ヴェロニカ Ⅰ ラキシスくん、受難 ①
「おい」
「見ろよ……」
ぶしつけな視線。その場にいるだれもが露骨なまでに興味津々という面もちで注視するさきには、ひとりの美少女。<絶世の>という最上級の賛辞を呈したとしても、異議をとなえる者はいないだろう。
だが、彼らの最大の関心事は彼女のたぐい稀な美貌にあるのではない。その美貌がものがたる、彼女の正体にあるのだ。
カイロンの森をめざす討伐士がかならず立ち寄る街道沿いの街、ヴェロニカ。街の玄関口にあたる東の通りに面して店が軒を連ねている。そのなかにひときわ古い石造りの店がある。店の名前は「琥珀亭」。昼は食堂、夜は酒場という宿場街ならどこにでもある、ごくありふれたこの店に、少し遅い昼食をとるために彼女たちははいってきた。
いかにも駆け出しの討伐士といった風情の若者ラキシスと、薄墨色のローブの少女。
――店名の由来となった飴色のにぶい光沢をはなつ古材の扉の間から輝く銀髪があらわれたとき、食後の珈琲をたのしむ客でにぎわっていた店内の時間と喧騒は、さながらひるがえる長い髪にからめとられてしまったかのように停止した。
手入れがゆきとどき経年を趣きへと転化した店内はセンスよく調度類が設えられ、普段ならラキシスにとっても居心地のいい空間であるのだが。
――ひりひりとした視線の集中砲火にさらされて、ラキシスのこの年ごろにしては華奢な身体は気の毒なくらいに緊張していた。彼の真新しいブーツの靴音と、二人の衣擦れの音だけが響いている。視線を石の床に落としたまま、迷うことなく歩を進めてゆく。
ここに来て間もないラキシスは、よくこの店に食事をしにきていた。
色白の肌に薄い水色の瞳、肩まで伸びたくせっ毛の明るい金髪をくびすじで結び、ぜんたいに線の細い印象で、はにかみ屋の性格のラキシスは、遠慮のないここの店主に初対面で、「影が薄そう……」と酷評された。ところが、大好物のベリーパイを前にみせた屈託のない人当たりのよい笑顔で、一発逆転。店主に気にいられ、近ごろは時々サービスでデザートをご馳走になってもいた。
だがそんな唯一のとりえも今はすっかり影をひそめ強張った表情が彼をますます頼りなさげに見せている。
なのに、そんな彼にまるで付きしたがうかのごとく、少女はしずしずとすぐ後ろをついて歩いていく。時折、周囲を確かめるように向けられる菫色の瞳は、いあわせた客たちの好奇の目など映っていないかのように静かだ。彼女が頭をめぐらせると、腰までとどく銀髪がローブの上をすべり、額にはめた精緻な細工の施されたサークレットが窓からさしこむ光を弾いて、ほの暗い店内の奥へと光跡をえがいた。
奥まったカウンター席の右端の椅子にふたり並んで腰かけて、店主がオーダーを取りにきてくれるのを待っている。
ややあって、古びた店の店主には似つかわしくない妙齢の女性、サラが慌てた様子で厨房から顔を出しふたりの姿をみとめるや、さらに狼狽して駆け寄ってきた。
「あんた、ラキ。……その娘は……」
サラは、細面だがしっかりした顎とやや大きめの口、どこか悪戯な光をたたえた茶色い瞳が魅力の個性的な美人の店主としてこの界隈では評判だ。また、気丈夫なことでも知られている。
その彼女が目を見開き、ラキシスの隣にすわる少女を凝視していた。
(……やっぱり、まっすぐここに来るんじゃなかったかも……)
しかしここ以外に逃げこめる場所の心当たりが、彼にはなかった。いや、正確には相談にのってもらえそうなところが、だ。
