四
道端で謎の原因で倒れたおじさんに遭遇した次の日に、新聞の片隅にある多分誰も見ない記事に目が留まった。どこかの店の看板が落ちたという話だ。記事自体はおかしくない、妙にひっかかるのは店が、昨日おじさんを見かけたところから歩いて20分する場所にあることだ。
20分、自由時間、頭の傷。関係のない言葉が勝手に頭の中で絵を作っている。まるで、僕に何かを教えるためのように。
「自由機関と関係があるっていうのか?んなわけないだろう。僕はたまたまそこで自由空間を作った。偶然にも同じタイミングでおじさんが何かに教われた。そうだ。たとえば、どこかのガキが小石で投げたとか。」
小石はさすがにないだろう。あんだけの傷だ。看板のほうの落下だったら、ちょうどあれくらいの大きさになる。
ニュースの音声が室内で飛び交い、横で親しゃべるような騒がしい環境で、僕は何も聞こえなかった。心が冷え切っていた。自由機関、いや、むしろ自由装置が関与しているとしか思えなくなってきた。
おじさんと娘は多分その店に向かう途中だった。20分後到着したら、おじさんは間違いなく看板の落下に巻き込まれる。
自由空間とはなんだ?平行世界の間で空間を作り、僕と必要な情報のみ書き込まれた空間のことだ。空間くらい、装置で作れると思います。だが、その中で過ごした時間はどうなる。仮に、その時間はだれかから奪い取ったものだったら?おじさんの20分間の時間は、僕に奪われた。自由空間を出た瞬間、おじさんが代価を払い、体の情報が20分後の自分に書き換えられた。看板に当たった傷が現れた。
安っぽいSFの話だが、辻褄があう。
呆然とケータイの画面を眺め、呼吸が10秒ほど止まった。メールで聞いてみるかと思った。息が吐き出された瞬間に、ケータイを折りたたんで、席を立った。聞けなかった。もしおじさんの傷は本当に僕のせいだったらどうする?何よりも、“自由”を失うのが怖くてしょうがなかった。
あれから、三日間。僕は自由空間を作らなかった。また使ったら、誰が傷つくんじゃないかと恐れている。そして、僕の思いを踏みにじるように、自由機関からメールが来た。
「こんにちは。
前回の使用すでに三日も経ちましたが、いかがなさいましたか?
何か不具合でもありましたら、ぜひご連絡ください。そのための“実験”なんですから。」
そうだ。僕は一番大事なことを忘れていた。これがサービスではなく、実験だ。実験とは、不具合、問題、危険、リスクを伴うものだ。下手したら、おじさんだけでなく、僕自身もすでに何かの危険に晒されているかもしれない。固唾を呑み、返信をした。全身の緊張感がボタンを押す指に詰まる。
「不具合とは、例えばどんな?」
「現時点では不具合が確認されていません。」
「あるとしたら?」
「それは、実験対象、自由空間をご使用する方々からフィードバックされる場合、わかります。しかし、先ほど申したように、現時点では不具合が確認されていません。」
他にも使用者がいるらしい。
「そうか。わかりました。」
「再度のご使用、お待ちしております。」
10年間営業をやっている経験から、大体の嘘が見抜ける。
確信した。自由機関は自由空間の問題を知った上で、実験者に使用を薦めた。どんな問題があるか確認するのでなく、気づいた問題がどれだけの弊害になるのか小規模テストで確かめているのだ。僕、いや、僕達は病変の細胞を植え付けられたモルモットでしかない。




