異世界召喚に、物申す!
それは俺の大事なパソコンに唐突と送られてきた。
『今、君は満足しているだろうか』
そんな出だしから始まる一通のメール。在り来たり且つ使い古された出だしではあるものの、それがこの物語の原因であり始まりであるのだから仕様がない。
オンラインゲームの途中であり、今まさに中ボスとの戦闘中だった俺にしれみればそれは邪魔以外のなんでもなかったが、しかし不思議とその続きへと視線が下がる。
『ハラハラする冒険もない。ドキドキする戦いもない。探究心、躍動感が薄れそして廃ってしまったそんな下らない世界に退屈していないか?』
どこのチェーンメールだろうか。こんな馬鹿馬鹿しいモノを送ってくるとは。
しかしおかしな話だ。世界は退屈か、なんて。
「そんなの……退屈に決まってんだろ」
そう。この世界はいつだって暇だ。アニメのような熱血バトルが繰り広げられることも小説のようなとんでもない事件が起こったりするわけでもない。そして恋愛漫画のような美少女との突然の出会いなんて全くもって皆無。
毎日毎日、やりたいこともしたいこともはっきりさせないまま学校へ通い、友達としゃべり、授業を適当に聞き流し、そして家へ帰ってくる。その繰り返し。そんな平均的な毎日が続いていくだけ。
それが俺の毎日であり、世界そのもの。
起伏もないただ平穏で平凡な日々を退屈と言わずして何というか。
『そして、もしもそんな下らない世界とは別の世界があったら?』
「は?」
思わず口から声を漏らしてしまった。
これはまた変なのが舞い込んできたもんだ。いや、最初から変なメールだと薄々気付いてはいたが、別の世界とは……これを書いた人間はどうやら頭の中がメルヘンになっているらしい。
そう思っているはずなのに。
俺はその続きを目で追ってしまう。
『剣を振るい、魔法を唱え、見たこともない冒険をしたくはないか? 今まで想像しかしてこなかった異世界へ行き、自由になりたいとは思わないか?』
「はは……なに言ってやがる」
それは、そんなものは、夢物語だ。
冒険? 異世界? そんなものあるはずがない。あってたまるものか。
だが、そんな俺の文句など無意味だと言わんばかりに文章は続く。
『君は選ぶ権利がある。この楽しみも興奮も何もないクソゲーのような世界を捨て、夢のような異世界へと行くかどうか』
そこでメールは終わっていた。ふと見てみると一番したのところでにYesとNoのボタンがあった。
「どっちかを押せってことか」
結局はよくあるワンクリック詐欺の一つなのだろう。こんなものに引っかかる奴など普通はいない。
馬鹿馬鹿しい。阿呆臭い。どう考えても悪い予感しかしなかった。
けれど俺はそのメールをすぐさま削除することができない。バツを押せば消えるというのに、何故だかそれができないでいる。
いや、理由は分かっている。原因は理解している。
それが例え他愛ないことであったとしても、それが例えただの詐欺だったとしても。
もしも本当にそんなものがあるのなら。
「……答えなんて、決まってるじゃねぇか」
そうして俺はボタンを押す。
瞬間、俺は空に浮いていた。
「……は?」
理解不能。意味不明。その言葉が俺の脳裏を支配していく。今まで俺はどこにいた? 自分の部屋だ。あの読みもしない本が散乱し、使った後に片付けもしないゲーム機とカセット、それから小説やら漫画やらがそこら中に置かれてあり、いつもいつも母親に片付けろと言われながらも先延ばしにしていた汚らしい部屋。
そこにいた。いたはずだ。
しかし、どうだろうか。現実はとんでもなく妙な物へと変化している。
「な、なんじゃこりゃああああああああああっ!?」
俺は叫ぶ。心の奥底から限りなく声を轟かせる。
そこは空だ。雲がいくつも並び流れていく天だ。俺はそれを見上げていたのではなく、そこにいる。下を見ると地上が見えた。木々が広がる大森林。その地上からここは数百、いや数千メートルもの高さの位置。
空がある。森がある。それはこの際置いておこう。
しかし、俺が空を浮いているという点に置いては無視できない事柄であった。
「ちょ、え、え? 何、なにコレ、何なのコレっ!? 変なメールのボタン押したと思ったら別の場所に、っていうか空に浮かんでるって、どんなファンタジーだよ!! 俺いつの間にそんなエスパーになったわけ!? というより、これ今どうなってんの!? おい!! 誰か、いやだれでもいいから出てこい!! 責任者出しやがれぇぇぇええええ!!」
