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第二章 火花散らす攻防(1)

■第二章 火花散らす攻防


 まだ少女としか見えない彼女、エミリア王女、リーザは、スローモーションのような穏やかな動きで左手を上げる。すぐに、喫茶店のマスターに成りきっていた彼女の侍従の男が、彼女の好みに調整された紅茶をローテーブルに並べる。その速さは、彼女が今この瞬間に紅茶を求めることをあらかじめ知らなければ不可能な速さだろう。だから、彼女がこの瞬間にここに来ることは、ディーンとエレナ以外のこの空間の誰もがすでに知っていたことなのに違いない。


 紅茶の芳香をひとしきり楽しみ、小さな吐息を漏らしたリーザは、落としていた視線を再びディーンに向ける。


「……ディーン・リンゼイ」


「は、はい、殿下」


 知らぬうちに身に着けていた貴族に対する当然の礼儀から、ディーンはソファから降りるようにしてひざまずき、リーザの呼びかけに応える。


「……エレナと言いましたか。なぜかしずかないの?」


 その言葉にとげが含まれていることをすばやく察知したディーンは、エレナの左腕をつかみソファから引きずり下ろした。


「申し訳ありません、あまりのことに呆けていたようです」


 ディーンは、そして、精一杯の言い訳をする。まさか、貴族に対する礼儀の教育を受けていない外国人だとここで暴露するわけにもいかない。

 一方のエレナは、ディーンに強引に引きずられるようにして頭を下げた形だけを見せる。


「……なおりなさい。話を聞きたいのです」


 二人が顔を上げてソファにまた座るのを待たずに、リーザはしゃべり始める。


「ディーン、あなたは、新しい――なにか有用な鉱石を見つけたと、そう聞いています。それが国富に関わるものであれば、王家のものが直々に話を聞き、その事実を世に諮るべきかを吟味するのが筋。あなたは不用意にも官報にそれを載せ、一般のものの目に触れる機会を作りました。異論はありますか?」


「――ございません」


 リーザの鋭い刃のような言葉に、ディーンは反論は何もできなかった。

 論理的な反論の余地はいくらでもあっただろう。

 だが、臣民の生殺与奪を握る王女殿下が相手では、その余地を行使することは不可能なのであった。


「よろしい。別にあなたを尋問しに来たのではありません。官報の件は不問に処します。私が最初に目にしたのは運がよかった。私の権限で件の官報はすでに取り下げてあります。――ただ、一方で、私がその新種鉱石について吟味すべきと考えていることは事実です。話すことを許可します。あなたの知るところをすべてお話しなさい」


 リーザが表情を崩すと、ディーンもとたんに緊張から開放される。

 ともすれば、官報に載せた、というだけの『罪ならざる罪』でこの場で裁かれる恐れさえあった状況から、純粋な王女の興味の対象となったことは、地獄から天国へと駆け上ったような気分であった。実のところは、王女の興味という煉獄にとらわれた身なのであったが。


「かしこまりました。まずはこちらを――」


 言いながら、ディーンは準備してきた鉱石サンプルを取り出す。

 直径八センチの透明な強化樹脂の中に、緩衝のための綿に包まれて入っている、新種の鉱物。

 それを、透明な側面から、美しい青が見えるように切り口断面をリーザに向けるように差し出した。


「――こちらが、新種の鉱物です。海洋底の地質調査の際に、サンプルの中で発見いたしました。既存の鉱物カタログには一致するものは無く――」


「能書きは結構です。それは、何かの役に立つのですか?」


 リーザはさえぎるように問いを放つ。


「――わかりません、殿下。ただ、結晶方向の自由度が高いこと、自由電子の放出、吸収が結晶の方向変位に従って速やかに行われることから、何らかの形で大電力を操作するか――大電力を生むか、そういった形のエネルギー資源となりうるものです」


「どのくらいあるのですか?」


「それは、地殻中に、でございましょうか」


「ええ、この星に」


「――わかりません、殿下。ですが、コアサンプルの採取体積に対する含有確率から大雑把に計算しますと――」


 言いながら、ディーンの脳内の計算機がフル回転する。コアの体積、エミリアの表面積、発見深度――変数が多すぎる。


「おそらくは、数十億トン」


 突然口を開いたのはエレナだ。

 ディーンがこのような質問をされるであろうことをあらかじめ予測した上で、簡易に計算を済ませていた。


「――数十億トンです、殿下」


「そちらの秘書は、計算係?」


 エレナの物怖じしない態度に、リーザが興味を示す。


「いえ、計算に限らず、あらゆるサポートを」


「……そう。『あらゆる』サポートを、ね」


 ディーンは、王女が卑しいものを見るようにエレナを視線で汚しているのを見て、自らの軽率な返答を後悔する。と言って、いまさら返答を撤回するわけにもいかない。


「主に事務処理に関するものであれば」


 だから、彼は、こう補足するだけにとどめた。


「あなたの想像するような下劣なサポートはしませんけどね」


 そのエレナの言葉に一番ぎょっとしたのはディーンだった。敬称もつけずに王女を呼びつけ、その脳内の想像を言葉にして見せる。


「……口を慎みなさい」


 同じく度を失っていたリーザは、かろうじて立ち直ると、震える声でエレナに命じる。


「口を慎む必要はありません。発見者は私たち。あなたはそのおこぼれに預かりにきただけの人。私たちに話をさせるのならそれだけの理由を言うべきです」


 王女殿下の命令を拒否するどころか理を説くエレナに対し、リーザは顔面を紅潮させる。

 かつて、これほど横柄に王女に物申すものがいただろうか。

 そのようなものがどのように処理されるかも考えずに?


 だが、彼女は、威厳を損なう言葉を発することをかろうじて抑えた。それは、彼女自身がこの場を衆人環視の条件に整えていたことが成させたことだ。まさかこれほどの侮辱を受けるとは思わなかったリーザは、自らの行動を知らずに制限していたのだった。


「やめろ、やめてくれ、エレナ。――殿下、失礼な言葉をおかけしたこと――」


「謝る必要はない。彼女はお忍びでここに来た。そうしなければならない理由があった。身分に関わらず、譲歩する姿勢を見せるべきは、彼女よ」


「……へえ? あなたごとき下賎の身に、貴族の事情がお分かりかしら?」


 思わずエレナの挑発に応えるリーザ。


「多少は、ね。そう、例えば、王位継承権者と言えども、七位にしか列せられない王女様の事情くらいは」


 エレナが言った瞬間、リーザは席を蹴るように立ち上がった。


「――命令です! その鉱石サンプルを渡しなさい! そうすれば数々の不敬、目こぼししてやりましょう!」


 その瞳には、明らかに制御を失った怒りの色があった。

 決して、人前にさらしてはならない王女の激情の証拠があった。

 それはとりもなおさず、王女の劣等感のありかを示す地図に他ならなかった。


「お断りします」


 対してエレナは、無表情のまま、穏やかな口調で、王女の命を拒否した。

 その拒否の言葉を聴き、それから、リーザにエレナの冷静さが感染した。


「――分かりました。またお会いしましょう」


 リーザはくるりと振り向く。


「まっ、待ってください殿下!」


「……ディーン。あなたに咎がないことは保証します。ですが、その女は知りません」


「ぼっ、僕が代わりに咎を受けます、だから――」


 言いかけるディーンを、リーザはさえぎる。


「――気に入りません」


 そして、背中に帯びる貴族の威厳でディーンを圧しながら、彼女は喫茶店の出入り口をくぐって行った。



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