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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

一人目の家族

作者: 優希

楽しんでいただけたら幸いですね。


1


厄介なお客というのは時と場所を選ばない。

「今日はどんな部屋をお探しで?」

「そうね、駅から遠くてなるべく人目につかない一軒家がいいわ、自然に囲まれたような」

「一軒家?大変失礼ですが、入居なさるのはお一人様でよろしいですか?」

「そうよ、わたし一人」

黒のワンピースを身に纏い、大きめの女優帽を深く被ったサングラス姿の小顔の女性。年齢は幾つくらいだろうか。

「でもね、これからどんどん家族が増えていく予定なの」

「あ、左様でございますか!失礼致しました」

なんだそういう予定があるのか。自然の中で子育てをしたい、よくある話だ。

平日の午前中に部屋探しの飛び込み客は少ない。時間はあるし、いくつか案内してやるか。

資料を探そうと席を立った背中に女性が声をかける。

「収納がなるべく大きい方がいいの」

そういうのは先に言えよ。という言葉は飲み込んで笑顔で振り返る。女性特有の後出し条件には慣れていた。

「もちろんです、かしこまりました。他にもご希望はございますか?」

「そうね、特にはないんだけれど風通しがいい方がいいわね。匂いがこもってしまうとイヤだから」

「あとね、水回りも大きい方がいいわ。」

これだから女は困る。こちらから聞いてやらないと言わないのに、放っておくと後から次々と文句を言いやがるからな。

資料を探してる振りをしながら背を向けて男は小さく溜息をついた。ひょっとしたらよくない1日になる予感がしたのだ。



2



「それではこちらの海沿いの物件はいかがでしょうか。オーナーが別荘代わりに所有していたものですが、ご高齢のために貸し出すことにした家です。状態もよく、掘り出し物だと思いますよ」

口角を上げて作り笑いを浮かべるのはお手のもの、条件に合う家がちょうど手元にあったのは運がよかった。

「ただ、お家賃のほうが少々相場よりお高めでして…」

女性の靴や鞄がハイブランド品であることは確認していた。こちらの業界で食っていくためには必要な技術だ。

「あらそうなの」興味なさそうに女性はつぶやいた。

「家族にふさわしい家なら家賃は問題じゃないわ」

ビンゴ。あちら側の人間だ。

男は素早く手数料の中から自分の懐に入る金額を計算する。

この女、少々面倒くさい客のニオイはするが契約に持ち込めればかなりの臨時収入だ。



「今から内見に行かれますか?人気な物件なので、早めにご覧いただいたほうがよいかと」



よくない予感は外れたかな。

手早く資料を作成しながら、男は女性を窺う。

「そう、ならぜひ」カツっとブランド物のヒールが音を立てた。

「直接確認してみたいわ」

サングラスの下の視線は確認できないが、男には長年の経験による予感があった。


「かしこまりましたそれではさっそくですね、」おっといかん、早口になってしまわないようにしないと。

「すいませんええと、こちらの内見をするにあたりお客様に署名をいただかなければならないのですが、いえ、お名前だけで大丈夫なのですが、ですね、」

やはり早口になってしまっている男を一瞥した女性は手をそっとデスクの上に置き、人差し指をトントンと鳴らした。

男は少しだけ焦りながら素早く書類を揃え、左手で署名をもらう欄に印を付けていく。

「こちらとこちらにサインを、ええ、ええ、そちらで大丈夫です」


男からペンを受け取った女性は黒いワンピースの袖を少し捲り、帽子のつばを少しだけ上げて小首を傾げた。

「貴方やっぱり」


「左利きなのね」

男は曖昧に頷きながら笑顔を浮かべたまま、ゆっくりと女性に背を向けた。


3



左利きは天才である。

そんなことを言ったのは誰だったのだろう。


幼少の頃よりそれは男のコンプレックスだった。

左利きなんてのは少数派なだけで得したことなんてなかった。

ハサミもコンパスも左利き用なんてのはまず売っていないしたまに売ってたとしても種類がないから選べない。


野球かボクシングならサウスポーとして重宝されたかもしれないがそういうものにまるで興味がなかった身としては部活の勧誘が鬱陶しかっただけで、少し人より高い身長も相まって勝手に「スポーツが出来そう」なレッテルを貼られることには辟易していた。

