第3章 実宝(ジッポー)
地球に転移してきたグランは当初から、圭祐の部屋の中に何かの気配を感じていた。それは生き抜いてきた勇者の感だった。ついにその正体が明らかになる。
第3章 実宝
(あれ?まただ……)
俺はこの世界に飛んできた時から、室内に誰かの視線を感じていた。
この部屋の中に何か俺達以外の誰かがいるんだ。
最初はそれが気のせいかと思っていた。しかし、どうやら俺の感は正しいと確信する様になっていた。それを圭祐に相談すると……
『この部屋に僕達以外に誰かがいるってぇ?
そんなぁ、僕は何も感じないなぁ……それってグランの気のせいじゃない?』
軽くそんな感じでスル―されてしまった。
しかし、断じてこの感覚は気のせいじゃないと俺は確信していた。俺を見つめる誰かの視線や生き物の気配に気付けないようなら、日々の生活を戦闘の中に置いていた世界ではそんな鈍感だったら一瞬のうちに命を断たれていただろう。
最も、今俺に向けられている視線はそんなに凶悪な殺意が込めらたものじゃなく、もっと穏やかな視線なのだが……。
それなので気に掛けなくてもそれほどの大事にはならないだろうと思っていたのだ。
圭祐は無論、俺の気のせいだと言うし……。
(お化けでもいるのだろうか……)
この見られている感覚は日増しに強く成りつつあった。圭祐のヤツはなんでこんなにはっきりとした視線を感じ取れないんだろうか。彼がこの世界の人間だから、この世界の人間はみんな鈍感なのか……微弱な感性がこの世界の一般的な人の感覚なのか?
むしろそれが不思議に思えた。些細なことだが、俺達の世界と精神構造が微妙に異なる証に思える。
そこで俺は横になって周囲に感じる視線に気を込めていた。そいつがどこに居るのか、感じ取れないか、気持ちを集中させようと繰り返していたのだ。視線を感じるのは俺の寝転んでいる足先の方からの様なのだが……。
(どうにも、分からん!!)
どうやらそれは難しいと分かり、気を取り直してベットからゆっくりと起きあがりキッチンに向った。
『グラン、だから何にもいないんだって』
圭祐の居住しているマンションは2LDKだ。この寝室とキッチンと物置部屋しかない。毎日過ごしている空間がたったこれだけのスペースしかないと窮屈に思うかも知れない。でも俺はなんとか慣れた。適応したのだ。今の俺にはそれで十分なのだ。むしろこの広さは気が楽に感じられるようになった。
今日も朝の日課を行う。
まず「ピーちゃん」にご飯をあげよう。それから「ピーちゃん」のケージが汚れていたら掃除もする。「ピーちゃん」はひょんなことからここの住人になった雛だ。俺は自分からペットは飼わない主義なのだが、来るものは拒まずだ。俺が来た日に窓の隙間から飛び込んで来た雀は、名前を付ける前に、この部屋で少し休んでいたら元気よく飛び立って行ったので、この部屋の住人にはならなかったのだ。
「ピーちゃん」は訳在ってこの部屋に住み付くことになったのだ。
俺達は腹が減ったので何か食べようと思った。昨夜はネトゲーを夢中になってやり続けたので何も食べていないことに気が付いた。
(圭祐、何が良いかな?)
