はじまる前の話
「どうしてお前がここに居るんだ!」
驚愕に目を見開き、怯えるように叫んだ青年は、私がよく知る人だった。
「どうしてと言われましても………ここは私の実家ですもの。おかしなことを言われるのですね。それより、殿下がここに居らっしゃることのほうが不思議でなりませんわ。それに――――」
私は、殿下の後ろで青白い顔で震えている少女を見つめた。
彼女の肩がビクリと上がる。
殿下が彼女をかばう様に私を睨みつけた。
「私の妹とはどういうご関係ですか?大変親密なようですけど」
妹は―――ジュリアは、私の2つ下の妹で、その綺麗な金髪や整った容姿から社交界では目立つ存在だった。私の妹とは正式には公表されていないけど、暗黙の了解にはなっていたはずなのだけど……。
「お前の、妹だと?!お前は公爵家の人間だろ」
「ええ…今は。私の母の弟夫婦には子がおりませんでしたので、私が養子になったのです。幸い、私には兄妹がいましたので」
私が公爵家の養女なのは誰もが知っている事実でしたのに…これも殿下はご存じなかったのですね。仮にも王族の者がこんなにも社交に精通していないとは、大丈夫なのかしら。
どうしてもこれから先の国のことを考えると頭が痛くなる。
「それは、今はどうでもいいですわね。―――殿下、妹とここで何をしてらしたのか説明していただけますよね。未婚の女性の―――それも寝室に殿方が入るなんてよっぽどの理由があったのでしょうね。でも、殿下が一人で入っていくなんて、ふさわしい行動ではありませんわ。それを許してしまったメイドや妹にも非はありますが」
私が視線を向けるとジュリアは顔を俯かせた。
控えていたメイドも恐怖からか震えている。勿論、彼女には後で通達が来ることだろう。
殿下の睨みが強くなる。
全く怖くないのですけどね。
「さあ、私が納得できる説明をしてくださいませ。理由と内容にとっては穏便に済ませることもやぶさかではありませんわ」
「私を脅すつもりか」
「脅す?私は事態を穏便に終わらせられると言ってのですわ。脅すなんて」
クスリと微笑む。
殿下は怯んだのか勢いが弱まる。
「さあ、早くしてくださいな。あまり時間がありませんの。でないと―――――――残念ですわ。もう、遅かったようですわ」
――トントンッ
ドアが軽くノックされ、ジュリアが声を掛ける前に開かれた。
この事態が最悪の形で終息することを悟らざるを得なかった。
「失礼するよ、ジュリア。ここにティアナが来ていると聞いてね。おや?どうしてここにレオルド殿下がいらっしゃるんですか?いや、ここに殿下がいるわけはない、そうだろう、ティアナ」
「……お兄様、そういう意地の悪い聞き方はしないでくださいな」
ああ、お兄様はどうしてこうタイミングがいつもいいのかしら。―――私、監視されてないわよね。
「でもティアナ。僕にはこの状況を確認する義務があるんだ。次期伯爵としてね」
その笑みを向けられたわけではない私でも竦み上がりそうになる。
だって、目が笑ってないのですもの。
「お、お兄様………」
今まで黙っていたジュリアが前に出てきた。
その儚げな雰囲気は、普通の男であったなら、絆されていたかもしれない。
だけど、目の前の男にはそれは効かない。
「ジュリア、君には失望したよ。まあ、最初から期待もしてなかったんだけどね」
「お、お兄様、違うの!これはね………」
「ジュリア、君の声は耳障りだ。黙っていろ」
ゴミでも見るような目でお兄様はジュリアを見た。
「ティアナ、この状況は僕が考えていることと同じだと思っていいのかな」
正反対な優し気な問いかけ。私は諦め息を小さく吐き出した。
「はい、お兄様。私もこの目で見ました」
「そうかい。ならば仕方がないね」
お兄様が再びジュリアに向き直る。
「ジュリア、僕の権限を持って君を伯爵家から除名処分とする。といっても、君に平民としての生活ができるとは思っていないよ。だから君の生活の場は提供してあげよう」
お兄様の言葉にジュリアの目に僅かな光が差し込む。
でもね、ジュリア。お兄様はそんなにお優しい方ではないのよ。
「国の外れにあるクエスタ修道院はとても素晴らしい場所だと僕の耳にも届いている。そこで君が生活できるよう手配しておこう」
笑顔で告げるお兄様に対してジュリアの目からは完全に光が消え去り、水が滴り落ちている。
「貴様、それでも兄か!!」
殿下の叫びはもっともだ。
この国でクエスタ修道院を知らないものなどいない。
国の最北端、いつも雪で覆われた地にあるそこはもっとも戒律の厳しいことで有名なのだ。神の御言葉が絶対のその場所ではまともな神経のままでは生き残れないとさえ言われている。
「僕はこのまま野垂死にするかもしれない妹に生きるための場所を与えようとしている優しい兄だよ。だろ、ジュリア」
「……………は、い」
ジュリアは頷いた。
もう、私にはどうすることもできないし、かばってあげる気も起らない。
冷たいかもしれないが自分が招いたことだ。
「そうだ、殿下。このたびの不貞は不問にできませんのでティアナとの婚約はなかったことにさせてもらいます。公爵様には僕の方から話しておきますのでご心配はいりませんよ」
お兄様の微笑みに殿下の怒りも凍る。
私は他人事のようにその場を見ていた。
「さあ、ティアナ。久しぶりの我が家なんだ。こんな所ではなく僕の部屋でゆっくりしよう」
「………はい、お兄様」
私は差し伸べられた手を掴み歩き出した。
後ろから声を掛けられた気もするけれど私はもう振り向きはしなかった。