第五十六話 巣食いし者⑩
前段:霊の男
中段:縁ちゃん
後段:雨守 各視点です。
ここは……一体どこだ?
うわっ! なんだ?
いきなり突き飛ばされたような衝撃が走ったが……。
いや、本当に押し出されてしまったのか!
振り向くと寝台の上には俺が今まで憑依していた男が、呻きながら目を開けようとしている。
それでか……。
「先生、岩沼さんの意識が戻りました!」
「い……いわぬま? 私が……?」
「岩沼さん! ここがどこか、わかりますか?」
「びょ……病院……どうして……私が?」
病院だと?
ここが?
見たこともない機械ばかりだ。
こんなものに繋がれて、これが病院なのか?
では、今部屋に駆け込んできたのは医者、ということだな?
こいつの体を使って逃げよう。
魂を殺したって構わない。
今までの男はもう役に立たないのだからな。
こいつの後ろに回って乗り移……なんだ?
俺の後ろに誰かいる!
俺の襟首を掴んでいるッ!!
幽霊の俺を掴む? そんなことができる奴がいるのか?!
突然、体を振り回された感覚を覚え、周りの光景が一気に流れた。
なんだ? 今度は……ここはさっきの部屋の外だな?!
待合なのか?
長椅子が並んだ広い部屋だ……そこに大勢の亡者がふらふらと彷徨っている!!
目の前の長椅子に、ただ一人座っているのは……あの美術科の男、雨守!!
『き、貴様……俺に何をした?』
「対面できるのを待っていたよ。
あのまま岩沼の中にいられたんじゃ、俺には手出しできないからな。
だから、お前が知らないこの病院に連れてきた。
好き勝手には、できないぜ?」
こいつから感じる霊波はなんだ?
……ふ、震えが止まらない。
逃げたくとも、掴まれた襟首を高く掲げられ身動きが取れない!
『こやつ、
お主が「闇」に葬るか?
それとも儂が「斬る」か?』
今のは俺の首を掴んでいるもう一人の男の声だ!
お、恐ろしく低い声に振り向こうとするが全く動けない!
「いえ。
こいつは立花先生を、さらに二人の人間を自らの手にかけて殺した。
それにその昔、大勢の子を戦場に送ることにも加担した。
それ相応の地獄を味わってもらいましょう。」
な、何を言ってるんだ? こいつらは!!
な、なんだ? 周りの亡者達が、寄って来たぞ!!
『人を殺した?』
『その人達だって、生きていたかっただろうに。』
『私の兄もお国のためと教えられ、帰ってこなかった。』
『こんな男、地獄に落ちて当然でしょう?』
やめろ!
来るな!
そんなに顔を近づけるな!
お前らには関係ないだろうが!!
な、なんだお前? 一人の爺が、呆然としたように俺を見つめている。
『立花先生を殺したのは、あんたかね?』
なに? 立花を知っているだと?!
『儂は後からあの先生は間違っていなかった、
立派だったと気づいたが……。
そうか、いつも偉そうにしていた、あんたが!』
やめろ! そんな恨めしそうな目で睨むな!!
『俺だけじゃないッ! 立花を殺したのは俺だけじゃ……。』
『もう一人の男は今も地獄におるわ。
あと二千年もすれば、畜生にでも生まれ変われるやも知れぬがのう。』
まただ!
後ろの男が俺の首を捩じ上げる!!
『じゃ、じゃあ俺も地獄に?』
「だが同じとは限らんぜ?」
『儂はこやつを「輪廻の輪」には投げぬが、それでよいな?』
「ええ。」
雨守と背後の男が勝手に話を進めている!
『俺を、どうしようというんだ?!』
『うぬは何にも生まれ変わることもなく、
無間地獄で苦しみ続けるが良い。
未来永劫な。』
「簡単に『無』になど、堕とすかよ?」
背筋が凍るような笑いを、雨守は俺に向けた。
はっと気がつくと、雨守の姿はもうそこにはなく、
俺の周りはただ漆黒の闇が……いや違う! まっすぐ俺は堕ちていく!!