サラの反応は、ラキシスが想定していたあらゆるパターンのうちで最悪のケースだったが、それでも店にはいる前から決めていたとおりに精いっぱいの笑みを浮かべる。本人の思惑とは裏腹にかなり引きつった笑みとなったが。続けてかわいた声でつぶやいた。
「……フィー、って言うんだって。ついてくるって言って、ついてきちゃった」
ラキシスの紹介を受けて、今度はフィーが優雅な笑みを浮かべた。
うららかな早春の夕暮れどき、――琥珀亭の二階の客間の小ぶりの窓にあたる西日が、部屋の中央にすえられた円卓の周囲に長い影を伸ばしていた。卓上には琥珀亭で働くメイドのクレアが淹れてくれた珈琲とクッキーの皿が、どれも手つかずで並んでいる。店主のサラをさしおいて、「ヴェロニカ<一>」と評されるクレアのせっかくの珈琲は、ついさっき立ちのぼっていた湯気が消えてしまった。
卓を囲むのは、ラキシス、サラ、そしてカニムの三人。カニムは中堅どころの魔導士で、急を知らされ駆けつけたのだ。長身の優男だが、青い双眸は彼の高い知性と意志の強さをうかがわせる。
サラ、カニムの両人は、この街におけるラキシスの後見人をつとめていた。
<カラーレス・ワールド> ――いつしか住人たちからそう呼ばれるようになった閉じられた世界。はいってくる者はいても、出ていく者はいないと言われるこの世界に、ラキシスは半月程前にやってきた。
各州で月毎に執り行われる守護神に捧げる祭りの習わしで、十五歳から三十五歳までの若者はくじを引く。今年の十三月の祭りで、ラキシスは一番くじを引き当てた。
礼拝堂の奥の部屋、祭壇がかすむほどに香の焚かれた聖所に足を踏み入れて以降の記憶はあいまいで、どうやってカラーレスへ来たのかは覚えていない。ラキシスだけでなく、サラもカニムも、ここの住民みな同じらしい。
――長い眠りから目覚め、ここがカラーレスであると告げられたとき、ラキシスははじめは聞いたことのないどこか遠くの土地の名前のことだと思った。覗きこむ魔導士長のローブの意匠も部屋の造りも調度もよくよく見れば、たしかに元いた世界の様式とは少々違っていたけれども、同じ国でも山ひとつ隔てれば言葉の訛りや風習が異なると聞いたことがある。時間はかかるかもしれないが、体が癒えたら故郷の町に帰るつもりでいたのだ。
だが、それは<不可能>だと宣告された。故郷へ通じる道はないのだと。我々は、カラーレスで生きていくしかないのだと。ある使命を課せられて……
カラーレスには<魔物>が存在する。彼らが元いた世界では、神話や英雄譚のなかでしか見られなかった存在だ。彼らが果たすべきは魔物の討伐。
しかし魔物に通常の武器では太刀打ちできない。逃げ惑い追い詰められた人々の窮地を救ったのは、神々しいまでの美貌の青年。彼は素質のある者を見出し、<魔法>のいろはを教えたという。
魔導士は、彼が教えた基本的な魔法を発展させていく過程で誕生した。魔物退治のためにより有効で強力な魔法をもとめて魔導士たちは研究をかさねていった。魔道士たちの努力は功を奏し、二百年あまりの間にかずかずの魔法を編み出していった。戦闘技術も洗練され、今では戦士たちとの連携プレーでかなりの上位魔物をも倒せるまでになっている。
――以上が、ラキシスが教えられていたこの世界のあらましだった。
「すまない。一カ月くらい前にアルマで見かけたって噂は小耳にはさんでたんだけど、それっきり聞かなかったし、昨日一緒に街の外に出てヴェロニカの丘を案内したときも何も変わったことはなかったし。まさか、アルマから正反対の、それも八百ジターも離れたヴェロニカの丘にいるだなんて、思いもよらなかったのよ……」
先刻からサラは何度も同じ台詞を繰りかえし、ラキシスとカニムに頭をさげ続けている。
