第四十八話 巣食いし者②
前回、時期設定が曖昧でしたが
このお話は夏休みが明ける前。
ちょうど今頃、といった感じです。
『あなた、何者?
私になんの用?』
物音一つない図書館に、その人の声が木霊するように響く。よく見ると、その人の髪から……髪だけじゃない、服も上半身が濡れて雫が床にしたたり落ちている。
先生は身構えるというより姿勢を正し、その人に丁寧に話しかけた。
「私は今日赴任した美術科の雨守です。
この学校で一番強い霊力を放っているあなたに、
お話を伺いたいと思いまして。」
『どうやらただの教師ではない、ということね?
それにしても教師を名乗る者が、こんな時間に女生徒と。
まだ夏休みだからと浮かれているのかしら?
なんとふしだらなことでしょう!』
その人は私を横目で一瞥すると、先生を汚いものでも見るように言った。あの武藤先生と似てるし思わずカチンときちゃった。
『雨守先生はふしだらなんかじゃありませんッ!』
「いや、俺潔白なんだから縁がムキにならなくてもッ。」
私の声にびっくりした先生が慌てたように私を見る。
『だって先生、私の頭撫でてくれるくらいで
それ以上のこと何にもしてくれないじゃないですかっ?!』
「な、何のこと言ってんだよ、縁?!」
一瞬、先生は目をぱちくりしたけど、すぐに慌てて目をむいてきた。
それで私もハッとした!
私ったら何を渡瀬さんみたいなこと口走っちゃってるのぉおおおおおっ!!
頭を抱えた私に、呆れたような大きなため息が聞こえた。
『あなた達は一体どういう間柄なの?
生きた人間と死者が共に親しくいるなどと。
このような姿になって七十五年余り、目にしたことがないわ?』
驚いてるようだけど、バカにしてるわけじゃないってわかって、武藤先生とはやっぱり違うんだって実感した。
『すっ、すみません。つい。』
急に恥ずかしくなって思わず全力で頭を下げて謝ったっ。
でもその姿勢のまま頭の中で計算する。この方、幽霊になって七十五年余りって言うと亡くなったのは1942年頃……? 明治や大正じゃないよね? これも迂闊に口走らずに助かった~ッ!!
顔を上げた時、なぜかその人はさっきまでと打って変わって、私に穏やかな表情を浮かべていた。
『縁さん……というのね?
あなたも幽霊……そしてこの私が、見えている。
それに雨守さんも。
あなた達のような人に会えたのは、初めてだわ。』
点々と雫を垂らしながらゆっくり近づくその人に、私も姿勢を正して答えた。
『私は、後代縁です。
去年、雨守先生に救ってもらってから、先生のお手伝いをしています。』
『救ってもらった……。』
なぜか私の言ったその言葉を、その人は噛みしめるように繰り返してる。先生はじっとその人を見つめながら、問いかける。
「戦時中にお亡くなりになった方でしたか。
あなたのことをお伺いしても?」
『そうでしたね。いいでしょう。
私は立花すず代。
この学校の前身がこの地にあって、そこで國語の教鞭をとっていました。』
今なんかコクのとこ、妙にアクセントついてた気がしないでもない。
「では、立花先生。
なぜ今まで成仏せずにいたのですか?」
じっと先生を見つめていた立花……先生は(ここはやはり以後、立花先生でっ)、少し、恨めし気に視線を落とした。
『……私が間違ってはいなかったと、伝えたかったからかしらね。
私は一人、戦地に生徒を送り出すことを反対していたわ。』
『学徒動員ですね?!』
小学生の時に図書館で読んだ本にあったわ。私の声に、正解だと頷いて立花先生は答える。
「それでは周りからは?」
『ええ、当然、非国民扱い。
質素にはしていたけれど
服装も皆と同じように、もんぺにもせず教師としてとおしたから
町の人から石を投げられた。』
『石を?』
『ええ。』
そう答えて前髪を上げると、額に傷跡が。袖から覗いた腕もあざだらけだった。
『それでも私は自分の意見を曲げなかったから。
教師を辞めさせられただけでなく、最後には殺されたの。』
『こっ、殺された?!』
『ええ、同じこの学校にいた教師にね。
