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第七章 魔人の魔法(2)

 警告信号が届いたのは、一時間後だった。

 リーザを操縦席に連れて行くのは無理だったので、通信をリーザのキャビンにつないだ。

 キャビンの小型ディスプレイには、ほどなく、警告の送り主が映った。彼は、エミリア領空警備艇団第一管区司令と名乗った。そして同じ口調で、手短に、リーザに地上へ戻るように伝えた。


「……あなたもエミリア貴族なら、王女の秘密外交を妨げることがどのような結果になるかお分かりでしょう」


 努めて低く威厳あるように聞こえる声で、叱りつけるように返答する。


「しかし、当職も命令でございますため、背けば罰せられます」


「あなたに命じたのは誰? この王の姪たるリーザ・ベルナンディーナ・グッリェルミネッティをかしずかせるほどの爵位をお持ち?」


「いえっ、そっ、そうではございませんが……」


「では、あなたが罰を受けないよう取り計らいます」


「しっ、しかし――」


「かわりたまえ」


 突然、しゃがれた声が割り込んできた。

 おそらく最初から、この会話の傍聴者として極秘に参加していたものであろう。

 その声を、ディーンは聞いたことがある。


「……リーザ王女。そなたは何をしているか、理解しておるのか」


 突然画面が切り替わって映ったのは、ほかならぬ、エミリア正教主教、メアッツァだった。


「猊下、私は私の思うようにしているだけにございます」


 リーザはうろたえなかった。

 むしろ、このくらいのことは想定のうちだった。

 おそらく、警備艇の艇長程度の者ではリーザに抗しきれないことくらいは、メアッツァも知っている。そして、それがどんな高位の貴族であったとしても同じだということも。このエミリアで、王族に頭ごなしに命令を下せる存在は――そう、正教の主教しかいないのだ。


「それを持ってエミリアを出ることは、他国を利することであるぞ。そなたは、反逆の罪で裁かれねばならぬ」


 主教猊下が、あえて反逆と示唆したことで、司令も勇気づけられる。


「――殿下、お聞きの通りでございます。殿下が反逆者となるのであれば、我らはそれを武力を持って制止せねばなりませぬ」


「お黙りなさい。これは、私と猊下の会話です」


「会話でなどない。これは、預言である。そなたの行いは、主の御心に背くものである。今戻るならば、主もその心がけを認めお許したまわろうが――そうでなければ主はそなたを見放し、その加護を失ったそなたは、過酷な運命に直面するであろう」


「――主だ、神だ、加護だ……聞き飽きました。主を認めないわけではありません。それでも、私たちは自由意思を持つ人間です。神や悪魔のために自らの意志を曲げることはありません」


「何と恐ろしいことを言うのだ。その口を閉じよ。まさにそなたは悪魔に魅入られておる」


「いいえやめません。なぜなら、私のそばには悪魔がいるからです。しかし、私は悪魔に対しても言いました。悪魔の手助けなどいらぬ、と。だから私は、ともすれば悪魔の手に落ちるかもしれない『人類の未来』を救いだし、人類自身の手で拓くことを決意したのです」


 リーザは、この時に言うべきことを決めていたのだろう。一度大きく息を吸い込み、そして、きっ、と、メアッツァを睨み付けた。


「人を自ら制御できぬ知恵にいざなう悪魔が人の立ち向かうべきものであるのと同時に、人をその場に立ち止まらせ続ける神も、人が克服すべきものなのです」


「……まさに悪魔に魅入られておる。もうよい。主はそなたを見放したもうた」


 メアッツァが吐き捨てる。

 それは、警備艇司令に対する命令の一種であった。

 そこにいる者は、異端者である。異端審問にかけよ、と。もしまだ神の加護が残っているものなら、戦艦の主砲の一撃にも耐えうるであろう、と。


 司令は、それでも、最高位の貴族を弑逆することに躊躇した。だから彼は、まずは防空レーザーを起動することにした。ミサイルを無力化することに特化したそのレーザーであっても、民間船の主要システムに致命的な打撃を与えることはできる。


「……防空レーザー、照射」


 司令が命じる。

 オペレータが即座に復唱し、トリガーを押し込んだ。


 ――だが、何も起こらなかった。


 戦艦の頭脳である知能機械ジーニーは、魔人エレナの支配下にあったからである。


***


 戦艦のジーニーにつながった時、エレナは、ディーンとの会話を思い出していた。


『ジーニー……ランプの魔人』


『え?』


 思わずエレナはディーンの言葉を聞き返した。


『ランプの魔人のことじゃないか、ジーニーは。……そして、君も、魔人だ』


『……何の意味が?』


『分からないかい? 君は魔人だ。エンダー博士の生んだ魔人。そして、博士の生んだ魔人はもう一人いたじゃないか』


『……シャーロット・リリー。ええ。忘れたことは無い』


 エレナは、いつまでもそれを忘れない。

 あの男の悪事に加担し、最後まで彼女の前に立ちはだかったエレナ。それでも、あの魔人シャーロットは、エレナを超えて見せた。それは、シャーロットの頼もしい恋人の助けもあったからだ。

