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第一章 空と地からの来訪者(2)

 その宇宙船の着水で起きた波浪は調査船を翻弄し、船長から作業員までのすべてのクルーはその収束作業に追われることになった。調査用パイルにも影響があり、引き揚げ作業は中断、損傷箇所の特定や次善策の検討に技師のすべてが動員された。


 その結果として、研究副主任のディーンが、ボートを出して宇宙船の近辺へ調査に赴くことになった。もともとこういった非常事態に備えた役割分担があったわけでもなく、誰も彼もが目の前の面倒ごとにかかりきりになった結果、人員として浮いたのがディーンだけだったのだ。


 本来は救命用である小型ボートは、ディーンだけを乗せて海面に降ろされ、彼の操縦で滑り出した。快速の電動モーターは瞬く間に彼を宇宙船のすぐそばにまでいざなった。


 宇宙船は、全体が灰色の耐久塗装で覆われた、全長五十メートル、全幅六メートルほどの筒に見える。

 その中心線よりやや前から生えたデルタ翼は後端近くにまで達しているが、角度をつけられたそれは後ろ半分が水没している。後端近くには小さな垂直尾翼も見えている。


 最前方は空気抵抗を減らすために鋭く延びているが、その先端もまた水中で、見えているのは、その上に位置している乗降ハッチだ。


 ディーンはその乗降ハッチを目的地に定めると、微速で船を駆った。


 目の前にまで近づいたが、ハッチはもちろん開く気配がない。中に人がいるのかさえわからない。時折、地上の格納庫を借りる賃料を惜しんだものが軌道上に『泊め』た宇宙船が軌道を外れ、自動不時着装置で海上に落ちることがある。そうしたニュースを目にしたことが無いわけでもないディーンは、その可能性も考えていた。


 船を寄せ、どの宇宙船にも備えられている緊急時の救出用ステップにロープをかけて互いの距離を固定する。そして、ディーンはステップに飛び移った。

 ステップを二段登るとすぐに外からハッチを開けるための緊急レバーのところにたどり着く。

 レバーを引くと、ハッチにわずかに隙間が開く。実のところ、本当にハッチを開いていいかどうかを確認するための何千項目ものチェックが自動で働いているのだが、ディーンが知る由も無い。


 開いたハッチを横に滑らせるように開け、踏み込もうとした時だった。


「待って」


 突然呼びかけてきたのは、女性の声。

 声の主が見えず狼狽するディーンの前に、ゆっくりと姿を現したのは、短い黒髪と明るいブラウンの瞳を持つ整った顔立ちの女だった。


「そのまま。動かないで。お願いがあるの」


 驚きの次にディーンを襲った感情は、好奇心だった。

 たった今自分を立ちすくませた女性は、今度は一体何を言おうとしているのだろう?

 彼女の言葉を無視して立ち入ることは簡単だったが、彼は、彼女の言葉の続きを聞きたくなった。彼がとどまったのは、ただそれだけの理由だった。


 ディーンが動かないのを見て、相手の女は軽くうなずき、再び口を開いた。


「……事情があって、誰にも姿を見られたくないの。かくまってほしい」


「……密入国か?」


 相手の言葉から素早く推論を進めたディーンは、問い返す。


「……そう思ってもらって構わない。あなたは私を通報するといくらもらえる?」


「……犯罪者の通報は国民の義務だ。報酬なんてない」


「そう。……あなたは私を匿えば、このクレジットを手にする」


 言いながら、彼女は手のひらに乗せたクレジットクーポンチップをディーンに見せる。

 署名のされていないクレジットが、五千。

 ディーンの貯蓄のちょうど十倍だった。


 彼は、ともかく悩むそぶりを見せる。


 これだけの『ひも付きの無いクレジット』をひらりと出す女。

 それが、とてつもない面倒を抱えていないわけがない。


 スパイか。犯罪組織の構成員か。そういった面倒なものであるはずだ。


 だから、軽々しく首を縦に振ってはならない。

 悩むふりをして彼女の情報をできるだけ得て、それから答えてもいいだろう。


 考えながら、『ともかく最後には五千クレジットを受け取る』という回答を出している自分に、ディーンは驚く。


 僕はこういう危ない橋を渡るタイプだっただろうか?

