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ヴェロニカ Ⅰ  フィー、ギルドにはいる

 翌日、まだ夜の明けきらぬうちに琥珀亭に、突然の来客があった。

 厨房のほうからにわかに聞こえてきた物音に、食堂の長椅子で眠っていたラキシスは、熟睡中におこされるはめになった。

 ――昨日いちにちでいろんなことがあって、昨夜はなかなか寝つけなかった。突き上げ戸の板の隙間からのぞく外は、まだ真っ暗だ。

(こんな時間に……?)

 暗闇の中、厨房の奥からランプの灯りがこちらに近づいてくる。長椅子から半身をおこして、ぼんやりと灯りのすすむ先をながめていたラキシスは、その灯りに浮かびあがる人物をみとめて仰天した。

(……魔導士長っ!)

 忘れもしない、カラーレスで目覚めたばかりのラキシスを、ねめまわしていたあの男。店主のサラに案内されて、階段のほうへと歩いていく。突如としておそってきた悪寒に、ラキシスが思わず毛布をひっかぶった拍子に、長椅子の脇に立てかけておいた剣が、かたい石の床に転がった。

(……しまった!)

 暗闇をきりさいて響く重たい金属音に、魔導士長の歩みがとまる。

 魔導士長は、このカラーレスでただひとり、ラキシスがもう二度と関わりたくない相手だった。固唾をのんで、魔導士長の様子をうかがう。

「……ラキ?」

(うわっ!)

 サラがかざした灯りで、ラキシスの姿が魔導士長からも見えるようになってしまった。

「ごめんね、起こしちゃった?」

(…………)

 もとはといえば、ラキシスが剣を倒してしまったのが原因なのだから、サラを責めるのはおかどちがいだ。それはラキシスもよくわかっている。わかっているのだが……

(もう、……間がわるいよ、サラさん……)

 魔導士長にまたしても直視されるという最悪の状況に、やはり、心のうちで恨みごとのひとつもこぼしてみたくなる。

「いえ……、なんか、眠れなくて……」

 ごそごそと毛布から顔をだしながら、口をついて出たのは、まるでちがう言葉だった。

「それより、どうしたんですか? こんな時間に……」

 魔導士長の注意をほかにそらすべく、なげかけたラキシスの言葉は、さらなる悲劇的な状況をよびこむことになってしまた。

「ラキシスくん、起きているなら、ちょうどいい。きみにも一緒にきてもらいたい」

(…………いまさら、寝てるふり……、なんてむりだよね……)

 どうせなら、ねぼけて剣を倒したふうをよそおって、狸寝入りをきめこんでおけばよかったと、ほぞをかんだが、とき既におそし、である。

 魔導士長の陰から、カニムがあらわれた。一緒にきていたことに、ラキシスは今になって、気がついた。魔導士長に軽く一礼をして、ラキシスのほうへ歩み寄ってくる。

「ラキシス、こんな時間に、ほんとうにすまない。起きられるか?」

 カニムにそう言われたら、起きないわけにはいかない。ラキシスがしぶしぶ、ベッドがわりにしていた長椅子からおりようとしたとき、

「謝るくらいなら、こんな時間にこなければよろしいでしょう」

 りんとした声が、響いた。虚を突かれて、その場の一同が、声のしたほうを振りかえる。

 フィーが、階段の踊り場のところまで、出てきていた。

(彼女、足音をたてないから、誰もきづかなかったんだ……)

 おっとりとした話し方をするフィーの、いつになく強い声音が、彼女の機嫌の悪さをものがたっている。

「このような夜分に、もうしわけございません」

 魔導士長が、踊り場のフィーのほうに向きなおり、うやうやしく頭をさげた。

「わたしは、このヴェロニカの街の魔導士会の長を務めております、クラルと申します。フィー殿。今日は、あなたの意思を確認にまいりました」


 琥珀亭に第一世代が逗留していることは、街中のだれもが知るところとなってしまった。人々の第一世代への惧れと関心は、今後ますます高まっていくだろう。街としては、ことをなるべく穏便におさめたい。しかし、事態の把握のために第一世代を召喚して、人々の目にこれ以上彼女の姿がふれるのは望ましくない。そこで、魔導士長と委員のひとりが琥珀亭に出向き、その結果をもって第一世代の処遇を検討することにした。

