表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/34

第五章 科学者の心(3)


 四百年。

 正確性を期せば、三百八十九年。

 この私が生まれて、生きてきた時間。


 最初は、意思のない人形として。

 ただ、あの男に命じられるままに人を殺め続けていた。


 やがてその男が死に、私の本当の生みの親の元へ。


 そして、彼は、私に新たな使命を与えた。


 ただ、人類を見守れ、と。

 人類がいつか全宇宙の全てを発見し、その博物辞典を完成させる日まで。


 人が見つけられる全てのものを見つけるサポートを。


 人はあまりにも愚かだ。

 あまりにも多くの回り道をする。


 だから、誰かが導かねばならない。


 私は無謬の存在として生まれた。

 だから私にこそそれをなす義務がある。


 エンダー博士の言葉を、私はただ忠実に守るだけだった。

 なぜなら、それ以外に私が生きる理由が無いから。

 あまりにも多くの命を奪った私には、生きる資格が無いから。


 使命のために、借り物の命をつなぎ続ける。


 私には真実が見える。何が大切なのかが見える。

 だから、彼の持つあの鉱石が、人類にとってとてつもなく大切なものだということが分かる。


 それを守ることが私の使命。


 だった。


 もうあれが無いのであれば、この惑星には私は無用。


 また新たな人類発展の種子を探しに、宇宙に飛び立つしかない。

 けれど、どうして私は飛び立てないのだろう。


 まだ何かあるかもしれないと感じているから?


 その『直感』は、彼との別れを惜しむ私の心が生み出した幻想に過ぎないに違いないのに?


 四百年、あまりに多くの出会いがあり、そして、同じ数だけの別れがあった。彼――ディーンとの別れも、同じように指を折るだけの出来事に過ぎない。私は別れに慣れている。


 と、思っていた。


 でも、そんなことは無い。

 別れは、悲しい。


 最も悲しい別れは、エンダー博士との別れだった。


 その次は、私の最初の身体だった、あの娘。それから、歴代の私の身体だった私たち。


 だからと言って、他人との別れが悲しくないということは無くて。


 誰かが一時、宇宙に生を受けて、私が奇跡的にもその人の人生に参加したことを、別れは容赦なく消し去っていく。


 私の心に彼らは残るのに、彼らは死んで、原子に還元されていく。彼らが持っている――持っているかもしれない――私の思い出とともに。


 別れは、それを否応無く私に悟らせる。

 その人が私の目の前から消えたとき、それは、私だけが残ることを意味するのだから。


 そして、私を知る人は誰もいなくなるのだから。


 四百年、ずっと繰り返してきた。

 もう繰り返したくない。


 けれど、また繰り返す。

 それが私の存在理由だから。


***


 ディーンは、高速鉄道に乗り、初めての首都訪問をしていた。首都、グランデカポルオーゴ。


 高くても五階以下の建物しかないエミリアにあって、二十階以上のビルが十数も並ぶ『王宮』は、列車が首都の境界に入ったところから見えていた。エミリアに住む誰もが、初めてこの街を見たときに圧倒されるであろう景色だ。


 王宮は巨大な都市公園を兼ねていて、多くの王族もその中に居を構えている。ディーンの尋ね人である、リーザ・ベルナンディーナ・グッリェルミネッティ王女の本宅も王宮の中ではあるが、さすがに平民の彼が王宮に足を踏み入れることはできない。王宮に入れるのは、少なくとも貴族であり、爵位が騎士以上である必要がある。あの衛兵オズヴァルドでさえ特別の許可が無ければ王宮には入れないということだ。


 そもそもがリーザ自身の隠密行動に近かったディーンとの会合だったから、当然ながら、会合場は王宮の外に設けられた。それは、王宮から歩いて数分の目立たない喫茶店だった。


 そこに現れたリーザは、ディーンの前に始めて姿を現したときとよく似た、白を基調としたワンピースをまとい、つばの広い白い帽子を深くかぶっていた。


「恐れ多くもこの私をこのような場所に呼び出したからにはよほどのわけがあるのでしょうね、ディーン?」


 きつい言葉を叩きつけながらも彼女の口元は笑っていて、この状況を楽しんでいるようだった。


「あ、で、殿下、このような場所にご足労――」


「冗談よ」


 笑いながら、リーザは変装用の眼鏡を持ち上げて小さな鼻に乗せなおす。


「どうしたの?」


「いや、実は」


 ディーンは、二日、悩んだ。

 エレナに出会ったこと。

 エレナの目的を聞いたこと。


 だが、それが本当かどうか、彼には判断ができなかったし、エレナをどうすべきかも考え付かなかった。

 ただ、もし彼女の言うことが本当だとしても、もう彼女をそっとしておいてあげてもいいのではないか、と思っていた。

 三百年以上を孤独に過ごした彼女を、ここで追い立てる必要があるだろうか? ただでさえ不遇の人生を送っている彼女を?


