第七章 魔人の魔法(3)
暖かい日差しが差し込んでいる。
常春のこの星の名前を、ディーンはもう三度ほど近くの人に確認したが、まだ覚えられない。
それほどに特徴も無く、興味を引かない惑星。
病棟は薄緑とピンクで塗り分けられている。それぞれが別の受診科に相当するらしい。待合室は、ちょうどその中間にあり、薄青を基調としたインテリアになっている。常緑の植木鉢が一つ。
ナースがやってきて、彼に小さく何かを告げた。
ディーンはうなずき、正面のエレナに瞳を向ける。
「リーザが目覚めたらしい」
「そっか。予定通りだね」
「ああ、よかった」
二人は立ち上がり、ピンクの病棟に向かう。並ぶ病室を十数個通り過ぎ、奥から三番目の入院個室に入る。
ちょうど、治療用の様々なマニピュレータやチューブが取り外されようとしているリーザがいて、ベッドに横になったまま、ディーンたちに気がついて笑顔を浮かべた。
「気分は?」
「最悪。痛くもなんとも無いお腹だの足だのまでいじくられちゃって」
「腕の傷がひどくて気付かなかったんだけれど、普通なら結構痛いはずの傷がたくさんあったんだそうだ」
「どのくらい寝ていればいいのかしら?」
「長くて一週間」
エレナが短く答える。
「……退屈ね。早く、あの鉱石をどこかに持って行きたいのに。……そう言えば、ここは?」
混乱の中、強い痛み止めで意識朦朧のまま連れて来られてしまったリーザは、ここがどこなのか分かっていなかった。
すべては、エレナが済ませてしまった。
彼女は、領空警備艇のジーニーを乗っ取り、それを支配下に収めた。
後は簡単だった。警備艇とは名ばかりの主力戦艦を押し立てて進むのだから、その前進を妨げるものなど存在しない。エミリアから国外へのジャンプも、半ば武力的な脅しに頼ったものになった。しかし、一旦ジャンプが済めば、後は『地球』が保証する宇宙国際市民としての人権が彼らを守った。彼らは無事に、決めてもいなかった目的地についたのだった。
「……ロックウェル連合国内の、ラ……なんとかっていう小さな共和国。ごめん、まだ覚えられない」
それを見て、エレナはくすくすと笑うが、国の名前を補足しようとはしない。国の名前や星の名前など、もはやどうでもいいことなのだ。
「私が大マカウ国のスパイかもしれないとまだお疑いだろうし、ロックウェル連合に」
それだけを言い加えると、リーザは苦笑いした。
「それはもうどうでもいいことよ。エミリアではあの手の研究は進まないのは分かりきってるんだから、マカウでもロックウェルでも」
「だが、古い帝国主義のマカウよりは、開明的なロックウェルに任せてみようと考えるのは道理だろう?」
ディーンの言葉には、リーザはうなずくだけで応えた。
「……それで? この後、どうするの? もうお二人で話し合って決めてるんでしょう?」
「そのことだが」
「あなたに任せたい」
エレナは、そういいながら、問題のサンプル鉱石の入った筒をリーザの前に差し出した。
「君もここじゃ一般市民だ。もちろん、無事に亡命が認められればの話だけれどね。そうしたら、君は、これを売り込むことを仕事にすればいい」
「亡命?」
一瞬声を裏返らせるようにしてリーザが鸚鵡返しし、それから、今度は小さく笑いを漏らした。
「そんなこと考えてないわ。私はエミリアに帰るつもり」
「え?」
今度は、ディーンが驚きの声をあげた。
「……目が覚めてから考えてたの。エミリアから一歩外に出たとたん、私は宇宙市民として守られてきた。この国でも、個人個人が生きる権利がとても大切にされてる、だから、外国人の私もこんな風に立派な治療を受けられる……」
それは、ディーンも確かに驚いたことだった。エミリアに篭っていては一生気が付かなかっただろう。
「……エミリア王国ってなんだろう、って。王侯貴族が、平然と平民の人権を踏みにじる権利を持ってるのよ。あなたは違うと思ってるかもしれない、でも、貴族に認められた権利を字義通りに解釈すれば、そうなってしまうの。私はそうだとようやく気付いたの。……事実、猊下……主教様は、平然とあなたたちを消そうとした。彼が――」
リーザは、メアッツァを『彼』呼ばわりしたことに自ら驚き――。
「――私を誅すると決めたとき、彼は、私を消すことに対するほんの少しの罪悪感を、確かに持っていた。けれど、私と一緒に命を落とすあなたたち二人のことなど歯牙にもかけていなかったわ。彼にとって、平民などいないのと同じなの。そして、それは私にとってもそう。もし貴族を助けるために平民何人かを死なせなければならないとしたら、躊躇しないと思う」