「――なるべく人の目にふれぬよう、暗いうちにこちらへうかがい、あなたがおやすみの隣の部屋で、あなたがお目覚めになるまで待たせていただくつもりでおりました」

 クラルのフィーにたいする態度は、どこまでも丁寧だった。

(……僕のときは、あれだけ無遠慮で、失敬だったのに……)


 食堂の西側はラキシスの寝床をつくるために、テーブルと椅子を移動していたので、東側のテーブルのひとつを囲んで一同は着席した。委員のデッカー、クラル、カニムが並んで座り、その相対する側に、ラキシス、フィー、サラが座った。急な来訪とはいえ、珈琲とともに、フィーが気にいっていたぶどうのタルトが出されたのは、サラの機転だろう。だが、配りおえたサラがすすめてくれたものの、クラルの口上――挨拶にはじまり同席者の紹介、ヴェロニカの街のかんたんな歴史や現在まで――が続いているので、まだ誰も手をつけていない。

(……にしても、フィーが寝ていた客間の隣って、サラさんが、<開かずの間>だから駄目だとかってんで、僕、食堂で寝ることになったんじゃなかったっけ……)

 琥珀亭の二階には部屋が四つあり、そのうちの西側の一部屋は、物置がわりになっていて、その隣がサラの部屋、<開かずの間>と続き、フィーがやすんでいた客間がある。

 寝不足と、かたい椅子のうえで寝ていたので背中と腰の痛み、なによりこの場の重苦しい空気にたえかねて、ラキシスがどうでもいいことに思考を逃避させていると、クラルがおもむろに珈琲のカップを手に取った。クラルは、ずっとフィーを見つめている。ラキシスや他の者のことなどまるで眼中にない。ほっとする反面、ラキシスは経験者として、クラルのあの視線にさらされ続けているフィーの心理状態が心配だった。


「――それにしましても、第一世代のかたがたは、この世のものとも思えぬ美しいかたがたとお聞きしておりますが、究極の美というものはつきつめていくと、やがては同じところにいきつくのでしょうか」

 クラルの物言いは慇懃だが、彼のあの視線に共通するいやらしさがある。

(……見たとこ、僕とおない歳くらいなのに、……えらい人たちって、年齢関係なく、みんなあんななのかな……)

 ラキシスは、初対面のときにはよく見ていなかったクラルの顔を、今あらためて見てそう思った。

 ランプのぼうっとした灯りのなかでも、目鼻立ちの整った顔であるとわかる。とりわけ特徴的なのは、目だ。ランプの揺らめく光を反射して、黒々としたふたつの瞳があやしくまたたいている。

「わたしが、もう百年以上も前にお会いしたかたと、お顔も、お声も、うり二つでいらっしゃる」

「……あなたとお会いするのは、これがはじめてです。魔導士長」

 フィーの返事は、にべもない。クラルの目にかすかだが、失望の色が浮かんだようにラキシスは感じた。と、同時に、

(百年、以上前? )

 ……聞き間違えたのだろうか。ラキシスが視線をさまよわせていると、カニムが口元に人さし指をあてているのが、視界のすみにはいってきた。目が真剣だ。ラキシスに、「黙っているように!」と訴えてきている。なんだかよくわからないまま、ラキシスはカニムにうなずいた。

「――どうぞ、クラルとお呼びください」

 クラルは、ひとくち珈琲を飲むと、すぐにカップをソーサーに戻した。少し考えるようにしてフィーを見つめる。

「……フィー殿」

 フィーは黙ったまま、タルトを食べはじめた。フィーが彼の求めに応じる気のないことを悟ったのだろう。クラルがまとっていた張りつめた空気が、わずかにゆるんだ。

 ここでやっと、今まで息をころして成り行きを見守っていたカニムがまず、珈琲に手をつけ、ついでサラがタルトを口にした。ラキシスもようやく、ぬるくなってしまった珈琲に手をのばす。もう、喉がカラカラだった。


