第一章
遠くで声がする。微かな声。まただ……また僕に助けを求める声だ……。
「どうしたの一路?」
恋人の渚が心配そうに聞く。
「う、うん、何でもないよ」
僕は渚に心配させまいと笑顔を向ける。
「……」渚、無言――。
今の笑顔、わざとらしかったかな?
(怖いよ、怖いよー)渚には聞こえない。僕にしか聞こえない声。わかったよ、今、助けに行くってば。
「渚、あの、デート中、悪いんだけど……」
「?」
「走らない?」
「?」あっけにとられた顔の渚。
わかる、わかるよ。どこの誰がデート中に走らない? なんて言う。海岸を二人でかけっこする時言うかもしんないけど、ここは海じゃない。都会のど真ん中。おしゃれをしたカップルが行き交う街。
(誰か助けてー)
どうやら一刻の猶予もないらしい。
「先、行くよ」
僕はその場を走り去った。彼女を残して……。
「え、ちょっと。……どうして?」
「ハァ、ハァ、ハァ……」
どれだけ走ったんだろう? 3、4キロは走ったかな? 助けを求める声がはっきりしてきた。どうやら近くに居るらしい。
そこらを見渡すと親子が砂場で遊んでいたり、老人がベンチで日向ぼっこをしてたりしている。公園か――。
(……)
聞こえる……というか感じる。あきらめたのか、助けを求めていないのか、声は聞こえないが、怖がっているのを感じる。
「どこだ?」
周りを見ても、どこにも恐怖を感じている人は居ない。でも、近くに居る。必ず居るはず。
「ニャー」
上から猫の鳴き声がする。 僕は木の上を見上げた。
「何だ、君か。君が僕を呼んだんだね」
僕は木の上に登った。そこには小刻みに震えている白い子猫が居た。たいした高さではないが、その子猫にとっては十分恐怖を感じる高さだったのだろう。どうやら登ったはいいが、降りられなくなったらしい。
「お待たせ。――神様、参上――」
いつもの決めゼリフ。誰も信じちゃくれないけどね。僕が神様なんて。
白い子猫は、僕の方を振り返っては行き、振り返っては行きを繰り返し、どこかに行った。お礼のつもり? なのかな?
僕は神様。と、言うか、便宜上そう呼ばれてるらしい。ただ単に助けを求める声が聞こえるだけ。あとは何も出来ない。空を飛んだり、海を割ったり、「奇跡」なんてものは起こせやしない。「神様、助けて」の声が聞こえれば「ゼェ、ハァ、ゼェ、ハァ」と走って行き、出来るだけの事をして上げるのが精一杯。本当に便宜上で「神様」なんて名詞が付いてるだけ。
「トゥルルル……」
携帯電話が鳴る。ヤバイ、渚だ。ほったらかして、どっか行ったから、きっと怒ってる。早く出なきゃ!
「もしもし、ごめん。今どこ?」
雪がチラチラと降ってきた。
そういえば、もうすぐクリスマスだなぁ。街はクリスマスの飾りで彩られ、ワクワクと期待をさせてくれる。今年はどんなクリスマスなのか楽しみだ。去年は「まさか!?」な事が起きたからね。
なんて考えながら走っていると、待ち合わせの場所、デパートの前に着いた。
渚、不機嫌そう……。口が「へ」の字に、目が釣り上ってる。なんて声を掛けよう??
お詫びに欲しがってた指輪、買って上げるとでも言うか? いやお金がない。神様になってから忙しくてバイトやめたんだった。それとも大学のレポートたまってるって言ってたから「手伝うよ」とか言うか? これなら出来るかも。よし、そうしよう!
「一路、急にどこ行くの? 心配したでしょ!」
渚から僕に声を掛けてきた。ほったらかして不機嫌だった訳ではなく、僕の事を心配してくれてた……。
「一路は元陸上部で走るの好きかもしんないけど、私は運動音痴で走るの苦手なんだからね!」
ほっぺを膨らまして怒ってる。かわいい。
「かわいい」
「は?」
わっ、心に思ってる事声に出しちゃった!?
でも……渚、嬉しそうかも。優しい目になってるかな?
「デートの続きしよ。最近なかなか会える時間ないんだから、たまのデート位楽しもうよ!」
渚が僕の腕を組んできて言う。
僕は渚の事が好きだ。世界中の誰よりも愛してる。
普通の彼女なら怒ってるよ。さっきまで、ほったらかして、どこかに行ってたのに、今は許してくれてる。笑顔を僕に向けてくれる。僕なんかより、渚の方が神様に近い気がする。女神だよ、癒しの女神様。
(ウェ〜ン、神様、助けて〜)
「!?」
聞こえた! 近い。大きな声で聞こえる。小さい子供? かな? 泣いてる。
「ねぇ、お腹空いた〜。美味しいもの食べに行こう〜」
渚が甘えた声で言ってくる。
「……」
どうしよう? 声はデパートの中。一緒に行く? いや、神様である事は内緒。「どうして子供の声が聞こえたの?」なんて聞かれたって、どうしようもない。渚に僕が神様なんて教えれない。それに言ったってきっと信じてくれない。
「ごめん、すぐ帰るから待ってて!」
僕はデパートの入り口に急いで向かった。
「本当、すぐだから! ここに居て!」
二度、確認した。僕は助けを求める声のする方に行った。又もや、渚を残して……。
デパートの入り口はカップルや親子連れが楽しそうな顔で出入りしている。
そんな中、渚は唯一人、悲しそうに、うつむき、うな垂れている。
「一路、去年のクリスマス位から……おかしいよ……」
渚はポツリとつぶやいた。
僕は本当に急いで渚の待ってる所に向かったんだ。
案の定、さっきの声は迷子の子供の声だった。小さな男の子を肩車し、大きい声でお母さんの名前を叫んだ。
お母さんはすぐに見つかった。
でも、渚は見つからなかった……。
居るはずのデパートの入り口に渚は居ない。
渚の携帯電話に電話を掛けた。
……誰も出ない……。
何が神様だよ。
大好きな、本当に大好きな人を救えないなんて……。
さっきまで降っていた雪は止み、空には薄く月が見えた。