ごくりとつばを飲むディーンに対し、エレナは穏やかな表情でそれを聞いている。長い人生を、様々な国や状況の中で生きてきた彼女にとっては、人権の価値の浮き沈みは嫌と言うほど体験したことだろう。
「一時的な英雄的気分なのかもしれない。そうに決まってる。でも、私は、エミリアを、宇宙全部に対して誇れる国にしたいと思うの。慈愛と寛容に富む支配者と、自立心あふれる民。そのためには、支配者の横暴を防ぎ、市民に自律の権利と義務があることを知らしめなければならない。そのために、何かをしなくちゃならない。そんな風に思ったら、いてもたってもいられないの」
リーザが言葉を切ると、エレナがゆっくりとうなずいた。
「すばらしいことだと思う。でもまだ今は、そのための仕組みを考えることと、それを実現するための後ろ盾が必要。すぐに帰る必要は、ないでしょう」
「……そうね、焦っちゃだめね。でも、教えて。こんな国で支配者が不正をしたら、どうするの?」
「普通の国では、支配者さえ裁判で裁かれるの」
「では、その裁判官が不正をしたら?」
リーザの問い返しは的を射ている。エミリアでは、貴族が裁判官を兼ねているのだから。
「国によって違うけれど、弾劾審問みたいなものが開かれることがある。一般市民が、特別階級にあるものを裁く制度」
「……弾劾……」
リーザの着想は、決着まではまだ遠いだろう。
だが、彼女は、これからすべきことをすでに心の中に描き始めていた。
「どちらにしろ、まだゆっくりと休むべきだ。だから、これは君に預けたい」
ディーンが改めて、エレナの手からサンプル鉱石を受け取り、リーザに渡した。
「……あなたたちは?」
リーザが問うと、ディーンとエレナは、顔を見合わせてわずかに頬を赤らめた。
「……ああ、ごめんなさい、そういうことね。ハネムーンだかなんだか、どこへでも行ってらっしゃい」
「ハっ、ハネムーンってわけじゃ……エレナはこれまで、ずっと自分の気持ちを封じて生きてきた……これからはもっと素直な気持ちで、いろんな世界の美しさを感じてみたいと、そう言ってるから……」
「はいはい、ごちそうさま。エミリア史上初の平民王婿誕生のチャンスだったのにね」
「……え、はっ、ぼ、僕が!?」
リーザは、慌てふためいているディーンを見るだけで満足した。もしかすると、と思っていた彼に対する気持ちは、すっかり消えてしまっていた。
「じゃあ、これは私が預かるわ。でも、あなたたちの気が済んで帰ってくるまで。いい?」
「分かった。君も気をつけて。エレナの力が必要になったらいつでも飛んでくる」
「エレナと……ディーン、あなたの力、ね。ええ、頼りにしてるわ。呼んだら飛んでくるのよ?」
ディーンと、続けてエレナは、深くうなずく。
「ともかく退院まではゆっくりしてて。お見舞いも来ない」
「ええ楽しんでらっしゃい」
「……リーザ、ありがとう。私も、あなたのおかげで、変わった自分に驚いてる」
エレナが右手を差し出すと、リーザは笑顔でそれをとった。
「良かったわ。……それじゃね」
「うん」
最後に、二人の結ばれた手に、ディーンがその手を重ねた。
***
***
***
街はお祭り気分に浮かれている。
今日は、『エミリア建国千年祭』。
ジョークで始まった王国は、建国千年の星霜を耐え抜いた。
それを祝う人々の顔には、当初の陽気さが少しと、国と自らに対する誇りが満ちていた。
レンガ通りに面した小さな一軒家でも、乱痴気騒ぎのお祭りの手伝いに行った父親を少し心配しながらも、母と女の子が、その雰囲気を楽しみ、時々、窓から紙ふぶきを投げて道行く人を楽しませていた。
「ねえ、ママ。王様は、千年ずっと王様だったの?」
「いいえ、千年の間に何十人も王様がいたの」
「じゃあ、今の王様が一番えらい?」
「そうね、どうかしらね」
「じゃあ、一番最初の王様?」
「この国を作った王様だから、一番最初の王様が一番えらいかもしれないわね」
「そうなんだー。じゃあ、その次は?」
母は考え込む。
「……千年の間に、女の王様……女王様が三人だけいたの。でも、どの女王様も、王様の中で一番だって言われてるの。『エミリアの三女王』って言うのよ。みんなの代表が王様と話し合う仕組みを作ったクイーン・マリエッタ……みんなに大きな目標を与えてくれたクイーン・セレーナ……でも、みんなが安心して好きなことをして好きなことを言える国に変えてくれた、クイーン・リーザが一番かなあ」
「そうなんだー。ママ、私、クイーン・リーザになる!」
「王様に? そうね、誰でも王様になれる仕組みを作ったら、あなたも四番目のえらい女王様、ね」
母が笑うと、娘も笑った。
人々の笑顔は絶えない。
完




