幼馴染の結婚
記者として蒸気煙る都会を駆けずり回ること数年。疎遠になっていた幼馴染みから手紙が届いた。日々の出来事を綴った便りの末尾には「来月に結婚します」との報告があった。
お相手は貴族の方だそうで、自分は全く知らない人である。
自分と幼馴染みは同い年だ。三十手前で、周りからも「そろそろ身を固めたらどうだ」などとつつかれる年頃だ。幼馴染みのアンナは女性だから、男の自分より口酸っぱく言われていたのかもしれない。それにしても結婚か。適齢期なのはわかるけれど、アンナがそういうふうに誰かの妻になるのは何だか不思議な感じがした。
アンナの結婚は彼女の父が決めたらしい。貴族との結婚なんて片田舎の庶民からしたら滅多にない話しだ。俺は便箋を取り出し、アンナにお祝いの言葉を書き送ろうと思った。けれどこういう事は直接顔を見て言った方がいいだろう。俺は早速夜行の汽車に飛び乗ったのだった。
地元に着いたのは翌朝である。久しぶりに会ったアンナはいつも通りであった。
パン屋の娘である彼女は箒を持ち、淡々とした手付きで店の前を掃いていた。こちらに気付いたようで、少し目を丸くする。考えてみれば突然の来訪だ。驚かせてしまっただろうか。
俺は開口一番、挨拶を述べた。
「結婚おめでとう」
玉の輿だろ。すごいじゃないか、と囃し立てると、アンナは薄く笑った。
「私、自分は結婚しないか、しても街の片隅で大して名前の上がらない新聞記者みたいな人とするかと思ってた」
「そりゃ随分俺と近い境遇の人だな」
「えぇ。そういう人はこの世にごまんといるでしょう? 私みたいなしがない女は普通そんな人と結婚するのよ」
アンナはどこか遠いところを見るような目で話す。
「その人は売れない記事しか書かないからパンが買えなくて、市でやっと手に入れられるのは小麦とちょっとのバターとかなのよ。でも私はご覧の通り、田舎で窯の番をしているでしょう。それでパンを焼くのだけは得意だから、毎日の糧を作っていくの。逆に言えば、私が出来る事はそんな事だけなのよ。でもそんな二人なら何とか生きていけると思わない?」
「心配しなくても貴族だってパンは食べるよ」
励ますように声を掛ける。彼女がこちらを向く。
昔から変わらない、澄んだ瞳とかち合う。
「アンナ。君は強い人だ。貴族ともきっとやっていける」
「私、自分が強いと思った事はないけれど、そうね。うまくやってみせるわ。じゃないとお父さんの面目が立たないもの」
そう言うと彼女は少し肩をすくめた。チラと店の方を見やる。
「私のお父さんとお母さんね、今喧嘩してるの。お母さんは私の結婚に反対してるから。どこの知らない人の所に嫁がせるなんてって、もうカンカンなのよ」
両親の不和で彼女も落ち着かないのだろう。アンナはちょっとだけ眉根を寄せて苦笑してみせた。