彼らは大きな声で全校生徒に教練をしていたわ。
だから同僚から非国民を出した責任を取らなければ示しがつかない、
とね。』
『そっ! そんな。』
立花先生の言葉、一つ一つに驚いてしまった。
殺されただなんて。
事故でも自殺でも寿命でもなく、殺されただなんて人と会ったのは初めてだったもの。まして人を教える先生の手によってだなんて。
でも、私の動揺をよそに雨守先生は冷静に立花先生に問いかける。
「きっとうやむやにされたのでしょうが……。
溺死。
顔を水に漬けられたのではないですか?」
『そう。
わざわざ私がこよなく愛した、こんな本に囲まれた場所で。
男二人に組み伏せられた上、バケツにはった水にね。
何度も何度も頭を押さえつけられた。
しまいには……ね。』
『それを恨んで成仏できなかったんですか?』
『いいえ。
それはむしろ自分のしてしまったことを悔やんで、
と言えばいいかしら。』
『でも、さっき立花先生は、自分は間違ってなかったって……。』
『ええ。
戦地に生徒を送ってはならない、その思いに変わりはないわ。
でもそれとは別に、私は過ちを犯したの。』
「それは、この学校にいるもう一人の霊のことではありませんか?」
『ういいっ! まっ、まだいたんですか?!』
顔を歪めてから気が付いたッ! 雨守先生は、最初から立花先生のことを「一番霊力が強い」って言ってたわ? 二場目がいるってことですよね!!
『雨守さん。本当にあなたには驚かされるわね。』
立花先生は目を丸くして一度先生を見上げると、再びうつむいて淡々と続ける。
『そう。
私を殺した男達を、私は呪い殺した。
と言っても、二、三度、この姿を見せただけのことだけれど。
驚いて階段から転落したり、心臓の発作を起こしたり。』
『じゃあ、そのうちの一人が!』
『ええ。
向こうは私に気がつきもしないけれど、今もこの学校にいるわ。
盲目的に言われたとおりに従うことが正しいことだと、
そんな愚かな歪んだ思想を今も人に押し付けて。
それが私は、悔しいの。』
きっとその男の霊が、この学校の先生達をドロドロの関係にしてるに違いないわ。それに立花先生より霊力が弱いなら、危険もないんじゃないかなっ!!
『雨守先生!
その人の霊、倒しちゃいましょうよっ!!
きっとそいつが久坂先生を苦しめた元凶です!!』
胸の前で両方の拳をぎゅっと握った私に、立花先生はぎょっとしたように目を見開いていた。
女の子がそんなこと言うから乱暴に聞こえちゃったんだろうけれど、立花先生を殺したような人だもの、地獄に堕ちればいいんだわ!!
「確かにやたらと声がでかかったり、
どこか歪んだ思念のほうが人への影響力は大きいが。」
どうしたんですか先生? なぜか浮かない返事っ。
「縁、この学校の先生達の冷めた関係のことを言ってるなら、
それは違うよ。」
『え? なぜです?』
「生きた人間が元々持っている感情が、
波長が合ってしまった霊によって複数の人間に共有化、
増幅されていると考えたほうがいい。」
『それって……え?』
「自分ばかり苦労してるとか、
頑張ってるのに認めてもらえない、とかな。
そんな誰もが持ってる不平不満を
霊はただ媒介として共有化させてるに過ぎないんだ。」
『じゃあ、元々ここの先生達が抱いていることなんですか?
「担任をもつなら子どもを産もうなんて考えるな」ってことも?』
その時、立花先生は私をいぶかし気に見つめていた。
そうだ、また思い出した! 雨守先生は言っていたじゃない?
「ひと昔前は、そんな酷いことも当たり前のように言われていた」って。それってつまり立花先生の時代も!!
だから立花先生にとっては、そんな言葉が変だって言ってる私が逆に不思議に見えてるんだ。
雨守先生は立花先生に尋ねた。
「立花先生、
あなたも『自分は間違っていない』というお気持ちが強いですよね?」
立花先生は真剣な目で先生を見つめる。
『それはそうでしょう?
あなたも教師であるなら、
生徒のためにならないことには反対をするでしょう?
