ヴェロニカ Ⅰ ラキシスくん、受難 ②
ギルドでの訓練を終え、面接も無事すませたラキシスは、無茶がたたったのか次の日、熱を出して寝こんでしまった。その日のうちに熱はさがり、翌朝サラが、忙しい店の仕事の都合をつけて、気晴らしに街の外へ出ようとラキシスをさそってくれた。
「ありがとうございます。……でも……昨日いちにち無駄にしてしまったし。……僕、剣の稽古しないと」
サラがさしいれてくれた朝食をきれいにたいらげ、ベッドの脇にたてかけた剣を見つめて、ラキシスはありがたいサラの申し出をやんわりと断ろうとした。剣は、稽古で使用していたのを、ゲルトと相談してギルドから買いとったものだ。
「あなたを診たカニムが言ってたわよ。そうとう、ムリしてたんでしょ。……身体、もうボロボロだって」
うなだれてしまったラキシスの肩をやさしく抱いて、サラは
「今のうちにちゃんと休養をとっておかなきゃ。パーティーにはいって討伐に出るようになったら、もたないわよ。はじめのうちは、身体だけでなく、精神的な消耗もかなりくるんだから。ずーっと気をはったままでいたら、魔物を退治する前に、ラキが倒れちゃうわ」
と、やさしく諭した。それから、こんどは茶目っ気たっぷりに、続ける。
「カニムがね、ゲルトは気にしているようでいて、自分のバケモノ並の体力を基準にして、そこから差しひくかたちで他人の体力をおしはかってるふしがあるから、……彼とつきあうのは、ラキでなくてもきついんだって、こぼしてたわよ」
(……って、ゲルトさんと、カニムさんって、友達……?)
ぜんぜんタイプの違うふたりが、仲がいい、というのは、意外な気がした。
「それでね、はい、これ」
サラは、からになった皿をテーブルの端によせ、かわりに小さなビンを置いた。
ラキシスの顔から、すぅっと血の気がひいていく。
ビンの中には、緑とも青とも形容しがたい、不気味な色をした液体がはいっていた。
「いえ! 僕、もう、熱さがりましたしっ」
「今日のは、おもに体力を回復させるための薬。熱がさがったし、昨日のとは薬の調合、かえてあるみたいよ。朝、カニムが、わざわざ、うちの店に届けにきたの」
サラはすこし引きつった笑みをうかべて、ラキシスの手をとり、なかば強引に小ビンをにぎらせる。
「…………カニムさん、この薬、自分でのんだこと、あるのかな……?」
ラキシスは消えいるような声でつぶやいて、――覚悟をきめて、すさまじい味のする液体をのどへと流しこんだ。
(……こんなところが、カラーレスにあったなんて……)
街道を東へ少し下ったところにあるヴェロニカの丘は、春をむかえてみずみずしい若草におおわれ、ところどころにかわいらしい花を咲かせていた。
「すっかり、春ねえ」
カラーレスに来てはじめて接する自然の美しさに、ラキシスが感動しているとなりで、案内役のサラもうきうきしている。
(こうしてここに立っていると、カラーレスが故郷の町とぜんぜん違う世界なんだって気がしない……)
さわやかな風に草がそよぎ、さざ波となって足もとをながれていく。
「わたしも討伐のないときは、街のそとに出ることって、あんまりないから。いいわねぇ、ここは……」
ふたりで小川の清らかな流れに沿って歩いたあとに、泉のほとりの草むらに小休止で腰をかけた。きらきらと輝く水面をながめていたラキシスは、ふととなりをみやって声をあげた。
「サ、サラさんっ?」
サラがやわらかい草のうえに、気持ちよさそうに寝ころがっている。ラキシスの声に、サラは片目をあげて、のんびりとした調子で説明した。
「だいじょうぶよ。ここは、結界が張ってあるから」
「……結界?」
「丘の川沿いを歩いていったほうが、街道を通って林にいくより近道なのよ。それで、林に向かう討伐士がしょっちゅう行き来してるから、泉のまわりに魔導士が結界を張って休憩地点をつくったの。ラキも横になってごらん。気持ちいいから」