 否。


 『今まで、危ない橋など僕の人生に現れなかった』。


 一度も転んだことのない子供は、転ぶかもしれない段差を避ける術を知らないだけなのだ。

 きっと自分もそういうものなのだろう。危険というものを知らずに生きてきたのだから、これが本当の危険なのかどうかの判断さえできないのだろう。


 冷静に分析し、それでも、やはり彼は、目の前の大金の誘惑には勝てない。


「迷ってる? ……私はあなたが思っているような人間じゃない。もちろん、密入国、それは認める、けれど、……たとえば、あなたが犯罪者として追われるようになったり、あなたが私の『敵対組織』に追われるようになったり、そういうものでは断じてない。――信じて、と言うしかないのが、残念だけれど」


 ディーンの不安を見事に言い当てて見せた彼女の洞察力に、彼は再び驚き、そして、気持ちを固める。


 ――たった一人で宇宙船を駆り、五千クレジットという大金を惜しげもなくちらつかせ、僕自身の不安さえ的中させて見せる彼女が、只者であるはずが無い。ここで恩を売っておけば、まだそれなりの役得はあるかもしれない。


 彼は、職業こそ科学者であるが、財におぼれ支配を楽しみ進歩を唾棄したこのエミリア王国においては、彼の地位は、せいぜい浮浪者よりややましという程度のものだ。


 危険にさらす地位の価値が低い彼にとって、その対価は五千クレジットでも十分であった。


「分かった。この船に乗るといい。中に要救護者用の保温寝袋がある。その中に隠れていれば見つからないと思う。少し暑いだろうがしばらく我慢してくれれば」


「……ありがとう」


 ディーンのあまりに速い決断にやや戸惑いながら、彼女は、彼の手にクレジットクーポンを押し付けた。


「私は、エレナ・ユーニス・エンダー」


 押し付けられた手をそのまま握手の形で握り返し、


「僕はディーン・リンゼイ。よろしく」


 ディーンも自己紹介を返した。


 そして、握手の握りを今度はエスコートの支えに変え、ディーンはエレナを救命船内に導いた。


***


 誰も乗っていなかった、というディーンの報告は何一つ疑われること無く受け入れられ、交通局には『無人機墜落事故』として通報された。パイルの支柱にまで歪が見つかったためにその場での復旧作業に時間を取った地質調査船がその海域にとどまっている間に交通局の調査員が来て、その宇宙船が確かにエミリア船籍であり軌道上に不法駐機していたものだったことを確認した。その情報を聞いたディーンは、エレナがどういう手段で『本物のエミリア船籍機に乗り込み墜落させたのか』が気になったが、おそらくエレナに訊ねても答えることはあるまい、と自己完結した。


 調整や修理、可能な限りの機材の回収を終えた調査船は、その日のうちに母港に帰った。

 ディーンは一度上陸し、それから、忘れ物をしたと言い訳をして再乗船してエレナを連れ出した。もともと搭乗者のチェックをしていたわけでもないため、彼女を連れ出すのは簡単だった。


 そこでようやくディーンは落ち着いてエレナの姿を観察する機会を得た。


 身長は百六十五前後だろうか、白いシャツに黒いパンツで細身だが、シャツの上からでも胸のふくらみは目立つほうだ。黒い髪はショートカットで、そのためにあらわになった耳元から首筋はいずれも色白でしみや傷は見当たらない。もちろん、シャツから伸びた腕もまったく同様だ。相当危ない仕事をしているだろうに、そのまっさらな肌の美しさは、かえって不気味だった。


 彼女を連れてきた調査局港湾事務所の駐車場には、ディーンにとってはちょっとした自慢のツーシーターのスポーツカーが置いてある。カレッジ時代のアルバイトと働き始めてからの報酬をすべて頭金にして購入した、高圧縮内燃機関式エンジン車。モーター車よりも癖が強く騒音も撒き散らすため、総じて内燃機関車は『悪ぶりたい若者の趣味』と見られていたが、ディーンは純粋に荒馬を乗りこなすスポーツ感を楽しんでいるのだった。


