第五十四話 巣食いし者⑧
長くなっちゃったんで分けました。
『先生、遅いですね。』
「事務長、細かい人だからきっとつかまっちゃったんじゃ。
行ってみましょうか?」
雨守先生がなかなか戻って来ないから、高野先生と様子を見にいくことに。
階段へと向かおうとした時、廊下の向こう側からなんとッ! 例の岩沼先生がやってきたッ。
この人には立花先生を殺した男が取り憑いている。そう知ってしまった高野先生の体が一瞬、びくっと震えたのが分かった。
『高野先生、普通に、普通にですよッ?』
声を潜めて伝えた私に、高野先生は無言でうなずいた。目を逸らせたまま……すれ違う!
ほっとした高野先生の吐息が小さく聞こえた時だ。
「あ~あ、高野先生?」
呼び止められてしまったッ!
「な……なんでしょうか?」
高野先生は立ち止まってゆっくり振り向いた。隣にいるだけで高野先生の心拍が早くなってるのがわかる。役にたつかわからないけど、私は背後に回ってそっと肩に手を置いた。うん、隠れたわけじゃないよッ?
岩沼先生は目を細め、口元を緩めている。
「……書道、美術の合同授業は、どうやら評判のようでしたねえ?」
「いえ、それほどでも。」
なるべく目を合わせないように高野先生は答える。
「面白かった、楽しかったと。
国語研究室の前を通る生徒も口々に言っていましたよ。」
なんだろ? 見に来たかったのかな? そんなわけないよね?! 意図が読めないから私も緊張してきちゃうッ。
「ところで高野先生、
『面白く、楽しい授業』とはどんな授業でしょうか?」
急に岩沼先生は声のトーンを落として来た。
「はい?」
「聞けばまるで『ゲーム』のような授業であったとか。
生徒の自主性、自由な表現へつなげたいと芸術科の先生方はよく言いますが、
果たしてそんなものが必要でしょうか?」
「な……何が言いたいんですか?」
高野先生はカチンときたいみたいに顔を上げた。岩沼先生は呆れたように続ける。
「生徒は『自由』を好き勝手にすることだと履き違える生き物だ。
そんなことを教育の場で許していては、統制がとれません。
現に戦後この国は、親の世代からして甘え切っている。」
な、なんの演説始めているの?!
と、突然、目をむいて顔を近づけて来たっ!!
「自らの犠牲を捧げることもなく、
不平不満をこぼすばかりで、この国の未来など微塵も考えていないッ!!」
ほ、本性だしたの? なんだか狂ってるよっ!!
「そんなまるで戦前のようなッ
その時、叫びそうになった高野先生を、後ろから呼び止める声が。
「ごめーん、高野先生。
事務長にまた説教されて遅くなっちゃったよー。」
雨守先生だ!
「あれ? なにか大事なお話し中でしたか?」
拍子抜けするような間抜けたトーンの雨守先生の言葉には答えもせず、ふっと笑うと岩沼先生はその場を離れていった。
……そして私達は、書道準備室に戻った。
『雨守先生! さっきの岩沼先生、なんだったのかなッ?!』
「恐らく……カマかけに来たんじゃないかな?」
横目でなにか考えながら話す先生の言葉に、すぐに目を真ん丸にして高野先生が顔を上げた。
「え?
それって、岩沼先生の中に別の男がいるってことを……。」
「ああ、高野先生が気がついているかどうかとね。
実は今まで、若松先生に話を聞いていたんだが。」
『あのチャラ男とですかッ?』
「うん。どうやら先生らしくない俺に共感してくれたんだろう。」
先生はチャラ男なんかじゃないですッ!
「去年、我門先生は岩沼先生の体から、
中の男の霊が出てくるところを見てしまったらしい。
それ以来、いつ命を奪われるかと怯えているんだそうだ。」
確かに、立花先生を殺した男だし。人の命なんて、なんとも思っていないのかも。
『でもそのあと我門先生無事でいるんなら、
高野先生にも、何もしてこないですよね?』
「悪いが断言はできない。さっきも向こうから来たようにな。」
高野先生を不安にさせないように聞いたのにィ! 先生ストレートすぎますよ?
でも、意外にも高野先生は落ち着いていた。
「そ、そうですよね。
この学校で五十年の間、六人の先生の体を乗り換えてきたんですよね?
最初の二人は亡くなっての交代、ということは……。」
「ああ。
長いこと憑依されて魂を消されてしまったはずだ。」
『じゃあ、もう三人も殺している?!』
「ああ。
男の霊も、そこでようやく気がついたんだろう。
殺し過ぎるのも、後々面倒だからな。
きっとその後は殺さずに憑依していくように切り替えたんだ。」
『でも、どうやって意識のある人間の体に憑依できたんですか?』
そう。その疑問だけがまだ解決していないわ?
「考えられる要因は一つあるが、まだ断言できる材料がない。」
そう言いながら雨守先生は右の親指の爪を噛む。
あれ? そんな風にいら立ってるような姿、初めてじゃないかな? ちょっと動揺しちゃってるよ、私!
『じゃあ、まずは高野先生が憑依されないように気をつければいいですよね?』
「ああ。
それに岩沼……というより中の男だが。
立花先生は自分に気づいてもいないだろうと言っていたが、
恐らく奴には立花先生が見えている。」
『それじゃ、立花先生が言ってた「図書館には近づかない」っていうのは……。』
「この場合、立花先生を恐れていると考えるのが妥当だろう。」
「え? 幽霊って、お互い見えてるわけじゃないんですか?」
そっか、実情を知らない高野先生に私と先生はそろって頷いた。雨守先生は続ける。
「立花先生は二人の教師を殺した時、無意識に思念波をぶつけていたんだ。
たいていは死んだ時に見た光景が恨みとともにぶつけられるんだが、
立花先生の場合は
『水!』
先生の声にかぶせて思わず叫んじゃった!
「そう。
恨みを水に変えてぶつけたんだ。
さらにその時、あの男の霊は相当の恐怖を味わったんだろう。
太刀打ちできないと、わかっているんだろうな。」
それじゃ、立花先生に頼んでその男の霊をやっつけてもらえれば! でも立花先生、図書館からは自由に動けないみたいだしな。
すると、高野先生は何かに気がついたように顔をあげた。
「立花先生が見えているってことは、縁さんも?」
「そのはずだ。」
『うええッ!
でも岩波先生、全然私のことなんか気づいてもいないみたいでしたよ?』
見えてたとしたら、最初から完全無視ってこと?
「もともとが戦中の男尊女卑って奴なら、
生徒の縁に対しては鼻にもかけなかったのかも。」
うーん。なんだか失礼しちゃうな。
「だからこそ、昨日の縁のプールでの行動を
岩沼は我門先生から聞き出そうとしたんだと思う。
注意すべき相手なのかどうかってな。
当然、縁と一緒にいた俺も。」
むーッ! なんだか面倒よね。眉間に皺寄せて唸っていたら、先生が私の顔を覗き込んだ。
「縁。
さっき会った時に、今まで同様無視し続けられてたってことは、
奴は縁に対しては油断してるはずだ。
頼りにしてるぜ、縁。」
「うわッ! はい! 任せてくださいッ!」
その時、六時間目終了のチャイムが響いた。