体育の授業では毎度いつものようにクラスメイトに期待され、そして失望される。


まったく、人と違っていいことなんてないさ。


「あ、左利きなんですね」

せいぜい、話したくもない相手にこう話しかけられるだけだ。


そう、まさに今みたいに。



4



玄関のくすんだ水色の扉の、ギィィィィという悲鳴のような音を誤魔化すように男は少しだけ声のボリュームを上げる。

「海風が当たってしまうのでどうしても金具の錆が早いんですが、もちろん契約となれば新しいものと交換させていただきますので」

図面を確認しながら窓を開け放ち風通しのよさをアピールする男の後ろを、ゆっくりと女は付いていく。

「こちらがキッチンになっておりまして、最新のセントラルキッチンではないんですがカウンター型としては奥行きもあって広いと思いますよ」

実は初めてこの家に入る男は、さっきから少しだけ音をたてている床板にそっとつま先から体重をかけながら話す。

「海が近いですから、オーナーが釣った魚を捌けるようにと調理台が特に大きく設計されているようです」

確かに、調理台というには不釣り合いなレベルの大きな台がカウンターキッチンの奥に鎮座しているのが見える。


「あら本当、大きなお魚でも捌けそう」

初めて少しだけトーンの上がった女の様子に男は思わず振り返った。

「お料理とかよくなさるんですか?この辺りは新鮮な魚も多いので釣り場としてもちょっと有名なんですよ」

そういえば、と男は続ける。

「ご家族になられる予定の方は今日はお仕事でらっしゃいますか?魚介類がお好きだといいのですが」

女がサングラスを外していることに気づき、その美貌に男は少し驚いた。女優みたいななりだとは思ったがなるほど本当にそういう仕事もしているのかもしれないな。


不意にそういう女と個室に二人きりの状態でいることに気づいた男は少しだけ緊張する。

「仕事してるはずね」女は大きな黒目で男をまっすぐに見つめた。「魚介類も好きなはず」

それはよかった、と作り笑いを浮かべながら男はゆっくり女に背を向けた。

観察されているような空気は感じていた。


合わないんだ。男はそう思う。いくら外見が整っていたって元が合わなきゃあどうしようもない。



5



あの人のことはようく知っているの。


初めてあの人を見たときのこと、鮮明に覚えてる。今はもうない喫茶店でカウンターに一人で座って、古ぼけたジャズに合わせて指を動かしながらなかなか喋らない無口なマスターと笑顔で会話をしていたわ。

結構な常連のつもりでいたのに見たことのない笑顔をみせているマスターの横顔に、なんだか嫉妬を覚えたものよ。

声をかけたのはどちらだったかな。二人とも映画が好きでね、とてもよく話が盛り上がったのを覚えてる。そうそう、ローマの休日の話。あの映画と同じ場所で同じポーズで写真を撮りたいねなんて、夢みたいな話をしていたの。

そしたらオードリー・ヘップバーンが着ていた黒のワンピースをプレゼントするよなんて口説かれて、舞い上がったものよ。


実は左利きなんだ、って打ち明けられたのはかなりなかよくなってからだったわ。なんでも左利きだと不都合なことが多くって無理やり右利きに矯正したらしいの。社会人になってからっていうから努力家よね。自分のためにちゃんと頑張れる人って案外少ないと思うんだけど、そういうところも素敵だなと思った。あわてたりすると左利きが出たりするのよ?もうそれがとてもかわいくて愛しかった。わかってくれる?


元々左利きだから右手に結婚指輪をしているんだってマスターから聞いても、でも


とてもとても愛しくて、だから家族になろうって思ったの


わかりやすい人でね、少し不機嫌になったりするとくるりとこちらに背を向けるの。面白いでしょう、職業病って言ってたわ。まあそりゃ営業だもんね、お客様に仏頂面を見せる訳にはいかないわよね。