「どこに送ればいい? 何か目的があるんだろう」


 乗り込んでエンジンをかけながら、ディーンは訊ねる。

 始動したエンジンが、低い振動と高い爆発音を響かせ始める。


「目的は――そう、ある。だけど、行くべき場所は無い。行くべき場所は――」


 もう一度何かを言いかけて、エレナはそれを飲み込んだ。


「――署名無しのクーポンならもう少し出せる。しばらく、匿ってほしい」


「……僕の家で、かい?」


「そう、なる、かな」


 エレナはぎこちなくディーンの考えを肯定する。


「君のその……君が何に所属しているのか知らないが、その、仲間に連絡をしたらどうだ」


「……私は、何にも属してない」


 エレナは、初めて、素性らしきものを語る。

 考えるまでも無く、ディーンはそれを嘘だと見破る。


「さすがに、君が一人であの宇宙船を持っていて、どこからともなくやってきた、なんてことは信じられないよ」


「……お金をためて、宇宙船を買った」


「嘘を言うな。君が隠れている間に交通局で調べたんだ。あの宇宙船は、軌道上で不法駐機していたものだと分かった。君は、どうにかしてその宇宙空間を漂う宇宙船を奪い、乗り込み、密入国した。誰の助けも借りず? 信じられるものか」


「……信じられないと思うけれど、あれは私の船。自走式シャトルだから、この星ではめったに見ないと思うし、自走式シャトルをわざわざ不法駐機なんてしないと思わない?」


 自走式シャトル、という存在は聞いたことがある。

 宇宙空間に宇宙船を打ち上げるための巨大カタパルト『地上カノン』を使わず、滑走路から自分で飛び立つ宇宙往還シャトル。

 であれば、確かに、停める場所にはさほど困らないとも言える。いざとなれば、まさに海上にでも浮かべておけばいいのだから。あの船が本当にそうだったのか? 宇宙船を一度か二度ほどしか見たことの無いディーンには判断ができない。


「あれはソーラーパワーで海水から水素燃料を作って貯蔵する完全エネルギー再生型自走シャトル。そのためには数か月はシャトルを水上に浮かべておかなくちゃならないけど……年に一度の宇宙旅行をする程度の人がよく持っているタイプ」


 それを聞いて、ディーンはため息をつく。


「……やれやれ、君は、どこかのお金持ちの令嬢様か。家出かい?」


 突然、これまでの物騒な想像がすべて吹き飛ぶのを感じる。

 エレナは単なるお嬢様で、親の目を盗んで家出してきた。その家出先はどこでもよかったが、リゾート地でもあり、国際社会からは半ば無視されている辺境の王政国家を選んだことは、不思議なことではない。

 言われてみれば、年齢もせいぜい十八、九といったところだろう。物騒な集団に属すには、若すぎる。しかし、親の宇宙船を盗んで家出するには若すぎる、というほどではない。


「……そうね、そう理解したのなら、それも間違いじゃない」


 これまでの無表情が嘘のように、エレナは表情を崩して、ディーンと同じように小さくため息を漏らした。


「私の身の上を追いたいのなら、そうして。きっとあなたには決して分からない。なぜあの宇宙船がエミリア船籍だったのかも分からない。私は『そういう者』。けれど、私を匿っていてくれるのなら、私の持っている限りのクレジットをあげる。――結局あなたは、クレジットの魅力と、私への興味、別々の欲求を持っていて、ただたまたま、それが、私の素性を明らかにしようという同じ動機を生んでいるだけ。そう、私はあなたなんかには決して手の届かない、『令嬢様』。これで満足?」


 そこに含まれた嘲笑うような声色に気付かないディーンではなかったが、心中では、これはかなわないな、と舌打ちする。


 なんともはや。とんでもないじゃじゃ馬お嬢様だ。

 そう、おそらく、そういう類の者なのだろう。


 だが、彼女は、それを『肯定も否定もせず』、ただ、ポーズとして、ディーンを嘲って見せたのだ。


 そうすれば、彼の自尊心が彼女を匿うことを選ぶだろう、という計算づくで。


「――わかったよ、君の言うことを信じよう。君が帰りたいと思うまでは、好きにするといい。いいかな――エレナ」


 ためらいがちにファーストネームを呼ぶと、


「よろしく、ディーン」


 エレナも微笑んでファーストネームで呼び返した。



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