『何時もので良いよ』
(体を造っていくのに、インスタントばっかりじゃあ……)
『メンドイだろう、それは今度考えるって事で……』
(そうだが……まあ、今日の所は、圭祐に従おう……すぐになんか食べたい気分だ)
というわけで、カップ麺にしよう。
ネットではカップ麺が如何に栄養が無くて、体に良くない発癌性の防腐剤とかを多用しているかとか書かれているが、知ったこっちゃない。簡単に美味しい食事が出来る事は素晴らしい。そんな事書いている皆だってしっかり食べ比べてから、○クシ―とかに感想アゲてるに決まってるんだ。
だからネット民は皆インスタント、レトルト食品の味にうるさく、新商品が出ると食感について挙って書き連ねている。そうに決まっている。皆好奇心旺盛でインスタントは大好きなんだ。圭祐の元々の食生活は部屋から出ず引き籠りを続けているので、必然的に保存食に頼る比率がたいへん高い。俺の世界にはインスタント食品と言うモノは無かった。旅に出る時に携帯していく乾燥食品が多数あっただけだ。
このインスタントの味は食べると癖になる。実は俺もこの世界のインスタント食品を食べたらすぐに病み付きになってしまい今では旨くて仕方ないのだ。
部屋に引き籠っているうちに明かに味覚が変化してきているのを感じてしまう。
まあ、そんな事は些細なことだ。お気に入りのカップ麺を買い置きのダンボール箱から取り出して封を切り、お湯を温めようと水道からヤカンに適量の水を入れて、コンロに置いた。
コンロの火を付けたのだが、俺が眼を逸らした途端コンロの火は消えていた。それは良くあることだ。
残留魔法「カーマナイト・スピリッツ【KS】」はこの部屋の中の家具、無機物に対しても、例外なく作用している事を知っている。
今までこの部屋の風呂がガス爆発を起こしていないのが不思議なくらいだ。ガス漏れとかは、今日まで細心の注意を払って俺は切り抜けてきた。
その時空腹に耐えかねて冷蔵庫の中を覗きこんでいた。
冷蔵庫のドアを開けて、そこから卵とか、ソーセージを出そうと一瞬コンロから眼を逸らしてしまったのだ。
しかし、すぐにガスの匂いに気が付いてコンロの火を止めて、換気扇を回した。
危なかった……。【KS】なんかにやられるものか。
その途端だった。ガクンガクンという異様な音を発てて、換気扇の中心のモーター部分が激しく振動し始めた。それと同時にモーターの繋ぎ目から黒い煙を吐き出し始めた。
「ヤバい!!」
俺はそう叫んで、換気扇のスイッチの紐を思いっきり引っ張った。
すると……それはなかなか起きるとは考えづらい偶然なのだが、その紐が引っ張ったタイミングでプッツンと切れてしまったのだ。
「うっそー」
俺はその紐の切れ端を掴んで叫んだ。
それでも不幸中の幸いというか、今の衝撃で換気扇の紐が切れるより一瞬早く換気扇のスイッチも切れてくれたようだ。
モーターの回転が徐々にゆっくりになり、煙もそれに伴って収まってきた。またしても危ないところだった。
【KS】環境では、家の中にじっと引き籠っていても、何かをする度に危険が一杯なのだ。
こんな事はしょっちゅう起こる。
この前は、圭祐の母が買って置いて行った食品を入れてあったダンボールの中の卵の箱詰めから雛が生またのだ。
販売されている卵は無精卵なんだから有り得ないだろうと思うのだけど、実際に生まれたんだから仕方がない。
こんな事が続いていればヤツの魔法【KS】の効力が衰えていないと思わざるを得ないわけだ。
俺が眼ボールから冷蔵庫に移す食材を選んでいたら、卵のパックの中の1個がひびが入っている事に気が付いたんだ。俺はその1個をケースから出してテーブルの上の皿において置いた。
見ていると卵は動き出し、殻を破ってピーちゃんの登場になったのだ。
(これは災難と言うわけではないんだろうが、聖母マリア様がキリスト様を出産された様な大事件ではないだろうか!!)
