19
なんだあれは。
地下深くのはずが、天井に穴が開いて光が差し込んでいる。その光の中に、人がいた。
全身から色素が抜けきった真っ白な少年。身にまとう服──布まで真っ白だった。さながら彫像というべき均整だった。
目くばせ=テツはMk.IVライフルを構える/銃口を向けず/しかしトリガーに指がかかっている。
「こんにちは」
甲高く澄み渡った声/歌でも歌えば人気になれそう=第一印象。
地下坑道はがらんと広く、彼の声がいんいんと響いた。
広い空間の隅に寸分の隙間もない直方体があった=魔導機関。陶器のように光を跳ね返さず/薄暗い中でしかし存在感を失っていない。
彫像のような少年はてくてくと魔導機関に近づく/しかし途中で足を止めて手を掲げた。
途端に、波紋/電撃とも判別がつかないマナのうねりが起きた。瞬時にそれは少年の手を丸焦げにした。
「ふむふむ。魔導障壁か。しかも尋常じゃない強度だね。これって、新型なんだろう。とってもおいしそうだね」
何を言っているんだ。
すると、みるみる少年の手が元通りの彫像のような真っ白い肌に戻っていった。
「あれ、人じゃないです」
「ああ、わかっている」
テツ=銃口を少年に向ける/しかし思案=撃ったところで倒せるのか。
ニシはピタリと、テツの強化外骨格に触れた。
高速詠唱。声なき声を唱えた。
「強化外骨格の魔導障壁を強化しておきました」
「ふうん、どのくらい?」
「原爆程度じゃ死ねません」
「そいつは面白い。ニシさんよぉ、あんたとペアで本当にラッキーだった」
テツ=鷹揚にニヤリと笑った。
彫像のような少年は面白がって魔導機関に手を伸ばそうとする/途端に指先が焼き切れる/回復する。
「おもしろーい」無邪気に「これを解除するのは時間がかかるね。でもできなくはないよ。この魔導機関を奪うだけじゃ面白くないからさ、君と戦って僕が食べてあげるよ。君のマナもおいしそうだから」
怪異じゃない/人じゃない/魔導士じゃない。ただ分かる=人格がある/狂っている。
間合いを詰める=ニシは正面/テツは右側から。
「さて。食べるんだったらその前に代償を払わないとな」
「ふうん、どんな?」
「回復できないくらい削ぎ切りにして、常盤の会長に引き渡す」
高速詠唱。声なき声を唱えた。魔導陣が両腕に幾重にも現れる。
同時=少年が動く/速い。
テツがトリガーを引く/銃弾はかすりもせず床/魔導障壁に当たって弾ける。
魔導陣の消費/消失。身体強化&魔導障壁&召喚:マチェット
超高速で刺突/味方の銃弾を気にせず突貫。
ヒラリ。かわされる/視界がはためくシーツで覆われる/目だけは敵の姿を追いすがる。
少年は空中で向きを変えた/上下反転=カポエラのごとき蹴りを繰り出す。
避ける&避ける&マチェットの刃で防ぐ=肉に食い込んだはずなのに。
それでも勢いを殺せずにニシは後ろに吹き飛ばされた。
銃声=ひと繋がりに聞こえる。全弾が少年に命中=効果なし。うがった穴が途端に閉じていく。
「アハハッ! そっちの普通の人間はおいしそうじゃないのに小賢しいね」
少年=左右にステップ&瞬時にテツと間合いを詰める/銃との戦い方を心得ている。
テツは空の弾倉の交換をあきらめる=すばやく拳銃に持ち替えると、瞬時のうちに弾倉を撃ち尽くす=しかし効果なし。
交錯する瞬間=テツが左腕を突き出した/強化外骨格に仕込まれた杭打機が勃発=少年を穿つ。
「フフ。それだけかい?」
「くそっ、浅い!」
少年=予備動作なしにラリアットを繰り出した。胸に直撃/テツは壁まで弾き飛ばされた。
異様な強さ=硬いんじゃない。異様に回復する速度が速い。マナを根源としているのはわかる/しかし怪異ですら何度も回復するのはあり得ない。
召喚=いつものやつ/詠唱を必要としないほうの。
「──カグツチ! なぜ来ない」
少年=ニコリ。標的をこちらに定めたらしい。
心に届く声/いつもそばにいるはずの声。
──ニシ、そちらに行くことができない。おそらく強力な魔導障壁だ。召喚の繋がりが遮断されている。
魔導障壁=膜につつまれた魔導機関を見やる。さすが新機軸だけあって防御態勢が尋常じゃない。
