第2章 ピクサー・グラント
第2章 ピクサー・グラント
今日も何時もと変わらぬあの悪夢で目覚めた。
そう、【セレンティウス・グランド】と呼ばれている世界で世界を支配している魔族から我々の世界を取り戻し、人々を救えるところまで後一歩と迫っていた時の、俺のあの忌まわしい魔族との死闘の悪夢からだ……。
俺は夢の中でその戦いに辛くも勝利し、更に魔王の城に巣食うヤツらの王族全てを駆逐し、虐げられた民達に光の世界を取り戻す事に成功していた。
そして【セレンティウス・グランド】の善良な人々の王国が再建される。そこに再び天から崇高な神の光が差し込み闇を追い払って行った。魔族の城の地下深く牢獄に捕らわれていた王妃とジュリーナ王姫を救出した俺は、光の世界に解放された姫を一目見て彼女の美しさに言葉を失っていた。そして瞬時に恋に落ちてゆく。熱愛の中でお互いを確かめ合い、俺達2人は固く結ばれ結婚式を挙げる…………のだ。
世界の平和は手の届く……すぐそこまで来ていた。
否、あの時魔王城「エイビルゲイル」にあと一歩まで迫っていた状況を思い起こせば、世界の平和、俺の安息の未来は、手の中に収まっていたと言っても過言ではないだろう。
あっあっあっーーーーーーーーーーーーーーそれなのに……。
俺の悪夢はいつもこう続いて行く。
魔王は消滅した。
俺の剣は、悪魔と怪物たちの全てを駆逐し美しい大地を人属の元に取り返した。
世界に平和が戻ってきた。荒廃した大地には新たな命が芽吹き、人々の表情に笑顔が戻ってきた。
王宮の庭園で召使のメイド達に囲まれ美しい最愛の妃と過ごしている平穏な午後のひと時がゆっくりと過ぎて行く。それは長い魔族との戦いの間、幾度望んでも叶わなかった夢の刻の実現だ。
その幸せな夢は、突然落ちたクリスタル硝子の様に砕け散ってしまう。王宮の庭園が消え、王妃も農民達の笑顔も全てが消し去られる。
そして俺は幾度となくあの忌まわしい『ウルフガング・リガルディ』との死闘の瞬間に経ち戻っているのだ。その後は今日と同じストーリーを辿って、悪夢の中でうなされて続けて全身に汗をかき、跳ね起きる様に暗闇の中で眼覚めるのだ。
あの時、俺はヤツとの死闘で命を奪われる事だけはなかった。
しかしそれは幸いだったと言えるのだろうか。いっそあの時殺されていればと、何度思い返した事だろう。
だが、ヤツの魔力では俺の命までは奪いきれなかったのだ。
それがあの時のヤツに出来る限界だった。
俺の体は結晶結界の中に保護されている状態だったから、ヤツはどうしても止めを刺すことが出来ずに、仕方なく忌まわしい魔力の力を使い、俺の周囲数センチを取り巻く結晶結界ごと、何処かの空間に飛ばし去る方法を選んだのだ。
それからどれほど時が経ったのか……。
俺の肉体は、何も見えない……一筋の光さえ届かない無の空間の中で静止したまま結界結晶に守られて浮遊し続けている。
その日は何かが違っていた。夢から覚め、漆黒の闇の中で気が付いた時、俺は【セレンティウス・グランド】での俺自身の肉体でない誰かの体の中で意識が覚醒した事を感じ取った。どうやら以前とは別の肉体の中に俺の意識があるようだ。体の中に血が通う感覚がある。意識すると手足を動かすことが出来る。どうしたんだ。ヤツの魔法が解けたのだろうか?
解けたとしてもそこは無の空間の中だったはず。これは果たして俺の体なのだろうか
闇は少しずつ薄れていった。周りの家具や窓から差し込む薄明かりが分かる。俺は寝心地のいいベットの上に横になっているようだ。首を少しずつ左右に回してみる。俺の意識が命令するのに従って頭の向きが変わる。俺はどうやら体を手に入れることが出来たようだ。手足があり、目も見える。これは五体満足な人間の体なのか、それとも……。
俺は今の自分の姿を確認しなければという強い衝動に駆られた。腹筋に力を入れ、両手を着いてベットから起きあがり薄明かりが漏れるカーテンを引いた。朝の光が部屋中に満ちた。
周囲を見ると、そこは「セレンティウス・グランド」では見た事も無い平坦な硬い白壁に囲まれた狭い部屋の中にいることに気が付いた。
急いで窓から外を見廻す。地上が下に見える。かなり高い位置にある部屋の様だ。
窓の外は俺が住んでいた「セレンティウス・グランド」では見たことのない風景が広がっていた。木々など自然を感じさせる風景は見渡す世界の中にほんのわずかしか見当たらず、長方形の箱を高く積み上げた様な人が住んでいると思われる幾何学的な建物が無数に地平線の果てまで連なっていた。
俺はその窓をそっと開けてみた。
窓の外を静かにゆっくりと風が流れて行く。空気は「セレンティウス・グランド」より酷く汚れている様だ。深呼吸をすると咽喉が咳き込む様に息苦しい。
ここはとても空気の汚れた世界のようだ。俺は忌まわしい前世の記憶を抱いたまま別の肉体に転生したんだろうか?
死んだのだろうか? 死んだにしては意識が妙に継続しているように感じる。記憶に断片的な部分が無い。
俺は自分の両手で恐る恐る体全身を触って確かめた。以前の勇者の肉体と比べ、全身が柔らかい、年齢も幾分若いようだ。しかし生れたばかりとは思えない。もしそうなら俺の意識はど
おしてこの肉体の中に目覚めたんだろう……?
