第五十五話 巣食いし者⑨
縁ちゃんと雨守視点が交互に。
縁***********************
クラスの清掃指導へと、先に準備室を出た高野先生の背中に私は貼りついた。その瞬間、高野先生がぴくんと背筋を伸ばしたけど、私はその耳に囁いた。
『私は高野先生と一緒にいます♪』
高野先生は安心したように小さく頷く。
そう! 別行動に移る前に雨守先生は私にこう言ったの。
「奴にしてみれば
自分の正体に気づいた我門先生はコントロール出来ていても、
反感を感じてる高野先生は目障りなはずだ。」
『自分の存在をばらされたら困るってことですか?』
「ああ。
それに合同授業で図書館の立花先生が喜んでいた……
そんな波長を奴が感じ取っていないはずがない。」
『嫌な相手同士が結託したみたいでますます都合が悪い!』
「そういうこと。
きっとすぐ行動に出てくる。」
それで私は学校では高野先生のそばにいることにしたの。何かあれば、私の声で雨守先生はすぐ駆けつけてくれるものッ♪
そして放課後。しばらくしてから書道準備室に戻った高野先生は、ため息を大きくついた。
「なるべく早く帰れって雨守先生には言われたけど。
クラス担任引き継いだら、毎日そうもいかないのよね。」
『クラス、なにかと大変みたいですよね?』
詳しくは聞いてないけど、我門先生が引き継ぐのを逃げたっていうし。さっきも掃除サボる男子達、叱りまくっていたし。
「ええ。」
少し疲れたように眉をあげた高野先生。と、そこに備え付けの電話が鳴った。
「はい、書道準備室、高野です。……なんですって?!」
『どうしたんですか?!』
「我門先生から。水泳の補習でクラスの小原さんが溺れたって!!」
雨守*******************************
意識のある状態の岩沼に、なぜあの男の霊は憑依できたのか……。
俺の仮説が正しいのかどうか。問題は、男の霊に憑依されていない時の岩沼がどういう男か、だ。岩沼に次いで勤務年数が長いらしい音楽の間先生に聞いてみよう。
たいていの学校では、音楽室は体育館同様、本校舎と離れた場所にあることが多い。完全に防音が行き届けば問題ないが、そんな校舎を建てられるのは資金が潤沢な私立高校くらいだ。
本校舎から音楽室への渡り廊下に出ようとしたところで、運よく間先生に会えた。
「いやあ、羨ましいな。
書道と美術で合同授業したなんて。
音楽じゃ、図書館で歌うわけにはいかないしねぇ。」
顔を合わせるなり笑顔を向ける間先生には申し訳ないとは思いつつ、単刀直入に俺は尋ねた。
「間先生。
岩沼先生って、ここに来る前、どんな方だったかご存知ですか?」
教師というのは転勤が絡む時などは、これから自分が関わる相手がどんな人物か、仕事を一緒にやっていく上で、あてになるのかそうではないのか。
当の本人の知らないところで情報交換をしているものだ。
一瞬、怪訝そうな顔をしたが間先生はすぐに答えてくれた。
「早速なにか言われましたか?」
「ええ。芸術科が教科目標としていることは学校に必要ない、とね。」
本当は高野先生が言われたことをかなり要約したが、間先生は驚きもせず、代わりに肩を落とした。
「昔はそんなに酷いこと言う人じゃ、なかったんだけどね。」
「というと、以前他の学校で同僚だったとか?」
間先生は頷いた。これは願ったり叶ったりだ。より詳しく実態がわかる。
「十五年くらい前になるかな。
かなり荒れた学校でね。
中退した子達が暴走族に入って、授業中にお礼参りに来たりして大変だった。
岩沼先生はその時もずっと、生活指導係をやっていたんだ。」
「では、その子らは岩沼先生を恨んで?」
「うん。
学校の指導は、それはもちろん職員の意思統一はされてたけど……。
矢面に立っていたのは、岩沼先生だから。
実際、暴走族の子達は怖かった……。
私もだけど、積極的には彼らに向き合いたくはなかった。」
「それはそうでしょう。
教師になるような人達は、