「カグツチ、すぐ何とかするから、戦う用意を」
──あいわかった。
さらに魔導陣を消費=召喚。水銀色の球体がニシの頭上で旋回を始めた/それぞれが鎌&槍&戦斧へ姿を変えた。
突貫。
マナを帯びた水銀の武器の乱舞=裂く/突く/叩き割る
彫刻のような少年はそれらの動きを読んでいるかのように、華麗にステップ&ジャンプで回避。
隙を見てマチェットで斬撃を繰り出した/しかし刃を手で掴まれた。身体強化の魔導ですら、刃を押し込むことができない。
「君、普通の魔導士とは違うみたいだねぇ。ずいぶんと近いところまで見てきたんじゃない?」
「ぬかせ!」
マチェットから手を放す=瞬時に短刀×2を召喚/手を狙う。しかしいなされて間合いを取られた。
「ハァハァハァ……俺、生きてる?」
テツ=打撃から回復して何とか起き上がった。
「ええ、生きているように見えます」ニシ=敵の手刀をかわしつつ反撃。
「畜生、死んだかと思った」
おそらく追加で付術をしていたおかげ。強化外骨格の既製品の魔導障壁では防げず圧壊していたはず。
テツは流れるような手つきでMk.IVライフルの弾倉を交換/しかし逡巡=目の前で繰り広げられている人間離れした技にかなうのか。
恐怖というものを久しぶりに噛みしめた。
初めて人を撃ったときを思い出す/跳ね上がる心拍数と高揚感=アドレナリンがどくどくと脈打つ血管を流れている。
ニシ=高速詠唱/新たに魔導陣が出現。
重力制御=0G。弾丸のように飛び出した。
彫刻のような少年は、短刀の斬撃をいなしてニヤリと笑った。
「あはは! すごい。速いね」
「すぐ削ぎ切りにしてやる」
返す刃で首筋を狙う/急に上体がそれてかわされる。
次は足技か=動きを読む。
敵の攻撃を回避=ふわりと浮かび上がった/頭上の魔導陣で重力を制御。
神聖召喚/詠唱。
──古の戦場に聞こえしその力、今ここに──
ニシの手の中にひどく不格好な戦鎚が現れた。やたら頭部が大きく人の力では持ち運ぶことはできない/柄は短くずんぐりしている。
神代の武器──ミョルニル。
「あはっ、おもしろそう!」
「その軽口、叩き潰してやる!」
落下──敵の頭部をめがけて。重力制御/落下速度が増大&戦槌の質量も10倍以上になった。
敵の胴体に馬乗りになりながら戦槌を叩きつけた/衝撃で強化コンクリートの床が四方に砕ける/もうもうと粉塵が舞い上がった。
「やったか」=テツ/期待を込めて。
戦槌の下で、明らかに頭部がひしゃげている。神代の武器は単純な威力以上に純粋なマナによる攻撃で命をつかさどる部分に作用するはず────。
衝撃。
天と地が何度か入れ替わった後、再び衝撃/広い空間の壁際まで跳んでいっていた。
蹴飛ばされた──たぶん。
予兆/予備動作──一切なかった。
体/問題ない。魔導障壁を再び展開する。すぐ隣にライフルをわきに構えたテツがいた。
彫像のような少年=圧壊した頭部が逆再生するかのように回復していく。
「おどろいたね。お遊び程度のつもりだったんだけど。僕も本気を出さなくちゃいけないみたいだね」
少年=顔の下部が回復した。その口でニタリと笑った。
「おい、どうする。完全に手詰まりだろ」
テツは焦っているように見えた。瞳孔が開いて歯を食いしばっている。
「大丈夫ですよ、まだ」
小声で耳打ちをした。
「次は、何だ。魔法使いの原爆でも作って見せるか。この施設内なら外への影響は小さい」
「魔導士です。そんなもの作ったこと無いですよ」相対性理論が理解できずに断念した「奴の再生スピードは脅威ですがでも、速度が遅くなっています。マナに頼っているならその貯蔵も無尽蔵じゃないはず」
「ハハッ、こうなりゃ徹底的に戦ってやる。命が惜しいなんて気持ちはとうの昔に捨てたからな」
チラリとテツのほうを見た。死ぬ気で戦う、というのはこういうことを言うのだろうか。
魔導士は、なかなか死ねない。とっさに魔導障壁を展開するからだ。潰瘍の中でもそうだし、たとえ突発的な交通事故でも無傷のまま相手の運転手を殺傷してしまう。