(……いえ、ひとりで出かけちゃった僕が悪いんです……)
ラキシスも心のうちでふかぶかと頭をさげて、ふたりに詫びていた。当初はサラとラキシスで謝罪の応酬が続いていたが、サラの気迫におされて途中からとうとう口に出して言えなくなってしまった。それが、よけい情けない。
ラキシスは昨日の別れぎわ、サラから、またヴェロニカの丘に出かけるときは声をかけて、と言ってもらっていた。
今朝になって、――気持ちよく晴れ渡った春空の下、自室の窓から遠くにヴェロニカの丘をのぞみ、急にまた行ってみたくなったのだ。琥珀亭の近くまで来たものの、朝から忙しそうに立ち働くサラの姿を目の当たりにし、さすがに昨日の今日ですまない、という気持ちもあって、ラキシスはいったんは下宿に引き返したのだが……
窓から見えるゆるやかな稜線をながめていたら、いてもたってもいられなくなってしまった。
(これまで、サラさんにはさんざんお世話になっておいて。なんでちゃんと言うことをきかなかったんだろう……)
……いい歳をして、子供みたいな後悔の念ばかりがわいてくる。
ラキシスはカラーレスにきて、世界といっしょに自分も生まれ変わったように錯覚してしまったのかもしれなかった。何千人もいるなかから一番くじを引き当てて、これから自分の運命がおおきく拓けていく予感がした。
実際、彼の予想をはるかにうわまわる変化が待ちうけていたのだが……
※ ※ ※
――不思議と、言葉と文字で不自由は感じなかった。こちらに来て三日めの朝、役場のこぢんまりとした客室で、住民登録用の書類にサインをするときになって、はじめて元いた世界とは異なる言語だと気づいたくらいだ。
「みんなそうよ。なかには言われるまで、まったく気がつかなかったってツワモノもいたんだから。――はい。じゃ、つぎは、これ読んでサインして」
ラキシスの傍らに立ち、彼から受けとった書類に目を通しながら、サラはもう一枚別の書類を彼の前の机に置いた。ラキシスの目に、用紙上部中央の楯と剣をかたどった仰々しいマークがとびこんでくる。
(…………)
「……どした?」
「あのぅ、これ、<とうばつしギルド>の登録申請書って……僕、故郷ではパン職人をしていました。といっても見習いですけど。……だから、ギルドにもまだはいれなくて……」
「あ~~、ここでの仕事は決まってるのよ。あいにくだけど」
書類を手に悲しそうに俯いてしまったラキシスにおかまいなしに、サラは彼の話を切りすてた。さっさと用事をすませようという姿勢がありありである。
今日中に終わらせてしまわなければならないことが山程ある。カニムが来るまでに必要な書類すべてにサインをもらっておかなければ。
――役場やギルドなどへの面倒なもろもろの仮手続きはカニムが担当することになっていた。あちらでの事務手続きが終わったころにカニムがラキシスを伴って出頭すれば、それで登録が完了する。
あの男の不機嫌な顔は、なまじ整っているだけに冷酷に見えてしまう。ふたりの大事な初顔合わせで、この気弱そうな若者がますます萎縮してしまったら目もあてられない。
サラは自分のぞんざいな態度は棚にあげて、そんなことを危惧してラキシスを急かしていたのだった。
「カラーレスでは、魔物を狩るのが仕事。魔物を狩る者のことを、討伐士っていうのよ」
「…………魔物を狩る?」
ラキシスは目をむいて、おそるおそるサラのほうへ頭ををめぐらす。
「それは……その、狩猟者、専門職のかたの仕事では……?」
「そう思いたいのはわかるけど、わたしもそうだったし。でも残念ながらここカラーレスでは、カラーレスに住む人間全員が討伐士になるの。例外なしにね」
