものを、どこかに置き忘れて生まれて来たような、ギラギラしたところが全く無い、いわば仏様系おっとり男子。
リコとは幼稚園時代からの顔見知り――とのことだ。
アタシなんかは「詐欺にあったりとか、将来ゼッタイに苦労するタイプ」と冷ややかに見ているのだが、副委員長のリコは密かに彼に気がある。
表に現さないよう――彼も含めて――皆の前では、単なるクラスメイトで腐れ縁の幼馴染と必死に繕ってはいるが。
ただしアタシには判る。
委員長が隣の席の転校生に教科書やノートを見せたり、休み時間に勉強を教えたりするのを目にした時に、リコが静かにアドレナリンを沸騰させているのを。
『所有権を侵害された地主の怒り』というヤツだろうか。
そんなの放っておけばよいのだ。
委員長はホトケ様なのだから、迷える衆生に慈悲の手を差し伸べて当然なのだから。
担任だって”それ”を期待して、愚鈍な転校生を委員長の横に配置したんだろうし。
別に委員長が転校生に対して、特別な好意をもって接しているわけではないのは明白なのだ。
リコとて、そんな事情は百も承知だ。
けれど彼女の腹の虫は収まらない。
理解はするが、同意は出来ない――と言ったところか。
「そんなこと言わずに、ちょっとだけ付き合ってよぉ。ねぇホント、一生のお願い!」
損得勘定は付くだろうに、リコはキラーフレーズまで繰り出して頑強に力押ししてきた。
「見張っててくれるだけでいいんだ。こんな事、他の誰にも頼めない」
◆
リコは、人気が無くなるまで図書室で勉強しているフリをしよう、と提案してきたが、アタシは「先に帰ってて」と彼女を突き放した。
「アナタは常に、視線を集めるタイプなんだから邪魔になる。放課後になったら直ぐに、誰か適当に誘って、夜までカラオケにでも行ってなさい。アリバイ工作だよ」
そして宣言した。
「やるのはアタシが一人でやる」
◆
「頑張ってるとこ悪いけど、そろそろ閉めるから」
図書の先生が声を掛けてきた。
週番の図書委員の姿は既に無い。
「分かりました」とアタシは直ぐに荷物をまとめた。
リコが隣にいない時のアタシは、迷彩を被ったように目立たない。
先生にも「誰だったか、最後の一人までちゃんと退出させてカギを閉めた」としか、認識として残ってはいないだろうと確信がある。
いよいよ決行だ。
◆
帰宅部生徒の姿が消え、一方で運動部は部室でグダグダ着替えたりダベったりしている空白時間。
下駄箱付近からは、一瞬人影が失せる。
ただし文化部や生徒会系が不意に姿を見せる可能性はあるから、素早くかつ不自然さが出ないよう、眼球だけを動かして視野の隅で周囲を確認する。
そして――
目当ての上履き入れから、目的の物をカバンの中に滑り込ませた。
ミッション・コンプリート。
◆
軽く疲れたという表情を作り、急ぐでもなく燥ぐでもなく、怠そうに夕暮れ間近の帰り道を歩く。
トモダチと一緒でない限り、中学生が『普通』にしている時の無表情が”これ”に当たる。
偽装はカンペキで、なんの問題も無いはずだった。
◆
「ちょっと良い?」
西日が眩しく、逆光で顔は見えないが、声の主がホトケサマの委員長であることは明白だ。
アタシに疚しいところは『何一つ』無い。
けれども声の主が委員長であったことは、ひどくアタシを動揺させた。
「なに?」
アタシは不本意ながら、口調に不機嫌さを含ませた。
「待ち伏せでもしていたワケ?」
そんなところ、とホトケサマは穏やかな口調で応じた。
「カバンの中を見せてもらいたい、と思って」
◆
ナニサマのつもり? ――などと反発するのは、今さら愚かしい。
「女子のカバンの中を見たいだなんて、非常識だと思うけど?」
と、常識的に考えられる範囲のイヤミを口にして「お好きに」と、膨らんだカバンを差し出した。
ホトケサマは「ありがとう」と極めて穏やかに受け取った。
「キミなら、無駄に噛みついて来たりしないで、間違いなくそう応じてくれる、と確信していたよ」
そしてカバンを開けること無く
「膨らんでいるのは、上履きが入っているからだよね?」
と囁いた。
「キミ自身の上履きが」
◆
夕焼け道を、ホトケサマと並んで歩く。
男子と一緒に下校するなど、地味なアタシにとっては初めての経験だ。
