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第五十話 巣食いし者④

 まだ眉間に皺を寄せたままの高野先生と別れ、雨守先生は休み明けから使う教材を業者さんから受け取るため、美術室に戻っていた。

 この学校も教室から直接外に出られる構造になっていて……。


「じゃあ、また何かありましたらfaxしてください。

 雨守先生も、ぜひ今後ともよろしく。」


 業者さんは額の汗を拭いながら笑顔でそう言うと、出口に面した通路に止めていたバンで帰っていった。


 ああ~。アスファルトの照り返しがきついよぉ。もわっとした空気も気持ち悪ゥい。ここのところ天気が変わりやすくて、昨日まで涼しいくらいだったから余計に。


 夕べは学校で一晩過ごしちゃったから、先生クーラーボックス今日は持ってきてないし。今も教室の奥で教材の梱包を解いたりして忙しい先生に気を遣わせちゃ、いけないもの。

 我慢だ……。でもお昼にもまだ早いくらいだし、帰れるのは当分先かなぁ。


 教室の黒板の上を見上げると、時計は11時を回ったところを指していた。と、突然。アスファルトを挟んで向かいにあるプールのほうから大きな声が。


「補習対象者が全員そろってないとはどういうことだ? ああんっ!」


 びくっとしちゃって声のしたほうに顔を向ける。

 フェンス越しに並んでる男女十人くらいの水着の生徒と、ポロシャツ、ハーフパンツから日焼けした筋肉質の手足をのぞかせた角刈りの体育の先生っぽい人が見えた。


 あ、なんとなくわかった。


 私の学校でもそうだったけど、夏場、体育の水泳って全員が必ず毎回泳げるとは限らないじゃない?

女の子の日だってあるし。

 私は結構泳ぎには自信あったから水泳は好きだったけど、泳ぐのが嫌だからってさぼってる子もいたっけ。


 そんな子たちを対象に、授業を見学した回数に応じて水泳の補習ってあったなぁ。きっと、それよね。でも夏休みが開ける直前の今頃までやってるなんて、ちょっと信じられないけど。


「あと10分だけ待ってやる。

 全員揃うまでお前らはそのまま待機だ。」


 うわ~、なんだか嫌な感じだなぁ。威張り散らしちゃって。

 だいたい待機だとか言って、こんな日差しの強い中プールサイドに立たせて、生徒が具合悪くなったらどうするの?


「あの~我門先生、小原さん今朝おなか痛いって言ってました。」


 そんな女子生徒の声が聞こえたけど、我門って呼ばれた先生は呆れたような声を返した。


「どうせLINEでだろ? 俺は聞いてない!

 休むなら直接連絡するのが常識だろうが?

 嘘に決まってるわ。

 昨日ピンピンしていたじゃないか。」


「でもぉ~。」

 

「でもじゃない!

 それともお前が小原の分も泳ぐのか? ああん?」


「え? いえ……。それは……。」


「とにかくあと10分だ!」


 うわっ。畳みかけるようにあんな言い方して、ちょっと滅茶苦茶じゃない?! 

 きっとああいう先生が、久坂先生にも平気で酷いこと言えるような人に違いないんだわ。


 だんだん腸煮えくり返ってきちゃった。私が代わって泳げるくらいならそうしたいくらいなのにっ!


 ギリッと奥歯が鳴った気がしてその我聞って先生睨んでいると、後ろで雨守先生の震えたような声がした。


「ゆ、縁? いきなりどうしてそんな恰好してるんだよっ?!」


『え? なんですか?』


 振り向くと雨守先生はなぜか真っ赤になっていた。


『うわあっ!!』


 理由はすぐに分かった。私、なぜかスク水姿になってるよっ?!


『こっこ、これって?!』


「残暑のせいでおかしくなったんじゃないだろなっ?!」


 先生は両手で顔を覆いながら、指の隙間から私を見つめて言う。余計に恥ずかしくなっちゃうじゃないですかっ!!

 私だって知らないうちにこうなっちゃったのに、暑さのせいでって……あっ!