「そんな、全員がって? ……だって、だって、パンを焼く人だって必要でしょう? ……ガラスを使った食器まである……着る物だって機織りの仕事とか。……この建物もとても……」
ラキシスは自分が目覚めたこの建物からまだ一歩も外へ出ていなかったが、それでもこの立派な石造りの建物や窓から見える街の風景、こまかいところでは出される食事の素材や食器とか、人々の衣服など、その質と量からどれもその道に専門に携わる者がいないとは思えないと食い下がった。
ラキシスの主張はたどたどしくて明快さに欠けていたが、サラは眼前のひ弱そうな若者が、意外につかえるかもしれないと直感した。
「ごめんなさい、説明が雑でわるかったわ。それらの仕事はみんな、副業としてやってるの。たとえばわたしの場合だと、本業は討伐士で、副業で食堂をやってるわ。討伐の仕事がないときに、副業をしてるの」
少し落ちつきを取り戻した様子のラキシスに、サラはかるく右目をウインクしてみせた。
「討伐士ギルドも副業の職能によって組織がわかれてるから。――あちらの世界よりはだいぶ大まかな区別しかないけど。とりあえずパン職人でいいなら、そこにちゃんと書いておきなさい。ただ……」
ここでサラは真剣な目つきになって、ラキシスを見すえた。
「一人前になるまでは、本業に専念が鉄則よ。わたしたちは、あくまでも討伐士だということを肝に銘じておきなさい」
討伐士ギルド登録申請書の署名欄、ラキシスは慣れ親しんだ母国語ではない文字で、彼の名前をペンが綴っていくのを複雑な思いで見つめていた。
その日の午後、ラキシスはカニムに伴われて街の北西にある討伐士ギルドへ赴いた。
三階建ての石造りの堅牢な建物は、彼のいた役場の建物とよく似ていた。それは、もっといかめしい城塞のような建物をかってに想像していたラキシスの目に、意外に映った。――カニムのあとについて通路を歩きながら、中の構造も似ているのではないかという気がする。
面談による審査は、ギルド、しかも討伐士のギルドということで緊張しまくりだったラキシスが、拍子抜けするほどかんたんに終わった。
カニムが事前に必要書類を提出していたし、審査といっても、討伐士になることが義務づけられている社会では形式的なものでしかないのだろう。
こうして晴れてギルドの構成員として迎えられたラキシスは、ここでいったんカニムと別れ、ギルドの職員の男にひとりの屈強な大男の待つ小部屋へと案内された。
職員は大男の手前で立ち止まった。職員の男も痩身ながら背は高いほうなのだが、その彼よりも頭ひとつ分高い。簡素な服越しでもわかる筋肉質の堂々とした体躯は、人々が物語の英雄に抱くイメージそのままだろう。
職員は、おごそかな口調でラキシスに告げた。
「ラキシスさん、厳正な適性審査の結果、あなたには戦士としての訓練をここで受けてもらいます。彼は、ゲルト。ここでのあなたの先生です。彼について戦い方を学んでください」
「…………え……?」
「期限は十日間。それまでにあなたもパーティーの一員として戦えるよう、精進されることを期待します」
そう言いおいて職員は、いっさいの質問を受けつけまいとするかのように、あしばやに部屋を出ていってしまった。
かわいた音をたてて閉じられた扉を呆然とみやりながら、誰にいうでもなくつぶやく。
「…………今のって、十日で戦えるようになれ、って、ことでしょうか……」
「……うむ……」
すぐ近くの頭上から、低い声が同意をとなえた。
(…………えええぇ~~~……?)
