第二章 火花散らす攻防(5)
事務所は二階建てのモジュール式ビルで、その隣に同じくモジュール式の倉庫がある。長いパイルを収容する都合もあるために、事務所そのものよりも屋根が高くなっている。
その事務所と倉庫の間に、ちょうど人が一人通り抜けられる程度の隙間がある。実のところ、外壁メンテナンスのためにやむを得ず設けられた隙間ではあったが、ディーンとエレナにとっては、これが唯一逃げ込める隠れ家となった。
二人は、ただ息を潜めた。
話し合いたいこと、確認しあいたいことは山のようにあった。
より実質的な話から、自らの不安を取り除くためだけのことも含めて。
だが、結局、息を潜めているしかなかった。
ひそかに迫っているかもしれない追っ手。
自分の呼吸音さえ、それを察知する邪魔になるように思えた。だから、息を殺して、気配を探り続けた。
この港湾に逃げ込んだことは、敵は気づいている。むしろ、ここに追い込もうと網を張っていたように思える。ぎりぎりのところで逃亡する可能性まで考慮して、大通りの両脇を固め、複雑な街路の絡む市街地への出口をふさぎ、逃げ場の無い埠頭に追い詰めようとしていたように見える。
とすれば、実のところ、ディーンに関係の深いこの事務所の敷地内は、もっとも危険な場所かもしれない。
彼はその失敗を噛み締めながらも、今は少なくとも夜が明けるのを待つしかない、と考えていた。夜が明ければ事態が好転するとも言い切れなかったが、白昼の元でおおっぴらに行動できないからこその夜襲だろう、という結論に達するだけの冷静さはあった。
しかし、結局は、待つだけの戦術はいくつかの足音によって終わりを告げられた。
突如、目もくらむほどのフラッシュライトを浴びる。同時に、罵声も。
「出て来い、そこにいるのは分かっている! この裏切り者め!」
裏切り者、という言葉に心当たりはなかった。
とすれば、もしや、このエレナという少女のことなのか。
この襲撃は、エレナを狙ったものなのか。
そんな思いが湧いてくる。
「さっさと出て来い! エミリア臣民として恥ずかしくないのか!」
しかし、続く罵倒で、その対象が自分であることをディーンは再認識する。宇宙船で飛来したエレナに、エミリア臣民という呼称はあたらない。
まぶしい光を向けられて良く見えないが、時折光の中に見える影には、確かに拳銃のようなものが見える。形状からして、神経銃だろう。撃たれたものを一瞬で昏倒させる、一般市民の所持が禁止された武器。
撃たれて痛い思いをすることもあるまい、と、ディーンは観念して両手を上げ、一歩進んだ。
「……エレナ、伏せていろ。君がいると気づいていなければ、僕が出て行く間に逃げられる」
ターゲットが自分だと気づいた後、ディーンは次の可能性にかけていた。つまり、『敵はここにいるのがエミリア臣民たるディーンだけだと考えている』という可能性だ。
彼自身に何かをされたとしても、エレナが逃げ延びられれば、もしかすると助けが期待できるかもしれない。
そんなかすかな可能性だ。
「分かった。なるべく無駄な抵抗をしないで。すぐに助ける」
意図を正しく読み取ったエレナは、小声で返す。
エレナは実のところ、ディーンが撃たれてしまえばいいと思っている。彼の苦痛はともかく、彼が倒れれば敵は必ず油断する。そのわずかな油断があれば、この難局を乗り越える自信があった。
とは言え、油断なく神経銃を構える数人の男に十代の少女が素手で飛び掛って蹴散らせると思えるほど楽観的ではなかった。だから、実のところ、ディーンがのこのこと出て行って撃たれてしまうのが一番だった。
ディーンはのろのろと進む。隙間の出口まで進んだところで、出口をふさいでいた男たちが道を空ける。
おそらくこの直後、出口をふさいでいた二人の男は、ディーンの背後を固めるべく背を向けるはず。
そう読んだエレナは、わずかに膝を立て、両手をしっかり地面に食い込ませて、飛び出す姿勢を取る。
「いったい僕が何をしたというんだ」
時間稼ぎのつもりで、ディーンは出口でいったん立ち止まり、口を開く。
「自分の胸に聞いてみるんだな。そうすれば、これからすべきことも分かるだろう?」
両手を挙げて表に出たディーンは、手ぶらだ。鉱石サンプルは車の中に放ったまま来てしまった。だが、そのために彼は無事でいたのだろう。もし彼が今それを持っていたら、あっけなく撃たれて奪われるだけだったに違いない。ディーンが口を利ける状態を維持しなければならない動機が、敵にはあったのだ。
「鉱石か。場所なら言う。手荒なことはしないでほしい。僕だってあれをどう扱うべきか分からないんだ」