足元には果てしなく広がる炎の海が!
『こ、これがッ 地獄の業……火……ッ
縁*********************************
結局、高野先生のクラスの小原さんは、補習をサボって帰ってしまっていたらしい。
『困った子ですね!
でも色々無事済んで良かったかな♪』
あたりはすっかり暗くなっていて、美術準備室に私達は集まっていた。
あの後、駐車場の方で大きな音がして、学校に残っていた先生や生徒達で騒然となっていた。
何が起きたのか、私はすぐに分かったけど。
先生に呼ばれたという真ん中の一番大きな幻宗さんを囲むようにしてチャラ男と、チャラ男のジャージを借りた高野先生だけでなく、立花先生も目を丸くして見上げてる。
立花先生は、あの男が岩沼先生と一緒に失神したとき、急に気持ちが軽くなり、気がついたら水も滴れせていないし図書館以外にも自由に動けるようになっていたんだって。
でもずっとあの男の気配だけは感じていたから、心配して来てくれたの。
チャラ男は私がプールの水と一体化した時に、私に入っちゃったから(なんかヤな表現だけどッ)今も私達、霊の姿が見えるようになっちゃってるみたい。
「でもマジで酷いよ。雨守先生、嘘ついてたんじゃん。」
チャラ男はふてくされたように口を曲げた。
『嘘?』
「幽霊、信じてないって俺に言ったんだぜ?」
『怒ってます?』
「怒っちゃいないけど、普通にびっくりしてるよ。
こんなにいてさ!
だいたい縁ちゃんだって幽霊なのに怖くないじゃん?」
そう言ってへらへらっと笑ったチャラ男を、立花先生が横目で睨む。
『あなたも教師なら、まずは言葉遣いに気をつけなさい?』
「うわ、前言撤回。おっかね。」
肩をすくめるチャラ男に苦笑しつつ、高野先生は幻宗さんに尋ねた。
「それで、岩沼先生は……岩沼先生に取り憑いていた人は?」
ぎょろりと大きな目を向けて、幻宗さんは答えた。
『岩沼という男は、記憶が少々抜け落ちているようだがな。
とり憑いていた男は、もう心配いらぬ。
あやつを偲び、名を呼ぶ者が生者におればせめてもの慰めであろうが、
それはないわ。』
『そう言えば、なんて人だったんですか?』
あ、どうでもいいこと聞いちゃったかな。言ってから肩をすくめた私に立花先生は穏やかに微笑んだ。
『忘れたわ……本当に。
不思議ね、恨みが晴れたからかしらね。』
幻宗さんは穏やかな目を立花先生に向けた。
『立花殿が望まれれば、成仏することもできるが?』
すると立花先生は姿勢を正し、まっすぐ幻宗さんを見つめ返した。
『私も人を殺しました。
覚悟はできております。
地獄に……堕ちるのでしょうね。』
え? そんなのって、あんまり……。
「あの、立花先生!」
高野先生の思いつめたような声が響いた。
「私に、まだいろいろ教えていただけませんか?
是非、お願いいたします!」
立花先生は驚いたように高野先生を見つめた。幻宗さんは目をつぶって、まるで独り言のように言う。
『閻魔帖には生前の行いしか記されぬと聞いておる……。
悪しき霊どもを滅するのは、儂らの役目ぞ。
案ずるな、立花殿。
思いのままにされるがよい。』
お髭で見えないけど、口元はきっと笑ってますよね? 立花先生の目は、潤んでいた。
『高野先生?
私は、きっと、うるさいわよ?
それでもいいの?』
「はい! よろしくお願いします!」
ああ、良かった!
「あ~、あの~。幻宗さん、でしたっけ?」
ほっとしたところに、チャラ男が頭をかきながら口を挟んだ。幻宗さんは片目だけ開けて、またぎょろりとその目を向けた。
「俺はずっとこのまま幽霊さん達、見えちゃうんすかね?」
『うぬは別に後代に憑依されたわけではないからのう。
確かに見えるようになったのは後代が触れたからであろうが、
今まだ見えておるのは、うぬの意思じゃが?』
えっ! そうだったんですかッ?
