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羊の三題噺。

【三題噺】私の桃源郷は。

作者: シュレディンガーの羊
掲載日:2011/08/02


記憶が、少しずつ淡くなるのを感じ始めていた。

鮮明だった憎悪さえも、おぼろげになっていくのがわかる。

急ごう、と翼を広げて地面を蹴った。




彼の屋敷に火が放たれたのは、私の存在が明るみになったからだった。

彼は偉大な科学者で、多くの賞を貰っていたけれど、その人柄から人々に忌み嫌われていた。

元から、人々はいつか彼を糾弾してやろうと機会を伺っていたのかもしれない。

そして、その引き金は私だったのだ。

私は彼の研究の最終成果。

私は人の頭脳と青黒い翼と蛇の尾を持つ生き物――――合成獸(キメラ)

彼は私の誕生に歓喜したが、人々はそうではなかった。

私の存在を知った者は、決して私たちを受け入れなかった。

そして、彼を命を弄ぶ悪魔だと責め立て、とうとう屋敷に火をつけた。

赤い火が迫る中で、彼は私に言った。

ごめんな、と。


「何故?」


彼は薄く笑うだけで答はくれなかった。

ただ、そっと囁く。


「やっぱり物語のようにはいかないな」


彼は私の知識を増やすためにと、物語を読み聞かせてくれた。

生まれたての私の大切な日々が蘇る。


「逃げましょう」


私が翼を広げれば、彼は首を振った。

柱が焼け落ちて、天井が崩れる。

そんな中でも彼はただただ静かだった。

叶うなら――――彼は私をまっすぐに見る。

その瞳に炎が危なげに揺らめく。


「桃源郷に行きたかった。だから君は」


彼の上に落ちた瓦礫が言葉の続きを掻き消した。

そして、一瞬にしてその全てを燃え盛る炎が飲み込んだ。




追想から、我に返る。

風を切る翼を確認して、急速に現実味が増す。

私は逃げた。

屋根を突き破り、持てる力を総動員して逃げた。

桃源郷に行くために。

彼の言葉の続きを私が聞くことは二度と叶わない。

それでも、信じたい答があった。

風の噂で聞いた楽園。

誰もが笑うことを許された場所。

私は桃源郷に行きたい。

だから、急がなくては。

彼の顔をもうはっきりとは思い出せない。

人々への憎しみも薄れて霧散した。

私に残された時間はあと僅かだ。




青く突き抜ける空と豊かな緑。

白い服を着た人々が幸せそうに微笑んでいる。

七日七晩飛び続け、やっとついたそこには笑顔が溢れていた。

降り立つ時にバランスを崩し、倒れ込むように草に沈む。

そこで自分の体が限界に近いのだと悟った。

元より長生きできる体ではない。

加えて、これだけ体を酷使すればなおさらだ。


「だあれ?」


頭上から降ってきた声に、力無く目を向けると栗色の瞳とぶつかった。

少女は首を傾げると後ろを振り返り叫ぶ。


「誰かいるよー」


少女の声に人が集まり、瞬く間に輪が出来上がる。

沢山の目に見下ろされているのに不思議と嫌ではなかった。

伺うような長い沈黙と観察ののちに一人の男が口を開く。


「この者に我等の神となってもらうのはどうだろうか」


唐突な台詞。しかし人々は頷き始める。


「それはいい」

「よい考えだ」

「この姿、神の威厳と伺える」

「我らの神として讃えてはどうか」


口々に人々はそう言う。

私はもう頭が回らなく、ただただ成り行きを見守るだけだ。

それでも、何故だか笑い出したくなった。


「そなたが何者かは知らぬが」


人々の輪から一人の老婆が進み出る。


「我等の神になってはくれぬか?」

「かみさま……」

「そうじゃ。我等を見守って欲しい」

「私は、ただの合成獣(キメラ)で」

「これを」


老婆が瓶を掲げる。

透明感の高い液体が中で波打つ。

綺麗だと思った。


「これはネクター。要するに神酒じゃ。これを飲めば不老長寿が約束される。そうすればそなたは神じゃ」


老婆の優しげな眼差しを、期待に息をのむ人々を交互に見遣る。

生きることを許された気がして、疲れ果てた思考が緩んでいく。

彼がここにいたら何か言ってくれただろうか。

心がふわりと浮上した気がした。

私はひとつ頷く。

彼の顔はもう思い出せない。

人に対する憎悪もすでになくした。

なら、私は一度死んだのだ。

それならまた生まれてもいいのかもしれない。

人々に支えられた私に、老婆が酒を流し込む。

とくとくと、鼓動にも似た音で酒は喉を潤していく。


「ねむ、い」

「少しお休みになるのがよいじゃろう」


酒を飲み終えた私に老婆の声はもう届かない。

私は深い眠りへと捕われていく。




か細い呼吸が次第に小さくなり、やがて完全に止まった。

人々は死んでしまったキメラを見下ろす。


「殺してしまう必要があったの?」


少女が首を傾げる。

母親らしき女性は少女の頭を撫で、微笑む。


「わからないわ。ただ怖かったのよ」

「そう。怖いのじゃよ」

「我らは変化が怖い」

「しょうがないのさ」

「これも桃源郷のため」

「これも我らの楽園のため」


人々は口々に呟き、足元のもう生きていないものを見下ろす。

そして、また何事もなかったかのように人々は帰っていく。

少女を除いて。

少女は一人しゃがみ込み囁いた。


「ごめんね。私たちには神様も化物も変化も必要ないみたい」


さわさわと草が揺れる。

少女は立ち上がるとすぐに駆けていく。

それきり振り返らなかった。


三題噺として書きました。

キメラ、ネクター、桃源郷。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 私的にすごく好みなお話でした!! よかったです! [一言] これはリクエストになってしまいますが・・・・。 もっとシリーズ的にだしてほしいです!! すみません・・・・!
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