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世界が明日、終わるとして

作者: ヒカワリュー

 八月の中旬。


 一歩建物の外に出たならば、虫の大合唱と太陽のスポットライト。人間を苦しめることこの上ないコンサート会場が一面に広がっている。

 しかし、そんなことは今の僕にとっては関係のないことと言えるだろう。

 何故ならここ最近僕は外に出ることがないから。出ようとすら思わないから。

 冷房が効いていて外の喧騒が何一つ聞こえない部屋でゆっくりと怠惰をむさぼるのさ。


 そんな堕落しきった人間に今、不可解なことが起きている。いや、堕落しきった人間だからこそなのか。

 うっすらと白色の靄のようなものがかかった人型の物体が僕のベットの脇に立っている。いったいどちら様だろうか。

 この部屋は僕専用の一人部屋だから、他の人間がいるわけがないのだが,,,

 もし家族であってもおかしいではないか。母はこんなに靄のかかった人間か? いやはやここは妹か? さりとてそれもおかしいか。妹はこんなに大きくはない。

 朝の起床に程よい快感を味わっていた僕に、突然として現れた来客。その形容しがたいシルエットに、まだ出勤しきっていない脳細胞たちは考えることを放棄している。

 僕が小首をかしげると、靄の存在は声を発する。


「お目覚めですか、気分はどうですか、どこか苦しくはないですか、○○さん」


 おっと、これはいきなりの謎だ。いったいどうして僕の名前をご存じなのか。

 僕のびっくり仰天とした顔には一切の興味を持たず、ただ淡々として作業をこなすようにそのまま言葉を続ける靄。


 「明日…世界が、そう…世界が終わりそうです」


 それを聞いた時、不思議と僕は実感を持った。もちろん世界の終わりなんて経験したことなんてないけど、こう何ていうか「すとんっ」て僕の中にしみ込んだんだ。「あっ終わるんだな」って。

 そんなとてつもないことをまるでいつもの業務だと顔に書いてあるかのように真顔で言い切った靄。

 普通はこんなことを言われたって信じやしない。それこそ天性のお人好しくらいしか信じやしない。

 だけど、なんとなく。そのなんとなくだけど、僕にはこの靄が正しいことを言う存在のような気がしたんだ。

 もちろん僕には相手がどれほどの存在かをはかり知るなんてことはできない。だけれど確信した。この目の前にいる靄は僕が見上げる存在、とっても大きく見える存在なんだ。それこそ僕の命なんて簡単に操れる存在。

 それだけは意図せずして伝わった。

「は、はぁ」と日本人特有の軽い会釈をして返事をする。

 すると靄は僕が頷いたのを見て、満足げに安心するよう、どこか安心するように僕の部屋から出ていった。


 何故だか分からないけれど安堵のような吐息が僕の口から洩れる。靄が居た独特の雰囲気に気圧されてしまっていたのかな、なんてつい思う。いつの間にか背筋は伸びきっていて呼吸も浅かった。

 ベッドの上にある白いクッションたちに倒れ掛かるように寝転ぶ。深く深く呼吸をして落ち着いてみる。僕と似て自堕落な脳細胞もようやく朝礼が終わったようだ。一斉に仕事を開始した。

 周り始める思考と、落ち着いてきた体。

 誰もいなくなった部屋で僕は飲み込むようにポツリと言った。


「終わるんだ、明日で」


 僕は寝転ぶ体を無理やり立たせて壁を見る。

 壁にかかったおしゃれな時計はくねくねの針で午後1時19分を指している。

 まったく見ずらいったらありゃしない。きっとこの時計を選んだ人物は絵画に教養のある人に違いない。つまり僕とは相容れないわけだ。


 さて、時計への文句もそこそこにして、何をしようか。

 なんせ靄が言うには世界は明日で終わるのだという。自堕落に寝て過ごすにはあまりに悲しいではないか。

 ならば、何か最後にやっておくのもいいかもしれない。

 普段からなにかと逃げ腰であまり大胆なことはやってこなかった自分。最後くらいはびしっと決めたいというもの。

 いやはやしかし、こう急に言われては何も思いつかないな。それに明日、というのもなかなかに厄介だ。何時かはわからない。いずれにしてもそう長いことは道半ばに終わってしまうだろう。1日でできる最後のこと。やはりなかなかに難しい。