「うそでしょう? 十日間って? 僕はパン職人です、見習いでしたけど。それに、厳正な適正審査って、そんなのいったいいつ、どこでやったんですか?」
こんな大声でラキシスが叫んだのは、すいぶんと久しぶりだ。おかげで、むせてしまった。ゲルトと呼ばれた大男は、ラキシスが落ちつくのを待って静かな声で語りかけてきた。
「最初に魔導士長がおまえさんを見にきただろう。おまえさんに、魔導士としての才があるかどうかを見極めにきてたんだ」
「…………あ…………」
そう言われて、ラキシスは目覚めてすぐ、真近にあった魔導士長の顔を思い出した。あの時のラキシスは、身体がひどくだるく、意識ももうろうとしていたのだが、それでも自分とそう歳の違わない若い男がなめるようにベッドに横たわる自分を検分していたのを覚えている。
よみがえってくる、猛烈な不快感。部屋にたちこめていた香のかおり。
――ラキシスは鳥肌のたった総身を震わせ、彼の記憶に強烈にやきつけられたあのイヤな視線を振り払おうとした。
「さて」
ゲルトが、壁際におかれた長机のそばに移動した。
「未経験だと聞いている。そこで時間もないことだし、こちらできみが扱いやすそうな武器をいくつか選ばせてもらった」
見ると、長机のうえに、刀身の形と長さ、幅の異なる三本の剣が、並べられている。
(……ひとくちに、剣といっても、こんなに形も大きさも違うんだ……)
そのなかの一本を、ゲルトが鞘から抜いてみせた。あたりの空気が一変する。刀身の発する冴え冴えとした冷たい光に、ぞくりとラキシスの背中を氷がつたった。ゲルトが胸の前で剣を構える。鋭い切っ先に光がひらめく。
ラキシスの心に、戦慄がはしる。――夢ではない。自分がこれを使って、魔物と戦うのだ……
初日は一時間、武器の取り扱いの説明からはじまった。二日めからはみっちり五時間、実技だけでなく、かんたんな戦術などの座学もあった。ラキシスの体力の限界が予想以上に早くおとずれるため、ゲルトも訓練内容の組み立てに苦慮しているらしかった。
(……僕って、こんなに情けなかったんだ……)
ゲルトが自分に合わせてくれようとしているのがわかるだけに、それですら応えられない自分が、なおさら惨めだった。
ゲルトが見せてくれる基本の型はかんたんそうに見えるのに、ラキシスがいざ挑戦するとちっとも思うようにいかない。長細の剣に振り回されるばかりで、バランスを崩してしまう。基本の姿勢がたもてない。
(……こんなに、扱いづらいなんて!)
使っていなかった筋肉が突然の酷使にたえかねて、とうに悲鳴をあげていた。初日に試しに三回振ってみたときは、意外といけるかも……などと甘い考えが浮かんだが、とんでもなかった。連日の稽古に疲労はたまり、開始当初はできていたことさえ、ままならなくなってきた。荒い息遣いがラキシスの耳に、まるで他人のもののようにこだましている。
何を、どう、動かすべきかはわかってる。何度もゲルトから説明をしてもらった。やって見せてもらった。手をそえて、教えてももらった。頭では、わかってるのに……! 何度も、何度も、こんな出来のわるい生徒にしんぼう強くつきあってくれるゲルトに、このざまではあまりに申し訳ない。
(……ちくしょう! ………動け、動け。動け! ――なに、やってるんだよ……)
重くたれこめた雲を夕日が朱く染めている。あいかわらず成果があがらないまま、五日めの訓練が終わった。鉛のような身体をひきずるようにして、ラキシスが帰途につこうとしたとき、ギルドの門のところでサラが、ゲルトとともに待っていた。
――今夜も、琥珀亭は食事や酒をたのしむ客でごったがえしていた。
琥珀亭の自慢料理がこれでもか、と並べられたテーブルを間に、ラキシスとゲルトは無言で対峙している。
ここ数日落ちこんでいたラキシスを見かねたサラの計らいらしいが、何を話していいかわからない。ゲルトは訓練中、無駄口をたたくタイプではないから、なおさらだ。
「――うまいな。……彼女は後見人だそうだな。おまえさんは、いつもここで飯を食っているのか?」
話のとっかかりがつかめず悩むラキシスに、肉と野菜の煮込みをほおばりながら、ゲルトのほうから話しかけてきた。
「は、はいっ。ほんと美味しいんです、ここの料理! 食後の珈琲もおすすめです。<極上の味わい>って評判なんです」
いきなりの展開についていけず、頓狂な声で答えた自分に驚き、ラキシスの体温がいっきに上昇する。
「……そうか、そいつは楽しみだな」
ゲルトの無骨な顔がわずかにほころんだ。初めて目にするゲルトの微笑にラキシスはすっかり嬉しくなってしまって、鳥肉のローストもぜひ食べてほしい、と切り分けていると、
「おまえさん、器用だな。その手先の器用さは、このさき、案外役にたつかもしれん」
(……?)
