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第四十四話 操りし者⑤

「流石に文化会館の備品をこれ以上壊すわけには行かないからな。

 絵画資料なんか、一生かかっても弁償できっこないし。」


 先生の冗談を誰も笑いはしなかった。

 緊張したまま私達は先生の後について、文化会館裏手の広い公園にやってきた。


 早い時間だからか、まだ暑くないのが幸いね。

 それに平日だから、人気もあまりないし。

 遠くに見えるあれは……お散歩かな? 

 ベビーカーを押した若いお母さんがいる。


 先生はゆっくりと、なるべく開けた公園の中央へと進む。

 天野さんは目の前の先生の背中に声をかけた。


「本当に……影沼君は来るの?」


 先生は前を向いたまま、静かに答える。


「ああ。とっくに俺達を見ている。近いよ。」


「影沼君を……どうするの?」


「あいつの存在を消さなければ、熱を出した生徒は助からない。」


「そう……彼は私を、恨んでいないのかしら。」


「なぜそう思う?」


「きっと彼は……私に言われて死んだから。」


「どういうことだ?」


「ある日……『私のために死ねるの?』って聞いたことがあるの。

 そうしたら。」


「例えそんな言葉で死んだとしても、それは影沼自身の判断だ。

 死んでまであんたを好きでいる。

 それが事実だ。」


「今も……本気だったのね。」


「なんで影沼にそんなことを聞いたんだ?」


「……なんでかしらね。」


 天野さんはそれ以上先生には答えずに、隣を進む辻替さんに、伏し目がちに声をかけた。


「あなたは、私が内定取り消したって、恨んでいるんでしょう?」


 辻替さんは動かない首の代わりに上半身を天野さんに向け、意外に感じちゃったけど、静かに微笑んだ。


『ええ、最初は。

 どう恨みを晴らそうか、それだけで僕は生きようとしていた。

 その一念で、こんな幽体離脱までできるようになって。

 でも、また自由を掴めたら、考えが変わりました。』


 天野さんは驚いたように顔を上げた。


「変ったって、今は……どうなの?」


『天野先生を恨むのは筋違いだって、すぐわかりましたから。

 それより僕が確かに生きていた証を残したいと思ったんです。』


「生きていた、証?」


『ちょっと大げさな物言いでしたね。

 ただ僕は、影沼を止められるのは僕しかいないって思った。

 だって僕しか影沼のしてること、誰も知らなかったんだから。』


 自分にしかできないって、「使命感」なのかな。

 きっとまっすぐな人なんだ、辻替さんって。

 先を歩いていた先生は顔だけ少し振り向くと、辻替さんに尋ねた。


「でもその霊体でよくあの影沼と戦ってきたね。

 幽体離脱って、そんなに自由は効かないものだよ。

 君の場合、本体の症状に影響を受けてるはずだろう?」


 辻替さんは目を大きく開いて、小さく笑った。


『よくご存知ですね。

 そう、急な容体の変化で突然引き戻されちゃうんですよね。

 だから影沼を追い詰めても、今まで肝心なとこで。』


「それにしてもよく影沼を止めようって思えたね。

 あいつのこと、憎くないのか?」


『それも最初は。

 でもあいつ、僕を突き落とした時も、今も、怯えてるだけなんですよ。

 怯えて話を全然聞いてくれないから、力づくでって……。』


「ああ。今朝も窮鼠、猫を噛むって感じだったな。」


『あいつ、人に取り憑くのを止めればいいだけなのに。

 自分で自分の首を絞めるようなこと、繰り返しちゃって。』


 辻替さん、なんだか大人だな。

 お兄さんがいたら、こんな感じかな?

