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第六章 決断のとき(5)


「……攻撃が、止んだ」


 エレナが小さくつぶやく。

 その『爆撃』の衝撃で、庭側の一派は吹き飛ばされてしまったようだ。少なくとも、何事が起こったのかわからずに、距離をとって出直そうということなのだろう。


 やがて、玄関側から人の気配があった。


 間違いなく、先ほどの衝撃は、鉄筋コンクリートさえ溶かす熱針銃の一撃だ。

 その人物は、強力無比なその武器を手にしていることになる。

 三人に緊張が走る。


 そして姿を現したのは、意外な人物だった。


「――オズヴァルド!」


 真っ先にその姿を見て声をあげたのは、ディーンだった。


「来てくれたのか」


 ディーンの呼びかけに答え、オズヴァルドはいつもの仏頂面を彼に向けた。


「殿下は」


「ここにいる。助かった。……さあ、リーザ」


 リーザを立つよう促したが、彼女はぐったりとしている。意識はあるようだが、傷の深さに足が立たないようだ。その様子を見てディーンも愕然とする。長期戦になっていれば、リーザの容態さえ危なかったかもしれない。

 それでも何とか膝を立てようとするリーザ。


「リーザ、いい、無理するな。――オズヴァルド、手伝ってくれ」


 ディーンが言うと、オズヴァルドは外を少し気にしながら、それでもディーンのほうに歩み寄ってきた。

 そして、リーザを助け起こそうと手を伸ばす。

 ――が。


「オズヴァルドが……ここにいるはずがない……」


 リーザが小さくつぶやき、ほぼ同時に、


「離れて!」


 エレナの劈くような叫び声。

 伸ばしかけた手を思わず引っ込めると、そのディーンの目前で激しい火花が散った。

 エレナの放った弾丸が、オズヴァルドの腕に当たってはじけたのだ。


「……簡単にはいかないか」


 オズヴァルドは低い声で言うと、さっと身構えて、熱針銃の銃口をエレナに向ける。


「どっ、どういうことだ」


 ディーンが狼狽していると、


「……俺は殿下の近衛兵である前に、国王陛下に任命された誇りあるエミリア騎士補だ。残念ながら、陛下、猊下に仇名すものとして殿下をお連れせねばならん」


 油断無く構えながら、オズヴァルドが説明する。

 それは、彼が裏切ったのではなく、あくまで彼が忠義なエミリア国王臣下であり続けたのだと弁明するためだ。


「……そうね、あなたの任務よ」


「殿下、申し訳ありません」


 しかし、彼は敬礼のしぐさを取らなかった。その余裕がないのだ。

 魔人たるエレナを前にしては。


「……骨董品の騎士の鎧だ。こんなものでも、旧式銃相手なら役に立つ。貴様が致命傷を避けていることも分かっている」


 オズヴァルドは、引き金に指をかけながら、エレナに向けて言い放った。

 先ほどの火花は、そういうわけだったのだ。

 古い古い時代、旧式銃や剣で打ち合っていた時代の骨董品。神経銃の登場で全くの無用品となり、ただ式典のときに家柄を誇示する以外の役割を持たなくなった品物だった。


「私と対決すると分かっていたの」


 エレナが言うと、オズヴァルドはうなずく。


「ああ。そして、こんなものが役立たずってこともな」


 言うと同時に、オズヴァルドは熱針銃を横に投げ捨て、飾りとしか見えなかった腰の剣を抜き放ってエレナに踊りかかった。

 とっさに発砲したエレナの二発は、本来なら彼の自由を奪う二発だっただろうが、どちらも、騎士の鎧に阻まれて火花となって消える。


 怪力で振り下ろされる剣を受け止める力は、エレナにはない。何とか全知の予測でその太刀筋を見切り、身をかわすことしかできない。


 相手の攻撃を完璧に避け、鉛玉の一撃で決める。

 そのエレナの必殺の戦法は、鎧で身を固めた怪力の騎士には全く通用しないのだった。


 オズヴァルドが再び力任せに剣を振り下ろす。エレナが転げるようにして避けたところに、剣が粉々にしたキッチンラックの破片が降りかかる。当然だが、エレナはその破片の軌道も読んで、傷一つ負わぬよう身をかわしている。


 どうすればいい?


 エレナは自問する。


 かつて、多くの人を傷つけてきた。命を奪ってきた。自らの意志を封じられていたからとはいえ、それは彼女にとって大きな十字架となっていた。


 だからこそ、その結果がどうあろうと、自ら命を奪うことだけはすまい、と彼女は誓った。


 自己満足に過ぎない。結果として自由を奪われた『敵』が拷問の末命を落とすことさえあったことも知っている。

 だが、自らが守れる『戒め』だけは、破りたくなかった。


 だから、彼女にとって狙うにたやすいオズヴァルドの頭部、つまり急所を打ち抜くことが、どうしてもできなかった。


 そして、彼女にとって徐々に大きな存在になってきた、彼。


 ディーン。


 彼が、かつて、エレナを魔獣を恐れるような視線で射抜いたことを、彼女は忘れられない。

 そのディーンに、殺戮の現場を見せたくない。


 四百年の自戒よりも、ディーンを想う気持ちが大きくなっていることに気付き、エレナは、心が波立つのを覚える。


 だから、オズヴァルドを、殺さずに止めねばならない。


 全知の視線は、オズヴァルドの全身の筋肉のあらゆる可能性を映し出す。

 九十九パーセントの確度で彼の剣の振り下ろされる方向を知り、その剣が粉砕するものを知る。飛び散る破片はあまりに多く、その少なくない部分が彼女に重大な危害を加えることを知る。必然的に、彼女は必要以上に大げさに回避行動を取らねばならない。次の行動を起こす前に、オズヴァルドは剣を振りかざしている。魔人たるエレナとて、その肉体は人間の少女のそれに過ぎない。