生徒の命を守ることが第一のはず!』
「それで犠牲になってしまったご自身のように、
今の先生方にも、
自らを犠牲にすることは当たり前だと感じることはないですか?」
『それは教師たるもの、例え時代が変わろうとも、
生徒のために身を粉にして働くのが当然でしょう?
私はそれしか感じてないわ?』
突然の質問に困惑してるように見える立花先生に、雨守先生はどこか冷たい目になっていた。
「立花先生。
それで私の前任の久坂先生が流産したのは、ご存知ですね?
久坂先生は図書視聴覚係だった。
身近にいて、ご覧になっていたはずです。」
『し……知っているわ。』
心なしか、立花先生の声は小さくなっていた。
「もう一人の霊が先生方に影響を与えているというのであれば、
それは立花先生も同じだとは、言えませんか?」
『わ……私は間違ってなど!』
立花先生は両手で顔を覆うようにして……震えていた。
すると、雨守先生はその肩をやさしく抱くようにして、穏やかな顔を向けた。
「立花先生を責めているわけではありません。
でも、それで一つの命が失われたのは、事実です。」
『立花先生が守りたかった、大勢の生徒達の命。
久坂先生が守りたかった、たった一人の赤ん坊の命……。』
思わず、私はそう呟いていた。
『その……重さに変わりは、ないわよね。』
静かに答えた立花先生の目は、少し潤んで見えた。
「悔やんでいらっしゃることには、それもあるのではないですか?」
雨守先生の問いかけにしばらく黙り込んでいたあと、立花先生は顔を上げてまっすぐ雨守先生を見つめた。
『ええ。
私は結婚も、授業に支障のない時期を選んだ。
子どもを授かることは、いつか、あきらめた。
この職に就いたからにはそうすることが正しいと、
どこか自分に言い聞かせていた。』
今、滴り落ちたのは、きっと立花先生の涙だ。立花先生は静かに続ける。
『だから同じような言葉をこの時代のここで聞くことで、
自分は間違ってなかったと、信じたかった。』
「でも、自分がそうしたからと言って、
それを誰にでも押し付けていいってことにはならないですよね。
それこそ、立花先生を殺したもう一人の霊と同じになってしまう。」
『そうね。
ええ、そうなの。
でも、雨守さん。
長い間に凝り固まってしまった私は、どうしたらいいのかしら?
……教えていただける?』
「肩肘張らずに考えてみましょうか、一緒に。」
優しい笑顔を立花先生に向ける雨守先生の隣に立って、私はまた握りこぶしを胸の前で小さく振った。
『そうですね! 夜は長いですからっ!』
高齢出産……40過ぎると出産の確率はごっそりと落ちます。
若い頃担任を務めるために妊娠を見送り、落ち着いた頃に出産を、と考えた時には高齢(30過ぎたらソレな)になっていて、なかなか授からない。また過大なストレスから妊娠しても流産してしまう。
教師にもそんな方が多いようです。
またそういう苦労、悲しみをご存知の方なら他の方に気配りもできますが
産めた方の中には、母親になったことがいかに大変であるか、
育休明けも権利ばかりを主張し、校務分掌で大変なものを避けまくる我儘な人も実際います。
その余波が若手に回り、若手は望んだ時には子どもが欲しくてもあきらめざるを得ない。
そんなバカみたいな図式が転がってるのも教師の闇の世界だと言えます。
(産休、育休があるのだから(恵まれているのだから)文句を言うな。
というお考えの方もいると思いますが、そういう考えに対しての私の意見は
雨守のセリフで言っています。)
個人的なデリケートな問題ですし、あまり語られることはありませんが無視できないことかと。
そんな思いからこの話を書きましたが・・・やはり重いですね。
不妊治療で全国的に有名な方の話(講演)を聞いたことがありますが、
「希望をもたせよう」なんて内容では全然なかったです。
当然卵子だって残存数も減れば弱くもなっていくからです。
それだけ難易度も高く、リスクも大きい問題だということを周知させとくべきだと思いますが……。
芸能人が40過ぎて妊娠、なんてニュースを垂れ流されると
「40過ぎでも大丈夫なんだ」と思い込まされてしまうので良くないなぁと。
それは完全な間違いなんですけどね。