「だったら最初から素直に殿下に渡しておけばいいものを。馬鹿な奴だ」
近くで見ると黒尽くめの服装だと分かったその男は、言いながらディーンの左腕をつかもうとする。
が、そうしようとした直前、彼の手は、別の声のために止められた。
「そこまでです。その手を下げなさい」
ディーンがまったく期待していなかった声だった。
それは、リーザ・ベルナンディーナ・グッリェルミネッティ王女殿下の高く透き通る声だった。
「なんだきさ――でっ、殿下!?」
彼女が現れることは、敵方にとっても意外だったのだろう。彼らの精神に恐慌が押し寄せているのが、ディーンにさえ分かった。
「今素直に退くなら、今晩のことは目を瞑りましょう。ですが、これ以上の暴挙に及ぶなら、さすがにこの私にも考えがあります。あなた方が主と仰ぐ方がどなたなのか、よくお考えなさい」
「しっ、しかしこの恩知らずの無礼者は恐れ多くも殿下の――」
「彼は私の友人です! ――衛兵! こいつを捕らえなさい。ほかの者は見逃してかまいません。見せしめは一人で十分です」
彼女の後ろにいた完全武装の衛兵は、あっという間にディーンを罵倒した黒男を捕まえた。
「殿下、見せしめなんて――」
彼を待つ運命のことを思い、ディーンは思わず一歩前に出るが、
「殿、下?」
リーザの気迫に押され、二歩目を思いとどまる。
「……リ、リーザ、さすがに見せしめで罰を与えるなんて……」
「本来なら法にもとづき罰するところです。彼らの主を無用に怒らせず、なおかつ彼らの今後の行動を思慮深くさせるための最良の方法なのです。あなたは口を出さないで。――さあ、慈悲深き王女に最敬礼を。そして、行きなさい」
命じられた残る黒尽くめの男たちは、ひざまずいての最敬礼もそこそこに、あたふたと逃げていった。
***
「ああ、よかった、ディーン。あなたからの連絡であなたとエレナの声が聞こえたの。そこからはもう大慌てよ。まさかこんな手段に出るなんて……」
衛兵たちを少し下がらせ、リーザは完全に友人としての顔をディーンに見せた。
その顔は、心底胸をなでおろしたという表情だ。
彼女が本気でディーンを心配していたことと、この事件が彼女の指示でないことを示していた。
「つながってたんですか、リーザ。来てくれてありがとう」
ディーンはひとまず例を言い、それから、
「……それで、あいつらは何者なんです」
本当に知りたいことを問うた。
「……知らないほうがいいわ。あれはその……あなたが知るべきじゃない連中よ」
「だけど、ここまでの目に遭わされて、僕にだって知る権利がある……と思います」
「いいえ、あれはあなたが知るべきじゃない。知れば後悔するわ。ともかく、あいつらはこれからは私が抑えるよう努力してみる。だめかも知れないけれど……困ったら私に言って。本当は、例のサンプルを私が受け取ってしまうのがいいんだけれど」
「――それで、どうしてあなたは襲撃の対象にならないの?」
黙っていたエレナが、核心を突くようなことを言う。
「……そういう仕組みだから、としか言いようがないわね」
応えながら、リーザは冷ややかな目線でエレナをにらみつける。
「私はあなたと友人になると言った。身分も明かしているわ。けれど――あなたはそれに応えていない。言っている意味は分かるわね?」
言っている意味は火を見るより明らかだった。不法入国者たるエレナの身の上は、王女の権限を持ってしても明かすことができないのだ。そのことに気づいたリーザの不信感はいかほどのものであろう。
「リーザ……これは友人としての僕からのお願いです、彼女の身の上を――少なくともしばらくは――詮索しないであげてください」
ディーンに残された道は、リーザの情に訴えることだけだった。
「そうもいかないわ。戸籍にもそれらしい人物が見つからず名前さえ本名かどうかも分からない、その上、奴らの襲撃を寸前で察知して逃げ出すほどの切れ者、ただ者とは思えない」
そこまでを言い終わったところで、しかし、リーザはため息をつきながら視線をディーンに戻す。
「――でもあなたのお願いというのなら、こっちもしばらくは目を瞑っててあげるわ。――エレナ、何をたくらんでるにしろ、派手なことはしないことね」
再び、エレナをにらみつけながら。
エレナはそれに対して何も感情らしき反応を見せない。
その態度に、リーザのまぶたがぴくりとする。
「……いつかあなたの正体つかんでやるわ」
その憎憎しげな口調は、彼女の支配者一族たる自尊心から来るものだっただろうか、ディーンを独占するエレナへの妬みのようなもののためだろうか。
彼女自身、その答えを得ることなく、二人の前から静かに姿を消した。




