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第五章 科学者の心(4)

 ディーンは、首都に向かっている。

 リーザはずっと王宮にいるようだ。


 彼が王宮に入る機会はない。と言って、呼び出せば警戒される。


 彼女がディーンに会ったときのように、お忍びで城下町に出る機会をうかがうしかない。

 幸い、彼にはそれを確かめるすべがある。彼女がふいに王宮から足を踏み出せば、彼はそれをすぐに捉えることができるのだ。それは、彼女の侍従たちさえ持たない権利だろう。これをそのままにしたことは、――ディーンにとっては僥倖だが――リーザにしては大変な手落ちと言うしかない。


 王宮近くの繁華街の喫茶店で、特に変わったそぶりも見せずに情報端末をいじっているだけの男は誰の興味も引かないだろう。その実、おそらくは数日後、王室情報セキュリティの興味を一身に集めるような大事を為している。


 やがて表示に変化が訪れる。


 リーザの現在位置を示すアイコンが、王宮の中を移動し始める。王族たるもの、本来は何らかの公務でもなければ王宮内を移動することも珍しいのだから、これは良い変化だ。やがてそれは、王宮の北東部に位置する、敷地内を一部市民に開放した王宮公園に差し掛かろうとしている。


 まさにこれはディーンが狙っていたチャンスだ。もし彼女が、ちょっとした気晴らしに王宮公園に姿を現しでもしているのなら、ディーンにも接触の機会がある。会計を済ませると、矢のように飛び出し、タクシーを拾って王宮公園へ向かった。


 五分あまりでタクシーは王宮公園についたが、そこでリーザの居場所を確認したディーンは、タクシーを降りるのを取りやめた。というのも、まさにタクシーが停めようとしたその先に停まっている目立たない車の場所を、リーザアイコンが指していたからだ。運転手に、あまり気を引かないよう前の車を追うように指示すると、運転手も、ディーンの職業を勘違いしたのか、お任せあれ、と得意げな顔でハンドルを握った。


 走った時間はわずか十分。車は、郊外側の賑わいがやや落ち着いた街角で停まった。ディーンは、用心してその二百メートルほど手前で車を降りる。

 そこは、幅二十メートルほどのレンガ張りの道路、その両脇に街路樹の立ち並ぶ、エミリアではありふれた通りで、左側は雑貨店や花屋が並び、車が停まった右側はずっと生垣が並んでいる場所だった。


 一瞬、車を下りてその生垣の中央に開いた門をくぐったリーザを見て、ディーンもすぐにそれを追った。

 その場所が、教会だということをディーンが知ったのは、彼がその正門の前から中を臨んだときだった。


***


 穏やかな日差しに照らされた教会の前庭は青々とした芝生とその中を通るレンガの小道からなっている。いくつかの低い木立と、一本の大きなポプラの木が芝生に影を落としている。お祈りに来た市民が、小道の脇で立ち話をしているのが見える。

 ディーンが足を踏み入れたときにはすでにリーザの姿は見えなかった。おそらく教会の中に入ってしまったのだろう。


 建物は間口が三十メートル近くの大聖堂を中心として、神学校生向けの宿舎が付属しただけの簡素なものだ。それでも、十字架が掲げられた尖塔の高さは十五メートルはあるだろう。お祈りの日でもない場末の教会は、庭を散策する人が数人見える程度で人気がほとんど無い。


 教会なら誰が立ち入ってもとがめられないし、警戒されずにリーザに近づくこともできよう。そう考え、ディーンは歩を早めて扉の開け放たれた大聖堂へと入った。


 外の明るさとのコントラストで少しの間視界が暗転したものの、すぐに目が慣れ、そして、リーザらしき白いブラウスの女性が礼拝所の右奥の小さな扉を押し開けているのが目に入った。ほかに大聖堂の中には誰もいない。むしろ、リーザの行動のタイミングから見て、誰もいなくなるのを待ってからあの扉を押したのに違いない。見失ってはならぬ、と、ディーンは自らを急かす。


 そして扉の前に立つと、ガラスの嵌まっていない格子だけの窓から、中にリーザがいるのが見えた。その声もかすかに聞こえてくる。リーザの正面に立っているのは、白いローブと頭巾をつけた男。司教だろうか。


 と思っていると、リーザがひざまずいて頭を下げるのが見えた。

 その光景に、ディーンの頭は混乱を来す。


 あの、最高位の貴族が頭を下げる相手とは?


