ヴェロニカ Ⅱ ――、動く ②
――時間はすこしさかのぼる。
フィーが巾着袋をとりだして口をひらき、無造作にさかさにした。琥珀亭の客間の円卓のうえに、コロコロと転がり落ちるいくつもの小さな石。親指の爪ほどの大きさのさまざまな形をした石が、小窓から差しこむ西日をうけてキラキラと輝いている。
「ラキ、彩剛石がほしいのでしたら、わざわざとりにいかなくても」
フィーはちらばった石をていねいに並べてから、卓をはさんで正面に座るラキシスに
「これなんか、いいかも。護符にもなりますし、加工もできます」
と、ひとつの濃紫色の丸い小石をさしだした。
ラキシスは昼間にカニムから受けたバイトの話をしようとしていたのだが、まだ話をはじめたばかりで、どうやらフィーは勘違いをしたらしい。
「フィー、気持ちはうれしいけど、カニムさんから頼まれた仕事で彩剛石を掘りにいくんだ]
「……どこへ? そうかんたんに見つかるものでもありませんのに」
フィーは明らかに気乗りしていない様子だ。濃紫色の小石を日の光にかざしている。
「場所は、ヴェロニカ湖のほとりにある鉱床。彩剛石がどこに埋まっているか見つけるのは、魔導士のアリエルさんがやってくれるから、僕たちは言われたところを掘るだけでいいって話だった」
フィーは相変わらず小石を見ていて、ちゃんと聞いているのかどうかわからない。フィーの反応をもっとよくたしかめようとラキシスが身をのりだしたとき、小石が七色に輝いて、その微妙に変化する色彩に、ラキシスは心を奪われた。――同時に、どこかで見たような――
「たとえ魔導士が一緒でも、地中からこの大きさのものを探すのですもの。どれだけ大変か……。それに、これでも大きいほうなの。ラキ、彩剛石がどういうものだか、わかってます?」
(そう言われると……。たしかに、こんなに小さなものだなんて聞いてなかったし、思ってもいなかった……。仕事をもらいたい一心で安請け合いしちゃったかな……)
つかの間、ラキシスは口ごもった。
「魔法に使うものだって。とても役立つもので希少なもの。だから、手間ひまかけても手にいれたい。それほど、価値のある石……」
ラキシスはカニムから彩剛石のことも含め採掘について詳細に聞いていたわけではない。なのでアリエルもまじえたやり取りのなかで、彼が抱いたこの石の漠然としたイメージをフィーに伝えた。
フィーが横目でラキシスを見つめる。
「この石は、わかりやすく言えば宝箱のようなものです。彩剛石に魔法という宝物をいれてしまっておくのです。ちゃんと鍵をかけておけば、中の魔法は時間がたっても変質しないし、失われることもない。石の質の良いものになると、ふつうならかけ始めてからかけ終わるまで、それこそ何日もかかってしまうような魔法まで、可能です。……それで使いたいときに鍵をあければ、とじこめておいた魔法を使うことができるのです。当たりまえに魔法をかけるより短い時間で強力な魔法をかけることができるので、便利ですが――宝箱になるような上質のものはほんとに数が少ない」
ため息まじりにつぶやかれたフィーの最後の言葉は、ラキシスの耳に届いてはいなかった。
「……魔法の剣とか、杖とか衣とか……、そういうのと、同じ……?」
子供のころ図書室で時間がたつのを忘れて読みふけった古の英雄達の物語。人外の強大な敵にたちむかうため、ときに神の加護としてあたえられ、また英雄達がおおいなる力の眠れる地にて試練のすえにかちとったもの。彼らをたすけ、ときに悩ませた不可思議ですばらしい魔法の道具の数々が頭に浮かんできたのだ。先程までとはうってかわって、ラキシスは目を輝かせて、彩剛石の粒に見入っている。
「……ラキ、魔法に関心があるのですか?」
ここでようやく、フィーがラキシスの方を見た。
「え? え~っとぉ、子供のころ憧れたんだ。すごく。でも度がすぎるって、そんなの物語の世界だけのばかばかしい迷信だって、母さんによくしかられた」
そのときのことを思い出したのか、ラキシスは小さく身をすくませた。
「……憧れては……考えるのもいけないことなんだと思ってた。――ここは……、間違いなく魔法の存在する世界なんだよね?」
「……わたしは、ラキの言っている物語を知りません。その世界では、どのような魔法がつかわれているのですか?」
フィーは、ラキシスの話に興味をもったようだ。菫色の瞳が好奇心で輝いている。ラキシスは自分の好きな物語にフィーが関心を寄せてくれたことがうれしくて、話題がすっかりずれてしまったと頭のすみで自覚しながら語りはじめた。
彼の世界に伝わる剣と魔法の夢物語を――
春とはいえまだ肌寒い早朝のぴんとした空気のなか、ヴェロニカの林から登る朝日を背に、三人の人影が見える。
ヴェロニカの丘の小川にかかる橋が、彩剛石の採掘に向かう一行の待ち合わせ場所だ。ラキシスとフィーは、他の仲間がすでに到着しているのを街道からみとめて、歩みをはやめた。
橋のたもとで彼らを待っていたのは、アリエルと、ふたりの男。中肉中背で黒髪の無精髭をはやした男と、もうひとりは、小柄な鳶色の髪の少年。
「おはようございます。お待たせして、すみません……」
待ち合わせの時間に遅れたわけではなかったが、三人を待たせたことに変わりはない。だが、このラキシスの挨拶は、彼らの耳にはとどいていないようだった。
三人の視線は、フィーに釘づけになっていた。魔導士長お墨付きの、『この世のものとも思えぬ美しい』第一世代を間近で見て、魂をぬかれたようなありさまである。
(……やっぱ、フィーを初めて見るひとは、そうなるよね……)
朝の白い光をあびて、輝く銀髪、菫色の瞳は、……感歎の眼差しをむける彼らを見てはいなかった。
(…………?)