「へ? じゃあ、見ないでおこうと思えばいいだけなの?」
『もう、見たくないですか?』
わざと横目で睨むようにしたら、また笑って答えた。
「どーかな。縁ちゃん、かわいいしな。ま~だいいかもw」
『女子生徒相手になんというふしだらな!』
「そうですよ? 若松先生!」
『私、雨守先生しか眼中にないです!』
「うっへえ~、皆してたまんないね、こりゃ!
やっぱ見えなくてもいいかぁ。」
その時、プールの奥、体育研究室の方からなにやら情けない悲鳴が。
「あ!
我門先生、気がついたかな?
相変わらずビビりでやんの。
そうだ、もう一つ、幻宗さん!
我門先生がその男に取り憑かれてた時の記憶って、あるんすか?」
『ないが?』
「そっか、良かった♪
じゃあ、幻宗さん、
もしまだ俺にその気があったら、いつかまたお目にかかりましょう!」
そういっ言ってチャラ男は美術室へ回って外へと出て行った。
『あやつ、面白い男じゃ。』
目を細めた幻宗さんに、高野先生はジャージの袖をゆっくりと撫でながら笑った。
「呆れちゃいますけどね。」
『幻宗さん、もうお帰りになるんですか?』
『儂は雨守が頼ってくれたことが嬉しくてのう!
あやつを待つつもりじゃ。
それは後代、お主も同じであろう?』
『はい! もちろん!!』
今回は先生からいろいろ任せてもらえたことが嬉しかったもの! 高野先生、立花先生も一緒に待つって。
早く帰ってこないかな、雨守先生♪
雨守****************************
縁たちには幻宗さんに説明をお願いしたが。
病院にいた亡霊達に成仏の仕方を手ほどきしたのはいいが、こんなに時間がかかるとは思わなかったな。
まあ、それだけでもないんだが……。
岩沼の病室から、車椅子の青年が母親に付き添われて出てきた。
「お知らせくださって、ありがとうございました。
父が、あなたにご迷惑をかけたそうで。
申し訳ありません。」
青年は俺に丁寧に頭を下げる。
「いえ。別に轢かれたわけじゃないですから。」
「この子がこんな体になってしまってから、
あの人は人が変わったようになってしまって……。」
言いかけた母親の言葉を、青年は継いだ。
「二、三日の入院ですみそうですが。
父はさっき、
なんだか私が子どもの頃のように、穏やかに声をかけてくれました。」
この青年は自分の足が不自由になっても、父親を責めたりしなかったんだろうな。この家族がいれば、岩沼もきっとやり直せるんじゃないだろうか。
「お父さん、嫌なことはきっと綺麗に忘れてしまっていると思いますよ。」
「そうですね。」
青年は爽やかに答えた。
「では、お大事に。」
岩沼の家族を見送った時、電話が鳴った。
「ああ、校長先生。
今、奥さんと息子さんがお帰りになったところです。」
校長は救急車で岩沼と一緒に病院に来た俺に、何度も礼を述べた。疲れでアクセルとブレーキを踏み間違えたんだろうってことにしてあるが。まあ、それほど間違いでもないだろう。
「ええ、私は怪我もしてませんから。
はい。
はい。
では、私もこれで失礼します。」
電話を切ってから思い出した。財布を持ってきてなかったな。
仕方ない。帰りは歩くとするか。
「巣食いし者」終
何年か前に知人が倒れて救急車に同乗したことがあるんですが、
当たり前のことと言えばそうですが、帰りの足がないことに気がついたり。
知人はそのまま入院したんでいいけど、私は慌ててたんで財布も携帯も持っておらず。
雨守と同じく、徒歩で帰るはめに。
「巣食いし者」お読みいただきありがとうございました。
またインターバル置いて再開したいと思います。




