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第三章 マリアナの悪魔(5)

 容赦ないしごきでへとへとになったディーンは、夕方四時を回った頃にようやく休憩を取ることができた。

 さすがにそんなに疲労していては殿下の相手はできまい、とオズヴァルドに心配されたほどで、午後の戦闘訓練はほんの一時間で終わることになったのだ。


 ダンスについては、ともかく女性の手を握ってステップを踏むだけの練習に徹し、後は手練のリーザに任せることになった。それだけでも午前全部と午後の多くを使ったが、何とかものになる最低ラインはクリアした。


 戦闘に関しては、ともかく体力だった。攻撃を避けるという行動は思ったよりも多くの体力を消耗する。要するに相手に正対したまま、横か後ろに動かなければならないのだから、ただ前に走るよりよほど疲れるのだ。

 自らの身を守るというのがこの訓練の目的だから、ともかく敵を前にしても怖気づくことなく、相手の攻撃をしっかりと見て避けること。それだけを叩き込まれるはずだったが、オズヴァルドの猛攻にわずか一時間で音を上げることになってしまったわけである。


 それから二時間、部屋でゆったりと休むだけのつもりが気がつくと居眠りをしており、晩餐会の開始時刻まで三十分を切っていた。


 あわてて部屋を飛び出し、あらかじめ聞いていたスタイリストルームに飛び込む。

 そうして、ともかく見た目だけは貴族らしい、ダークグレーのシャツの上に、袖口と襟口、ズボンのサイドに白とオレンジの装飾のついた濃暗赤の上下スーツ、それから同じく濃い赤の蝶ネクタイ、そして撫で付けた頭髪の上にぼさぼさくるくるの大げさなウィッグ、という姿に変身した。さすがのディーンも、その姿を鏡で見て苦笑するしかなかった。


 連れられてたどり着いたのは、広いホールだった。

 名目こそ『晩餐会』だが、広いテーブルを囲んだ食事会というよりは、食事については二の次のダンスパーティに近いもののようで、ホールの中央は広いダンスステージ、その周囲に小さなテーブルを備えたボックス席が二十ほど囲むように並んでいて、招かれた貴族はそれぞれにボックス席を割り当てられているようだった。


 ディーンは、そんな中で唯一の平民として、ひとつのボックス席を割り当てられていたが、周りの貴族の注目を集めている風でもなかった。結局貴族たちの興味は貴族同士の出世レースであり、いかに他の貴族を出し抜いて第七位王位継承権者リーザ・ベルナンディーナ・グッリェルミネッティ殿下に覚えめでたくあるか、に過ぎないのだった。


 ディーンが一人ボックス席に取り残されておろおろしている間に、いつの間にか、ホールの音楽が響き始めている。


 間もなく、一画からリーザが姿を現す。真っ白のワンピースドレス、短いスリーブの縁と深いV字の襟は淡いオレンジのフリルであしらわれている。そこに、いくつかの宝石が埋め込まれたティアラと光沢のあるストール、エナメルの輝きのパンプスをまとう。

 ホールの中央でまばゆい光を浴び、一礼する彼女は、ディーンがこれまでに見たどんな姿よりも美しく輝いていた。


 何かしゃべっていたようだが、ディーンはそれを完全に聞き逃した。あまりに美しいリーザの姿と、場違いな自分の身分のその差におののき、周りで起こっていることを認識するのを一時忘れてしまったのだ。

 震える手で目の前の飲み物を手にし、乾杯をしたことだけは覚えている。とにかく、喉だけは潤っている。


 やがて音楽は明るい調子に変わり、王女が軽やかに手のひらを向けたボックスから貴族が立ち、王女とのデュエットを踊り始める。それを合図に、あちこちのボックスから、(おそらく王女に当面呼ばれる当てのない)貴族たちがダンスホールに躍り出て、好き好きにダンスを楽しみ始める。


 一曲の半ばにも差し掛からぬうちに、王女が膝を曲げて一礼し最初の貴族を送り出す。にこにこ顔の貴族はこれまた恭しく礼をしてボックスに引き下がる。

 続いて、二人目の貴族。


 そういった流れを見ていて、ディーンは、自分が五番目に呼ばれることに気が付いた。


 呼ばれる貴族は、真ん中、次いでその右、その次がおそらく真ん中を挟んで左側、という順になっていて、自分は真ん中からわずか三番目の位置に座っていたからだ。別荘地に集まる貴族がさほど多くないとはいえ、平民がこれだけのポジションに座らされていることは相当な異例に違い無いのだが、かといって、彼に対する妬みのようなものは、やはり感じられない。そもそも、平民とは置物のようなものであり、あるいは、王女殿下の新しい玩具、そのようにしか受け取られない存在なのだろう。