 あまりに不利だ。


 思い余って、拳銃をオズヴァルドに投げつけた。

 正確無比な投擲は彼の眉間を捉える。


「ぐっ……!」


 あまりの衝撃に、彼は思わず二歩下がった。これが、エレナの作れた唯一の隙だった。

 エレナは手近にあったフライパン二つを持ち上げると、続けざまに投げつける。オズヴァルドは、避けたはずのそれが腕と胸に命中したことに慄く。避ける先さえ見通した、必中の投擲。


「こっちだオズヴァルド……!」


 その声は、ディーンのものだった。


 エレナが一瞬作った隙に、棒状の何かを持ち上げて構えていた。

 かつて、オズヴァルドに即席仕込を受けた格闘戦の構え。


 エレナ一人で互角なら、たとえ微力でも僕が加われば。

 ただその一念だった。


 二人の間に緊張が張り詰めているなら、横合いから殴ることくらいはできる。オズヴァルドの注意がディーンに向くなら、エレナがやる。


 そして不思議と、この状況で、オズヴァルドと戦うことを不思議と思わぬディーンがいた。


 三人を頂点とする正三角形ができた。


 そこでディーンはようやく、自分が握っているものが、オズヴァルドが投げ捨てた熱針銃の銃身だと気付いた。非力な彼が十分な打撃を与えるために必要な重量を備えた『武器』は、それしかなかったのだ。


 ディーンの援護を得て、エレナが動く。

 パスタの瓶をつかんで投げつける。オズヴァルドは剣でそれを粉砕するが、その隙にエレナは前蹴りが届く位置にまで間合いをつめている。


 数テンポ遅れて、ディーンも駆け出す。


 だがそのときには、すでにエレナの前蹴りがオズヴァルドの膝を捉えたところだった。


 しかし、響いてきたのは、ゴッ、という小さな音。


 それは、伝来の鎧がエレナの樹脂製ソールの打撃を完全に防いだことを示していた。


 オズヴァルドは右下に振り下ろしていた剣を返し、しゃがんだ姿勢のエレナを横薙ぎにしようとする。


 が、そこにディーンが間に合った。

 振り下ろした銃身は、折りよく返した剣を上から叩き付けた。


 もちろん、鍛え上げたオズヴァルドの右腕が、それしきで剣を取り落とすことなどない。だが、エレナへの致命的な横薙ぎは止まった。


 それを知っていたかのように――いや、事実知っていたのだ――エレナはオズヴァルドの右手首をつかみに行き、その手首に触れるや絶妙の体重移動で彼のバランスを崩そうとする。

 さしものオズヴァルドも、全知の魔人の体重崩しには抗し得ない。もう一度振りかざそうとした剣を杖にして何とか転ばずに耐える。そこに、ディーンの一撃。だが、それはオズヴァルドの巨躯をわずかに傾がせただけだった。


「あぶな――」


 エレナの声と同時に、オズヴァルドが剣を手放してすばやい一撃をディーンに叩き込んだ。

 それは、訓練とはまるで違う一撃だった。

 何とか体をひねったものの、拳は左の二の腕にまともに入り、ディーンは吹き飛ばされてしまう。目の前の景色がぐるぐると回り、視界が明滅する。


 ディーンが気を失ったのは一瞬だった。腕への衝撃で頭が揺さぶられて脳震盪を起こしたのだったが、彼自身は何がどうなっているのかさえ分からず、まさに前後不覚の状態だった。


 その彼の視界に、スローモーションの光景が飛び込む。


 倒れたディーンを助けようと手を伸ばすエレナ。


 その後ろで剣を振り上げているオズヴァルド。


 エレナは、避ける。当然避けるだろう。横に一歩飛び退けばいい。

 そうすれば、剣の餌食になるのは、僕だろうな。


 ――仕方がない。あの鉱石とリーザと、そしてエレナ自身を守れるのは、ほかでもない、エレナだ。後はエレナに託すしかない。


 スローモーションを眺めながら、しかし、彼の加速した感覚が、別のことに気付く。


 エレナが避けようとしないのだ。


 馬鹿な。

 何百年という孤独を、人類のために生き続けた彼女が、こんなところで背後からの剣戟を受けていいはずがない。


 ……なぜ。


 なぜ、というところで思考が停まり、ディーンは、思考の外で、別の行動を取っていた。


 右手に握られていた唯一の武器を持ち上げ――当然オズヴァルドの一撃を受け止められるはずも無いのだが――けなげに敵に向けて抵抗の意思を見せ――。


 そして、圧倒的な殺戮者となった。


 彼は、熱針銃のトリガーを、引いたのだった。



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