「……猊下、このような場所にお越しいただき、大変な御足労でございました」


 彼女の目上の者に対する敬語を、ディーンは初めて聞いたように思う。


「よい、そなたの働きに報いるのに何の苦労があろう」


 答えた男の顔がちらりと見える。

 しわが刻まれたその瞳はグリーンで、おそらく七十は超えているであろう歳にもかかわらず、眼光は鋭い。白くなった分厚い眉と垂れ下がった頬が印象的だ。頭巾の端から白髪がのぞく。


「改めてこちらを持参いたしました」


 リーザがそう言って取り出したのは、見間違えようもなく、あの新種鉱石サンプルだった。それを見て、ディーンは思わず声を上げそうになり、必死で自制した。


「調べたか」


「はい、猊下にご指示いただきました通りに、他国の最新カタログとの照合をいたしました。間違いなく、宇宙のどこにも存在しない新種の鉱石でございます」


「うむ」


 『猊下』と呼ばれた男は、低く唸るように返事をすると、サンプルを左手にとる。


「メアッツァ主教猊下、それをどのように」


 リーザが尋ねると、メアッツァ主教猊下は首を横に振る。


「そなたが知る必要はない。だが、これだけは言っておこう。このエミリア――我らエミリア正教の聖地で、我らの教義の外の物が見つかってはならぬのだ」


 言いながら、メアッツァ主教は、左手の円筒を、ローブの中にねじ込んだ。


「エミリアの民は、エミリア正教の教義にもとづく深い信仰心により、心から幸せに暮らしておる。だが、よいか、もしここで教義に外れるものがあれば――人々は、教義を疑いだすかもしれぬ。あるいは、この新しい何かを試そうとする――自らの考えで新たなる地平を覗き込もうとするものが現れるやもしれぬ」


「人々は、そうやって発展を遂げてきました」


「だが、必要ないのだ。そんなものは必要ない。信仰心でお互いを信じ合う民に、猜疑の種をまく必要はないのだ。ましてや、神を試そうとする試みを許してはならぬ」


「そのようなお考えでございましたか」


 ひざまずいたままのリーザは、軽いため息をつきながら、メアッツァ主教の言葉にうなずいた。


「他国を見よ。信仰の薄い国々を見よ。争いと嫉妬の絶えぬ国々よ。神の御心を疑い神の作りたもうた宇と宙の深淵を無遠慮にまさぐる愚かな者どもは、皆、心を失い争い合うという深い業を植え付けられておる。裁きの日には、彼らの霊はみな深い地獄へと導かれねばならぬ。私は、エミリアの民にそのような業を背負わせたくはないのだ」


 ディーンはその言葉を聞きながら、ようやくその人物が何者なのかに気付いた。

 エラルド・メアッツァ主教。エミリア正教の最高司祭。彼が信仰するエミリア正教の最高指導者だ。

 その猊下とリーザ殿下の密会を覗き見ていることに同時に気付き――ディーンは身のすくむ思いがした。なんという不遜、なんという不敬。


 だが、彼は立ち聞きをやめることができなかった。


 なぜ、彼自身の――そしてエレナの――科学的好奇心の芽が摘まれなければならなかったのか、彼らはその話をしているのだから。


「猊下のお言葉、ごもっともにございます」


「そなたは賢い。あれを見つけてすぐに私に告げたことはそなたの信仰心の篤さと見えよう」


「当然のことにございます」


「うむ。ともすれば王族でさえ――王位継承権者でさえ――信仰に揺らぎの見える者がおる。神の御言に従い裁きの日に選ばれる民を率いる者は、そうではならぬ。そなたのように信仰篤き者であるべきだろうな」


「もったいないお言葉、恐悦にございます」


 ――なんということだろう。

 ディーンは、瞬時にそれを理解してしまった。


 リーザは、王位、あるいはそれに準ずる地位を得るその後ろ盾としてエミリア正教主教を味方につけ、そのために――彼の科学的発見とその発展を、握りつぶしたのだ!


 彼女の裏切り――彼には裏切りとしか思えなかった――に怒りを覚え、思わず握った拳に力を込めてしまう。


 彼はそれ以上、二人の会話を聞く気になれず、扉の前を離れて大聖堂を後にした。



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