 それにしても、やはり、平民が王女殿下と踊る、それだけのことで相当な注目を浴びるであろう。やっかみは無くとも、大恥をかきはしないか。笑いものになって惨めな思いをしはしないか。


 そういったあれやこれやを考えているうちに、あっという間にディーンの順番が回ってくる。

 リーザがひとつ前の貴族の次男を送り出し、そして、ゆったりとディーンに視線を送って、微笑んだ。


 ディーンはあわてて立ち上がり、右足のつま先をテーブルの脚にぶつけ、やや顔をしかめる。リーザがくすりと笑った気がした。


 何とか両手両足が揃わないようにリーザのもとに歩み寄り、みっちりと仕込まれたダンスの構えをとる。リーザはごく自然にディーンの構えた手に自分の手を任せ、身をぴたりと寄せる。

 音楽に合わせてステップを踏もうとすると、その前に、リーザがすっと身を引いてディーンをリードした。


「私に任せておきなさい。あなたは何も考えず、オズヴァルドの教えたステップを」


 リーザが耳元でささやく。

 ふっと華やかな香水の匂いが鼻孔を満たす。

 思わず幸せな気分になっている自分を、ディーンは発見する。


 視界がくるくると回る。

 そのたびに、楽団や待ち行列の貴族、豪華なホールの装飾がミラーボールを内側から見ているように目の中をきらきらと照らす。


 ほんの三日前、あるいは一日前でさえも、思いもしなかったようなところに、自分が立っていることに、ディーンは酔っていた。


 なぜこんなところにいるのかさえ、すっかり忘れ、その華やかな景色と視界の半分を占める王女の美貌を楽しんでいた。


 そして気が付くと、その時間は終わりを告げていた。

 どのように送り出されたのかも分からぬまま、いつの間にか自分のテーブルに戻っていて、次の貴族が彼女と踊っているのをぼうっと眺めているのに気が付いた。


 テーブルに置いてあったスパークリングワインが、なぜこんなにひどく辛口なのか、その時彼は知った。王女との夢のようなひと時から現実に引き戻すためなのだった。


***


 華美な舞踏会はそれから一時間は続いただろうか。

 あれほどに踊り続けてよく疲れないものだ、とディーンは思っていたが、ようやく音楽が落ち着きリーザが豪奢なホスト席に腰を下ろしたとき、侍女がその額にハンカチを当てているのを見て、やはり最高位の貴族でも踊り続けるのは疲れるものなのだな、などと当たり前のことを考えていた。


 ややあって、リーザはゆるりと立ち上がると、暗いホールの隅の通路を通って貴族席へと歩いてくる。


 これからおそらく、それぞれの貴族の席を訪ねて、いろいろとおべっかをもらう作業があるのだろう。

 そう思っていると、なんということか。彼女は、まっすぐにディーンのテーブルに向かってきたではないか。そして、軽く微笑んで会釈すると、ドレスのすそを折りたたんで遠慮なしにディーンの左隣に座った。


「ああ、疲れたわ。ディーン、悪くなかったわよ」


 彼女はそう言って、もう一度ディーンに向かって微笑む。そのあまりの可憐さに、ディーンはたじろぐ。


「あ、ありがとう殿下……リーザ」


 おずおずと返すと、彼女もうなずく。


「あなたは平民だから誰の僻みも買わないってわけでね、誰にも文句を言われず注目も浴びずにゆっくり休むのにはこの席が一番なのよ」


 おそらくそうなのだろうな、と思っていたことを、リーザは口にする。つまり、ディーンが王女殿下の玩具としか思われていないだろう、ということだ。


「じゃあ、ゆっくり休んでいって。僕のことは気にせず」


「ところが、それを置いても、あなたに話しておかなきゃならないことがあるのよ」


 その言葉を聞いて、ディーンはオズヴァルドに聞いた話をふと思い出す。

 そう、彼は言った。

 リーザ自身が何らかの形でエレナの調査に乗り出すつもりだ、と。


「――エレナの」


 たった一言、ディーンは確認するようにつぶやく。それだけで彼の意味するところはリーザに伝わり、彼女は深くうなずく。


「正体を、探ろうと思うの。いったい彼女がどこの何者なのか。全くヒントは無い。どこに行けばいいのかも分からない。――でも、あなたは、何か知っているかもしれない。なんでもいい。思い出したことがあれば」