一方の普通の人間は死にやすい。その生と死の感覚を慮ることは不可能だが、テツの闘志は背水の陣だからこそ生まれるようだ。
少年の頭部が回復した=戦闘再開。さて次はどんな一手を打とうか。残っている策はほとんどない。たいていの怪異は、ここまで手を打って勝てないことがなかった。
一刻も早く抑制フィールドの共振器を作らなくてはいけないのに=焦りが思考を遅らせる。
「さて、みんなでお遊びの時──」
少年が言い終わる寸前で1発の銃声が響いた=頭部に銃創を穿つ。不思議そうな笑みを浮かべて、眉間の銃創を撫でまわす/まもなく傷が閉じた。
「何あいつ! 何で死なないの。まさか人間じゃない」
地上へつながるスロープを機械仕掛けの脚力で走り下りてくる姿=薄暗い中で 左右非対称の赤く染めた髪束がパタパタ揺れているのがよく見えた。
「リン! 増援か」
「ええそうよ。あなたたちと連絡が取れないし、入り口は無茶苦茶にこじ開けられてるし」
「地上の様子は?」
「潰瘍はまだ広がってない、大丈夫。でもC型怪異ばかりが浸出してきてる。今のところは膠着状態だけど長くは持たない」
リンはガシャガシャと強化外骨格を揺らし、そしてライフルをピタリと構えた。教本通りのスタンディング・フォーム。
「まーた、おいしくないのが増えた。うーん、そうか。そのおいしくないのも遊びたいのかな」
「おいしくないって、これでも男にはモテモテなんだからね」
ちがう。奴はおそらく文字通りの意味で言ってる。
「気をつけろ。そいつ、すぐに回復する。全力で打撃を与えなければならない」
「そうみたいね」リン=あたりを見渡す。「あれ、センセーは?」
「カグツチは召喚できない。魔導障壁が展開されてる」
顎で示す先=魔導機関に展開する膜/バリア。
「敵に奪われないようにしている、ってこと?」
「隊長、緊急プロトコルだ。入り口のドアも、そのせいでブラストドアまで下りていたんだ」テツ=苦虫を噛んだように。
「魔法のバリアが無くなったら、敵の勝ち?」
「魔導の、だ。カグツチを喚ぶことができたら、力を合わせて勝てる気がする」
リン=跳ねるような軽やかさで踵を返して、壁際のコントロールパネルへ向かった。
「本当に勝てるんでしょうね。信じてるから──ID認証、ILVN10322565」
リンが首から下げていたカードをパネルに押し当てる/表示される“認証中”の文字。
『緊急プロトコルを解除します。全職員は不測の事態に対処してください』
機械音声が流れた。鬱屈していたマナの流れが消えた/強力な魔導障壁が消失。
「あたし、ココの隊長なんだから」
リン=ガッツポーズ。
「──カグツチ!」
叫んだ/同時に仁王立ちの大男が現れた/アロハシャツが翻った/まるでずっとそこにいたかのように。
「今度は、我をきちんと呼んだな。偉いぞ」
「気を付けろ。奴は強い」
「なぁに。我も強い」
「ここで巨大な骸骨になるなよ。奴はすばしっこい」
「わかっておる。ほれ、我の武器を。早く」
「草薙剣でも召喚しようか」
「そんな新しいモノ、使えん」
ならば。
高速詠唱。声なき声を唱えた。
エメラルド色の魔導陣がカグツチの手の内で興った。
「ほう、オンカミミタマイノホコ。やはりこれだ。手になじむ」
内側から仄かに青く光る矛をしげしげと眺めている。
「どーでもいいけどさ。そんなことしたって、僕には勝てないよ」
少年=興味津々といった様子で、カグツチを撫でまわすように見た。
「なあに。ケツの穴から手ぇ突っ込んで奥歯をがたがた言わせてやるわい」
聞き覚えがあった──昨日見た映画のセリフ。
カグツチは矛を構え、しっかりと標的を見定めた。アロハシャツが消し飛び、筋骨隆々な上半身があらわになった。
リンが小声で耳打ちした。
「ねぇ、あの槍っていうか刀? 強いの?」
「矛だよ。古代の武器。有史以前の時代、カグツチが祭られていたときに一緒に奉納されていた神剣。もっともらしくいうとオリハルコン」
「ふうん、あたしはそれでもよくわからないんだけど」
「自称だが、カグツチは神に近い。勝てないわけがない。」
カグツチが叫んだ。