 無意識のうちに、私、願ってたのなら。


『先生、話はあとでっ!!』



************************************



 あ~、良かった。ブレザー姿に戻れたよ~。


 無意識でもなんでも、これからは気をつけなくちゃね。心なしか先生がまだ時々呆れたように私をちらちら見るのが気にはなるけど。


 どんまい、私!


 あれから一時間ほどして。

 お昼には遅くなったけど、高野先生に相談に乗ってほしいと言われ、先生は一緒にあの小さな洋風の食堂に向かうとこだった。私は食べるってことはないけど、あなたもって高野先生に誘われた。


 そう。

 高野先生にはまだ私が見えている。先生が幻宗さんから伝授されたという「印」を結んでくれたからなんだ♪(私がお盆に留守にした間、先生に会いに来て下さったんだって。)


 相手の心に隙を生んで、私達幽霊を見せるのが雨守先生の手法だけど、高野先生みたいに自分からパニックになって霊が見えたりしたら先生にコントロールできなくなる……。

 『それでは何かと不便であろう?』きっと、そんなふうに気遣って下さったんだろうな、幻宗さん。


 先生が戸を開けて中に入ったとき、大きな笑い声が店内に響いていた。


「やだなぁ我門先生ったら。

 幽霊なんているわけないじゃないっすかぁ?」


 入り口から離れた奥のテーブルに一組だけ。

 背中を向けたあの我門って先生ともう一人、こっちを向いた若い男の先生がいた。若い先生は涙まで流して笑っている。


 高野先生は一瞬、嫌そうな顔をしたけれど、私と先生は思わず吹き出しそうになったのをこらえて真ん中へんのテーブルについた。


 と、先生達に気がついた我門って先生は、高野先生に挨拶するでもなく、向かいの若い先生に顔を近づけ、声を落とした。


 でも私には筒抜けだよッ!


「バカ、本当なんだよっ!

 10分待つのもバカらしいんで、

 嫌味で一人ひとり声を出させて点呼したんだ。」


「我門先生好きっすよねえ、そういうの。」


「バカ、聞け。

 そしたら10人しかいないはずなのに、

 11って声がはっきりしたって、何人かが騒ぎだしたんだ。」


「からかわれたんじゃないんすかぁ?」


「バカ、クラスも学年も違うやつらなのにか?

 だいたい俺にそんなことできる奴はこの学校にはいないよ。

 で、もう一度点呼とったら、俺にも聞こえたんだ。

 ……11って。」


「我門先生、ガラにもなく怖がりっすもんねっ。

 夜一人で体研*に残りたがらないじゃないっすか。」


 (*体育研究室のことですッ)


「バカうるせえ、いいから聞け!