 私も尋ねてみた。


『今日は、本体のお加減いいんですか?』


『ん? ……ああ、そうだね。』


 辻替さんは静かに笑った。


『凄いですね。

 自分がこんな目に遭ったのに、誰も恨んでいないなんて。

 それよりむしろ、前向きで。』


 素敵だなって言おうとして、恥ずかしくなってやめてしまった。

 そんな私の目を辻替さんはまっすぐ見つめてきた。


『後代さん。

 人を恨んで時間を無駄にするより、

 誰かのために何かしたいって思わない?』


『思います! 私、だからいつも楽しいです!!』


『後代さんは、いいな。』


 そう言って辻替さんは、また優しく笑ってくれた。

 あれ?……やだ私。

 先生以外の男の人に、ちょっと魅かれちゃってるw


「誰かのために何か……か。」


 ぼそっと天野さんが呟いた、その時だ!


「来る! まっすぐ俺だ!! 皆、離れろッ!!」


 次の瞬間、いきなり先生の腹部に影沼さんの右腕だけが……突き刺さっていたッ!!


『先生ッ!!』「雨守クンッ!!」


 前屈みに膝をついた先生の口から、ドバッと血が!

 先生は影沼さんの腕に手を当てている。


 まさか?


 先生はいきなりあの『闇』を発動させている?!

 そんなことしたら、先生まで!


『ギイイヤアアアアアアッ!!』


 悲鳴を上げたのは影沼さんだっ!

 私達のすぐ目の前に、影沼さんは姿を現した。


 肘から先のない右腕を、真っ赤な目で見つめて叫んでいる。

 先生のおなかに突き刺さっていた腕を慌てて戻そうとしている。


 その右腕は真ん中あたりから霧のようにシュッと消えていった。

 先生の掌にあったビー玉……いえ、もっと小さな『闇』も

 同時にスッと消えた。


「大丈夫ッ?! 雨守クンッ!!」


 渡瀬さんが後ろから先生を支える。


「……凄く小さく一瞬だけ、出した。

 どうだ影沼め、怖いだろ?

 ビビッて右腕、もう出す気が失せてるじゃないか。」


「何を強がり言ってるのよ?!

 雨守クン、身体が熱いわ? いきなり熱が!!」


 渡瀬さんが悲鳴を上げた。

 そんなにすぐわざわいが現れるなんて!

 先生、さっき血を吐いてたわ!!


「ひっ! ゆ……縁ちゃんッ?!」


 恐怖に悲鳴したような渡瀬さんの声が聞こえたけど、私は無我夢中だった。


 先生の内臓は……良かった!

 どこも潰されても、『闇』に持っていかれてもいないけど、

 数か所裂傷……出血が!

 でもこれなら私の手で……うん、血は止められた!!

 このまま押さえていれば。


 でも、今襲われたら、私達みんな!


『影沼ッ!!』


 辻替さんが残像だけ残して飛び掛かる!

 でも、影沼さんの振り回した左腕に弾き飛ばされてしまった。


 え? 

 影沼さんを追い詰めるほどだったんじゃ、なかったんですか?

 違う! 影沼さんのパワーが上がってるんだ!


 苦しそうに呻きながら辻替さんは起き上がると、また信じられない速さで飛び掛かっていく。

 あ、でもまた……。

 何度も弾き飛ばされ、それでも痛々しいまでに辻替さんは挑んでいく。


 だけど辻替さんの言ったとおりだ!

 影沼さんは、辻替さんを怖がっているんだ!

 怯えて手を振り回しているだけだわ!!


 それなら必ず隙ができる!

 私も、私も! 辻替さんのように!!


 その時、倒れた辻替さんを蹴り飛ばした影沼さんの左腕がシュンッと、見えなくなった。


 どこかに腕を飛ばしたんだ!

 いけない!

 きっとなんの力もない渡瀬さんを狙うつもりだわ!


 でも、全然予想もしていなかったモノに、影沼さんは左腕を憑依させていた。

 それが私達の目の前に再び現れた時、私達は凍りついた。


「私の子どもッ、返してーッ!!」


 声のした方向に目をやると、そこには倒れたベビーカーに躓いて、転んだまま叫んでいるあの若いお母さんの姿が。


 影沼さんの腕は、ぐったりした赤ん坊に重ねられ、高々と空中二十メートル以上もの高さに登っていく!!


 あんな高さから落とそうというの?