フィーの視線の先にあるのは、鬱蒼としたヴェロニカの森。
「……フィー?」
ラキシスの呼びかけにフィーが振りむく。そのとき、ようやくアリエルが、フィーの呪縛からとかれたらしい。同じく呆けていた、ふたりの男の脇腹をこづいた。
「フィー、どうかした?」
ラキシスとフィーがふたりで見つめあっていたら、前方から、こほん、と小さな咳払いが聞こえた。
「失礼。自己紹介が、まだだったので。俺は、レニー。こっちが、ガイ」
鳶色の髪の少年に指された黒髪の男が、ふたりにかるく会釈をした。
「俺達が、採掘中の見張りと、あんた達の警護をする」
レニーとガイはふたりとも、ハードレザーの鎧と短めの剣を帯びていた。ふたりの目が自分の長細の剣に向けられているのに気づいたラキシスは、
「すみません。こんな長い剣、坑道じゃじゃまになりますよね。でも、ちゃんとナイフも持ってきてます。サラさんに、剣はおいていけって注意されたんですけど……」
頭をかいてぺこぺこと言い訳をはじめた。
「僕こちらに来るまで、剣なんて持ったことなくて……。初めて手にしたのが、この剣なんです。ずっとこの剣で稽古をしていたし、なんかこれがないと落ち着かないというか、こころもとなくて……」
「いや、そういうんじゃないんだ。」
レニーがばつが悪そうに髪をかきあげて、隣りに立つガイをみやる。ガイが小さくうなずくのを確認して、レニーはラキシスに視線をもどした。
「俺達があんたの剣を見ていたのは、長さを気にしてというわけじゃないんだ。その剣で、あんたが戦士なんだってことを確認してたんだ」
(……?)
ラキシスのきょとんとした顔に、ふたりが苦笑する。
「十三月生まれ――ミシュアの月の生まれは、魔導士になるものが多いんだ」
「俺がこっちに来てから十三月生まれは、ずっと魔導士が続いてたんだ。だから、つい見ちまった。悪かったな、気にしないでくれ」
ガイが手をあげて謝ってくれたが、ラキシスには、なにを謝られたのかがよくわからない。
「その十三月生れって? 僕は二月――リヴルの月の生れです」
「十三月の、ミシュア神の祭りでくじを引いてこちらに来たものを、そう呼ぶのよ」
戦士三人の要領をえない会話が続くのに、アリエルはほんの少しだが苛立っているようだった。
「ちなみに俺は、四月のリプエ神の祭りで来たから、四月生まれ。最初は慣れないだろうがこっちの生活が長くなりゃ、そのうちラキシスも十三月生まれのほうがしっくりくるようになるだろうさ」
レニーの言葉に、ガイも同意見のようだった。
さらに、ガイが続ける。
「十三月生まれには、魔導士長もいるし、優秀な魔導士が多く出てる。それで、今年も魔導士になるものが来るだろうって、街のみんなが思いこんでた」
(…………魔導士長……)
ラキシスの顔から、さぁっと血の気がひく。
(…………あのときの、あの凝視は、それもあったのか……? 僕に魔導士としての才があるか見極めにきてたって、ゲルトさんが言っていた……)
いずれにせよ、自分が魔導士長や街のひとびとの期待をはからずも裏切ってしまったのだという事実は、かろうじて理解できた。理解して、落ちこんだ。
「わたしは、八月――スガルの月の生まれだけど、魔導士よ。悪かったわね。優秀な十三月生まれの魔導士じゃなくて」
アリエルがわざとらしく、少しすねたような口調で割ってはいってきた。
「悪かったよ、この話はここまでだ」
レニーが、どんよりとうなだれてしまったラキシスに声をかける。
「ここで、そんなことをいちいち気にしてても始まらないからな。ミシュア神の加護をうけているくらいに思ってりゃいいんじゃないの。なんであれ、俺達は、新しい仲間は大歓迎だ。改めてよろしくな、ラキシス」
レニーはさわやかに笑って、ラキシスに手を差し伸べてきた。
「その、……使い慣れている剣を持ってきたっていうラキシスの気持ちは、俺もよくわかる」
ガイが照れくさそうに腰の短剣を握った。
「俺も、前回の彩剛石の採掘の時は、ラキシスと同じように長剣を持ってきていた。リハビリを兼ねた、久々の仕事だったからな。坑道の中じゃ使えないってわかってても、ここにあるってだけで安心するんだ」
「リハビリ?」
レニーの問いに、ガイの表情がゆがんだ。
「ああ。エストで怪我をして、療養のためにヴェロニカに戻されたんだ。もうだめかと思ったが……。ヴェロニカの魔導士長にたすけてもらった。……あのひとは、すごいな」
「それはもう。魔導士長様は天才です!」
ガイの感嘆に、間髪いれずにアリエルが同調した。心なしか、ほほがうっすら上気している。
(……アリエルさん?)
ラキシスだけでなく、レニーとガイにもまじまじと見つめられ、アリエルの顔がますます赤くなっていく。さすがにこれは、ラキシスにもわかってしまった。
どこがいいのか――なんて聞いたら怒るだろうな~……などと想像をめぐらして身震いする。
「エストまで行ってたんなら、ここの採掘の警護なんて楽勝だ」
レニーはガイの背中をぽんとたたいて、
「時間をくっちまった。行こう」
と皆をうながした。
ようやく出発した一行から、遅れがちになるフィーを気遣ってラキシスが振り返る。
フィーはなにごとか、考えごとをしながら歩いていた。