<結界>がどういうものなのか聞いたつもりだったが、これは専門外の剣士のサラに聞くより、あとでカニムに聞いたほうがよさそうだ。
(ここで、こうしていても、危険はないってことだよね……)
ひとまずサラの言葉に安心して、ラキシスも寝ころがった。若草のかぐわしいかおりが鼻をくすぐる。
――どこまでも青い空に、白い雲がゆっくりと流れていく。
カニムの薬が今になって効いてきたのだろうか。ラキシスの全身に、心地よいあたたかさがひろがっていく。
大地から精気が流れてくるのを感じる……
こちらに来て初めての開放感につつまれて、ラキシスは穏やかな、つかの間の休息をぞんぶんに満喫した。
※ ※ ※
「……いえ、わたしもあなたと同じです。まずはこの世界のことを彼が受け入れられるようになってからと、彼らに関する詳しい話はしていませんでしたから」
腕組みをして不動の姿勢でずっと押し黙っていたカニムが、重い口を開いた。当面の打開策の検討にむけて、ようやくこの場を切り替える気になったようだ。サラと、それまで彼女の栗色のポニーテールがはねるのを眺めているしかできなかったラキシスの緊張がわずかにやわらぐ。
「……あの、彼女はいったい何者なんですか?」
今がチャンスと、ラキシスは聞きたくてたまらなかったことを、ふたりに切り出した。
ヴェロニカの丘でフィーとラキシスが一緒にいるのを目撃した討伐士の一行が、泡をくって逃げだしていった。昼間の時間、普段なら行きかう人々の絶えない街道で、どうしたわけか人っ子ひとり出会わなかった。街にはいってからは、人波がわかれて公道であるはずの街道のなかに、彼らの進む方向に自然に優先通路ができあがる。
彼女は今、サラの部屋のベッドを借りて眠っている。目覚めたときからどこか気怠そうにしていたから、料理を半分程食べただけで寝入ってしまった。出会ったときの彼女の態度から、この先も彼女と行動を共にすることになるのではないか、という不安がぬぐえない。今、できるだけ彼女について聞いておかなければならない必要性を、ひしひしと感じていたのだ。
「とにかく、何事もなく帰ってこられてよかったよ」
ラキシスの不安と焦りはカニムにもじゅうぶん伝わっているらしい。いつになく口調が優しい。
「彼女たちについて、わかっていることはそう多くはないんだよ。我々より前からこの世界にいる存在だということ」
ここでカニムは言葉をきって、じっと聞きいっているラキシスの顔を覗きこむ。ラキシスの指先に力が入った。
「魔物を引き寄せる何か、特性を持っているらしいってこと」
「……魔物を、引き寄せる?」
カニムの言葉を反芻する。同時にラキシスの脳裏に、フィーと出会ってから今までのことが走馬灯のように蘇ってきた。そして、合点がいった。突如浮かんだ不吉な予感。
「魔物を引き寄せるって!」
立ち上がりかけたラキシスの機先を制するように、カニムの手がラキシスの手をつかむ。
「心配ない。街の中までは、はいってこない」
「あ……」
ほっとして力が抜けた。のろのろと腰を落として、前のめりにカニムを見る。
「ほんとに……?」
「ああ。でなければ、守衛もきみたちを通したりはしないよ」
(……たしかに、通してはもらえたけど……どっちかっていうと、どうしていいかわからないって感じだった……)
街の入口に立っていた守衛たちの、うろたえた様子を思い出す。なにごとかもめているようだったが、ラキシスはあえてそのまま彼らの前を通り過ぎた。とくに、制止はされなかった。いや、ひとりがフィーに向かって近づいてこようとしていたが、彼女と目があったとたん、たじろいでその場で固まってしまった。
「第一世代は敵ではないわ。かと言って心強い味方ってわけでもないけど……」
ふたりのやりとりをやきもきと聞いていたサラが、ラキシスの心配を少しでも晴らそうと割って入ってきた。カニムに確認するかのように目線を送り、気まずそうに話を続ける。
「なんか、足手まといになる、って、話よね……」
(……?)