 やるべきこと、やりたいこと。考えながら着替えをする。まずは外に出るのだ。

 しかしそうだな、世界を救ってみるのもいいかもと一瞬思ったがやめておこう。

 どうやって世界が終わるのかもわからないのに解決策を探すのは不毛でしかない。

 ならばやっぱり,,,よし。

 用意してもらったおしゃれなシャツを袖に通して軽めのカバンを肩にかける。

 ガラガラっと部屋のドアを開けてエレベーターのある所まで長い通路を歩いた。


 外に出てみればこれまた眩しい。

 もう暑いし目がちかちかするし、虫はうるさいし。なんだかとても帰りたくなってきた。

 いや、良くないぞ僕。そうやって逃げるからいけないんだ。

 自分に言い聞かせるようにしぶしぶ駅までの道を歩く。

 

「ガタガタッ」と電車に揺られながら目的地へと思いを馳せる。

 僕が向かっているのはとある人物。つまり人の所だ。誰だって?ふふ、僕の彼女の家さ。

 あれ、僕がさびしい独り身だと思ったかい。残念。

 彼女とは、そうだな。高校のころからの付き合いだからもう6年は経っているのか。

 とてもかわいい子で、何より優しい。僕が逃げ腰の臆病者の甘っちょろいやつだから彼女みたいに蝶よ花よと愛でるように愛してくれるのは僕にとって理想そのものだった。

 彼女もどこか人を甘やかすことに快感があるのか、僕がどろどろに甘えても嫌な顔せずどろどろに甘やかしてくれた。

 共通の友達は僕達のことを天性の運命で結ばれたバカップルとよくはやし立ててくるが全くその通りだと思う。

 そんな利害の一致した僕達もここ最近は会うことが少なかった。自分の部屋から出たくない僕はぐうたらに彼女を呼びつけては自分の部屋でイチャイチャする。そんなくらいだ。

外で会うのは本当に珍しい。昔はよく彼女が一人で暮らしているマンションに行ったものだが今ではもう、地図アプリがなくてはたどり着けない程になってしまった。

 あ、サプライズで行こうと思ったけど、いなかったらどうしよう。今日は日曜日で仕事がないとはいえ家にいるとは限らないからな。


 そんな不安が頭に流れてきたが、一瞬だけ見えた外の景色に僕の心は奪われた。

電車の窓からか微かに見えた人の群れ。

公園で遊んでいる子供。街角でティッシュを配るバイトのにいちゃん。朝っぱらから酒を飲むおっちゃん。

 みんなみんな明日が終わりにしては悲しい行為だと僕は思う。あの靄は僕、それか少しの人間にしか終わりのことを言ってはいないのだろうか。みんな明日が終わりと知ればどうなるのだろうか。