そもそもそういう子達と接点がない環境で生きてきてますからね。」
「岩沼先生は、それでも彼らを根気よく説得して、
何人かは暴走族から抜けさせたりしたんだけど……。」
「中には当然、反抗したままの子も。」
「うん。
そういう子達からすれば仲間を分断されて面白いわけがない。
岩沼先生は逆恨みされ、家まで突きとめられて……。
当時五歳の息子さん、バイクで跳ねられたんだ。」
「そんなことがあったんですか?!」
「幸い命は助かったけど、それ以来、足が不自由にね。
どうして自分ばかりがこんな目に遭うんだって嘆いて、
岩沼先生はそれで休職してしまった。
復帰した時には、
人が変ったように誰に対しても厳しくなったって聞いているよ。」
「なるほど。それで今に至ると。」
最初は純粋な責任感からだったのだろうが。家族を傷つけられ、孤軍奮闘せざるを得なかった職場を、同僚を恨んだということか。
そして、いつしか歪んだ彼なりの正義を持ってしまった。
それが戦時中「かくあるべき」と立花先生を殺した男の波長と、見事シンクロしてしまったということか。
それなら意識がある時に憑依されても気がつかない。
男の霊にとって岩沼は居心地の良い存在。岩沼本人も、憑依されてかえって気持ちが大きくなってしまったのかも知れないな。
『雨守先生!』
突然、縁の声が頭に響いた。
『高野先生が大変! 速くッ!!』
くそ。思ったより早く行動に出たか!
駆け出した俺の背中に間先生の声が聞こえたが、俺はまっすぐ縁の声のする方向へと、校舎の中には戻らず校地内の通路を走り出した。
職員の駐車場脇を走り抜けようとした時だ。校舎からまっすぐ、わき目もふらず小走りに岩沼は近づいてきた。
いや、むしろ俺をマークしていた?
岩沼は俺の腕を掴んだ。
「なにをお急ぎかな?!」
こいつ? 岩沼本人か!!
縁****************************
「小原さん、補習欠席していたから今日改めてってことだったんだけど!」
そう言いながら青ざめたまま高野先生はプールへと走った。私と違って直線的に移動はできないから、広い校舎をぐるっと回るようにして。
『高野先生、落ち着いて!』
「ええ!」
体育研究室の前を横切ろうとした時、どこからか戻ってきたっぽいチャラ男が声をかけた。
「どうしたんすか?! 慌てて?」
「説明はあとで!」
ボケーっと突っ立てるチャラ男に叫ぶと、高野先生はフェンスの扉を勢いよく開け、更衣室を駆け抜けプールサイドに出た!
あれ?
『誰もいないですよ?!』
「おかしいわ? 確かに我門先生……。」
振り返ると高野先生の後ろにその我門先生が。そして無表情のままいきなり高野先生をプールに突き落とした。
『ええっ?!』
さらには自分も飛び込んで、顔を上げようとする高野先生の頭を押さえつける! 溺れさせる気だッ!
『雨守先生! 高野先生が大変! 速くッ!!』
我門先生、普通じゃないよ! 私はすぐにプールに飛び込んだ。瞬時に私の体が溶け込むように周りの水と同化する!
高野先生の顔の周りから水をどけて、代わりに我門先生の体を水柱をたてて固めちゃえばッ! おまけにこれを回転させて動きを封じればッ!!
「なにッ?!
なぜお前にこんな力がッ?! この小娘がッ!!」
高野先生を押さえつけたままの我門先生が悲鳴を上げた。
でもこれは我門先生じゃない!!
体を包んだ時に私にもわかった。
あの男が憑依しているんだ!!
こいつもチキンだッ!!
「な……なにこれっ?!」
プールサイドに駆け込んできたチャラ男が目を丸くしている。でも、すぐにプールに飛び込むとチキンの腕から高野先生を救い出そうとしてくれたッ!!
チャラ男なのにチャラくなかった!!
『早く! 高野先生を連れ出してッ!!』
今、私に入ってる状態のチャラ男に私の声が届いた!
「うわッ 頭ん中に直接? だ、誰だ?!」
『いいから、早く!
私がチキンを押さえつけてる間にッ!!』
チャラ男が動きやすいようにその周りだけ水位を下げるッ!