「カッカッ、力が湧いてくるわ。小童、覚悟しろ」
「ふふーん。僕はいつでも大丈夫だよ」
ほんの瞬きの間に両者の間合いが一気に縮まった。
カグツチの振るう青い神剣が、軌跡の残像を残す/彫像のような少年の衣装が翻る。
次の瞬きで、カグツチの姿が消えた/少年のほうは蹴りの残心の姿勢。
3人は目の端で飛んでいったほうを見た=カグツチが強化コンクリートの壁に刺さっていた。
「なっ……センセーが!」
「大丈夫だ。死んでない。もともと生きていないが」
カグツチ=喚送/空気に溶けるようにして消えた。自称・神/現世の理の影響を受けるのでしばらくは召喚できない。
「あーあ、おもしろくない」少年=あくび。「ちょっと趣向を変えよう」
ぞっとするようなマナの流れ/少年の影がもやになり実体を保った。
C型怪異×3。両腕が鎌のように変化していて、まるで命を刈り取ろうという意思の具現化だった。
「くそぅ、ここにきて怪異かよ」
テツ=一番近い敵に照準を合わせる。
「ダイジョーブ。たかがC型」リンはなおも軽快に「だからひとり1体ずつ。あ、ニシはあのボスも合わせて2体ね。地上にワラワラいた怪異もこいつが原因?」
するとにわかに、怪異の背中からもう一本の腕がそれぞれ起立した。こちらはかえしが付いた、サソリの尾のようだった。
「リン、本当にひとり1匹でいいのか」
「あはは。やっぱナシ。あたしたち2人で1体を倒すからさ」
いままで対峙したどの怪異よりも強力な感じ/2対1でも戦力差は埋められていない。
「さっさと本体を倒そう。そうすれば雑魚も消えるさ」
「うへー軽く言っちゃってくれるね。あの新手、銃弾を腕の鎌で弾くの。だからちょっと厄介」
「そうか。それなら付術で銃弾が爆発するようにしようか」
「あーだめだめ。こんな閉所で爆破なんて」
「だが、硬いんだろう」
「貫通させるには、重く、速くが原則だ。劣化ウラン弾なんかがそうだ」
テツが唸った。
「ああ、慣性の法則。なるほどなるほど」
高速詠唱。声なき声を唱えた。両腕に魔導陣が幾重にもなって出現した。
そのうちのひとつを消費=リンとテツのライフルの銃口に六角形の陣が2枚、現れた。
「付術です。銃弾が魔導陣を通過すると、質量が重くなりそして加速します」
「加速って、どのぐらいに」
「適当ですが、10倍程度ならいいですか」
リン&テツ=思わず顔を見合わせた。
「初速が毎秒9kmとか、どこのレールガンよ」
「ハハッ、むしろ光線銃じゃないか。負ける気がしねぇ」
武器の知識はよくわからない/とりあえずめいっぱい重く速くしてみた。
銃声を皮切りに、3匹の怪異が疾走した=鎌/盾で銃弾を防ぐも、魔導障壁&物質の防御も貫徹してダメージを与えた。
ニシ=突貫/一匹目をヒラリと回避=後ろのふたりに任せる。
真正面に2匹目の怪異が迫る。
召喚=魔導陣をひとつ消費する。かえしが付いた銛が空を切る&怪異の盾の隙間を突いて深々と刺さる/銛が破裂/怪異の上半身が消し飛ぶ=しばらく行動不能に。
もう一匹=左側面に迫った。
重力制御=0G。怪異の足を掬った/足が宙を掻く。
途端に四方から鎖付きの銛が飛来=行動不能に。
雑魚に気を配らず/視線はまっすぐ彫像のようにたたずんでいる真っ白い少年へ向けた。
「んー飽きてきたからそろそろ決着をつけてあげる」
「つけるのはこっちだ」
「あはっ、変なことを言うね。食べあげるんだよ。僕が。君を」
おぞましい/気持ちが悪い。
見た目こそ人間/しかし異形。刃を振るうことに躊躇いはなかった。
魔導陣をひとつ消費/召喚=マチェット。これまでのよりも長く厚く重い凶器。
少年=ニタリと笑う。直立したまま動こうとしない。何か策があるのか/関係ない。すでに奴は間合いに入っている。回復させない一撃を食らわせる。
にわかに衝撃。横/腹部。
「えっ!」
見た=何かが刺さっている/黒い影=巨大な刃。記憶がフル回転:武器の図鑑で見たことがある/斬馬刀のような幅広い刃。
気づけば、銛に拘束されていた怪異が消えていた。そして背後=爆砕したはずの怪異も消えていた=刃に変異した?