 いえ、それ以前にその子に部分憑依なんてしたら!

 その子の命が!!


 我を忘れて影沼さんに襲いかかろうとした寸前!


「もうやめてッ! 影沼君ッ!!」


 天野さんが両手を広げ、影沼さんと私達の間に割って入った。


「あなたが本気だったことがようやくわかったわ!

 私のこと、愛してくれていたんでしょう?

 だったらお願い!

 もう他の人を巻き込まないで!!」


 天野さんを見つめた赤い目を大きく開き、呆然としたように立ち尽くした影沼さんは静かに……やがて激しく首を振った。


『ゥ……ゥ……ゴ、ア、アアア、アアアアアアッ!』


 叫び声の直後、影沼さんの体は激しく震えた。

 じ、地面まで揺れている!

 きっと天野さんが好きな自分と、天野さんを恨む怨念が戦ってるんだ。

 だけど!


『だめッ!』


 赤ん坊に重ねられた左腕が、真っ逆さまに堕ちてきた!!


 一瞬、私の目の前に大きく広がったように見えたのは辻替さんの背中だった。

 辻替さんは赤ん坊をその体で包み込むように抱きとめ、そのまま体を芝生の上に滑らせた。


 赤ん坊をそっと地面におろした辻替さんが起き上がった時、その胸に影沼さんの左腕が!


『ぁ…雨守さんッ。

 僕ごと、さっきのあの、凄いのでこの腕を……。』


 辻替さんはよろっと、そのまま棒立ちになった。


『早くッ! でないと影沼は、じきに僕を操りだす!!

 僕が、まだ、この腕に抵抗できているうちに、早くッ!』


「いや! 影沼の、本体をやらなければ……。」


 先生は渡瀬さんに支えられながら立ち上がっていた。

 でも朦朧としているのか頭を何度も振っている。

 それでもなんとか両方の掌を、激しく体を振り回し続ける影沼さんに向けようとしている。


 どうしたらいい?

 影沼さんの動きを止めなければ!!


 突然、天野さんは影沼さんに向かって叫んだ。


「影沼ッ!!

 勝手に死んでおいて今更なによ!

 頼みもしないのに私を恨むような幽霊達を生み出して!

 こっちはいい迷惑よッ!!」


 え? 今、影沼さんを傷つけるようなこと言ってどうするんですか?

 天野さんしか、影沼さんを大人しくさせることはできないのに!

 そんなことしたら、影沼さんは一気に悪霊化してしまう!!


 でも天野さんは酷い言葉を影沼さんに浴びせ続ける。

 

「私のこと、ずっとつきまとっていたんでしょう?

 いやらしい!

 気持ち悪いったらないわ!!

 あなたなんて最低よ!!

 消えてしまえばいいんだわッ!!」


『ァ……ァ……。』


 影沼さんはふっと動きを止めた。

 ゆらゆらっと左右に体を揺らし、ぶらっと先のない両腕を下げると、悲し気な目を天野さんに向けた。

 でも!


『ォ……ゴ…アアアアアアアアアアアアッ!!』


『いけないッ!!』


 私は思わず飛び出していた。

 天野さんはこれを狙っていたんだ!

 自分を襲わせることで、影沼さんに隙を作ろうと……。


 私は思い切り天野さんを突きとばした。

 次の瞬間、八つに分かれ、ビュッと伸びてきた影沼さんの頭が、私の頭上に!


 ガチンッ!!


 ……上半身を失った私の足が、バランスを失って倒れていく。


 影沼さんの頭がシュルっと一つに戻り、まるでもう邪魔者はいなくなったと安心したようにニヤッと笑った、その時。


 先生は極、小さな『闇』を、まるで弾丸のように影沼さんに撃ち込んだ!!


 ズンッ!!