なんのことを言われているのか、すぐに理解できなくてラキシスの動きがとまる。そんなラキシスの顔を見つめて、ゲルトは思いがけないことを語りだした。
「おまえさんが、十日でモノになるなんて誰も思っちゃいない。これは、おまえさんだけでなく、他の誰でもおなじことだ。俺だって、向こうじゃただの鍛冶屋だった。今のおまえさんと、そう変わらなかったよ」
「…………まさか、そんな……」
たしかにこちらに来たばかりのゲルトがどんなだったかは知らないけれど、今の<鋼のゲルト>を前にして、にわかには信じられない。
「ほんとうだ。今の段階の優劣なんて、実戦じゃほとんど問題にならないレベルなんだ。パーティーにはいって、仲間と協力して戦っていくうちに、身についてくる」
落ちこぼれの自分を励ましてくれてるのだ、ゲルトの気持ちはありがたい。だが……
「おまえさんが、そんなに神経質に悩む必要はないってことだ」
ラキシスは、皿に残ったスープの豆をスプーンでころがしながら、ずっと気にかかっていたことを吐き出した。
「……でも、僕みたいなのがはいってきたら、パーティーの皆さんに迷惑じゃぁ……。弱いし、体力もないし……」
――それに……
(……指導してくれた、ゲルトさんの面子もつぶしてしまう……)
「パーティーには女もいるんだぞ。それでもみんな、なんとかやってる。パーティーは言ってみれば、家族みたいなもんだ。特におまえさんのように来て間もないやつの面倒は、ちゃんとみてくれる」
いつの間にか、ゲルトはテーブルに両手をつき、身をのりだしてきていた。
「それに、初心者のいるパーティーが行くのはヴェロニカの林だ。あそこに出てくる魔物はまず小物ばかりだし、みんなあそこで経験をつんで強くなる」
多分、……いや間違いなく、このてのことは不得手だろうゲルトが一所懸命に、自分のために言葉を選び、力づけようとしてくれている。
ラキシスは、目にいっぱいたまった涙がこぼれおちないようにするのでせいいいっぱいだった。
「だから、今は気負わなくていい。無駄な力が入れば動きが鈍る。よけいに体力を消耗する」
(……そうか……)
ゲルトは、これを伝えたかったのだ。思うようにいかなくて、焦って、空回りしていた自分……。それで、落ち込んで、なんとかしようとして焦って、空回りして……出口のみえない袋小路にどっぷりはまってしまっていた自分に……
――とうとう、涙が、こぼれてしまった……
「……はい。……ありがとうございます」
そう言うのが、精いっぱいだった。
――この日、ラキシスは夢を抱いた。いつか一人前の戦士になって、ゲルトと肩を並べて戦う夢だ。今の自分には、はてしなく遠い夢…………とんでもなく、恐れおおい夢だけど……
(夢をもつのを、許してください……)
しゃくりあげながら、ラキシスは胸のうちで無二の師匠に懇願していた。
…………といって、――残りの五日の間に、これでラキシスが劇的に上達する、などという奇跡がおきるはずもなく。
――これまでの悲壮な覚悟いっぺんとうから、いくらか気が楽になったのと、明確な希望がもてたことで、少しはましになった、という程度である。
「謝るな。素人を十日で一応のかたちにしろというほうが、どだい無理な話なんだ。あとは実地で身につけていくほかあるまい。実際、人間を相手にするのとはわけが違うからな。魔物相手のほうが成長もはやい」
最終日の訓練を終えて、パーティーの面接に向かうラキシスを、ゲルトはこう言って、送り出してくれた。
「よく頑張ったよ、ラキシス」
師匠のねぎらいの言葉に、ラキシスの顔に自然と笑みがこぼれる。
(……はい。必ず、強くなって、ご恩にむくいます!)
ラキシスは心に誓って、ゲルトにかぎりない感謝をこめて最敬礼のお辞儀をした。
☆★☆「ラキシスくん、受難②」へ、続きます☆★☆
ここまでお読みいただいて、ありがとうございます。
<一話完結> の目標はどこへやら……。
ネットでこの長文をお読みいただくのは、大変な気がしまして、「ラキシスくん、受難」を二回に分けることに致しました。
引き続きお読みいただけたら、嬉しいです。