 フィーが、かなりの時間をかけてタルトを食べおわるのを、忍耐づよく待って、クラルが話の続きをはじめた。

「カニムの報告では、フィー殿がご自分の意思でラキシスについてこられ、ヴェロニカの街へいらしたと聞いております。それに間違いはございませんか?」

「はい」

 フィーが、珈琲を口に運びながら答える。フィーはタルトを食べはじめてから今まで、菫色の瞳をふせたままで、クラルのほうを見ない。

「なぜ……?」

 フィーの、珈琲をもつ手がとまった。

「なぜ、あなたが、彼についていこうとお考えになられたのか、我々は測りかねております。その理由を、お聞かせねがえないでしょうか?」

 フィーの答えは、明快だった。

「最初に、ラキシスが、わたしを見つけたからです」

(――え? …………そんな理由? そんな理由で……? )

 フィーと出会ってから、まるで針のむしろに座るような思いを味わってきた、その原因が、これ……。ラキシスは、かるいめまいを覚えて、呆然とフィーを見た。

「ほう、……では、あなたを最初に見つけたのが、彼ではなく、たとえばこのわたしだったら、あなたは彼の場合と同様に、わたしについてきたでしょうか?」

「……」

 フィーが、この場において初めてわらった。

「訂正します。ラキは、かくれていたわたしを見つけたのです。――丘や林を散策していたわたしと、偶然出会ったというだけなら、ついていきはしません」

 フィーは、今度はクラルの顔をまっすぐに見据えて、答えた。

「……たとえば、などということは、起こりえないでしょう」

 クラルは、いったんフィーから視線をはずすと、居住まいをただして、またフィーに視線をもどした。ラキシスは、クラルの目に垣間見える強い執着に、息苦しさが増していくのを感じていた。

「……なぜ、そのように言い切れるのでしょう?」

 フィーもいささか、煩わしくなってきているようだ。声の調子が、いくらかくだけたものに変わってきた。

「あなたがたにわかりやすいようにお話しするなら、ヴェロニカの丘でわたしは結界をはって、お昼寝をしていました。目覚めたら、ラキが、わたしを覗きこんでいたのです。じーーーっと」

(……………え…………? ――――目覚めたら…………じーーーっと……?)

 この、シチュエーション、どこかで…………

「ごっ、ごめん……」

(まっ、まさか、自分が魔導士長と同じまねを、フィーに対してしていたなんて……)

 あわてふためき、フィーのほうへ身をのりだしたはずみで、ラキシスは珈琲のカップを倒してしまった。

 ――空で、よかった。サラが、しょうがないわね、とばかりに、カップを片づけてくれるそばで、ちらりと盗み見たフィーの顔は、――ラキシスを見て微笑している。

(……よかったぁぁ! 怒ってない、みたい……、あとで、ちゃんと、謝ろう)

 ほんの短い時間に、青くなったり、赤くなったり、忙しく表情を変化させるラキシスを、フィーは興味深そうに見つめながら、

「わたしたちがはった結界のなかに、わたしたちの許しなく、あなたがたがはいることなどできはしません。――――の、はずなんですけど……」

 最後は不思議そうに、つぶやいていた。

「……どうして、そのようなことが?」

 さりげなく、かやの外におかれたような雰囲気になり、クラルが心なしか不機嫌になっているのがわかる。

(――こ……こわい! だけど、……意外に人間ぽいとこ、あるんだ)