 何なら親切心で彼女の家に着くまで「明日が世界の終わりですよ」なんて叫んでやろうか。

いや、やめよう。変質者の戯言で終わりだ。


 駅に着いた僕はナビが言うがままに数ある階段を下りて目的地へと歩く。

 正直、歩くのもしんどい。距離にしたら部屋から合わせて数百メートル分しかまだ歩いていないのだが、ぐーたらに寝そべっていた僕にはかなりの疲労だ。

 何度も立ち止まろうとする僕の本心に嘘をついて、目的の場所へと向かう。

 少しでも彼女といたいのだ。立ち止まる時間があればキスが二回はできる。そうやって少し下衆な男心で本心を黙らせて、黙々と進む。

 一キロ近く歩いた時、ようやく彼女のマンションが見えてきた。もし今度があったなら、家の場所は駅近であることを条件に入れよう。

 もうこんなに歩くのはこりごりだ。


 彼女の部屋番号は思い出せても肝心の階がわからなかった僕は一階の集合ポストを一つ一つ見て回る。

 一度、おばちゃんに声をかけられたが、引きこもり特有のぼそぼそ声で難を逃れた。


 彼女の家の玄関につくとチャイムを押す。

「はーい」と人のよさそうな返事が聞こえてドアが開いた。

 僕を見て目をぱちくりしている彼女。僕が来るなんて思いもしなかったのだろう。

「来ちゃった」

 そう言ってにやけた顔でべろをちろっと出す僕を見て、彼女は嬉しそうで、でもどこか悲しそうな顔をした。

「入って」と言われるままに彼女の家へとお邪魔する。

 さっきまでとは比べ物にならない涼しさを僕の肌が感じ取る。外の暑さなんかはもうどこかに消えたようだ。

 僕は汗拭き用に手渡されたタオルを使わずにその辺に置きなおして、クーラ―がガンガンに効いた部屋を見回してほっと安心する。

 彼女の部屋だ、と。

 深く呼吸すると香ってくる人が持つ固有の香り。変わらない家具、僕があげたプレゼント。男っ気のない穢れ無き乙女の部屋。

 着いた安心感、それと久々に彼女に会えた喜び。混ざり混ざって顔がにやける。

「大丈夫だったの、一人で」なんて開口一番に聞いてくるもんだから

「きつかった」と顔をへの字にして答えると、彼女はその温かい体に僕をそっと抱きしめてきた。

 やはり彼女は僕のことをわかっている。もう母親並みに僕のことを理解している。

 僕の頭を撫でて聖母のように抱きしめる。

 彼女の温かみが僕の体を温める。じんわりと安らかに、冷たい冷たい冷え切った僕の体を溶かしてゆく。


「……それでどうしてきたの?」


「いや、ただの気まぐれ……」


 彼女は気まぐれと言った僕を訝しむようにじっと見てくる。

 抱擁の態勢から膝枕に移った僕達は彼女の目線が上にある。頭を撫でられながらじっと見つめられている。きっと僕が気まぐれで部屋を出てくる人間ではないとちゃんとわかっているのだ。

