逃げられない
本日分長いので二話に分けました。一話目。
わたしは、ほんとうは孤児じゃない。総勢十七人も兄弟がいる家の下から二番目か三番目の子供だった。
けれど親は子供に関心がなく、日々の生活で手一杯。兄弟は生き残りをかける敵でしかなくて、もしかすると他人同士よりもその争いは苛烈だった。早々に弾き出されたわたしは、物心がつく頃には孤児院でばかり過ごしていたから、みなしごと言っていいと思う。
孤児院にいればご飯と寝床がもらえると教えてくれたのはナラカで。
毎日温もりを分け合って眠ってくれたのも、ナラカだ。
わたしが生き延びたのはナラカのおかげで、わたしに愛情を教えてくれたのもナラカだった。
クヌドーラ、と優しくわたしの名を呼びながら、真っ白な兎のぬいぐるみを渡してくれる少年だったナラカが、わたしのこの世の最初の記憶。
ナラカの真ん中がわたしだとして。
真ん中どころではなく、わたしの全てがナラカだ。
だから、この気持ちが重たいのは当然で。
ナラカがその重さに尻込みしても、仕方ない。
わたしがすり抜けた窓は、ナラカには小さい。
けど、結局は窓枠なんか、あまり障害にはならないと予想してたから、なんとか着地をしたわたしは痺れる足をとにかく動かして窓から離れた。
すぐに、メリメリと不穏な音に続いて、ドシャッと重たいものが背後に落ちた。
落ちたものが、まさかナラカではないだろうと思いながら、一瞬振り返る。その時確かに、窓の真下にできた瓦礫の山に、夕闇に沈みながらも煌めく金の髪と目を見たのに。
次の瞬間には、わたしはなぜか真上を向いていて、視界一杯にナラカの顔があった。
一瞬の内に。
わたしは頭と背を抱え込まれたまま地に倒され、そのまま、ナラカの体の檻に囲われていた。
虎が獲物に跳躍するように、ナラカはわたしをやすやすと捕獲したのだと、遅れて理解する。
異様に苦しげな息が、ナラカから落ちてくる。
わたしの息も上がっている。
体温を感じるほどの距離だけれど、頭と背を支える手以外は触れていない。
ナラカの胸元から垂れ下がった金環と紅玉だけが二人を繋ぎ、わたしの胸にわずかな重みを与えていた。
わかってた。
どう足掻いても、この男からは逃げられない。
わたしが力を抜くと同時に、空は最後の陽光を失い、奥城の庭には穏やかな夜が満ちた。
大きな獣は、まだ息を荒げてわたしを押さえつけているのに、その炯々とした目もまた暗がりに沈んだ。ただ、灼けつく視線だけが、向けられているのを感じる。
「クゥ、何処へ行こうとした」
「別に、考えて、なかった。ただ、側にいたくなくて」
「なぜ」
「だって、わたし、重たいでしょ。ナラカに大事にしてもらってるのに、足りなくて、もっともっとって。わたし、ナラカの助けになりたいのに、結局ナラカには負担になる。ダメなの、わかってる……」
ぐっと、檻が小さくなった。
胸元にかかる飾りの重みが、わずかに増した。
肘をついて伏せているナラカの下に、わたしはきっと、すっぽりと入ってしまっている。
「違う、重たいのは、俺の方だ」
「……?」
「お前には一筋の傷も付けたくない。お前を損なうものは、どんな危険も、人も、灼けつく日差しも外の風だって、許せない。――俺も」
「俺? どうしてナラカが、わたしを傷つけるの?」
その時、ナラカの滑らかな額がわたしのそこにくっ付いて、わたしはナラカの顔を見ることができなくなった。
鼻と鼻が触れ合う。
頭を抱えたナラカの手が、わたしの垂れ耳を、何度か撫でた、気がする。
それともそれは、ナラカの髪が触れたのか、庭の草がくすぐったのか。
「傷つける」
「だ、だから、関係を変えないの? でも、ナラカが誰かを王妃に迎えるなら、わたし、どうしようもないことだってわかってるけど、でも……傷つくよ」
「王妃はいらない」
「王妃は必要だよ、立派な王様には」
「王様と呼ぶな」
悲しそうな声に聞こえた。
ナラカの真ん中には、変わらずにわたしがいる。
それはいつだって、目を凝らさなくてもはっきり視えた。
まるで今の体勢のように、わたしはナラカの中心で守られている。どこよりも安心できる檻の中で。
わたしは、この場所がいつまでもわたしのものであり続けるのか、何があっても揺らがないのか、試したかったのかもしれない。
ずっとずっとわたしを守ってくれたナラカ。
でも王様となったナラカにとって、わたしはただ守っていればいい無害な存在じゃなくなった。ただの幼馴染をいつまでも抱え込んでいたら、きっとナラカにとって大変なことになる。わたしを守ろうとすれば、ナラカが傷つくことになるのだ。
それが、怖かった。
でも、それでも手放さないと、ここまでナラカが言ってくれるなら。
それなら、もういいかな。
一年待って、待つのはもう飽き飽きした。
そして身を引こうとしたのを、そちらが引き留めたんだから。
今度は、押すからね、ナラカ。
「ナラカ」
わたしはそっと自分の顎を持ち上げた。檻の中で、許される限り。
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