 で、なんだか気味悪くなってきてよぉ。

 とりあえずあいつらには適当に泳げって指示したんだ。

 一応、飛び込む人数、ホイッスル吹いて確認しながらな。」


「くっくっく。そしたら?」


「……11人目がいたんだよ。

 俺の隣に。

 見たことのない、髪を腰まで伸ばした女子が。

 水着で!」


「そりゃ水泳ですからねッ!」


「で、目があったら恨めしそうに言うんだよ。私も泳がせてくださいって。」


「あ、我門先生、後ろ。」


「うわああああっ!! て、てめえ殺すぞ!」


 イスをひっくり返して我門って先生は飛び上がった。そんなやり取り聞きながら、もう可笑しくて可笑しくてたまらなかった。


 だってそれ、私だもーん。


 波長の話、先生から聞いていたもの。私は意識してビンビンに飛ばしていたんだもの。

 生徒達のうち、何人かは私と波長が合う子がいるだろうし、そうなれば声も聞こえるし、うまくいけば姿も見えるだろうって飛び出したんだもん。

 まさか我門って先生が、最後は一番波長が合ってたとは思わなかったけど。


 ホイッスル下唇に張り付けたまま逃げ出しちゃったんだもの。

 あ~おっかしw


 おかげで私も水泳……といっても気分だけだけど、プールに入ってちょっと涼が取れた。ほとんど水と同化しちゃってるようになってたのはびっくりだけど。


 思い出してニヤニヤしてたら先生が小さくつぶやいた。


「やりすぎだよ。

 でもまた新しいスキル、身につけたよな。姿を変えるって。」


『また水着になれるかどうかはわかりませんよ?』


 だって、満足して気がついたらプールの中でもうブレザー姿に戻っていたし。そんな私達を交互に見ながら高野先生も少し笑っていた。


「なんとなく後代さんだって、わかっちゃった。」


『あは!』


その時、お店の戸が鈴の音を響かせながら勢いよく開いた。


「うわあっ!」


 また我門って先生がびっくり立ち上がって戸口を振り返る。どれだけ臆病なのよ?


 でも、戸口に立っていた40代後半くらいの、こざっぱりしたスーツ姿の男性を目にすると奥にいた若い先生も一緒にバッと姿勢を正して直立した。


「い、岩沼先生!」


 急にさっきまでと全然違う態度をとる二人に驚いてしまって、私達も思わず息をひそめちゃった。岩沼と呼ばれた先生は、悠然と先生達のテーブルの横を通り、奥の二人に近づいた。


 でも今ちらっと高野先生んとこ、見たわよね? だからか背中をこちらに向け、二人には小さな、静かな声だった。


「我門君、君が招集した補習の生徒をほったらかして。

 こんなところで何をしているんだね?」


「あ、いや。その。は、腹が急に下りましてえ。」


「ほ~う。

 ではお腹も治って昼食が終わったのなら学校に戻ろうか。

 聞きたいことがある。」


「は、はい!」


 なになに? どんな力関係なの? 体育会系っていうの? でも岩沼って人はそうは見えないな。


 強張った表情の二人を先に見送り、二人の食事代までわざわざお店の主人に聞いて払うと、岩沼と呼ばれた先生は、また悠然と歩きだして私達のテーブルの横で立ち止まった。


「感心しませんね。高野先生。」


「何がですか?」


 場の雰囲気に押し黙っていた高野先生は、怪訝そうに見上げる。岩沼先生、今度はちらっと雨守先生を見た。


「休憩時間とはいえ、我々は一般の方からはそうは理解されません。

 昼日中に女性の先生が、男性と昼食などと。」


 あれ? どこかで聞いたような……。 あ! 立花先生に初めて会ったときに言われたのと同じだ。


 突然雨守先生は立ち上がると、その岩沼先生をまっすぐ見つめた。


「全校に自己紹介するような立場じゃないから無理もないですが。

 私、昨日から勤務してる非常勤の雨守です。

 授業についての相談を高野先生から受けていました。

 それが問題ですか?」


「あ~あ、君は今朝の人騒がせな。あ~あ、なるほど。」


 そうですかそうですか、とだんだん小さく言いながら、今度は気味の悪い薄ら笑いを高野先生に向けた。


「せいぜい、いい授業の計画が練れればいいですねえ、高野先生。

 ですがあなたも生活指導の担当なんです。

 あらぬ誤解を招かぬように、気を付けてください?」


「わかりました……。」


 視線をそらせながら、高野先生は答えた。岩沼って先生は含み笑いをしながらお店を出て行った。

 な~にあの人、嫌な感じ!


「先に出てったチャラいのが若松先生。

 そしてあのビビりでいい加減なのが我門先生。 

 本当は我門先生のはずだったんです。担任の交代要員は。

 ぐだぐだ理由つけて、逃げ回って。」


 吐き捨てるように高野先生は言う。ああ、わかった気がします。


「それで、今の人は?」


 岩沼って先生が出て行った戸口を見つめながら、雨守先生は尋ねた。


「生活指導主任です。

 教科は国語科。

 確か本校で一番勤務年数が長いんじゃないかと?」


「ふーん。」


『どうかしたんですか? 先生?』


「いや……どういうことだ?

 名前はともかく、今、俺と話していたのは、立花先生を殺した男だった。」





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