第五十二話 巣食いし者⑥
授業なので短く
不安は消えたわけではなかったけれど、その後大きな変化はなく二日が経ち……。
二学期の始業式を終えてからの一時間目。図書館は書道と美術を選択していた生徒で賑わっていた。一人の女子が手にした本を高野先生に示す。
「高野先生ッ、このタイトルの字、隷書でいいんですよね?」
「そう。それはなんの本?」
「ホラー小説。
隷書にさらにヒビみたいなの入ってるから不気味さ増してません?」
「うん、雰囲気出てるわね。」
高野先生は書道選択の生徒に、図書館の蔵書から『毛筆で書かれたと思われる題字』の本を一冊づつ探させていた。
「背表紙だけで判断しないで、きちんと手に取って表紙で確認してね。」
全員に再確認する高野先生に、今度は野球部っぽい元気な子が声をかける。
「この太くて迫力ある字もいいよね? 高野先生!」
「そうね。書体は?」
「去年習った楷書!
顔真卿って人の字っぽく書かれてるじゃん。」
「よく覚えてたじゃない。」
「俺、顔真卿好きなんだ。
役人だけど反乱軍を抑えるために自分も軍を率いて戦ったんだぜ?
義に熱いッつーか、かっけー!」
「それは何の本なの?」
「元大リーガーの自伝!
この人まだ日本人が向こうでそんなに認められてない頃、
黙々と頑張ってたんだぜ? 根性あるでしょ!
顔真卿の字がピッタリじゃん!」
なんだか凄く元気のいい……というか、平気で先生にため口きいちゃうんだ。
あわわ。ちょっと厳しい立花先生の視線が気になるよぉ~。でも高野先生は全く臆せず、そんな風に声をかけてくる生徒一人ひとりに答える。
そして雨守先生は、高野先生からお願いされていたことを、美術選択の生徒に指示していた。
「明朝体、ブロック体は去年ポスターで使ったと久坂先生から聞いている。
今回はそれ以外の字体、具体的には
『題字にデザインが施されている本』を一人一冊ずつ探すんだ。」
「あまもり先生~。この『〇〇〇フレンズ』って字も、いいの~?」
雨守先生には女子が積極的に質問に行くからやだなぁ、もうw
「あめもりだ。
ああ、いいな。ではデザイン上の法則がどこにあるか考えてみ?」
「ん~と。
三角にとんがってる部分がぁ、
どの字にも必ず一つはある~ってとこでしょ~? あまもり先生~。」
「あめもりだ。
でも、そう言い切れるかな? 『の』の字にはないぞ?」
「丸っこい字は例外例外~。耳付いてるからいいんだよ~。かわいいし~。」
「なんだそりゃ。ああ、でもそうかもな。」
そんな風にそれぞれ本を探す生徒にとっては、まるで宝探しのようになっていた。ひととおり各自一冊手にしたことを確認すると、高野先生は全員に次の指示を出す。
「では皆、その題の文字を輪郭だけ縁取るように、配った紙に書き写して!」
「本に重ねて書いちゃダメだなの?」
「ダメです! そんなことしたら本が傷むでしょう?」
「うわ、めんど~。」
雨守先生も指示を付け加えた。
「美術選択者は定規を使ってもいい。むしろ使おうか。」
「色塗ってもいいの~。」
「それは美術室に戻ってから。次回以降だ。」
「な~んだ~。」
なんだかんだ言いながら、時々見せ合ったりしながら、皆すぐに書き写すことに集中していった。
「皆、意外にじょうずなもんだな。」
雨守先生は特に書道選択の生徒の手元を覗き込んで、感心したようにつぶやく。同じように生徒の間を歩きながら、高野先生は答える。
「縁どりのことを書道では籠字を取ると言うんですが、
字の形だけじゃなく線の太さが変わるところとか、払いの抜ける方向とか
細かなところに気がつきやすいんです。
実は書道の学習法の一つなんですよ。」
「なるほど。手本を見て書くだけではないんだ。」
「それも基本なんですけどね。
籠字を取る場合、さっきの子が聞いたように、
本来は重ねて書き写すのですが、私はわざとってこともあるんです。」
『いじわるしてるんですか?』
私の質問に高野先生は笑って答えた。
「実は最初重ねてやらせてみたんだけど、どうもこっちの方がいいの。」
立花先生は高野先生の後ろでずっと耳を傾けている。
「注意深くなるということもあると思うけど、
重ねちゃうと自分の手で隠れて、
写すべき字の全体が見えにくくなるからじゃないかな。」
『ふむふむ。』
「これは私の持論なんだけど、
書道で作品を作る時って、全体を意識している必要があると思うの。」
「それは絵でも工芸でも同じだな。
どう完成させるかという全体像は常にイメージしている。」
『やっぱりどっちも芸術ですね!』
だいたい皆が書き写せた頃合いを見計らって、高野先生は次の指示を出した。
「はい。出来たようね。
では残りの時間で、その本の内容を簡単に余白にまとめて下さいね。」
「まさか感想文ッ?」「やばい夏休みの課題やってない!」
妙にざわざわしたけど、感想文って皆なぜか抵抗あるものね~w 苦笑いしながら高野先生は説明を加えた。
「感想というより、
その本の内容を人に紹介するつもりで書いてくれればいいわ。」
「じゃあ、さっき俺が言ったような
『元大リーガーの根性の半生』ってな感じでもいいの?」
「ええ、いいわ。
でももうちょっと付け加えてくれるかな?