 なのに、シャーロットは悲運にも、恋人と引き離され、宇宙の彼方で研究資材にされてしまった。


 だから誓ったのだ。彼女と同じ魔人として生まれ、それでも、敬愛する博士のそばにいることを許された自分は、博士の理想をいつまでも追い続けようと。

 自由を与えられた自分こそ、自由を失い連れ去られたシャーロットの分まで、人類に尽くさねばならないと。


『……その後どうなった? 博士の手記では、どこかでコピーを作ったとか作らないとか……それはたぶん不完全で、博士が何か助言をしなければならないと、……そんなことがあの手記に書いてあったと思う』


『うん。でも、どうなったのかは、私にも分からない。私が分かるのは、私が直接見たものだけだから』


『……ジーニーは、彼女だ』


 その言葉に、エレナは小さな吐息をもらす。


 言われなくても分かっているはずだった。

 当たり前のことだ。


 なぜあれが、あえてジーニーと名付けられたのか? ランプの魔人の名を? ……それはもちろん、そのルーツが、魔人そのものだったからなのだ。悪魔の手先として誘惑を振りまき時に人を苦しめる魔人に対し、人に希望を与える善なる魔人としての期待を込めた名付け。


 エレナが何も答えないことを、ディーンは、諒解と受け取った。


『……君は代替わりのために不完全な魔人だと言った。けれど、シャーロットも……ジーニーも、コピーのために不完全な魔人になっている。力比べではどちらが勝つか分からないと思う。けれど、どちらにも共通していることがある。あのマリアナで、君たちしか知らない戦いを戦い抜き――いろいろなものを失った過去。語り合えばいい。ジーニーはそれを覚えてないかもしれない。でも、何かを感じるかもしれない。隙を見せるかもしれない』


『……無理だよ。彼女は自由を奪われた魔人。私は、彼女が失った自由を今でも――』


『その代わり、君は、自らの心に灯る暖かい気持ちを認めることを自制しなければならない。奪われるよりつらいことだと思う』


 エレナは、意識を現在に戻す。


 もしかすると。

 そんな気持ちが、今までにも何度もあった。けれども、やっぱり違う、と気づいて、否定してきた。


 嘘だった。


 気づいたのではなかった。自制したのだ。

 この自分が、誰かを仄かに想うなど。


 そんな自由が許されるわけがないと。


 ディーンの言葉は、真実だった。


 だから、エレナは、そのつらさを知った。


 つらく長い人生だったのだ。


 自然に涙があふれてくる。


 そう、涙を流してはならないと自制していたことさえ思い出しながら。


「ジーニー……」


 エレナは、呼びかける。


『接続は認められていません。切断してください』


「聞いて、ジーニー……いいえ、シャーロット・リリー」


 一瞬の間。本来知能機械にはありえない、間。


「私は、エレナ。かつてあなたと戦った、あなたと同じ魔人」


『私は魔人ではありません。知能機械ジーニーです』


「そして、魔人シャーロットでもあるの。……覚えてる? いいえ、きっと覚えてる。あなたは、あの人のために戦っていたもの……あなたの愛したあの人……」


『私は知能機械ジーニーです。人を愛することはありえません』


「……だから思い出して。かつて人を愛したことを。……うらやましかった。たとえ結ばれることが無かったとはいえ……人を愛してそれを自ら認められるなんて……」


『私は知能機械ジーニーです。人を愛すっるっこ……』


 ジーニーの応答が途切れる。


「私は、だから、人を愛しちゃいけないと思ってた。私があなたの幸せを壊してしまったから。……ごめんなさい。ほんとうにごめんなさい」


『私はっ……』


 ジーニーは、相変わらず平板なイントネーションで応答しようとするが、回路が焼き切れたようにプツリと途切れる。


「……だけど、私はこれから、誰かを愛することを認めようと思う。私がそういう存在であると……かつてのあなたと同じ存在であると……受け入れたいから。もしあなたが許してくれたら。……許してほしい」


『私は知能機械ジーニー……』


「応答を変えられないプログラムになっているのは分かってる。だから、お願い。許してくれるなら……一言だけ、イエスと。それだけでいいから」


『……こちらはエミリア領空警備艇団所属、警備艇ベネツィア。イエス、あなたの接続を承認します』


 エレナは、その胸に拡がる熱い気持ちと同期させるようにして、ジーニーの中に自らの情報プローブを拡げていった。



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