 そう言われても、エレナの正体を知りたくてたまらないのはディーンも同じだった。動機は正確に同じとは言えないまでも。そして、ディーンもその手がかりさえ持っていないのだ。


「少なくとも、宇宙――外国から来たことは間違いがないのは分かるわ。けれど、広い宇宙のどこを探せばいいのか――せめてどこから来たのか、それだけでも分かれば。何か、聞いてない?」


 そしてその言葉に唐突にディーンに脳裏に記憶がよみがえる。彼もかつてそう考え、そして、せめて出身地を、と彼女に尋ねたのだ。その答えは――。


「――マリアナ。エレナは、出身地をマリアナと言った。どこかの地名なのか惑星の名前なのか分からない。惑星の名前だったら、その惑星上のどこなのかも分からない。でも、彼女が自分のことについて語ったのは、確かにこれだけだった、と思う」


 その言葉を聞き、リーザは床を見つめて考え込む。


 曲がりなりにもエミリアの指導者一族として、彼女の脳内にはいくばくかの外交地図が納められている。その中に、エミリアからさほど遠くない位置にマリアナという星があった気がする。


 ただでさえ、エミリアの近辺は騒がしい。エミリア本星こそ地球に似たレアスタースポット――つまり近隣の恒星密度が低く星間航路が疎なエリア――に当たっているが、そこを抜け出すととたんにおとめ座方向深宇宙への大通りだ。古い大帝国、大マカウ国と新興のロックウェル連合国が何度も小競り合いをしているエリアでもある。その一角に、マリアナという星があったことを、ほのかに思い出す。


 そしてその支配者は、誰だったか。


「……大マカウ国の領土、マリアナという星があるわ。そうだとすると、彼女は……」


 ディーンは彼女が言わんとすることを理解し、息を呑む。


「エレナは、マカウのスパイ、ってことか?」


「その可能性がある。過去にも口八丁でいろんな独立惑星国家を支配下に納めてきた。もちろん、血なまぐさい謀略の噂にも事欠かないわ。確かにエミリアは交易路でもないし資源も特に無いけれど……たとえば、王家や貴族が抱えている莫大な資産を狙ってる……そんなことも考えられるわね」


「あの大帝国がそんなものを狙うかな」


「何をたくらんでるのかなんてまだ分からないわよ、でもどちらにしろ、あなたはマカウの……エレナの捨石よ。あなたを使って――そう、たとえばこの私がまんまと出張って来てしまったように、王族か貴族を釣り出して何かを――」


「だったら君が関わることこそ危険じゃないか」


 ディーンは思わず口にする。

 本当にリーザの身の上を心配しての言葉だったか、彼自身にも自信が無いが、ダンスで触れた彼女の可憐さに保護欲をかきたてられていたことは否めない。


「もう遅いわ。それに、私は、あの女を――エレナを決して放免するつもりはない。必ず彼女がエミリアにいる間に正体をつかむ。それはあなたを守るためでもあるのよ。私は王女としてエミリア臣民を守る義務があるのだから」


 そう言われては、ディーンとしても返す言葉が無い。これはリーザ自身が決めたことなのだ。


「……分かった。だけど、一つ確認したい。僕を何度も襲わせたのは……君じゃ、無いんだね?」


 ディーンが問うと、リーザは数瞬、表情を陰らせた。その表情の意味を、ディーンは理解できない。

 彼が理解するより先に、彼女が口を開く。


「全く無関係だとは言えない立場だってことは、白状しなくちゃならないわね。彼らの行動を抑えられなかったのはある意味で私の責任だわ」


 それもおそらく王族としての立場が言わせた言葉なのだろう、とディーンは思う。

 だから、彼は大きく首をたてに振り、


「分かった、ともかく君を信じる。僕はとにかくこの騒ぎを終わらせたいんだ。……それで、これから僕はどうすれば?」


 オズヴァルドとの会話を思い出す。リーザはディーンを従えて調査に乗り出すつもりなのだ。では、どこへ?


「私と一緒に、マリアナへ行ってもらうわ」



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