そんな場合ではない、と頭では分かっているのだけれど、少しだけ胸がドキドキする。
カバンは開かれることのないまま、既にアタシに返却されていた。
◆
「なぜ私が、”自分の靴”を隠すだろう、と気が付いたの?」
単刀直入に訊く。
委員長はホトケサマではなく、狸だった。
取り繕っても仕方がない。
「リコちゃんが、キミに抱きついて良からぬ提案をしているのが目に入ったから」
狸の返答もド直球だった。
「付き合いが長いから、すぐ分るんだよ。彼女が不穏な行動を採っている時にはね」
説明になっていない、とアタシは抗議した。
「二人の間の囁き声が、聞き取れたはずナイでしょ。悪い相談をしているのが表情から読み取れたとして、上履きを隠すというイタズラの具体的部分までは判るはずがない」
そ・れ・に、とアタシは畳みかけた。
「百歩譲ってイジメの内容まで推理できたとしても、合理的に思考するならば、私が隠すのは”転校生のモノ”であるはず。私が”私の靴”を隠すという非常識な行動をすることまで、先読み出来るわけがないんだよ」
靴箱の周囲に人の目が無いことは、間違いなく確認した。……はず。
――まさか隠しカメラを使ってリモートで? ……いやいや、それはなんでも……。
「合理的ではない、とキミは言うけれど」と狸は薄っすらと笑った。
これまでなら、ホトケサマの慈悲の笑み、と受け取っていたアルカイックスマイル。
「けれどキミは『転校生の靴を隠すより、自分の靴を隠すほうが良い』と合理的に判断したわけだろう? だったら僕も、キミの思考をトレースするだけで、同じ結論に到達するじゃないか」
ぐうの音も出ない。
「キミは何か、リコちゃんから不愉快な行為に助力するよう協力を要請された。それが転校生に対する何らかの嫌がらせであることは、想像に難くない。なぜならリコちゃんは転校生に、不合理的な或いは理不尽な反感を感じているからね。……まあ、少なくとも周囲にはそう見られている」
……まあ、そこまでなら狸の力量を以てすれば、簡単に読み解けただろう。
中学生は、周囲の『級友』間のパワーバランスや感情――恋愛感情や忌避感情――に敏感だ。
棲んでいる世界が極端に狭いし、オトナほどビジネスライクな『大人の事情』に縛られることもない。
動物園のサル山の猿。
近眼的で、外にも世界が在ることなど、想像は出来ても全く理解が及ばない閉鎖世界。
リコはボス猿なのだ。
そして、リコはアイドルだからボス猿に成れたのではない。
ボス猿の立場に成り上がる過程で、アイドルの地位を確定させた、と言った方が正しい。
「リコちゃんはキミに、主犯としての行動を強要したりはしなかったはずだ。持ち掛けたのは共犯者の役割だけ」
狸はニヤニヤ笑いを収めないまま、話を続けた。
「けれど、キミが主体的に実行犯役を買って出ることは、リコちゃんにとって想定の範囲内だっただろう。なんと言っても、彼女は居るだけで目立っちゃうし、キミは自分が目立たない存在だと自分に言い聞かせている。……常日頃からね」
鳥肌が立った。
狸はアタシの思考を読んだだけでなく、リコがアタシに『相談』を持ち掛けたのは、アタシが実行犯を自ら引き受けるだろうと彼女が考えていた、という事まで言い当てたからだ。
その件に関しては、実はアタシも相談を持ち掛けられた時点で、同じ疑惑を感じていた。
そして――
終業時にリコが、遊びに誘ったのが他ならぬ転校生であったこと、で確信に変わった。
「ねえ、帰りにカラオケに行こうよ!」
リコと転校生との間に、一種異様な緊張感を感じていたクラスメートたちは、この「手打ち」とでも呼ぶべき和解の申し入れにどよめいた。
転校生も「じゃあ、ちょっとだけ」とトロ臭い笑顔でそれに応じ、クラスは――少数の例外を除いて――親睦会に参加する流れが決まった。
この状況下で転校生の上履きが無くなれば、犯人は非常に絞りやすくなる。
そして動機を持つ者も。
皆は、リコがアタシから転校生へと僕を替え、それを面白くなく思ったアタシが、腹癒せで転校生の靴を隠したのだと、推理と呼ぶことすら出来ない短絡的な邪推をするだろう。
アタシは難しい選択を迫られることになった。
――リスクを承知の上で、上履き隠しを実行するか。
――リコの「一生のお願い」を反故にして、彼女と対立する道を選ぶのか。