俺がそう言うと、圭祐は……
『いやいやそれ程驚かなくても、無精卵に有精卵が混じっていることは、無い事もない……』
と教えてくれた。
この雛はこの家で生まれたのは、きっとなにかの縁だと思ったので「ピー」と名付けて餌をあげて育ててあげることにした。
俺達の現在の唯一の同居人だ。俺達の朝飯の前にご飯を挙げていたのはこいつだ。雄か雌か判然としていない。
カップ麺一杯食べるのに一苦労だ。こんな目に会うのなら、せっかく沸かしたお湯でカップ麺1杯はもったいない。もう一杯食べるか……。俺は真剣にストックのがダンボールの中から銘柄を選び始めた。
(腹が減ったから……)
俺がそう言うと、圭祐は慎重に答えた。
『いや待て、しかし……ここで2杯も食べたらもっとブタになる……』
それもそうだが……。
(あああっどうしよう……インスタント食品はやっぱり癖になる)
『もう少し、このまま待っていると食べ物が胃に降りて来て多少満たされて来るから……待つと良い。あと重要な事なのだがインスタントは2杯めはあまり美味くないぞ』
と圭祐が賢いアドバイスをくれた。
そんな事を悩んでいると、俺とピーちゃんしか居ない筈の部屋の中から、突然けたたましい笑い声が響き渡った。
「あはははははっ
何おかしなこと一人でブツブツ言っちゃってぇーーーーーーーー。
あはっはっはっはっ圭祐ったら」
その声は、全く突然に俺が座っているキッチンの椅子のすぐ近くから聞こえてきた。
しかしこの部屋には俺以外誰もいない筈だ。いやしかし、錯覚じゃない、はっきりと女の子の可愛らしい笑い声が俺の耳に飛び込んできている。俺は慌てて何度もキッチンの天井、隣の部屋とかを見回して声の主を探し続けた。
(これだ!! ずっと俺がずっと気に掛けていた何かの気配の正体は!!)
「圭祐は前からちょっとポッチャリさんだったよ。少し前までは……実宝はそう思う。
毎日、毎日部屋の中に閉じこもって、中2病みたいなおかしな空想を繰り返していて、見てるだけでも可愛そう。実宝助けてあげたい」
「誰だ!! 聞こえるぞ、どこにいる? 姿を現せ!! 今日の俺の体重は58キロ、体脂肪は24だ」
「ここだよ、ここ。実宝はすぐ近くにいるんだからぁ」
そう言われて俺は焦った。更に部屋中に眼を凝らして行った。
(ダメだ、見えない。しかし何かの気配は感じる様になってきた。俺だけしかいない筈のこの部屋の中に誰かいる……圭祐分かるか?)
『分かんないよ。幽霊でもいるのかなぁ? 怖いよ』
俺は姿の見えない外敵に対して構える様に警戒しつつ、少しずつ体勢をずらしながら壁を背
にして全身の神経を研ぎ澄ませてし周囲を観察した。
それでも、見えないもんは見えない。
「やっぱり、実宝の事見えないんだね、仕方ないか……愛が足りないんだよぉ圭祐の」
「なに言ってる!! 見た事も無い相手を俺の方からどうやって愛せるんだぁ」
「あ……あれ? 実宝の声、圭祐……ホントに聞こえる様になってきたの……ホントに?」
「ああっ聞こえる、はっきりとな。実宝とかいうのか君は。俺にははっきり聞こえるぞ、どうだ。だから姿を見せてくれ……」
「そうしたいけど、それが実宝の自由にはならないんだ、だから圭祐に声が届いただけでも実宝は今はとっても感激なのぉ」
「確かに届いてるさ。出来るなら君の姿も見てみたいけどね」
「実宝も見て欲しい、実宝結構外見には自信あるんだよ。国一番の美少女って言われてたから……胸も最高だけど太股も自信があるの」
可愛い声の主は楽しそうにそう言った。
『この部屋に誰かいるって……。そんなの有り得ない、普通じゃあ……』
圭祐は完全にパニクってる。俺は自分なりに考えてみた。