俺は窓からそっと頭を出して、この場所がどうなっているのかを確かめようとしてみた。
周囲を見渡してみる。
どうやら今俺は高い塔か建造物の中に捕らわれている様だ。幽閉されているのだろうか? 窓から下を見ると、小さく人が歩いている。ここから地面までの距離は数十メートル程度だ。
(よし、地上まで、飛んで見よう!! 多少は足を痛めるかも知れないが、上手く降りれば木々が衝撃を和らげてくれる。運が良ければ無傷で着地出来るだろう。ここからまずは脱出しないと!!)
俺は飛ぶことには自信があった。高さを恐れたりしない。そうたがを括って今いる建造物の部屋の窓からゆっくりと身を乗り出して、呼吸を整える。
『止めてくれぇ!! ここはマンションの6階だよ。せっかく僕の所に来てくれたのに、何もしないで、僕と心中するつもりなの!!』
突然、俺の頭の中に誰かの叫び声が響き渡った。
(今の声、誰だぁ?、どこにいる?)
俺は心の中でその声に叫び返した。
『その「誰だ?」は、僕のセリフだよ、君こそ誰だい?僕の頭に飛び込んで来たのは君の方だろう?』
俺の頭の中から聞こえる声はゆっくりと落ち着いて、そう俺に喋り掛けてきた。俺の気持を慌てさせない様に気を使ったのだろう、俺はすぐそう感じた。やはり俺は無条件でこの肉体に転生してきただけではないようだ。俺は俺の中で聞こえて来るその声に向って、気持ちを落ち着けて答えた。
(俺の名はピクサー・グラントだ。此処に来るまでの職業は騎士、父の血を継ぐ村を守る勇者の家の生まれだ。どうやってこの体の中にいるのかわからないが、意識だけははっきりしている。俺がここにいる理由を君は知っているのか?)
『ふっふっ分かってる。どうやら僕は君の考えてる事は、意識しなくても自然に伝わってくるみたいだ。グラントには僕の気持は伝わっているかい?』
俺と同じ頭の中でさっきと同じ声がそう答えて来た。
その声に従って、俺は今喋りかけてきた声の意識に注意を傾けた。そうすると声のいう通り彼の意識が俺からも読み取れる事が少しずつ分かって来た。
彼の名前は村雨圭祐と言うようだ。
『そう、僕は村雨圭祐、この体の持ち主さ、今は君の意識が入って2人の体になったけど、元々意識は体の中に僕一人だった。とりあえず今僕たちのいるこの位置、危険な窓の桟から降りて、部屋の中に戻ろう。話はそれからだ』
俺は圭祐の言葉に一旦は従って、ここから飛ぶことは断念した。ゆっくりと体を部屋の中に
戻した。どうも窓が一つしかない部屋の中にじっとしていると外を自由に駆け回りたくなる。狭い場所は苦手だ。部屋の床に立ち、一息つくと圭祐の声が聞こえてきた。
『今はもう、体のコントロールはキミの方に主導権が移っている様だから、君に任せるね。その方が僕は気が楽さ』
(圭祐っていうのは、めんどくさがり屋の男なのか?)
『ああっそう思ってくれて構わないよ。一つの体に2つの意志がぶつかり合ったら歩く事だって不自由だろう』
(それは、そうだが……俺の世界にそんな億劫がる者はいない。いたら直ぐに獣の餌食だ)
『この世界にいる獣は大概檻の中さ……その代り人間関係が生き辛いのかな』
(そうか……そう言う世界なんだな)
俺は窓を閉めた。そして圭祐の意識に同調しようと、試しに自分の気持ちを彼の意識に向って集中してみた。すると膨大な情報が彼の記憶から俺の意識の中に流れ込んで来た。
俺はそうしてこの世界、俺の今置かれている状況、村雨圭祐の事などを瞬時にして概要を知ることが出来た。そのあまりの情報量に混乱してしまい、心の扉を一旦閉ざして大きく深呼吸した。額には薄らと冷や汗が滲んでいた。
(そうか、この高さ……マンションというビルの6階から飛び降りると人はぺしゃんこになるのか……。地球の人……人類って言うんだっけ、は随分とひ弱なんだなぁ)
『君達、「セレンティウス・グランド」の人達こそ強靭で素晴らしいよ。もしかしたら此処の星の重力がかなりそっちとは違っているのかも……』
圭祐が教えてくれた。飛ばされた異世界の名は、此処に住まう人類から「地球」と呼ばれている惑星のようだ。
『そうだよ、この星の名は地球さ。ピクサー・グラントは勇者なんだね。良かった、僕は強い心を持つ勇者に成りたかったんだ。僕の所に来てくれて嬉しいよ。ところで僕は君の事を何て呼んだら良いのかなぁ?』
(俺の呼び方? それは圭祐が好きに呼んでくれて構わない)
『それじゃぁ「グラン」でどう?』
(俺は構わない、グランか……気に入ったよ、俺は圭祐をどう呼んだら良い?)
『今のままの圭祐で構わないよ、学校の友人達からもそう呼ばれ慣れてるし……』
俺は圭祐が気に入った。落ち着いていて思いやりが在る良いヤツだ。
圭祐も俺の事を気に入ってくれたようだ。それは俺にはすぐに分かった。
こうして俺は地球に来てすぐに、油断して寸前の所で6階から地上に飛び降り、同時に2つの命を失うところを圭祐に助けられたことになる。最もその命の1つは圭祐自身の命だが。
そして彼の意識から俺の意識がどうしてこの体に呼ばれたのかの推論を聞き、その理由になんとなくだが、納得する事が出来た。