そしてアタシは……
◆
「キミの選択が、たった一つの冴えたやり方だったのかどうか、それは僕にも判断がつかない。けれども緊急避難時の窮余の一策だとすれば、非常にクレバーだったとは言えると評価する」
狸はニヤニヤ笑いを止めない。
「キミはリコちゃんが転校生をカラオケに誘い、クラスの多くがそれに同調したのを確認すると、そそくさと姿を消した。もう少し時間をくれたなら、僕がキミもカラオケに来るよう、強引に連れて行くことも出来たのにね」
なるほど。
ホトケサマがアタシをも親睦会の輪に誘い込んだとしたら、リコの計画はその時点で破綻していたというわけだ。
使嗾犯と実行犯の二人ともが行動不能の状況だと、予定されたイジメ事件は起こしようがない。
「けれどもキミが姿を消したことで、転校生に対して行われるであろう行為が、上履き隠しであることがほぼ確定した」
狸は歌うように続けた。
「机への落書きのような、証拠を残す方法は論外だ。また転校生は教科書やノートを教室に置きっぱなしにはしていないから、それらを毀損することは不可能。だったらキミが行うであろう犯行は、古典的な上履き隠しだろうと簡単に想像がつく」
そして彼は「リコちゃんには新規性や独創性といった能力は皆無だからね。キミみたいに頭の良い人物が一から計画した犯行ではないのだから、手垢の付いたコンサバティブな行動だけを想定すれば良いだけのこと」と、意外にもリコを嘲った。
◆
「だからキミは、リコちゃんを裏切るか、或いは犯人と疑われるリスクを承知の上で上履き隠しを行うかの、難しい決断を迫られることになった」
穏やかだが冷静さを保った狸の……いや、委員長の口調に、温かなものが溢れた。
「けれど本当は、キミはイジメなんてしたくなかったんだ。最初からね」
なぜだ。
なぜ、そこまで私の心が読める?
「だからキミは、自分の靴を隠す事にした。そして明日リコちゃんに会ったら先手必勝、いの一番にリコちゃんを問い詰めることにしたんだ。『リコ。他のヒトには頼めないなんて言っておいて、アタシ以外にも同じ頼み事をしたヒトがいたでしょう。でも、隠されたのは”アタシの靴”だった。どういうツモリ?!』とね。口調は強め、逆ギレ風に。リコちゃんは混乱するだろう。キミと転校生とを、一石二鳥で罠にかける予定だったのにねぇ。だから、もしかすると、ゴメン、私にも解らないと謝ってくれる可能性すらある。可能性は五分五分だが」
私は何も言い返すことが出来ず、ただ、黙って歩き続けた。
何もかもお見通しの委員長の隣で。
「リコちゃんは、自分の立場……地位と言った方が良いのかな、それを脅かす存在として、キミを認識するようになってきていた。転校生の事なんか、ホントはどうでも良かったんだね。キミを貶めるための道具として利用しただけで」
◆
「明日、私はどうすればいいの?」
気が付けば、委員長に縋るように問い掛けていた。
「おや? 一人称が『アタシ』から『私』に替わったね!」
その方が本当のキミらしくて好感が持てる、と委員長は私を安心させるように囁き
「キミは何一つ心配する必要は無い」
と告げた。
「明朝までに、クラスの女子全員分の上履きが盗まれる。木の葉を隠すなら森の中。これで『誰の物か』というタグ付けは意味を持たなくなる」
◆
――委員長、私のために今から一人で”やる”つもりなんだろうか……。
と、ぼんやり考えたら
「無人の学校に忍び込んで、劣情を満たすための盗みを働く変態さんのニュースは、時々話題に上がるから既にパターンとして確立されている。学校側としても、イジメ問題で世間的な騒ぎになるより、卑劣な窃盗犯の被害に遭ったとされる方がダメージが少ないんだよ」
と、まるで私の頭の中を覗き込んだかのようにコメントした。
続けて、驚いたことに……
「だから今、先生方が総出で『犯行』にあたってくれている。有難いことだ。まあ人手さえかければ一瞬で終わるミッションではあるけどね。そして犯人は検挙されないまま事件は迷宮入りとなり、学校としては『今後セキュリティを一層強化する』と保護者会に説明して幕引きだ。国立大学の付属中学校という特殊性だから実行できる荒業、というわけで」
◆
――委員長って何者なの?!