何か具体的なエピソードを一つだけ例にあげてもいいわね。」
「おっしゃーッ!」
「あまもり先生~。
次の時間まで、この本借りてってもいいですか~?
よく読んでから書きたいので~。」
美術の子の質問に「あめもり」とだけジト目で答えた先生に代わって、高野先生がまた答えた。
「勿論それでもいいわよ? じゃあ、借りていく人は宿題ね。」
宿題と聞いた途端、大半の子はこの時間に終わらせようと俄然真剣に取り組みだした。
そして残りの時間、読み始める子、貸し出しの手続きをする子と賑やかに時間は流れ、気がつけばあっという間に一時間の授業が終わろうとしていた。
「次回はこれをもとに、書道も美術も作品作りに移るわよ。」
生徒が退出した後、高野先生と雨守先生が提出された紙を机に並べていると、なぜか興奮した様子の司書さんが近づいてきた。
「こんな蔵書の使い方があるなんて、私初めて知りました。
本の題字がどんなふうに書かれているかだなんて、
検索システムではわかりませんよ?
これ、町の図書館にも紹介していいですか?」
「え? はい、どうぞどうぞ。」
ちょっとびっくりした高野先生の答えを聞くや、司書さんは司書室に駆け込んでなにやら電話をかけ始めてるみたい。
立花先生はゆっくりと、一枚一枚、生徒の提出物を見つめていた。
『形に色々な種類があるだけでなく、
本の内容に応じて、題の文字も工夫されていることを
生徒に気づかせたのね。』
そうつぶやくように言いながら、その顔にはだんだん嬉しそうな微笑みが。
「美術でも、きっと書道でも、
本で言えば内容、つまり自分の心情をいかに形に表すか。
それが一番大切なことですからね。」
雨守先生もうなずきながら静かに言う。
と、突然。はっとしたように立花先生は高野先生をまっすぐに見た。
『あなた! まさかこの授業、私のために?』
えッ? 立花先生みたく、生徒のためだったんじゃ?
びっくりして顔をあげると、高野先生は立花先生を穏やかな目で見つめていた。
「そこまで言ったらおこがましいですが。
でも、これなら手に取らなくても、本の内容がわかりませんか?」
『なんてことッ! 生徒を使って、そんな……。』
「高野先生は、実は難しいことをとても簡単な手法で
生徒に関心を持たせ、気づかせることをしたと俺は思います。
彼らには十分、それが伝わっていたんじゃないかな。」
『立花先生♪』
私は目に涙をにじませた立花先生を促した。
『こんな……こんな紹介文読んでしまったら、ますます読みたくなるじゃない。』
そんなこと言いながら、顔をくしゃくしゃにして立花先生は笑っていた。
『高野先生……ありがとう。』
隷書、楷書は漢字の書体の一つです。出来上がり順に書くと以下のようになります。
篆書
だいたいどこのご家庭にも一つあろうかと思いますが実印なんかに使われる書体、複雑な字形なので簡単に複製されないように現在でがハンコ向き。秦の始皇帝が統一させました。
↓
隷書
現在だと新聞の社名、お酒の銘柄によく使われてます。本やドラマのタイトルにも。
平べったくて、大きな払いが一つあるのが特徴的な漢字です。
↓
楷書、行書、草書
現在も使われてる漢字ですが、これは一気に隷書から誕生してます。
楷書崩して行書、行書崩して草書、という生まれ順ではないデス。
日本では平安時代頃に、
楷書の一部分を使ってカタカナ、草書から平仮名を作ってます。
顔真卿
安禄山の乱の際、自分も挙兵して反乱軍に対抗。鎮静に向かいます。
「剛直の士」ともいわれ、曲がったことが大嫌いな方だったそうです。
彼の字は、現在の明朝体のベースになったとか。
過去、日本のご高名な書道史研究の先生が
「顔真卿にも腹が黒い一面があり、私は証拠もつかんでる。」などと大言吐いておられましたが
その後とんとどこでも発表されてないことをみると。。。。
根拠もないのに人を貶める発言は、是非とも控えて頂きたいですねw