サラの説明はかえってラキシスの困惑の色を深める結果になったようだ。それに気付いたカニムが補足説明をしてくれる。
「第一世代というのは、彼女たちや魔物のような、我々がこの世界に来る以前からいたモノたちの総称なんだ。もっとも今サラが口にした第一世代は、彼女たちだけを指していて魔物はふくまれていない。一般的には今のような使いかたをされることが多いかな。便宜上つけられた呼び名だからね。ちなみに我々は第二世代」
サラが肩をすくめて見せた。
「足手まといと言うのは、さっきの特性のほかにもいくつか理由はあるらしいんだが。なにしろ彼女たちは非常に稀少な存在で、我々の歴史のなかで数えるほどしか確認されていない」
ここでカニムは、すっかり冷めてしまった珈琲のカップをはじめて口に運んだ。ゆっくりと味わうように。卓上にカップを戻すと、長く繊細な指を組み合わせる。
「そして彼女たちの詳しい情報が伝わっていないのは、彼女たちとともにいたパーティーのメンバーがだれひとりとして帰還していないからということなんだ。我々の最終目的地であるカイロンの森から……」
「……それって……」
「この琥珀亭も、元々は第一世代と同行した討伐士が開いたお店なのよ」
ラキシスの薄い色の瞳が、さらに精気を失っていく。知らなかったとはいえ、自分はとんでもないモノと関わってしまったのだ。
ラキシスの脳裏にゲルトの顔が浮かび、ついで、先日パーティ-の面接で会ったエドの顔が浮かんできた。
(…………どうしよう? こんなことになるなんて……)
いまさらながら、自分の軽率な行動がもたらした事態の深刻さに、打ちのめされる。
「……エドには断りを入れておかないとな。このあいだのきみのパーティー加入の件、ここへ来る前に約束を取り付けてきたばかりなんだが」
「……そうね、そうだわ」
エドのパーティーは主にヴェロニカの林を活動範囲にしているパーティーで、初心者が最初に経験をつむにはもってこいだが、第一世代も一緒にとなると事情が変わってくる。もっとも既にこのニュースは今ごろ街中を駆け巡っているだろうから、向こうから断ってくるのは目に見えているが、ラキシスのためにも体裁をとりつくろう算段だろう。
カニムの意見に同意したものの、それからどうするのかと、もの問いたげなサラの眼差しを受けて
「まずは委員会とギルド、魔道士会の支部に事情を説明して、からだろうねぇ。彼女たちには手を出してはならない、という不文律があるから、きみの言うように彼女がきみについてくる気でいるのなら、我々に力づくで止めることはできないんだ」
そう言うと、カニムは残っていた珈琲をひといきに飲み干した。
「ラキシス、きみは今日はここに泊めてもらったほうがいい。彼女に、きみの部屋にまでついてこられたら困るだろう。きみを、第一世代と二人きりにはさせられないからね」
カニムの言葉は言外に時間がかかることをにおわしている。サラは一瞬、動揺を隠せなかったが、すぐに気を取りなおし、
「……わかった。明日は、店を休みにしたほうがいい? ずっと働きづめだったから、たすかるわ」
とおどけてみせた。
「それは良かった。では、行ってくるか。サラ、後のことは頼みます」
ふたりの間で話はきまり、ラキシスはカラーレスについて、さらに増えた情報の整理ができないまま、取り残された気分でうなずくしかなかった。
「こんなもんかな」
一階の食堂の西側半分の家具を壁際に移動して、長椅子を三つ並べてその上に毛布を敷いて即席のベッドが出来上がった。ラキシスの今宵のベッドだ。
「試しに横になってみて。痛かったら毛布もう一枚持ってくるから」
「はい」
と素直に横になり、手や足であちこちふれてみながら寝心地をたしかめる。痛いのはもちろんだが、どっちかというと安定のほうが気にかかる。就寝中に椅子が離れて、石の床に落っこちるなんて御免だ。
「これ、脚をロープで縛ってはどうでしょう」
「そうねぇ」
長椅子の脚を見るためにかがんだサラの背後から、フィーの姿が現れた。
(……このこ、ほんとに足音しない)
カニムが出て行ってすぐ、琥珀亭は早めの店仕舞いをした。ラキシスたちの後に来店する客もなく、開けていても今日はもう商売にならなかっただろう。夕食の時に一度サラの部屋に様子を見にいったが、フィーはまだぐっすり眠っていて起きてこなかったのでそのままにしていたのだが。
「おはよう。よく眠れた?」
