第一章 空と地からの来訪者(4)
人は、進化しなければならない。
知恵は、深化しなければならない。
私に与えられた役割は、すべてを知ること。
しかし、それは私にはできないこと。
私はすべてを知ることを得た。私の『父』は、そう考えた。だから私はすべてを知る。
けれど、いくら知っても、知るを得なかった。理解を得なかった。
理解とは、心の作用。
悪魔の眼鏡で真実を見通そうとも、理解するには心が必要。
理解すべきコトに寄せるに足る心が必要。
すべての知恵を理解するには、ひとつの型にはまった私の心はあまりに貧相だった。
だから、人は、進化しなければならない。
知恵は、深化しなければならない。
理解すべき知恵は私が与える。
あなたたちの役割は、それを理解すること。
それを、あなたたちの心に落とすこと。
***
数日後、再びディーンは調査航行に出発した。
自宅には何日か分のレトルトミールプレートを残してきたが、何か欲しいものがあれば無署名のクーポンで何とかするだろう。
エレナのことをそんな風に心配していることに気が付いたディーンだが、ともかく、何日か一緒に生活をしていれば情が移ることもあるだろう、そんな人生も悪くない、などと考え、あえてエレナへの親愛の情を否定することはしなかった。
船は丸一日をかけて調査海域に達した。
前回の事件のために破損した調査設備は一週間以上をかけて修復されており、この航海はその遅れを取り戻すために急きょ計画された年間プラン外の航海だ。そうした予算外の航海にも潤沢な資金が出るのを、ディーンは初めて不思議に思った。つまり、それを不思議に思う価値観が、エミリア以外の星にはある、ということを知ったからだ。
船が動かない数日間もディーンは調査局に通っていたし、そこで、前回の試料の分析を行っていた。
当然ながら、前回の試料もいつもと同じ、どこにでもある鉱物がどこにでもあるような分量で含まれていて、レポートは以前のものをほとんどコピーするだけで用が足りた。
しかし今回違ったのは、そのレポートの最後に、エレナが指摘したポイントの試掘を行うことを正当化するための一文を付け加えたことだ。
当然ながら、エレナの指摘したメッシュでの過去の採掘結果も今回のものと似たようなものではあるが、そこにいくつかそれらしい理由をつけて、過去のメッシュでの再試掘を促す一文となった。
書き上げてみると、なるほど、と自分で唸るほどもっともらしい理由に見えてきたほどだ。確かに、エレナの指摘したメッシュのデータを詳しく調べ、今回調べたメッシュのデータと付き合わせると、エレナメッシュには何らかのピークがあるように見える。『あるように見える』と報告書に書くことで本当にそれがあるように見えてくるのは不思議なものだが、むしろ、そのように『何かがあってほしい』という視点こそ、エミリア地質調査局に欠けたものなのだった。だから、こうした視点での再調査が行われるのも、実は初めてのことだったかもしれない。ディーンはそんな過去の経緯には全く興味はなかったが。
そのようなわけもあり、今回の調査はまさにエレナの指摘した場所で行われることになった。
その調査作業はいつもどおりに行われ、ほとんど何も変わったことは起こらないように思われたが、コアの最後の百メートルに取り掛かってすぐに、ディーンは何かおかしなものを発見したことに気づいた。
冷凍コアから切り出した薄いサンプルの中に、明らかに見たことの無い鉱物が混じっている。
それは均一で光沢を持ち、青く透けて見えるのに鏡のように顔を反射して見せることもある。見る角度を変えるとそのように変幻することはすぐにわかったが、明かりにかざしてみようと高く持ち上げて同じことをすると、また違った動きを見せる。明らかに『上下』に対して何らかの反応をしているように見えるのだ。
微細構造の中に液晶に似たものが詰まっていて、それが重力によって一定方向に整列するようなものかも知れない。だが、瞬時に光沢を帯びたりする様は、単に結晶構造の変位だけでなく、自由電子の運動にまで影響があるように思われた。
そこまでを確認して、すぐに引き揚げ室に戻ると、取り出したコアは投棄される寸前で、危ういところで同じ鉱物サンプルを一握りほど取り残すことに成功した。最初のサンプルを切り出した平面を除くと他の岩石が固着していて一見は普通の岩と変わりないそのサンプルを、ディーンはすぐにマクフライ主任に見せに行く。
マクフライは、それを手にとってためつすがめつしつつ、煙草に火をつける。引火して貴重な鉱物が失われるかもしれないのに無用心な振る舞いを見せる彼だが、彼は、この星から新しいものが『出ないこと』を期待する一派の首魁とも言うべき人物なのだから、その振る舞いも当然と言えたかも知れない。彼は、同じ日を繰り返すことで糧を得ることをよしとするタイプの人間なのだ。
「……で? リンゼイ博士、これをどうする?」
マクフライは大仰に肩書き付きでディーンに問いかける。
「僕には判断がつかなくて……何か珍しいものだとは思うのですが」
「カタログは?」
「分析装置に入っているカタログには一致する特徴の鉱物はありません」
「つまり――ディーン、お前はこれが新発見だと、そう言いたいわけだ」
「……おそらく」
その回答をマクフライは嫌うだろう、そう思いながら、ディーンはためらいがちに肯定する。
「それで? 論文でも書くかね。その著者に俺を?」
「あの、いえ、……もしよければ、その形でも」
はっきりしないディーンの態度に、マクフライはため息をつく。
「俺はやらん。どうせお前の手柄だ。共著者にも名前を入れてくれるな。面倒は真っ平だ」
「ですが、主任はマクフライ博士で」
