第三章 マリアナの悪魔(2)
終焉の日は、唐突にやってきた。
マンション爆破事件からわずか数日。その深夜。
ディーンの部屋のドアを荒々しく破って、暴漢が現れた。
全身黒尽くめの姿は、先日の襲撃とさほど変わらない。だが、神経銃だけでなく、ドアを破るためのエアハンマーも併せ持っていたことが以前との違いだった。
彼らを目の前にしてベッドから起き上がったディーンは、たちまちホールドアップのポーズをさせられた。
エレナが一緒でなくてよかった。
そんな思いが自然に浮かび上がってくる。ここまでの暴力に抗する力は、彼女にはあるまい。であれば、この騒ぎを聞いて無事に逃げ延びてくれることが一番だ。
それは、彼女の知性が宇宙から失われることを惜しむ気持ちだと思ってはいるのだが、別の感情が割り込んでいる可能性までは排除できなかった。
そのようなことをぼんやりと考えている間も、黒尽くめの男たちは矢継ぎ早にディーンに命令をし、彼を立たせ、鉱石サンプルを取り出させた。
震える手でそれを敵の一人に渡そうとした、その時だった。
ヒュッ、という高く小さな音。
途端に、ぎゃっと悲鳴を上げてのけぞる男。
彼がうずくまったその後ろには、エレナの姿があった。彼女の両脇には、すでに彼女が無力化したであろう男が二人、倒れてうごめいていた。
「――大丈夫?」
エレナは、顔にかかった血しぶきを手の甲で拭き払いながら、ディーンに語りかける。
「……これは君が?」
「ええ。ぐずぐずしないで。敵はホテルの周りを大勢で囲んでる。この部屋に居たら追い詰められるだけ。早く」
エレナに促されるままに、ディーンは鉱石サンプルを左手に持ったまま、走り始める。
エレナは、部屋を出て左に曲がったその先の非常階段ドアを蹴るようにして開けた。廊下の明かりの下で改めて見ると、彼女の右手には血糊のついたナイフ。あれで男を倒したのだ。
――彼女はいったい何者だ?
その疑問は、否応なく、再びディーンを襲った。
だが、それを考えている時間は無さそうだ。
後ろにしたばかりの廊下の両側から、いくつもの怒号が聞こえてきて、さらにそれは近づいている。
ホテルは囲まれている、だったら? ――というディーンの疑問に応えるように、エレナは、非常階段を上に向かった。だが、その先でいったいどうしようと言うのか。
わずか六階建てのホテルの三階から六階のフロアのさらに上に出るだけではあったが、ディーンは随分と息を切らせてしまった。しかし、エレナはそのような気配さえ見せていない。
と、正面を見ると、おそらく屋上に続く鉄製の分厚いドア。ただし、鉛色に光るチェーンでしっかりとロックされている。非常時以外に屋上に人が立ち入るのを防ぐためだ。
もはやこれまでか、とディーンが思いかけた瞬間、エレナは右手のナイフを腰のさやに納め、同じく腰のあたりから何か別のものを取り出し――。
爆破事件の轟音もかくや、という爆発音が響き渡る。
エレナが右手に持った黒い銃のようなもの――いや、銃そのものが、山吹色の炎を吹き出し、その火線の先の鎖を白い火花とともに断ち切っていた。
それは、ディーンが初めて見る――おそらくエミリア人が初めて見る、火薬を使った旧式の銃だった。
扉を開けて屋上に飛び出す。
暗闇だが、何も見えないというほどでもない。空を照らす繁華街の明かりは、大気を発光させその屋上にほのかな光を提供している。
彼らが出てきた非常階段を収納したものと、おそらくエレベーターの機械室であろう、二つのペントハウスが見える。
エレナは、ディーンについてくるように促しながら、そのもうひとつのペントハウスへと駆け寄り、非常階段の出口をうかがえる位置に身を隠した。
「どうするんだ、エレナ」
「あなたは下がってて。もっと。そう。私が何とかする」
「その……銃? それでか?」
彼女の指示に従って二歩、三歩と下がりながら、ディーンは問い返す。エレナは、それには何も回答しない。
そして、非常階段のドアがすぐに開く。エレナが黙り込んだのは、その気配をいち早く察知したからだろう。
と、推測してから、そのような気配を察知する彼女はいったい何者なのか、という疑問が、しつこく首をもたげてくる。
ドアから出てきた数人の男は、すぐに左右に散る。それぞれの手には、神経銃らしき影。
ドン、と振動に近い音とともに、エレナの銃が火を噴く。とたんに、一人が倒れ、遅れるようにうめき声に近い悲鳴が聞こえてくる。
ほかの数人はすぐに異常に気づき、音の発射位置、つまりエレナのいる位置辺りをそれぞれの銃ですばやくターゲットする。
どれかの照準はエレナを捉えるだろう。
神経銃は、確かに熟練の必要な武器だ。銃口の先にターゲットを捉え、正確に命中させるには、オートロックオンに頼るだけの技量では不足する。引き金を引く瞬間の手ブレさえ、距離があれば命中を逃す一因となる。
だが、見たところ、六人、いや、七人の男がいっせいにエレナを狙っているのだ。一発では無理でも、数回引き金を引けば、どれかは命中し、エレナは深い眠りに落ちるだろう。
と思っていると、エレナは、あろうことか、機械室の陰から駆け出した。
あわてた男たちが引き金を引く。神経銃が火を噴くとき独特の、コウモリの鳴き声のような高音がディーンの耳にも届いてくる。
だが、どれひとつとして、巧みに走るエレナの体を捉えることは無かった。
走りながらも、エレナは銃を構え、一発、二発と弾丸を発射する。それが弾丸を発射する拳銃だと知らなかったディーンにも、すぐにその原理が理解できた。銃口から光が伸び、暗闇を引き裂くほのかな炎の筋が見え、敵の四肢のどこかに食い込み、突き抜けて背後の壁で火花を散らす。時代ドラマの中でしか見たことの無かった、火薬式の銃のもたらす結果をついにその目で理解した瞬間だった。
混乱した黒い男たちはそれでもエレナの牙から逃れようといっせいに散開する。
しかし、エレナの弾丸は、さらに一人を倒す。
一方、敵の攻撃は、エレナに届かない。
エレナが上体を伏せる。すると、彼女の体が直前まであった位置に、神経銃の刺激波が焦点を結ぶのだ。
まるで、敵がどこを狙って引き金を引くのか、あらかじめ分かっているかのように。
リボルバー式のエレナの銃は、もう二人を倒したところで弾切れとなった。
すぐに彼女は右手にナイフを持ち、一直線に一人の男のもとに向けて駆け出す。
ただ直線的に向かってくる相手。
神経銃の餌食にするには余りに容易い相手。
男がそう思って引き金を引いたとき、野獣のような少女の体はすでに狙った位置に無く、そして、再び彼女の姿を視界に捉えたのは、彼女の振るうナイフが彼の右手首から先を彼のものではなくしてしまったときだった。
そして残ったもう一人の男も、狼狽している。
今しがた手首を飛ばされた男に向かって彼女が突進している間も、彼は引き金を三度、引いていた。
それは、彼女の疾走のわずかな上下運動できれいにかわされていた。
あまりに人間離れした動きに、彼はもうこれ以上引き金を引こうという気になれなかった。
そして目の前にエレナが現れ――彼の両足の膝はあっけなく断たれていた。