ベッドに寝たまま言う台詞じゃないな、と話しかけながら思ったが、ランプのぼうっとした灯りのなかにたたずむ、たおやかなフィーの姿はとても幻想的で、こんなまぬけな反応になってしまった。出会ってからずっと、彼女の前では調子がくるいっぱなしだ。
「はい」
(声もいいんだよなぁ……)
心地よい響きは、故郷の町の大好きだったカリヨンの音色を思い起こさせる。揺らめくランプの灯りが、フィーの柔らかな微笑みを浮かべた顔に暗い影を落とし、神秘的な化粧をほどこす。ラキシスは昼間の話し合いのことなど忘れて魅入ってしまい、身動きがとれなくなってしまった。
「おはよう、フィー。遅くなったけど夕食、食べるでしょ? なにしろ食材がいっぱい余っちゃって。クレアとラキが頑張ってくれたんだけど、まだまだたくさんあるのよねー。ラキなんかお腹いっぱい食べた後に、パイを四切れもたいらげたのよ」
サラの話に、フィーの唇の両端がかすかに上がったような気がした。あわてて頭をかきながら起き上がり、ぎくしゃくとした動きでフィーの横をすりぬけて、何か手伝うことはないかと厨房へ向かうサラのあとを追う。
「ラキの寝床をつくったから、ここじゃ落ち着かないわよねぇ。フィーには今夜は客間でやすんでもらうから、そっちへ運ぼうか」
「いえ、おかまいなく」
無口なのか、フィーの受け答えは花やかな見た目と違ってそっけない。さっきまでサラのベッドを占領していてこの態度は、サラが気を悪くするのではないかとヒヤっとしたが、どうやら杞憂に終わったようだ。
「そぅお、悪いわねぇ。お肉と魚、どっちが好き? もちろん、うちの自慢のベリーパイも食べるわよね」
サラは気にした様子もなく、次々とカウンターに料理を並べた。鳥のローストに、魚の香草蒸し。野菜と肉がたっぷり入った煮込みに豆のスープ、いろどりも鮮やかなサラダ。どれも琥珀亭の人気料理だ。フィーは料理の圧倒的なボリュームに少し目を丸くしながら、今度はちゃんと礼を述べた。
「はい、ありがとう。サラ」
(そういえばここの食材って、鳥とか魚とか向こうの世界と微妙に違うみたいだけど……)
ラキシスは、隣でおいしそうにスープをすするフィーの横顔を見ながら前から気になっていたことを思い出し、カウンターを挟んで向側に座るサラに聞いてみた。彼女は夕食の後もひとりだけ酒を飲んでいたが、今もまた酒の入ったコップを片手に干した果実をつまんでいる。
「あ? ああ。あんまり深く考えないほうがいいわよ。美味しくってお腹を満たせて害もないなら、言うことなしでしょ」
サラにしては、いつになく歯切れの悪い返事だ。
「その、最後の害もないって、気になるんですけど」
サラはまいったなって顔をして、こう続けた。
「ここは、わたし達が元々いた世界ととてもよく似ている。似ているってことは、同じようだけど同じじゃない。どこかが少し違ってる。一番わかりやすいのが、魔物の存在よね。魔物以外の生物も、似てはいるけどちょっと違ってたりして。でもうちで出してる料理の材料はもちろん、市場に出てる品はすべて安全確認済のものだから安心して」
「はい、どれもとても美味しいです」
微妙に誤魔化されたような気がしないでもなかったが、フィーの賛辞のあとにこれ以上この話題を続けることができなかった。そうなるとラキシスのもうひとつの気がかりの種がむくむくと頭をもたげる。
「エドさんとこのパーティーじゃなかったら、どうなるんですか。この世界では全員、どこかのパーティーに所属する決まりだって。この世界に来て、二十日以内に決めなきゃいけないって仰ってましたよね」
珈琲のカップをもて遊びながら、面接で会った快活な青年の顔を思い出し、ためいきをもらす。
今日はいろんなことが怒涛のごとく起こって押しつぶされそうになっていたラキシスも、お腹がくちくなり、少し落ちついてくると、べつの切羽詰まった現実を思い出した。
カラーレスでは二百年あまりの間に、祭りでやってくる人間の受け入れ体制ができあがっていた。ラキシスが右も左もわからないこの世界で、路頭に迷うことなく過ごせてこられたのはこの体制のおかげだ。
目覚めてすぐの身体検査と委員による面接、三日後にはすでに後見人のふたりが決められていた。カニムとサラだ。ふたりの手際はじつにみごとで、下宿部屋の手配から討伐士ギルドへの登録、当面の生活に必要な物資の買い出しなど、その日のうちにラキシスはこちらでのひとり暮らしをスタートすることができたのである。