 理解し過ぎているのも嘘が通じなくて不便かもしれない。

「きみがほんとのことを言うまでにらむよ」、と言わんばかりにこちらを凝視してくる。そんなにかわいい顔でジト目されたら何かに目覚めるかもしれない。

 まぁ正直に話してみるか……

 僕は話した。ここまでの経緯、靄が世界の終わりを告げたこと、僕はそれを信じていること。


 そしたら彼女は、手を止めた。

 震えるように「その言葉、本当なんだよね」と。

 太ももに乗った頭をうなずかせる。「わかった」と言ってまた僕の頭を撫でてくる。


 ……僕の最後にしては悪くないぞ。うん。

 こうやって好きな人と一緒にいるのが僕の最高だ。これでいい、これで。

 久々の外出に限界を感じた体は休憩を欲した。

 視界が薄くなってゆく。暖かさに包まれて、僕は眠った。



。。。


 ぱちくり。

 目が覚めると、そこは知っている天井。

 動きにくい体を無理やりに少し起こすと壁には奇々怪々な読みにくい時計。

 ベッドのそばには,,,靄ではなくて彼女が。

 きっと寝てしまった僕を運んでくれたんだろう。本当に手間をかける。

 彼女の優しさに感謝の気持ちが込みだしてくる。

 だから、「ありがとう」

 ベッドにもたれかかるようにうっすらと寝ていた彼女に告げる。

 時刻は午前3時。どうやらぼくは十二時間以上寝ていたようだ。今日が世界の最後だというのに、なんとも贅沢な僕。


 すると僕のもぞもぞとした動きにつられたのか、彼女が目を覚ました。

 僕の手を握り笑顔を浮かべる彼女。

 すごくきれいだ。

 無理に起こしていた体を「ボスんっ」と力を抜くようにベッドに寝っ転がって窓の外を見る。

 世界の最後にしては綺麗な夜景。月曜日が始まったのだ。みんなして会社に行くんだろうか。事実を知る僕からすれば哀れにさえ思える。


 ……ん?おっと、彼女の方を見るといつの間にかあの靄がいるではないか。

 相変わらず白い靄がかかって人間か判別できない。

 しかし、いい機会だ。聞いてみよう。


「……あと、どの、くらい………なんです?」


「そうですね、多分一時間もないはずです……」

「……今がまだその時ではないのが不思議なくらい」


「そう、ですか……」


「ばっ」と彼女が僕に抱き着いてくる。それはもう苦しいくらいに。

「おやおや、甘える側が逆では?」なんて軽口をたたいてみるがうずくめていた顔をあげた彼女の目には涙があった。

 そうか、寂しいのか。僕だってそうさ。

 甘えるように僕を離さない君。これじゃあ僕が甘えられない。なんとも変な感じだ。

 でも、暖かい。今度はじんわりなんてものじゃなく、優しい暖かさ。

 うっすらと顔に笑顔を浮かべて彼女を撫でてみる。

 うん、悪くない。世界最後にして人を甘やかす喜びを知ったわけだ。

 僕の胸の上ではずっと彼女がえんえんと泣いている。僕だって泣くのを我慢しているのになんとも卑怯だ。

 まったくまたいつの間にか靄はどこかに行ってしまったじゃないか。これじゃあ貴方は誰ですかなんて聞けないじゃないか。





 ……あぁ、怖くなってきたな。世界が終わるのはもう別にいい。気にしていない。でも彼女と離れるのが悲しいな。その2つは一緒のようでなんか違うんだよな。


 …あぁもう、靄が言っていた時間まで後三十分もないのに後悔が浮かんできた。

 これがしたかっただとか、あれが良かったとか、そんなんじゃない。

 ただ後悔という漠然とした概念があった。

 おまけに悔しいことにこんな時なのにまだ僕の体は眠いようだ。

 彼女が抱き着いてくれた胸の温かさが僕を眠りへと誘っている。おかげで脳たちはもう寝る気満々。

 最後に声をかける「僕はもう寝るけど、僕と君はいつまでも一緒だ」なんて。

 世界最後の日なのだ、これくらいのキザな発言は許してくれるだろう。

 すると彼女が「私もよ」なんて言ってくる。とてもうれしいな、最後の時であっても心は通じているわけだ。

 だけど「だめだよ、君は起きて、世界の最後を見ていてくれ。そして次に会うときにどんな感じだったか教えてくれないと」

 僕がそういうと、彼女は涙をぬぐって今まで力を入れて抱いていた僕を離して「すとんっ」とベッドの脇の椅子に座った。

「おやすみ」

「……うん、おやすみ……」


 最後の会話はこれでいい。

 普通でいい。

 気取らなくて、いつも通りで。


 目を限界まで下にそらす、時計は午前4時一分前。もうすぐ4時だな。

 おぉ、とうとう、世界の崩壊が始まったのかな。

 自分の視界のふちから徐々に徐々に黒く染まっていく、なんだか瞼が落ちてゆくのと似ている気がする。

 地上はもう消えてしまったのかな、まるで宙に浮いている感じがするもの。

 でも、それでも…まだ彼女はそばにいる。温かみを―――優しさを感じるから。



 そうだ、そろそろいいかもしれない。もうだれも僕以外いないだろうから、みんな消えてしまっただろうから。


 僕はぽろぽろと涙を流す。

 会いに行けなくてごめん。結婚してやれなくてごめん。君がウエディングドレスを着たいと言っていたのを知っている。だからごめん。

 こんなどうしようもない僕を愛してくれてありがとう。君と出会えたこと、僕はこの身が滅んでも忘れない。



 こぼれる涙に乗せるのは、彼女への謝罪、感謝。

 あふれ出る走馬灯は、世界の崩壊に基づき次々に消えていった。


 やがて涙も止まる。

 消失していってしまう思いの中でただ一つ、傍らの優しさだけは最後まで残っていた。

 黒と同化してゆく意識の中でポツリと、独り言が反響する。


「僕は、最後まで、つらい現実から逃げれたのかな」


 やがて、黒さえも。

 無くなった。


 



















 世界は終わったのか、それとも,,,

 あなたの想像で考えてみてください。

 どちらの結末が、より悲しくないですか。

 どちらの方が幸せですか。

 あなたは、つらい現実を、逃げずにちゃんと受けとめられますか?


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