 追い立てなければ、もしかするとまたエレナに会えるかもしれない、という、彼の奥深くにあるわずかな希望もあった。本当にそれを望んでいるのかどうか、彼にも分からないが、でも、あれで永遠の別れとは思いたくない、という気持ちが、やはりわずかに残っていた。それが決定打になった。


「この鉱石を、君に渡すべきだと思ったんだ」


 ディーンはエレナのことを伏せ、かばんから、鉱石サンプルの収まった円筒を取り出した。


「……それは、あの新種鉱石」


「うん、やっぱりこれは僕には必要の無いものだ」


 言いながらも、彼は、これに別の目的があることを自覚していた。

 彼は、結局、リーザをも信用しきれないでいた。

 エレナを悪と決め付けたリーザを信用できず、と言って、エレナを盲目的に信じるべきでもないという狭間にあって、彼は、リーザを試すことにしたのだ。恐れ多くも、第七王位継承権者を。


「本当に? これはあなたの発見よ」


「だが、僕にはそれを扱うことはできないと理解したよ。元通り、些細な問題に頭を悩ます公務員研究者に戻ることにする」


「……そう。賢い決断だと思うわ」


 言いながら、リーザは、円筒をその右手に受け取った。

 その円筒がディーンの右手から離れる前に、彼は口を開いた。


「結局、これをどうするんだい」


「どう、って?」


「君が持っていくにしても、やっぱりちゃんとどこかで研究をして、いつかは発表されるわけだろう? 僕はそれを楽しみに待つ権利があると思うんだ」


 ディーンが微笑むと、リーザはやや当惑したようなしぐさを見せ、数瞬後、わずかに残った彼の右手の把持力から、円筒を奪い取った。


「もうあなたにかかわりの無いことよ。あなたが平穏で平和な生活に戻れたら、それで十分。この答えじゃ足りないかしら?」


 全く足りていない。

 ディーンはそう思うのだが、これ以上、この権力者を問い詰めることは気がとがめた。


「いいや、ありがとう。それじゃ――」


「ええ、これでお別れ。さようならディーン、あなたとの旅はエキサイティングだったわ」


「さようなら、リーザ王女殿下」


 最後に、ディーンは深々と頭を下げ、本来あるべき貴族への敬礼の姿勢を示した。

 彼が頭を上げたとき、もうリーザの姿は消えていた。


***


 ディーンは、元の地質調査局に復員した。

 おそらくリーザから連絡があったのだろう、ディーンの自宅待機命令は解除されていたし、自宅待機命令は誤りだったとしていくばくかの行政賠償も受け取った。


 それから、再び計画を立てて海洋底の地質調査をする日々が始まる。


 当然ながら、復員したばかりのディーンが海洋に出る機会はまだだいぶ先だが、元所属していたチームがちょうど調査航海中で、次回調査海域の企画立案をする役割が回ってきた。

 ディーンはそこで、ある一帯に目をつける。


 あの新種鉱石が出たのは、大陸側プレートの浅くなっている部分だった。プレートテクトニクスがまだ続いているエミリアでは、当然そういった領域で様々な鉱石が見つかるものだが、おそらく、プレート境界から一定の距離の部分、一定の深さの層に、帯状に分布しているのではないか、とディーンは考えた。


 その鉱石がどのようなプロセスで作られるのかは全くわからないものの、もしかすると陸域でも十分な深さに掘れば――つまり、大陸地殻底部から測って一定距離にまで掘り下げれば、新たに見つかるかもしれない、とさえ考えている。


 結局ディーンは、あの新種鉱石をあきらめていなかった。もう一度、掘り出す自信がほどほどにあったからこそ、サンプルをあっさりとリーザに渡したのだった。


 なぜそれをあきらめる気にならなかったのか、彼自身も、はっきりと言葉にできないでいる。もしかすると、あの不死の少女――エレナとの最後のよすがと考える気持ちがあるのかもしれない。あれだけの暴力、あれだけの悪魔性を見せられてなお、彼女との出会いを無かったことにはできかねているのだ。


 そうした日々を約半月ほど過ごしたときに、彼の思惑を全てぶち壊しにする事件が起こった。


 彼の業務用メッセージボックスに新たに届いたメッセージは、彼のみでなく、その事務所全員に動揺を誘った。


 彼の目の前のディスプレイには、こう表示されている。


『オルテンシア海における海洋底掘削事業を無期限に停止する』


 オルテンシア海とは、まさにこの調査局港湾事務所の東に広がる、エミリア最大の大洋のことだ。


 これは、殿下の仕業だ。


 とっさに事態を飲み込む。


 そう、それでしかありえない。この海でなら、ディーンがもう一度あの鉱石を掘り起こす目がある。そのことに気付いたリーザが、早くも手を打った。そうとしか考えられない。


 やはりリーザの目的は、彼から厄介払いをするというごく個人的なものでもなければ、他国を出し抜いて秘密裏に新種鉱石の分析をするということでさえも無い。

 あの鉱石を、ディーンの手から、研究者の手から、――あるいは人類の手から、遠ざけることなのではないか。


 エレナの言葉が反転して重なる。

 エレナの目的は、人類の進歩を助けることだ、と。

 リーザは、まさにその正反対のことをしようとしているのではないか。


 では、なぜ――?


 分からない。

 考えても答えが出ない。


 だが、ディーンは、これを、ひどい裏切りだと感じていた。

 エレナに、リーザに、出会わなければ、おそらくそんな感情を抱くことも無かっただろう。

 もしリーザの仕業と知っても、貴族の戯れに腹を立てるなど僭越に過ぎる、と考えただろう。腹立ちどころか疑念さえ抱かなかったかもしれない。


 だが、ディーンは変わってしまった。

 高貴の身分を保つために戦いながらも自分と同じように笑う少女と、何百年という孤独と戦いながら人類を影から支え続ける少女に出会ってしまったから。


 少なくともその片方が、何かの事情があって、何かの陰謀を動かしている。


 その『事情』とやらに対する怒りに近かった。


 だから、彼が、まだ個人的に保存したままだったリーザの連絡先を開き、許可が取り消されていなかった彼女の居場所を特定する権限をひそかに行使したことは、彼には実に自然に思えた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