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獣人

 粘る水音を立てて、男が倒れ込んだ。顔から石床に落ちたので歯が折れているだろうが、命そのものがないのだから、気にする者はない。

 クヌドーラが聞けば音だけで震え上がるだろう。だがナラカには慣れた光景であり、耳障りな音だと思う繊細さは昔から持ち合わせていない。


「駄目だ、頑なだな。王都は歪んだ人間が多すぎる」


 ナラカの側で見守っていた大男のカームがぼやいた。

 今や死者となった男は、獣人ばかり誰かれなく切り付けた通り魔だ。

 ナラカが即位と同時に発布した人権保護法。そこに獣人も含めると明記したのは誤ちだと、今だに騒ぐ反獣人の過激派がいる。そこに繋がっているのかと思い責めたが、結局は何も喋らずに妄言ばかりで終わった。

 罪もない人を十二人も、理由なく傷つけた現行犯。どのみち死罪だった。

 拷問吏が平伏するのを手で制し、ナラカはあっさりと牢を出た。


「真面目に生きてる奴らを刺しまくっておいて、罪悪感なしか。何かしゃべって役立ってから死んでくれたらいいのになあ」

「砂漠の虫ほども脳がないやつに、期待しすぎだ」

「それもそうか……」



 世には、不意に生まれてくる、耳や尾など獣の特徴を持った人がいる。これを、獣人と呼んできた。ナラカからすれば、体の一部が少し異なるだけのただの人としか思えないが、この国では長く蔑視されてきた。

 だからこそ、獣人は人と同じ、とあえて国の法に定めたのだ。


 獣人は、親の家系や体質は関係なく、ぽつり、ぽつりと、気まぐれに滴る雨のように、人の間に生まれ落ちる。いつどの夫婦に生まれるかは、誰にも予想できない。

 三角の毛深い耳が頭上に付いていたり、瞳孔が縦に裂けていたり、嘴があったりと、はっきりと異形がわかる獣人たちは、この王国では殊に酷い扱いを受けてきた。平民たちも獣人を疎んだが、殊に王侯貴族たちは、獣人を奴隷のように扱った。獣人は平民に多く生まれるとされていたからだ。

 真相は、違うだろう。貴い血筋に生まれた獣人は、誤ちだとして殺されてきたのだろうが、誰もがそれを見ぬふりをしていた。

 獣人たちの怨嗟を土台に、王国は五百年の長きに渡り繁栄してきたが。


 内乱が勃発した。

 内乱の始まりは、当時の王と王妃、今となれば王朝最後の王夫妻の事故死だ。彼らは王朝で初めて獣人の保護に取り組み、精力的にその地位向上に取り組んでいたが、今からおよそ十年前、視察中に滞在した宿の倒壊により命を落とした。

 そこから、国は急速に坂道を転がり落ちていった。

 王家には当時、王位継承権を持つ男女が三十七人いた。その全員があっという間に謀略で命を落とした。残ったのは、前々王の王弟が立てた公爵家と、前王の王女が嫁いだ侯爵家。彼らは現当主の正当な王位継承権を主張して譲らず、王城の周辺で小競り合いを続けていた。

 王位が空のまま、十年弱。

 国は澱んで腐敗し、民は擦り切れ、苦しみ喘いだ。

 もし隣国のどれかに攻め込まれたとしても、さして抵抗もできなかっただろう。辺境の豪族たちの奮闘と、隣国の事情による幸運により、国の形ばかりの命を繋いでいただけだった。


 一年前、ナラカが仲間と共に蜂起したのは、そんな時代だった。

 長い内乱に終止符を打ち、公爵と侯爵の身柄を抑え、彼らの軍の多勢を占めた獣人兵を解放したナラカは英雄となり、――そして王となったのだ。


 その内乱の間に、王国の辺境各地では獣人の人権は回復していた。

 獣人は、獣の特徴のほかに、身体能力の高さも持ち合わせていることが多い。苦しい暮らしの中で、そうした能力を発揮した獣人たちは重宝され、自然と蔑視はなくなった。


 だが、ナラカが王として引き継いだ王城とその周辺では、真逆のことが起こっていた。

 獣人たちは一層蔑まれ、死んでもいい丈夫な兵としてぞんざいに扱われていた。

 人であれば差し伸べられたかもしれない支え合いの手が、獣人だというだけで差し出されず、獣人だからと輪から蹴り出された。獣人たちが生きるために得られるのは、最下層の仕事ばかり。それも、人と比べれば圧倒的に低賃金だ。反抗すれば、多勢に無勢、なぶり殺されることになる。

 劣悪な戦時の暮らしの中で、最低最悪の立場に置かれていたのが獣人たちであり、どれほど善良な人であっても、獣人らへの冷たい視線や粗暴な振る舞いを通して、多少の憂さを晴らしているような状況だった。