現状に思考が追い付いていない。あまりの出来事にパニックを起こしながら、大きな声で叫び続ける。俺は今年で十七になる。もう高校二年生。そんな奴が錯乱しながら叫びまわる姿は恐らく第三者からしてみれば滑稽と思われるか、変人と思われるかどちらかだ。
そしてその人物は前者であった。
「おやおや、これはまた大いに驚いてくれているね」
ノホホンとした口調。それが声だと気付いたと同時にぐるんと勢いよくそちらへと顔を向ける。そして、絶句。
そこにいたのは髑髏の仮面をつけた、黒い人影だ。そう、人間ではなく人影である。真っ黒な体からはもやのようなものが出ており、明らかにに怪しさを醸し出している。
どう考えても普通の人間には見えない。いや、そもそもこれを人間と呼称することに疑問を抱く。
「しかしそういった反応はもうお腹一杯なんだよね。有り触れているっていうか、今風にいうならテンプレってやつかな? もうちょっと新鮮な反応が欲しかったね」
「……あんた、誰だよ」
気づいた時にはすでに問いを投げかけていた。
「わたし? わたしはそうだな……人間ではないもの、とでも言おうか。色々な呼ばれ方をされているからね。そのどれもがわたしであってわたしではない。確実なのはわたしが人間ではない、ということだけだ。敢えて名前を告げるとしたら、ジョン・ドゥ、かな。自己紹介にこれ程失礼なものはないが、しかし事実なので了承してくれ……っと、そういえば君の名前を聞いてなかったね。教えてくれるかい?」
「……戌井、健人」
おれは素直に答える。何とものんびりとした声音と口調ではあるものの、目の前の存在、ジョン・ドゥに対して警戒を取れなかった。
それにしてもジョン・ドゥとは……またふざけた名前だ。
「……ここに俺をつれてきたのは、あんたか?」
「うんその通り」
まるで子供のように即答するジョン・ドゥ。けれど、それがまた妙に勘に触る。
「目的は、何だ」
「目的ね。いや、大したことではないさ。わたしはただ気になったことを聞きにきたまでだ」
上空にいるというのに風は心底穏やかであり、ジョン・ドゥから出るもやを蜃気楼のようにゆらゆらと揺らす。
「きみはどうして『No』のボタンを押したんだい?」
その時、俺は理解した。あの理解不能なメールを出したのはこの人物であると。そしてこの訳の分からない状況はあのメールの内容が原因であると。
「正直、こっちとしては予想外の展開なんだよ。あのメールが送られる人間は絶対にYesを押す人間だけのはずなのに。あれはね、所謂最終確認みたいなもので、本来は別にしなくてもいいものなんだ。なのにきみはNoと押した。そのせいでこちらとしては予定を変更しなくちゃいけない。全く迷惑な話だよ」
ジョン・ドゥが何を言っているのか、俺にはさっぱり理解できない。
しかし、何故だかあらぬことで馬鹿にされているような気がしたせいか、俺はつい反論してしまう。
「何をさっきから言ってやがる。最終確認ってなんだよ。そもそもあのメールは一体……」
「あれは異世界への切符だったんだよ」
唐突に、ジョン・ドゥという正体不明の人物は何の迷いもなく、ただ平然に告げる。その答えを聞き茫然としている俺を他所にジョン・ドゥは続ける
「あれのYesを押せば異世界へ送り込まれるようにしてあるんだ。そう、きみが今いるこの世界にね」
「この世界って……じゃあ、何だ? この世界は異世界だとてもいうのかよ。冗談よせよ、んなわけ……」
「上、見てごらんよ」
遮るジョン・ドゥの言葉にムッと眉をひそめながらも言われた通りに首を上げる。
そこには月があった。
その数は二つ。
「っ!?」
言葉がでなかった。月の表面は見る場所によってその形が違うという話は知っている。だが、未だかつて月が二つ見えるなんてことは聞いたことがない。
空中に浮かんでいるこの状況。そして二つの月。
どうやらこの不気味な存在の言葉を信じるしかないようだ。
「……マジかよ」
「マジもマジ、大真面目さ。これがきみが小さい頃から夢を見て、憧れて、願っていた異世界だよ」
「……お前、」
