五
ケータイの契約会社と番号を変え、自由機関と関係を切ったつもりだった。“自由”を失うのがつらいが、誰か傷つくのがもっといやだ。
自由空間が手に入って、ひと時だけでも、彩りが見えた世界は再び灰色になった。いや、戻った。最初何もなかった状態に戻っただけだ。実家暮らしの冴えない30代に帰っただけなんだ。
仕事を淡々とこなし、茫然とする日々。まるで、スパイスが足りないじゃないかと神様がいたらずするように、“彼”が現れた。
経理に新人が入ったと噂に聞いて、好奇心に駆けられ、見に行ったら、ビシッとしたスーツを着こなし、ワックスで髪の毛をオールバックにした30代の男性が居た。何で今さら転職?と思ったりしたが、さすがに聞くのは不毛すぎるので、深すぎる詮索はやめた。「まあ、そういうのもありか」と呟きながら、席に戻った。
「こんにちは。」部長に連れられ、新人さんが挨拶に来た。
「はじめまして、よろしくお願いします。」
日本語の教科書に書いたような味気ない返事をしたら、新人さんは笑った。
「はじめまして、いや、あなたとははじめての気がしませんが。」
「知り合いか?」部長が頭を掻きながら、興味なさそうに言った。
「いや、僕ははじめてですが。」
「悪いことして、顔でも覚えられちゃったか?」部長は軽い口調で言った。
苦笑をして、新人さんに返事した。
「ひょっとして、同級生だったり?」
「まあ、そういうことにします。」新人さんは首を横に振った。
新人さんの異様な態度で、眉毛の間にしわを寄せながら、「そ、そう。」と間抜けな返事をした。
次の人に挨拶するため、すぐ部長と去った。
変なやつだ。
キーボードを叩く音が誰も居ない事務所で響き渡り、壁にぶつけて、こだまとなって帰ってくる。夜11:00までの残業、サラリーマンにとっては普通だが、まだ慣れないところがある。
「自由空間があればなぁ。」と情けない声を上げたとたん、後ろから返事があった。
「いつでもいいですよ。メールでも自由機関に送れば。」
久しぶりに耳にした単語を聞いて、驚くあまり、椅子から落ちるところだった。振り返ったら、例の新人がいた。
「君は、僕と同じ実験者なのか?」
「いいえ、私は実験者ではなく、どちらかといえば、開発者の一人です。」
「開発者…」背中に冷たい汗が流れる。
「ええ、あなたとこちらの代理人の会話はすべて監視させていただきましたよ。」
代理人は多分メールの相手のことだろう。
隣の椅子に腰を掛け、“開発者”は興味深そうな顔して、話を始めた。
「どうして自由空間の使用をやめたのです?」抑揚のない声が緊張感をもたらす。