「じゃあその辺で拾ったとでも、個人で学会に持ち込むんだな。調査局でその面倒を背負うつもりは無いぞ」
マクフライは、実にはっきりと、調査局の立場を明確にした。
結局は、調査局の存在は、資源条約加盟のためのエクスキューズに過ぎず、それ以上の、つまり『ただ存在する』以上の役割を果たすつもりは無い、ということなのだ。
「しかし、さすがにこのまま隠匿は気が引けます」
「……わかったよ、じゃあ、一行官報に載せておけ。新種鉱石発見、効用不明、必要な研究機関にサンプル譲る、とな。それでいいか?」
ディーンは、なるほど、と思う。
必要な研究機関にサンプルを譲ってしまえば、調査局の手を離れる。それが何物かを解明する責任は、少なくとも別の者の手に移るだろう。
もちろん、このエミリアで、このような新規の研究に手を上げるものなどいないだろうということも計算のうちだ。調査局としては新発見を公表したという『エクスキューズ』を果たした上で、新種鉱物そのものを闇に葬ることができるというわけである。
「わかりました主任。後で発表文の確認だけお願いします」
ディーンはともかくその折衷案に満足し、サンプルそれ自体は強化樹脂ケースに収めて彼が保管することにした。
***
五日間の航海が終わり、ディーンが自宅に戻ると、エレナは出たときとほとんど変わらぬ姿でスツールに座って彼を待っていた。彼女自身がどこかから調達したのか、衣服は白いノースリーブに薄青のニットシャツを羽織り、薄灰のクロップドパンツというずいぶんやわらかい印象のものに変わっていた。
ディーンについて言えば、出たときと異なるのは、一抱えの食料品をぶら下げていたことと、かばんの中に新種鉱物のサンプルをそのまま持ち帰っていたことだ。
夕食まではまだ時間があったため、ディーンは、その新種鉱物についてのいきさつをエレナに簡単に説明してやった。
エレナはそれを聞いて特に感情を動かされるでもなく、ただ、薄く切り出した別のサンプルを光にすかして眺め、軽くため息をもらしただけだった。
「だが、結果は、一行官報だ」
久々に二人の夕食をとる最中、ディーンはクリームスープペンネをスプーンで口に運びながら言った。そこには、やはり残念だという気持ちがにじみ出てしまっている。
「……調べてみたかった?」
エレナが問い返す。
「いや、そんな大それた夢を持っていたわけじゃなかったが……興奮したのは確かだ」
「いいえ、『知る』ことが大それた夢だなんて思わない。人は知ることで世界を広げてきた。理解することで広がった世界に漕ぎ出し続けてきた。誰もが知ることをあきらめてはいけない。知る機会を得たものは理解する義務を負わなければならない」
「……エレナ?」
突然機械的な口調に変わったエレナに、ディーンは戸惑いの声を上げる。
すると、エレナははっと目線をディーンの瞳に戻し、そして、少しうつむいて微笑んだ。
「ごめん、ちょっと私も興奮した。でも、あなたが知った。誰かが知る機会を得た。それだけで十分だと思うよ。ディーンはよくやったと思う」
彼女の言葉に、ディーンは、そうか、とつぶやくように返してから、微笑み返すだけだった。
***
そして、翌日、航海後に三日連続で与えられる休暇のその初日の午前中に、ディーンの下に連絡が入った。
官報では連絡先を調査局としていたにもかかわらず、どういう手段を用いたものか、ディーンの個人用連絡先に対して、新種鉱物をぜひ見てみたいというメッセージが届いたのだった。
昨晩のエレナとの会話で、この発見を活かせないことをもう少し残念に思い始めていたディーンにとっては、それはうれしい報せであり、二つ返事で面会を承諾していた。
面会は、近所の小さな喫茶店が指定された。
エレナも同行したいと言い、特に連れて行く意味も無かったが断る理由も無かったため、彼女を伴ってその場所に出向いた。
閑散とした喫茶店内は、暗い色調の木造作りのインテリアで覆われ、ゆっくりとくつろぐことを念頭に置いた柔らかいソファが八脚だけという小さなお店だった。
初めて入ったその喫茶店でコーヒーを頼むとその金額に驚かされたが、全く客足の見えないこの喫茶店がどのようにして生計を立てているのかの謎だけはその価格が解いた。
二人が待ち始めて十五分ほどで、一人の客が入ってくる。
その女性はつばの広い白い帽子に薄手の生地の白いワンピースで全身を覆い、小さな金飾りのついた白いバッグを抱えている。小さく細いあごを持つその顔には、濃いサングラスが乗っている。ワンピースからのぞく手足は不安になるほど細い。
店に入ったというのに帽子もサングラスも取らず、彼女はまっすぐに二人の元に歩いてきた。
「……ディーン・リンゼイ?」
敬称もつけずに呼びかける彼女の声は、あどけない、という形容詞をつけてもいいほどに高く細い声だった。
「はい、僕がディーン・リンゼイ。こちらは秘書のエレナ」
「秘書をお持ちで。いい身分ですこと。座っても?」
横柄に言いながら、彼女はディーンの返答を待たずに、二人の向かいのソファに腰を下ろした。
「まず最初に言っておきましょう。私の身分を知っても口外しないこと、おかしなことを考えないこと、それと、この喫茶店のあのマスターはすでに私の手のもので、あなた方を油断無く見張っているということ。よろしくて?」
突然の宣言に、はいともいいえとも応えられず、混乱しているディーンを前に、彼女はサングラスを外し、帽子を取る。エメラルドグリーンの瞳が現れ、長いブラウンのストレートヘアが滑らかに滑り落ちる。
そして彼女は言葉を重ねる。それは、混乱の度を増す用にしか足らなかった。
「私の名前は、リーザ・ベルナンディーナ・グッリェルミネッティ。エミリア国王陛下の姪、この王国の第七位王位継承権者です」