「どうしてそれを、みたいな顔だね。だから言っただろう? あのメールはYesを押す人間のところにしかいかないって。表面上では異世界なんてないと思っていても、その奥底では絶対にある、または行ってみたいと強く願っている者のところにあれは届く。だからYesかNoを迫られれば必ずYesを押す。今まではね」
肩を竦め首を左右に振るその姿は困り果てた、と言わんばかりのものだった。
「さて、答えてもらおうか。どうして君はNoを選んだんだい?」
言われて考える。
あんな怪しいメールがくれば誰だってYesなど押さない。けれども、ジュン・ドゥの言う通り確かに俺もYesを押しそうになった。こいつの言葉を信じるなら恐らくメールを送られた人間は怪しいや胡散臭いなど関係なく、全員Yesを押すのだろう。そういう人物の元へ行くのだから。
ならば、何故俺は押さなかったのか。
そんなもの決まっていた。
「『この楽しみも興奮も何もないクソゲーのような世界』」
「?」
俺の言葉にジョン・ドゥは首を傾げる。
「あのメールの一文だ。俺はその一文でNoを押すことを決めたんだ」
「……理由を訊いてもいいかな?」
「理由? 理由なんて分かりきってるだろう? 何だよあの上から目線の言葉は。テメェはこの世界の何を知ってるっていうんだよ。つーか、何様なんだよ」
俺は怒っていた。この訳の分からない状況下に置いて、俺は確かに怒りを覚えていた。知らない場所で知らない人間に対し、俺は自らの意見をぶつける。
「楽しみも興奮もない? クソゲー? ああそうだよ。あの世界は確かにスリルや冒険なんてものはない。平凡で平穏な世界さ。そんな世界で俺は何度もファンタジーを望んだ。サスペンスを願った。漫画や小説のような物語を願望したよ。それは絶対に叶わないと分かっていながらな」
けれど。
「あの世界にも楽しさはある。面白いと思えることだってある。それは陳腐で極小で俺が願っていたものより遥かに劣るものだ。だけどな、それを糧にして生きている奴だっていんだよ。それを幸せだって思える奴だってんだよ。それを、テメェはつまらないだのクソゲーだの抜かしやがった。それに俺は腹が立った」
だから敢えてNoのボタンを押した。
ジョン・ドゥの言う通り、確かに俺は異世界に憧れていた。だが、自分の世界が意味のないものだとは一度も思ったことはない。
そしてそれを他人に指摘されるのは腹立たしいことこの上ない。
「……つまり、君はあの世界にも楽しみも幸福もあると?」
「ああ、そういうことだ」
俺の言葉を聞いていたジョン・ドゥは少しの間、何も言わなかった。こちらを見据えるかのようにずっと視線を逸らさず、ただ見ているだけ。
そして、雲がいくつも流れていった頃、ようやくその口が開く。
「……では、最後に質問だ。もしここできみに異世界への旅行券を渡せばどうする?」
「破って捨てる」
「即答だね……だが、そうか。なるほど。きみのような若者もいるわけか。これはわたしもまだまだだった、というわけか」
自嘲するジョン・ドゥ。それには一体どういう意味が込められているのか皆目見当がつかないが、しかし何かを決心したのは理解できた。
「戌井健人君。ありがとう。とてもいい意見を聞くことができた。きみとはもう二度と会うことはないだろうが、しかし感謝はしている。さらばだ」
パチン、と指を鳴らす音がした瞬間。
そこは俺の部屋だった。
散乱する本やゲーム。床にばら撒かれたお菓子の袋。今、母親がここにくれば間違いなく雷が落ちるであろう惨状。そして目の前にはこの世で一番大切な新型のノートパソコン。
そこは確かに俺の部屋だった。
「……、」
言葉がでない。
先ほどまでの事が嘘のような平穏で平凡なこの状況に唖然とする。
「……夢、だったのか?」
呟くがすぐに否定する。それはない。あの風景、あの状況、そしてあの存在。どれもこれも鮮明に覚えている。あれほどリアルな夢があるわけがない。
けれども夢ではないという証拠もない。
ふと、目の前にあるパソコンの画面を見る。しかしそこにはあの妙なメールはすでに存在していなかった。
デジタル画面を眺めながら考えた結果。
「……ま、いっか」
答えを出さないという結論に至る。
夢でも現実でもどちらでもいいではないか。
俺は言った。この世界にも楽しみも幸福もあると。だったらそのために生きていかなければ、あの男に嘘を言ったことになる。
「嘘つきには、なりたくないからな」
そういいながら、学校へ行く支度を整える。
さぁ、行こう。平凡な世界を楽しみに。