ただ、向こうで余裕があるとは到底いえない暮らしを送ってきたラキシスは、買い物のたび支払われる金貨の出どころがだんだん心配でたまらなくなり、やぶ蛇覚悟でサラに確認をしてみたのだが……
「こちらにきて二十日間は日当が出るの。今日は三日分わたしが預かってきてるけど、明日からはあなたが管理してね。この街で商売してる人間は、新人だからってふっかけてくるようなマネはしないけど、旅の討伐士は気をつけて。安くするからとかなんとかって声かけられても、相手にしてはだめよ」
「……日当?」
「役場に行って、身分証を見せればもらえるわ。大きな買い物のときは必要な物なら、その場で支払わなくてもOKよ。買い物をした店から請求書が役場にいって、立て替えてくれる。今回の家賃はそれで支払い済ませてるから」
サラは懐から自分の名前の刻印された水晶製の札、身分証をだしてみせた。同じ物をラキシスも役場で受けとって、紐をとおして身に着けている。
「あの……立て替えってことは、あとで僕が支払うってことですよね」
「もちろん。立て替えたぶんは、ギルドの報酬から差し引かれることになる。だから早く決めないとね。あなたが所属するパーティー」
(……やっぱり……)
どこの世界でもそうそう甘くはないんだなあ……と、落胆した。となると、いきなり背負うことになった借金の額ががぜん気になってくる。
(たしか、五百ギルって……)
こちらの通貨価値がまだのみこめていないラキシスには、それがどのくらい働いたら返せる額なのか見当もつかない。
(エドさん……好感触だったのになぁ)
滞在三日目にして借金持ちになってしまった身としては、パーティー入りが立ち消えとなってしまった事実は痛かった。パーティー参加のために、最低限必要となる装備をそろえた分の支払いも、むろん借金だ。
(あわせて、三千超えちゃってる……)
立ち会ってくれたサラと店主から、最低限とはいえ命を守るものだからそれなりの物をと薦められ、ラキシスもその通りだとその時は納得して購入したのだが……事ここに至り、やはり高すぎる買い物だったという後悔が襲ってくる。
パーティー加入の期日まで、すでに五日をきってしまっている。
最初からこんな調子で、この先やっていけるのだろうか。ラキシスはこちらの世界に来てまで続く、おのれの<不幸体質>を、のろわずにはいられなかった。
「う~ん、普通は当人の実力に見合ったパーティーにはいるんだけど。パーティーにもランクがあって、エドのところは初心者向きで面倒見もいいし、ちょうど欠員がでたとこで、ほんとよかったんだけどねぇ。クレアのとこは近いうちにいよいよヴェロニカの森に挑戦するって話だから、そうなると未経験のラキが入るのは厳しいわね」
ラキシスより二年前の祭りでカラーレスに来たクレアは、彼にとってすぐ上の一番身近な存在の先輩だった。彼女は討伐に出ていない時期は琥珀亭で通いでバイトをしている。
「ヴェロニカの森って? 林じゃないんですか」
酒のはいったコップを揺らして、サラはいかにもわざとらしく眉をしかめた。
「もう、段取りがだいなし。……カニムにあわせる顔がないわ。一応、マニュアルってあるのよね。この二百年の経験をいかして、いちばんムリなく効率よく討伐士を育てるための」
ひとりごちて、つまみの小魚の酢漬けを口に放り込む。
「ヴェロニカの森は、ヴェロニカの丘の南西にあります。湖をはさんで東にあるのが、ヴェロニカの林。美しいところです」
フィーがかわって説明をしてくれた。大量の食事を好みの分だけ取り分けて、かなりゆっくりしたペースで食べていたが、ひと段落してこれからデザートにとりかかるらしい。ただ彼女のこの答えはラキシスの聞きたかった本筋からずれていたが。当然サラもわかっていて、仕方ないなというふうに話を続ける。
「ヴェロニカの林は、彼女の言う通りとてもきれいなところよ。たまに小物の魔物が出るくらいで。気をつけていれば集団で出てくることもないし、初心者でも経験者のサポートがあれば、なんとかなる。自信と経験をつむには最適の場所」
フィーが自分の珈琲を注ぐついでに、ラキシスの分も新しいカップに注いで渡してくれた。
(今、肝心なとこなんだけど……)
フィーの微笑を前にして、ラキシスにつっこむことなどできはしない。
「ありがとう」