嫌な感覚=振り返った先で仲間ふたりが倒れていた。
胃に重く冷たいものが落ちた感覚。
「ほーら。だから言ったでしょ。決着をつけてあげるって」
少年=眼前に。空中に半ば浮いていたまま、みぞおちに触れようとしている。
「あはは、すごいおいしそうなマナだ。あれにすごくすごく近づいたんだろう? ね、どんな感じだった。最期に聞かせてよ」
何を言っているんだ。
しかし/すでに王手。奴のほうが一歩先を行っている。
たぶん/腹部に怪我。魔導障壁のおかげで浅い=痛みを感じず。
仲間のふたり=安否不明。
集中しないと助けられない/それ以前に自分の命が危機に。
奴の手が心臓のすぐ近くに届いた=いつか見た死体を思い出す/心臓と脳が無くなっていた。こいつのが犯人?
奴の手が届いている=こちらの手も届くのか。最後の一撃になるかもしれない。
高速詠唱。声なき声を唱えた。
少年の体に触れる/死体のように冷たい=その内側に召喚。金属片が少年の体を突き破って無数に出現した。
ニシはバックステップで距離を取った。
「まったく。こんな無駄なことをして。おとなしく僕に食べられてくれたら、すぐに楽になるんだよ」
少年は痛みを感じるそぶりもなく、腕に刺さっている一本を引き抜いた。途端に業火が現れた。
「マグネシウムの、テルミット反応だ」
「くっ、これは!」
たちまち少年の体が激しい光と火花を放ちながら燃え上がった。目が眩むほどの閃光に包まれている。
「3000℃のマナを帯びた炎だ。いくら体が再生するからといって、これなら暖かくなっただろう」
少年の体はまだ形を保っている。しかし以前のような禍々しいマナを感じない。
「あーあ、今日はこんなものかな。でも次は負けないからね」
少年=炎に包まれながら、自身が空けた天井の穴へ向かった。
「そうだ。僕の名前、教えてあげるね。僕はジン。君はニシだね。おいしそうなニシ。僕も次はもっともーと強くなるから、君ももっと強くなってね。そしておいしく食べてあげる」
狂気/炎のなかでもニタニタ顔のまま。
少年は炎の残像を残して、地上へと姿を消した。
安堵/溜息。緊張のあまり呼吸を忘れていたらしい。
左の腰のあたりがじっとりと湿っている/血=頭がくらくらするぐらいの量だった。だが痛みは感じない。これがアドレナリンというやつか。
「ニシっ! こっちに来て!」
リンの声/よかった。無事らしい。
しかし/リンは大量の血の上でテツの右腕の付け根を抑えていた=肩から先が無くなっていた。
「何か、何か縛るものを!」
召喚。細い糸がテツの肩口に巻き付くと、きつく縛りあげた。
「くそぅ、痛ぇ。かーちゃん、もう少し優しくやってくれよぉ」
「気にしないで。血圧が下がって意識が朦朧としてるだけだから」
リンが早口で告げた。強化外骨格のポーチから止血帯を取り出すと慣れた手つきで切断面に巻き付けていく。みるみる止血帯が血に染まっていった。
「俺は、何をしたら──」
「ニシは共振器を! それが目的でしょ。ここは任せて。救護班には連絡してあるから」
リンのきつい口調=修羅場を潜り抜けてきた軍人のいらえ。しかしリンの動きもぎこちなかった。膝をついたまま、這って動いている。
よく見てみた/薄暗くなっていてよく見えなかったが、左足から先が消えていた。右足も妙に短くなっている。
「待て待て! リン、お前も大怪我しているじゃないか」
「ん、ああ、これ。心配しないで。人工感覚器は閾値を超えると痛覚が自動で遮断されるの。便利でしょ。今はちょっと歩きにくいけど」
「何を言っているんだ?」
「これ、義足なの。ここだけじゃなくて腰から下、全部ね」