私は愕然として彼の顔に魅入った。
声は出なかった。
いや、「え?」とか「う!」とか、言葉にならない呻き声くらいは出てはいたかもしれない。
「キミは日頃ボクのことを、ホトケサマとか陰口を叩いていたじゃないか」
委員長がクスクス笑った。
彼にしては珍しく、ほんとうに愉快そうな笑い声で。
「仏陀とは悟りを開いた者のことだろう? 僕は……僕たちは、悟りを開いたわけではないけれど、古来から『覚』と呼ばれる存在なんだ」
◆
妖怪サトリ!
ヒトの心を読むバケモノ……。
声には出さなかった。
けれど委員長には当然の如く、読まれた。
「妖怪は仕方がないけど、バケモノは酷いな。クラスメートじゃないか。仲も悪くはなかっただろ?」
彼は笑うのを止めない。
そして「行き掛かり上という事もあるし、キミだけには本当の事を教えてあげるよ」と恩着せがましいことを言ってきた。
「賢いキミなら、他言無用という言葉の意味を、文字通りに過不足無く理解してくれるだろうから」
◆
僕たちサトリは、古から国家レベルで保護されている。
まあ、保護と言うより共闘関係にある、と表現した方が正しいかも知れないね。
双方ともにコミュニティの平穏を、外敵から乱されたくはないという点で利害関係が一致している。
だから情報のエキスパートであるサトリは、ずっと役に立ってきたんだ。
外交・防衛分野では、僕たちの能力が欠かせない。
それに、例えば産業スパイの分野なんかでも活躍は出来そうだけれども、そこまでサトリは人数がいない。
少ないマンパワーを振り分けるとなると、どうしても外事関係に携わることになるんだよ。
敵性工作員の炙り出しや排除なんかにね。
有名な先人には、厩戸皇子がいる。
一度に十人の嘆願を聞き分けたとされる、別名 聖徳太子。
他には、そうだね……キミの知識にある人物だと、恵美押勝のクーデターを鎮圧した吉備真備とか、道鏡の野望を挫いた和気清麻呂とか。
だから時には神と崇められることもあった。祟り神だけどね。
門閥貴族みたいな権力者側に不都合な人物として、陥れられることも多々あるからなんだよ。
菅原道真なんかが代表格かな。
菅原道真は藤原家と対立して大宰府に左遷されたという事になっているけど、実は道真は左遷されたのではなく志願したんだよ。
国際情勢の変化から『遠の朝廷』の機能強化――主に軍事部門――が必要不可欠になったから。
八九四に戻す遣唐使。
知っているだろう? 道真による遣唐使制度の廃止。日本史の語呂合わせ暗記の代表格の一つだね。
世界帝国であった唐は、882年の黄巣の乱でほぼ国家としての統一を失い、907年に滅亡する。
それから大陸は、五代十国時代の混乱が50年間ほど続くことになる。
だから道真は、大宰権帥として九州の兵権を緊急に掌握する必要があったんだ。
赴任年度は901年。
一応、友好関係にあった唐帝国が滅亡し、敵とも味方とも知れない複数の地方政権と向き合う事になってしまった関係上ね。
外事関係の最高顧問として、貿易商らの頭の中を隅々まで読んで、大陸の正確な情勢を掴むために。
大陸や半島からの渡洋攻撃の兆しが有れば、急いで迎撃準備の指揮を執る必要があったんだ。
情報のタイムラグが大きい京都に居たら、適宜対応みたいなフレキシブルな動きは無理だからね。
ところが道真不在の隙を衝いて――愚かなことに――藤原四兄弟が京都で宮廷内クーデターを起こした。
同時に彼らは大宰府には刺客を送った。
九州の逞兵を指揮下に収めた道真が、クーデター鎮圧のために軍を率いて帰京するのを怖れたんだよ。
近視眼的で権力闘争にしか興味が無い無能な門閥貴族らしいと言えば、その通りだね。
彼らも「道真は人の心を読む」ということくらいは知っていたから、道真暗殺には毒キノコを使った。