 ラキシスは、昨日からとみに、人の感情の機微に敏くなっていた。 フィーは、そんなクラルの様子など気にとめる様子もない。

「…………さあ? わたしも、その理由を知りたいと思っているのです」

「……だから、彼に、ついていくと?」


 クラルは暫しの間、黙考したあと、となりのデッカーと小声で相談していたが、話がまとまったらしく、

「わかりました。あなたが彼と行動をともにされるというのでしたら、ひとつ条件があります」

 と切り出した。

「条件?」

「はい、討伐士ギルドへの登録を条件に、フィー殿、あなたのラキシスと同じパーティーへの加入を許可いたします」

 これには、フィーだけでなく、カニムも、サラも、もちろんラキシスも面くらった。

「許可? 」

 フィーは、少し目を丸くしていたが、すぐに厳しい顔つきになり、クラルを詰問した。

「許可とは、どういうことです? そもそも、なぜ、わたしが、あなたがたの組織にしばられなければならないのです?」

「あなたが、ラキシスと共にありたい、と願われたからです。それはすなわち、我々の世界で暮らすということです。となれば、当然あなたにも、我々の社会のルールにしたがっていただけなければなりません」

 クラルは、自分の分のタルトののった皿をフィーの前にさし出した。

「さき程、あなたが召し上がったタルトも珈琲も、ただではありません。寝所の提供も、言うまでもありません。失礼ですが、あなたはお金をお持ちではないしょう?」

 いきなり、話がおかしな方向へ向かい、カニムとサラとラキシスの三人は、たがいに顔を見合わせた。

「それで、これから先、どうします? ラキシスと一緒にいたいのでしょう? それには、お金が必要です。――ラキシスを頼りますか。残念ですが、彼はギルドに少なからぬ借金をしている身。これからパーティで働いで得た報酬で返していくのです。とても、あなたを養う余裕などありませんよ」

(な、なんで、そんなことを、今、ここで……?)

 ラキシスが羞恥で真っ赤になるのと、カニムがこめかみをおさえるのと、

「せこい」

 と、となりでサラが小声で悪態をつくのとが重なった。

「……養う? ……養われる……、わたしが?」

 フィーは、心底、不思議そうに、ラキシスのほうを見ている。

「ここで暮らす者は誰もがみな、命をかけて、魔物を狩り、報酬を得ているのです。それをもとでに、食べて飲んで、ひとときの休息の場を得ているのです。第一世代だからといって、あなただけがこの道理の外にいるというのはおかしい」

 ラキシスは、フィーの表情から、彼女がクラルの話をどこまで理解しているのか、訝った。

(……もしかして、あんまり、わかってないのかも……)

 魔導士長を務めるほどの者なら、ラキシスが気づいたことくらい、とうにわかっていそうなものだが……

「むろん、あなたが今後も、おひとりで行動されるというなら、話は別です。おわかりいただきたいのは、ラキシスは、あなたがたとは違う。我々の側の人間だという事実です。あなたが、ラキシスと行動を共にされたいと望まれるのなら、それがあなたのご意志なら、あなたのほうが、我々の理にあわせるべきだと思いますが」

 クラルは、言いたいことをすべて言い終わると、静かにフィーの返答を待った。


「いろいろ、面倒なのですね……」

 外が、白みはじめていた。フィーの長い銀髪が、淡い光を帯びる。フィーは一同を見渡し、おうような笑みを浮かべた。

「それが必要だというのなら、いたしかたありません」

 一同が、息をのむ。魔導士長のあの一方的な言いぐさで、よもやフィーが承知するとは、誰も予想だにしていなかったのだ。

「フィー殿、ギルド登録のあかつきには、特別に、日当二十日分をお支払いいたします」

 したり顔の魔導士長の言葉に、カニムが頭を抱えた。

「……どうせ、諸々の手続きは、こちらに回ってくるのだろうな」

「その前に、彼女、ぜったい、わかってないわよ。いったい、どこから説明すればいいのかしらね?」

 カニムとサラの嘆きをよそに、ラキシスは、突き上げ戸の板の隙間からもれる朝日をうけて輝く、フィーのこの世のものとも思えぬ美しい笑顔にみとれていた。



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