 ナラカの即位と同時に、獣人も人と同じと定める人権保護法は発布された。一年を経て、多くの民はそれを表面上は受け入れている。だが、人の心に巣食った闇を光で払うのは、そう簡単なことではない。






「おお、今日も日が昇るなあ」


 先導していたカームが呑気な声をあげた。

 薄暗い場所から出ると、城の中ほどにある広場に出る。すぐに通路は閉ざされ、一見してわからなくなった。

 広場の端は見晴らしがいい。

 ちょうど日が昇り始めたところだった。母なる大河が暁光に煌めいている。

 五百年続いた王朝の、ひたすら巨大な山のような墓城が、ナラカの背後で朝を迎えていた。


 けれどナラカの意識は朝日などにはない。

 思い出すのは今朝のこと。離れ難い気持ちを押し殺し、暗い内に寝台を出た時のことだ。

 反獣人一派の情報を聞き出すための尋問――生死を問わない荒い尋問だが――に立ち会うには、早朝にしか時間を取れなかったのだが。




 砂漠に近いこの城は、夜分は侮れない冷えを感じる。

 まだ夢を見ていそうなクヌドーラの肩を掛布で覆って、そっと指先で頭に触れた。

 艶やかな濃灰色の髪の中に、指に吸い付くような繊細な温もりがある。感情が昂った時にだけよく動く真っ白な兎の垂れ耳は、ナラカの指が撫でたのに驚いたのか、ピクリと身じろぎをした。


「クゥ」


 クヌドーラが、ぬいぐるみの名だと思い込んでいる愛称を囁くように低く呼ぶ。

 起こすつもりはない。

 クヌドーラには、できればずっと、ぬくぬくと夢を見ていてほしい。

 苦しみを背負って王の隣に立つ必要も、政に関わる必要もない。汚いものからは離れて、楽しく心安らかに過ごしていればいい。

 そこに、ナラカが帰ればいいのだ。


 だがナカラが寝台を降り、扉を開けた気配を察知したクヌドーラは、瞼を両手で押し上げるようにして起き出してきた。

 寝起きのクヌドーラは、寝巻きがはだけてあれこれ丸見えになっていることにも気づかない。そのままよろよろと近寄ってきたので、ナラカは開けたところだった部屋の扉を思い切り閉めた。外には既に侍従が立っていたからだ。

 予想よりも大きな音は、自分の未熟な動揺を示しているようで、ばつが悪い。だが、今のクヌドーラは、誰にも見せられない。


「……なんだ」

 なるべく目を向けないようにして問えば、

「なによ」

 と返ってきた。寝ぼけていようが、態度が変わらないことに笑いそうになったが、すぐさま引っ込んだ。

「朝からそれなんだから。すぐ済むことよ。あのね、わたし、表に行ってみたいの」


 ずばりと、そう言われたから。

 奥城にクヌドーラを押し込めて、一年だ。いつ請われてもおかしくないと、想定はしていたのに。

 ナラカの頭は真っ白になった。

 

 頭ごなしに拒絶するのはよくない。

 かといって、許すのか?


 外は今、獣人であればいつどこで襲われるかわからない状況だ。獣人を蔑視するのみならず、純粋なる人族の国を目指すと宣う頭のおかしな連中を根絶やしにするには、まだ時間がかかる。危険だ。許すとして、どうすれば守れる? どうすれば、安全を担保して願いを叶えてやれるのだろう。

 いや、そもそも、許していいのか。送り出せるのか? 決して失いたくない存在を。


 外へ出たいと言われることは想定している。そう思い込んでいただけで、こんな重要な答えすら用意していなかったとは。


「だめだ。理由を言え」


 物言いが高圧的になって、しまったな、とちらりと思う。

 対するクヌドーラが、さして動揺していないのが、ほっとするような、悔しいような。


「理由……というほどのものは別にないんだけど。ちょっと見てみたいものがあって」

「見たいもの? 目の前まで、持って来させればいい」


 それなら、なんの遠慮もいらない。何であろうと、あっという間に奥城に運んでやろう。

 そう思ったが、クヌドーラは不満そうにじっとりした目でナラカを見た。


「それができそうなら、表に出たいなんて言わないよ。わかった。困らせた。……もういいよ、それは」


 よくはないだろう。

 そう言いたかったが、クヌドーラは子兎のように寝台に戻り、掛け布の中に潜り込んでしまった。

 こうなると、ナラカは無力だ。戦場では神の虎のようだと言われる立派な男が、震えてしまう。

 声をかけることなど、恐ろしくてできない。

 こちらを向いて欲しくて肩に触れることも。


 ナラカは暗い目でしばらく膨らんだ布団を見ていたが、結局はぐっと拳を握り、部屋を出てきたのだ。




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