イッポンシメジというシメジタケによく似た毒キノコを、道真の食事に混ぜさせたんだよ。
貴人の食事には毒見役が就くが、膳のほぼ全量が無毒のシメジで、少量のイッポンシメジが混入されていた場合だと、椀の一部分にしか箸を付けない毒見をすり抜ける事が可能だ。確率の問題になっちゃうからね。
イッポンシメジで即死させることは出来ないが、食べた道真が体調を崩せば、いくらサトリの能力が有っても刺客の襲撃を躱すのは難しい。
ただし藤原四兄弟は道真暗殺に成功はしたが、当然のことながら報復を受けることになった。
彼らの始末には、カエンタケという猛毒のキノコが使われたんだ。
目には目を、キノコにはキノコを、という洒落だったのかもね。
クーデター一味は密かに拉致されると、潰したカエンタケを全身に塗りたくられ、口に押し込まれた。
カエンタケの経口摂取致死量は3g。
全身が皮膚炎に覆われた上で、彼ら全員が悶死したんだ。
まるで炎で炙られでもしたかのように。
だから処置後に捨てられた彼らの死体を見た者は――事情を知らなければ――道真の祟りを受けて、疫病や落雷で死んだと噂したんだよ。
ま、祟り説はクチコミを使った情報操作だったんだろうけどね。
◆
「そういう事情だから、僕はまだ修行中の身でありながら、多少は我儘を通すことが出来る。イジメ案件の萌芽を揉み消して、変態さんの窃盗事件に”すり替え偽装”が行えるくらいにはね」
委員長はそう告げると
「リコちゃんがキミに迷惑をかけて、本当に申し訳なかった」
と、私に向かって直立不動からの90度最敬礼を行なった。
「彼女には、よく言って聞かせて、必ず承知させておく。キミに絶対に手を出すな、と。確約するよ」
委員長が約束してくれるのは嬉しかった。
私はサトリではないから、彼の心の奥底を読むのは不可能だが、サトリであることまで正直に打ち明けた委員長が、ここでウソなど吐くはずがない。
もともと彼は誠実な人格者だし、私は――サトリであろうとなかろうと――彼をクラスメートとして信頼している。
「わかった。アリガト、委員長」
けれど私は、少し舞い上がってしまっていたのだろうか
「でもリコが、委員長のお説教を聞き入れるかな? いくら親しい幼馴染だとしても」
と軽口を叩いてしまった。
「親しい幼馴染なんかじゃないんだ」
そう呟いた委員長の顔からは、私が知っている限りで初めて表情が完全に消えていた。
いつものアルカイックスマイルを排した、小面面のような無表情。
「彼女は僕の妻なんだ。伝説なんかに出て来る、いわゆる『神の嫁』という存在。リコちゃんは人身御供として僕に捧げられた、供物なんだよ」
◆
「カミノヨメ?!」
私は意外な単語に戸惑った。
僅かな知識を駆使して
「それって、神の側から『白羽の矢』で意思表示するものなんじゃないの? 『この娘を我に捧げよ』って」
と訊き返す。
「昔話で白羽の矢を放つ『カミ』は、猩猩や大蛇といった、神ならざるモノであったと正体が暴かれるのが常だろう? いわゆる主系。天津神でも国津神でもない、自らに課された使命を忘れ、責任感を捨て去った落ちぶれた妖力持ち」
委員長の返答に、私は
「真の神、あるいは神を目指す者は、捧げられた供物しか受け取れない・受け取らないってこと?」
と再度問うた。
「リコは委員長に幼くして捧げられ、委員長は……供物として受け取った?」
「形式上はキミの言う通り」
委員長は再び笑みを浮かべ直し、おだやかに頷いた。
「けれどリコちゃんも僕も、その儀式が行われた時は新生児だからね。嫌も応もない」
ただし、と委員長は続けた。
「赤ん坊だったとしても僕は、僕は周囲のヒトの心を読むことは出来たから、『オマエのお嫁さんだよ』とリコちゃんを見せられて喜んだらしい。……覚えてないけど」