 鈍い音に「何が起きたのかわからない」というように、影沼さんは一度、自分のお腹を見る。

 すると、造形を崩しながら体の真ん中に向かって縮小されていくように、影沼さんの体は一気に消滅していった。


 あっけないまでに、あっさりと、消えてしまった。


 呆然として天野さんは立ち尽くした。


 辻替さんは胸に重なっていた影沼さんの左腕が、すーっと消えた時、ガクッと膝をついて、弱弱しいけど微笑みを私に向けてくれた。


 元気に泣き出した赤ん坊をそっと抱き上げた渡瀬さんは、その場に涙いっぱいになって駆けてきた若いお母さんに、その子を預けた。


 ……そして、影沼さんが立っていた場所には、十円玉くらいの小さな『闇』だけが中空で銀河系のように回転し、やがて、それもゆっくり消えていった。


 あれ?

 私、上半身かじられたのにどうしてあの後の光景を全部見ているの?

 いつの間にか先生の隣にいるし。


 はっと気がついて自分の体を見る!


 下半身が、ない!!

 両腕が、ないッ!!


 やだ!

 スカートめくれあがって下半身だけがすぐそこに倒れてるよッ!!

 ぱんつぱんつッ!!


「まさか、縁がいきなり自分の体をパーツ分けするとはな。」


 静かな先生の声にびっくりして顔を上げると、先生のお腹から、私の両腕がすーっと消えていくところだった。

 同時に私の身体に、両腕と下半身が現れてきて……。


 うわ!

 私、無意識のうちに腕や体を分けていたのッ?!


「最初、いきなり縁ちゃんの目がなくなって穴凹だけになった時は、

 怖くなって変な声出しちゃって、ごめんね。

 腕までなくなって、うん、マジで怖かった。」


 渡瀬さんが顔をひきつらせたまま私を見る。


 ひえええッ!

 そんなグロイ姿になっちゃってたの?

 それでくまなく先生の体の中、見えていたんだわッ!!


 と、先生がその場にまた倒れた!


『先生ッ!』


 仰向けになった先生の頭を渡瀬さんが膝枕する。


「熱が、さっきより下がってるわ。」


 ほっとした渡瀬さんに頷き、先生の顔を私は覗き込む。

 先生は小さな声で答えてくれた。


「また縁に助けられちゃったな。

 それより縁、辻替君にお礼を……。

 彼のお陰だ。

 もう時間が、ないはずだ。」


『え?』


 時間がないって……あ! そうか。

 帰らなきゃいけないものね。


 慌てて辻替さんの元に行く。

 辻替さんは優しい笑顔を私に向けて、疲れたように立っていた。


『辻替さん、ありがとうございました。』


『いや。君こそ、よく頑張ったね。後代さん。』


『いえ。私、何度も向かっていく辻替さんの姿に、自分も頑張らなきゃって。』


『そう。そんなふうに言ってもらえるなんて、嬉しいよ。』


 辻替さんは手を伸ばすと、私の手に重ねた。

 わ!

 先生と、ちょっと違うけど、優しい波が私の中に穏やかに広がった。

 恥ずかしいっていうか、照れちゃうな。


『ありがとう、後代さん。

 今の言葉で僕の人生は、これで良かったんだって思える。

 自信をもってそう言えるよ。』


『そんな。大げさな。』


『さよなら。』


『さよならって、また会えますよね?』


 でも、辻替さんは答えない。

 最初から少し透けて見えていた辻替さんが、綺麗な光に包まれて、私に微笑んだまま消えていく。


『え? 辻替さん? 辻替さん!!』


 魂が体に帰っていくんじゃない!

 それだけはわかる!

 だって私、一度しようと思ってやめてるんだもの!

 これって、成仏だよッ!!


 重ねていたはずの辻替さんの手は、もう、なくなっていた。

 先生は、仰向けになって空を見上げたまま、静かに教えてくれた。


「幽体離脱した霊魂が、こんなに長い時間本体から離れていられたのは

 本体の容体に変化がなくなったからだ。」


『それって……。』


「心臓が動かなくなったからだ。

 きっと今しがた、脳死したのかな。

 辻替君は、最後の最後まで精一杯、生きていたんだ。

 誰かのために、何かしたいって。」


『そんな。』


 私は、初めて。


人目も憚らず、大きな声で泣いてしまった。

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