いつも背中を見ながら考えていたの。


このまま嫌われても他人には戻らない


準備していた物を強く握りしめて高く振り上げたあとに満身の力を込めて振り下ろす。

それだけのこと。


きっとうまくいくわ



6



「だからさ、」荒く息を吐きながら言葉を紡ぐ。左手が痺れて感覚がないが今はそこに意識を向けるときではない。


血。おびただしい血液。これは、どっちの血だろうか。


「分かるよ、そんな格好してさ」

視界がフィルムをかけたように薄ら赤いのは目に血がはいったからか、頭に血が上っているからか。


なんだってこんなことになっちまったんだ。ずるずると身体を引きずりながら自分がなにをしようとしているか混乱した脳味噌を動かす努力をする。


「正当防衛」


そんな単語が浮かんでくるが打ち消す。無理だ。証明できるものがなにもない。

家族を保つためにはやるしかない。通常を保つためにはやるしかない。運がいいことにここは調理場だ。なんとかなる。


嗚咽と喘鳴が他人事のように聞こえてくる。


あの時みたいだな。男は他人事のように思い出す。

馴染みの喫茶店で知り合った女と盛り上がり一夜をともにした、その翌日から電話は鳴り止まなくなった。

駅で躓いて痣ができたとか夕飯はなにがいいとか通り雨が降ったとか、

クソどうでもいい話を積み上げられて男は三日でキレた。


彼女ヅラしやがって


背中に縋りつく女を振りほどいて見下ろしたときにもこんな嗚咽と喘鳴が聞こえていた。

「わたしの愛しい旦那さま」

嗚咽に混ざりながら消えそうな声で聞こえた映画の台詞を思い出して男は思考を無理やり怒りで染める。


実のところ自分がしている残酷な所業に限界がきていた。

頭痛、吐き気。身体中の痛み。この世のものとは思えない、目の前に広げられた「これ」。


気を失いそうな(あるいは発狂しそうな)状況の中、男は必死に思考を逸らしながら作業を継続する。


窓を開け放った海辺の別荘に風に乗って微かにサイレンの音が届いているような気がするが、もちろん男には届かない。



7


最近には珍しく防犯カメラに映らない殺人事件はその撮れ高の少なさからあまりニュースにならないかとも思われたが、

それが逆に観客の想像力を刺激する部分があったのだろう、

(他に大きなニュースがなかったのもあるだろう)


殺し合いの勝者が敗者を解体中に現行犯逮捕。


というブレイキング・ニュースから尾ひれが付くのは早く、

意外とおしゃべりだった無口なマスターの証言も相まって

「映画が結んだ恋のエンドロールは惨劇の解体ショー」

「左利きの殺人者、その隠れた素顔と幼少期に迫る」

などと「いつものように」マスコミにもてはやされた。


閉店が決まったお店のセールが混み合うように、解散が決まったアイドルのコンサートチケットがプレミアになるように、それは約束されていた出来事だった。


善意の仮面を被った無関係な人々がここぞとばかりに切り抜きの情報で男とその家族を追求し、詰り、週刊誌はおどろおどろしいタイトルで特集を組み、男が移送される際にはテレビ局のヘリまで飛んだ。


男の家族も晒されたが、妻は素早く別離を選択して子供とともに行方をくらませた。子供を追いかけて晒すリスクはマスコミは取らなかった。

代わりに被害者の整形履歴を暴露した突撃系のYouTuberが追いかけて来たが、その動画は炎上し活動自粛に追い込まれた。


そして。


いつものようにそれだけだった。残酷な事件はいつだってみんなの退屈しのぎ。


日常の中から忘れ去られた事件は時々はワイドショーなどに顔を出したが、いま加害者と街中ですれ違って気づく人はどれくらいいるだろうか。


覚えてる?かつてマスコミが祀り上げて狂信的なファンが現れ社会問題にもなったあの殺人者を、その手段を、何人もの被害者を。

あんなに残酷な事件の被害者となってその幼顔をマスコミに晒され続けたかわいそうな子どもを、親を、友人を。


だから世間は気づかない。誰かが深く掘り下げてくれることなんてないからだ。マスコミは表層だけなぞり、切り抜き、都合のいい真実で売上を作り、飽きられたと判断したら次の獲物を探す。


ほら、誰ひとり気づかなかった。


人目につかない海辺の別荘にたまたま案内されたのではなく、空いているのを確認し案内されるよう仕向けたこと。


わざとたくさんのヒントを与えてまるで自分から気づいたように勘違いさせたこと。


背中を見せる癖があるから殺傷能力の高い道具を振りかぶる余裕があるのを知っていたこと。

高いヒールを履いて、振り下ろすその高さを合わせていたこと。


自分の腕力では致命傷を与えられずに反撃を受けること。

左手で振り下ろすだろうから少しだけ頭を右に傾げたこと。


釣った魚を捌くため大きめのキッチンが備えてあるのを知っていたこと。


真っ赤に染まった視界は計算外だったけど、なんとか見られずに緊急発信ボタンを押せたこと。


一人殺しただけでは普通は死刑にならないから、残酷な殺し方が必要だったこと。その現場を現行犯で抑えること。


無期懲役で仮出所になると困るから、なるべくセンセーショナルになるように無口なマスター宛の手紙を投函したこと。


嫌われた女が既婚者と家族になるには殺すか殺されるしかないと思ったこと。

殺すのを失敗するリスクと殺されるのを失敗するリスクを天秤にかけ、確実に殺されようと思ったこと。


アマゾンのプライムデーで自分を殺す道具を選ぶ時間はちょっと楽しかったこと。


お気に入りのドレスを纏って紅に染まったまま崩れ落ちる自分は悪くないと思えたこと。


本当は最期に、

殺してくれてありがとうって言いたかったこと。


8


彼と彼女のその後の物語は誰も知らない。


彼女は最期に微笑んだのか、

彼は最期に誰のことを考えたのか、


それは誰も知らない。


きっと、家族の話に他人が口を挟んではならないからだ。













御縁がありましたら、また何処かで。

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