アルカイックスマイルに、ほんの一滴、微苦笑が混ざる。
「大変だったのはリコちゃんの方だろう。遺伝子検査を含む血筋や健康状態から僕のヨメに相応しいと決められて、そう自覚するように刷り込み教育を受けさせられたのだから。サトリの能力を持たない彼女には、酷な人生なのかも知れない」
「でも……リコは委員長のことを好きだよ」
これだけは間違いない。サトリの能力が無い私にだって断言できる。
転校生が”少し委員長と接近しただけで”情緒が怪しくなるくらい熱烈に。
「その事を疑ったことは無い。彼女は僕に相応しいヨメに成ろうと、日夜精進を続けている」
委員長の微笑みに、今度は僅かに後悔の色が混ざった。
「そこまで思い詰める必要は無いんだけどね。普通に、自然にしてくれているだけで良いんだ。他のヒトと競うことなど不要なんだよ。僕が……僕の側から彼女を裏切ることなど有り得ないのだから」
そうだろう。
念入りに整えられた捧げ物なのだ。
――神は贈り手の誠心誠意を尊び、喜んで供物を収める。不平不満は口にしない。
「やはりキミには解ってもらえたみたいだね」
委員長の笑みに、今度は快の輝きが増した。
「リコちゃんも頑張り過ぎずに、おおらかに僕を受け入れてくれるだけで充分なのに」
◆
また明日! と委員長と別れた。
リコの私に対する今日の仕打ちは、虫けらに向けた上から目線のイジメではなく、私を堂々たる好敵手として認めた、ということなのだろうか。
――そういえば、リコがやたらと私に絡んでくるようになったのは、よく委員長と目が合っていた頃からだ。
委員長は、私が中学生活を無難に終えるために、目立たなく目立たなく息を殺して愚鈍を装っていたのを当然見抜いていたわけで、一方リコは委員長の目線の先に、アタシの隠している自我を仄かに感じ取っていたのかも知れない。
「強敵と書いて友と読む、か!」
なんだか妙に可笑しくなった。
◆
家に帰ると、母は大いに慌てていた。
喪服を着て、数珠や香典袋をテーブルに並べている。
親戚の誰かに、急な不幸でもあったのだろうか?
母は私を見るなり「やっと帰ってきた」と言い、「これを付けなさい」と喪章を寄こした。
「アナタのクラスの副委員長さん、リコさんといったかしら。急に亡くなったのよ。急いで御悔やみに行かなくちゃ」
リコが?!
どうして!!!
声には出せなかったが、母は表情から私の疑問を読み取った。
「親睦会の帰り道、転入生が急に副委員長さんを車道に突き飛ばしたらしいの。ちょうどそこにはバスが走って来ていて」
え?
え?
転校生が? ……あの転校生が?!
「副委員長さんは頭を轢かれて即死。転入生は皆に取り押さえられたけれど」
即死……。
リコが……。
「オマエは嫁の器じゃない! 転入生はそう暴れているらしいのね」
◆
喪章を付けた私は
「用意出来た。これからリコちゃんの家?」
と母に問うた。
家ではなく、葬儀場で通夜をするのかも。
詳しいシキタリは知らないが、病院の霊安室という事はないだろう。
「そうじゃなくて」
母は一瞬、口を噤んだ。
まるで次に発する単語を選ぶかのように。
「クラス委員長さんの家。今日は御挨拶だけ」
「アナタが次の副委員長に選ばれたのよ。前の副委員長さんが亡くなったから」
◆
母には「カバンは置いて行きなさい」と言われたが
「中に大事な物が入っているから」
と譲らなかった。
「大事な物って何よ?」と問われて、私は
「シンデレラの靴」
と言い返した。
「王子さまに捧げる、シンデレラの靴。王子さまは静かに微笑んで、そっと私に靴を履かせてくれるの」
委員長は私を拒まないだろう。
いや、決して拒むことは無い。
私が供物として選ばれた以上は。
私ならリコより上手くやれる。
Fin