(普通じゃないというと思い浮かぶのが魔法「カーマナイト・スピリッツ【KS】」だが、それによって何かが発生確率の激レアな何かが出現したということなのか……。それはちょっと違うと思う……)
圭祐が口を挟んで来た。
『それとも引き籠っている僕の妄想が現実化した……強烈にコミュショウが悪化した為に……?』
(おい、圭祐やめてくれよ、今でさえ俺達は傍から見たら完全なニ重人格に見えちゃうだろうし。この上、妄想癖とか乗っけないでくれよ)
『グラン、こんな事は考えたくないが、人と話もしないでずっと部屋の中に籠っていると、妄想が広がっていくってこともあるかもしれないと思っちゃってさ……マジで』
(俺は以前いた世界では女の子なんてずっと眼にする事も無いような環境だった。俺の方こそ妄想とか湧いて出ても不思議はないんだが……)
『グランまでそんなこと言わないでよ。怖くなるよ』
(悪い悪い……だけど圭祐、この部屋には何かいるグラン。俺は前からそんな事言ってただろう)
『確かに、グランはそんなこと良く言ってたよね』
(だから、これはきっと妄想なんかじゃない)
そう言って俺は周囲に全神経を集中した。
(だめだ、何かいる感じはするんだが、やっぱり掴めない。声さえどの方向から聞こえてくるのか分からない……)
俺の戦士としての勘もこんなもんなのかぁ。俺は声の主の姿を見極めようと言う試みは何度やっても無駄の様だ。諦めるしかないか。
(しかし、この可愛らしい声は俺達に全く害意は持ってないようだし、ムキになることも無いかもなぁ、圭祐)
『そのようだ……でも僕は怖いよぅ』
(お化けとかが此処にいるとして、声が聞こえるってのはかなり強力なレベルじゃないかと思う)
俺は言葉を続けた。
『圭祐が最近、誰かと話すと言えば宅急便屋さんか圭祐の母親千夏さんくらいだった。揚羽は招かれざる客さ。そんな毎日だったから、深層心理で耐えられないほど人恋しいと思う様になっていて、こんな幻聴を聞いたって不思議はないか……。そういえば以前バスルームで幽霊にあったことがある。あれも今思えば僕の幻想だったんだろう』
俺達の会話に関係なく実宝が喋り始めた。
「圭祐、最近かなり筋肉締まって来たと思うよー自分でもそう思わない?
それまで圭助は、高校2年生としてはかなりポッチャリだったけど最近はもう見違えるように筋肉質になってきたもん。もう完璧、不動なんだから、実宝も思わず見とれちゃうぅー。ダイエットは自覚から始まる……自分を律する男って素敵。実宝また、圭祐に惚れ直しちゃったよ」
「ほっといてくれ。お化けに惚れられたって嬉しくない」
俺は恥ずかしさから、ちょっと素っ気ない言い方をしてしまったと思った。
「実宝お化けじゃないもん」
「じゃあなんなんだ?」
「でも、実宝悲しいなぁ。圭祐のひとりごと聞いてるとホント悲しくなっちゃうよ。どっかの悪魔のせいで自分はこうなったとか、悪魔のせいでああされたとかぁーーーーーー有り得ないでしょ」
「はぁじゃない。俺は本当に凶悪な魔道士のせいでぇ!!」
俺はつい、声の主の言葉にかっとなって回り中の空間に叫びかけていた。
「男だったら潔く今までは引き籠ったポッチャリでしたって認めちゃいなよ。今は引き締まってるんだからそれで良いじゃん」
「そこじゃなぁ―――い」
「あっそう。異世界の悪魔の方ね。そんな聞いた事も見た事も無い魔道士とか引っ張り出してきて、一人でブツブツ言い訳するのは止めようよ。実宝悲しくなっちゃうぞ」
「なななっ何を言ってるんだぁ魔道士『ウルフガング・リガルディ』は現実に存在するんだ、本当に。俺は……ヤツのおかげでこんなめに……俺はヤツに……やられたんだ……」
ジッポーは異世界の王女の魂? それとも単なる圭祐の妄想? いやいや、普通のマンションの呪縛霊だったりして…?