ぺこりと頭をさげて受け取って、名残を惜しむ視線をサラの顔になんとか戻して、続きをうながす。
「ヴェロニカの森は、いろんな意味でやっかい。出てくる魔物のレベルも数もぜんぜん違うし、森じたいが魔物だと言う者もいるわ。引き返そうとしたら、さっき通ったところの様子が変わってる。目印を残しておいたはずの木が見つからない。なによりやっかいなのは、同じ種類の魔物でも、林と森では強さが違うという点ね。林で難なく倒せたはずの相手が、森ではまったく歯がたたない。それでやられた討伐士もいるのよ」
今の彼女の話には、気になる点がある。ラキシスにサラの話の腰を折るつもりはもうとうないが、このまま聞き捨てにできなくて尋ねてみた。
「……あの、同じ犬でも、強いのもいれば弱いのもいると思うんですけど……」
「そういう次元の違いじゃないのよ」
サラは天を仰いだ。
「昔、あなたみたいに信じなかった元騎士さんがいたわ。こちらに来たばかりだったってのにその話に興味を示して、林にいる魔物じゃ物足りないと言って、まわりの忠告もきかずにひとりで森へはいっていった。実力も新人離れしてたらしいし、期待されてたのにね。この世界にいるのはくじで選ばれた人間の寄せ集めだから、みんな経歴もさまざま。元農夫もいれば女もいる。そんな連中と仲間になれ、だなんて生粋の騎士さまは我慢できなかったんでしょう。それからよ、この世界のありようを受けいれられるようになって、きちんと向きあうことのできるようになるまで、心身ともにある程度の水準に到達するまで、新人さんにはヴェロニカの森の話はしない」
酒がまわってきたのだろうか。サラの口調が少し熱を帯びてきた。
(……その元騎士さんって、戻ってこなかったんだろうなぁ……、今の口振りだと)
――祭りのイベントで見た勇壮な馬上槍試合。美々しく甲冑を身にまとった騎士が馬を駆り、恐ろしく長い槍を構えて突進し、激しくぶつかりあうさまは圧巻で、試合が終わったあとも戦いの余韻でしばらくの間肌が粟立っていた。
あんなすごい人たちでもかなわない相手と自分が戦う姿など、ラキシスはとうてい想像できなかった。
「それでなんですか。森の手前の道のそばにいつの間にか、小屋が建ってますね」
ベリーパイを食べ終えたフィーが満足そうに、今度はタルトの皿を引き寄せながら聞いてきた。
(このこ、詳しい……?)
受け答えがイマイチな印象だっただけに、意外だった。
(やっぱり、第一世代だから?)
「そう。ギルドの許可を得ていない者は通さないようにね。それとあそこで森へはいるパーティーと出てきたパーティーをチェックしてるの。申告のあった日時になっても戻ってこない場合はギルドへ連絡して、街でもパーティの帰還が確認できなかったときは捜索隊をだすこともあるわ」
目を伏せて、サラはコップに残っていた酒をあおった。
「そういうこと、よくあるんですか……」
ラキシスは森へ挑戦することになったというクレアのことが気になってきた。
「最近はないわ。ギルドも慎重になってるし。ひとくちに捜索隊をだすといってもそんな簡単なことじゃない。運よく、それだけの力のあるパーティーが街にいたらの話だし。それに、そういう人たちでも怪我人や動けなくなった者を抱えて無事に戻ってくるのは容易なことじゃない。戦えなくなった者は、やむなく置いてくることだってある。ヴェロニカはアルマやほかのエリア程じゃぁないと言われてるけど、それでも森はやっぱり魔物よ。ちょっとでも油断すれば、のみこまれる」
サラの話に、ラキシスは震えあがった。いまさらながら、どんでもないところにきたという思いが強くなる。同時に聞かなきゃよかった、とも。
故郷の町ののどかな風景が、まざまざと脳裏によみがえってくる。
(……長い、悪い夢だったら、よかったのに……)
――目が覚めたら、故郷の自分の部屋の見慣れた天井があって……
カラーレスに来てまもなくは、いつもそう願いながら、床についていた。サラやゲルトに出会って、ようやくこの世界で生きていく決意ができたところなのに……
サラは、険しい目でどこか遠くを見すえているようだった。ラキシスは、こんなサラを見るのは初めてだった。
(……もしかして、森でなにかあったのだろうか……)
この疑問は、口に出して聞くことはできなかった。聞ける雰囲気じゃない。
「ご馳走さまでした。すごく美味しい料理でした。ありがとう、サラ」
フィーの満足げな声が、お開きの合図になった。