「我門先生なにやってんすかッ! この腕、離しなよッ!!」
「邪魔をするならお前も殺すッ!!」
「は?
我門先生じゃない……こいつは……そんなら遠慮しないぜ?!」
一瞬、驚いたように我門先生の顔を見つめたけど、チャラ男の目つきが凶悪なものに変わった。唯一、水柱から出ている我門先生の顔に(私だってむやみに人は殺したくないもん)いきなりパンチを喰らわした。
「がっ!! き、きさまああッ!!」
鼻血を吹き出しながらチャラ男を睨むチキンの手が緩んだ。
「ざまあみろってんだ、てめ。
まさかと思ったがピーンと来たぜ、コン畜生!
どうだ?
今まで殴りたくてうずうずしてた俺から逆にやられる気分はよ?! 」
チャラ男はなにか気がついたんだ。
チキンに吐き捨てると高野先生を奪うように抱き上げ、先に高野先生をプールサイドに上げた。良かった、高野先生はむせてるけど、無事だったわ!
「おいッ!
それでこの後はどうするんだよッ?」
チャラ男は多分私に聞いてるはずだけど、そうだよ、どうしよう? このまま回転を上げて水柱で固定しておけば男の霊も逃げられない。
でも……。
「こ、小娘、聞けッ!
このまま俺を抑え込むならこの男は死ぬが、それでも良いのか?!」
え? 直接私に言ってきたッ?! そんなこと、させられないよ!!
動揺した瞬間、チキンを包むように回転していた水柱はバシャっという音とともに崩れおちた。
そして、まだ荒れて波打つ水面に我門先生だけが仰向けになって浮かんできた。
『逃げられちゃった……。』
気を失った我門先生の脇に腕を通し、立ち泳ぎでプールサイドに運びながらチャラ男は私を見つめていた。
「なんだよ我門先生、嘘ついてんじゃん。」
『え?』
「なんなの君。……水着じゃないじゃん。」
そ、そこ?
雨守******************************
「あんた、岩沼自身だよな?」
じっと俺を睨んだままの岩沼に俺は問いかける。
「当たり前だ。」
「この腕を離してくれないか?」
「そうはいかない。」
「俺を足止めしておこうというわけか?」
「そうすれば全てうまくいくからだ。」
「何が?」
「何が? 何がって……。今までどおりに……。」
急に岩沼はまるで健忘にでもなったかのように歯切れが悪くなった。
「そのために高野先生を殺そうというのか?」
「私が? 私はそんなことは考えてない!」
昼間は主体だった男の霊が抜けて記憶のピースも部分的に抜け落ちているのか!
「お前じゃなければ誰だ?」
「誰って……私が……いや、私じゃ……。」
「お前は今自分が何をしてるのか、本当にわかっているのか?」
急に岩沼は俺を掴んでいた腕を離すと、細かく瞬きを繰り返し、ついには目を見開いたまま考え込んだ。
「私は……私は誰だ?」
おいおい、記憶なくしたとか言うなよ?
大方先に高野先生を殺して、次にそんなに発言力のない非常勤の俺を倒そうとでも考えたんだろうが。
が、突然岩沼の表情が豹変した。
奴だ。いきなり怯えきったあの男の霊が戻って憑依してきた! 縁がやってくれたな?!
だが二人とも、普段の精神状態ではないに違いない。本物の岩沼は突然憑依されたことに苦しみだしている。憑依した男と、岩沼の顔が、歪みながら重なっている!
そしてついに、男が身体を乗っ取った!!
岩沼は頭を抱えながらよろよろと近くの車に駆け込んだ。(恐らく岩沼の車なのだろう)
そして俺めがけて急発進する。寸前で横に飛んで伏せたまま振り返ると、岩沼の車はそのまま校舎の壁に激突した。
「岩沼ッ!!」
エアバックが作動し白煙が立ち込める車内の様子はまったく見えない。手頃な石の角を立てて、俺はサイドウィンドウを割った。
外気と入り混じって白煙が薄らぐと、白目をむいてひくひくと痙攣する岩沼がいた。そしてそのままガクッと気を失った……中の男も一緒に。
俺はとうに意識のない中の男に向かって呟いた。
「お前、きっと車運転したこと、なかったんだろうな。」




