3 美貌の魔術師サイラス・ハーレンフォール
ティアナが自分の人生を生き直そうと心に決めてから、数日が過ぎた。
彼女の実家であるエーデルワイス子爵家と、勇者アレンの実家ミズーレ侯爵家との間では話し合いの場が設けられ――その結果、二人の婚約は速やかに解消されることとなった。
もともと婚約が結ばれたのは、アレンが勇者と称えられるよりも前のこと。
ミズーレ侯爵家としては、ティアナは『勇者となったアレン』には釣り合わない相手だと常々考えていたのだろう。今のアレンなら、王女との婚姻すら夢ではない。もしそうなれば、ミズーレ侯爵家は王家に近しい権力者として名を上げることができる。
子爵家は鉱山をいくつも所有しており、豊富な資産がある。ゆえにずっと勇者へ資金援助してきたが、婚約解消でそれも打ち止め。しかしこたびの婚約解消には、それを上回るメリットがあるとミズーレ侯爵家は考えたのだろう。
そんな当家の思惑はさておき。婚約を正式に解かれたティアナは晴れて自由の身となった。胸の奥に溜まっていたどろどろとした澱が、まるで朝の空に薄く溶けていくようで――。
魅了魔法をかけられていたことへの怒りよりも、ティアナはただ自由の清涼さを甘受したのだった。
*
「それじゃあティアナ、気をつけていってらっしゃい!」
「寄り道はしちゃだめよ~?」
上からティアナの父、母である。ティアナは『もう子供じゃないんですから』と零しつつも、見送りに顔を出してくれる二人の親心が嬉しく顔を綻ばせた。二人の子供で本当に良かったと感謝しながら。
「いってきます!」
ティアナが馬車に乗り込む。門の前で最愛の娘を見送った父母は、娘の前では見せなかった物憂げな表情を浮かべた。
「……まさかティアナが長い間、魅了魔法をかけられていたなんてな。小さい頃は魔術書にしか興味を示さなかったあの子が、急にアレンに夢中になった時から、どこか変だとは思っていたが……」
気づいてあげられなかった。その悔しさが胸に募る。
「そうね。でも、ティアナはもう前を向こうとしているわ。今はそっと見守ってあげましょう。あの子自身のためにも」
「あぁ、そうだな。……しかし、昔ティアナの婚約者候補だった『彼』にも、辛い思いをさせてしまったね。アレンの件さえなければ、ティアナと婚約していたのは彼だったはずなのに。あの時悲しそうな顔が、今でも忘れられないよ」
「えぇ……ほんとうに。運命は残酷ですわね」
――ティアナは覚えていないだろう。
アレンに魅了される以前、彼女には別の婚約者候補となる少年がいた。
だが二人の正式な婚約が結ばれようとしていたその直前、アレンがティアナに婚約を申し込んでしまう。そしてティアナもまたそれを受け入れた。
それ以来、ティアナは人が変わったようにアレンへ盲目的な愛情を向けるようになる。
あまりの仲睦まじさに二人を引き離すのは可哀そうだと、話し合いの末、候補だった少年との婚約話は白紙になったが――。かの少年はきっと、心に浅からぬ傷を負ってしまったことだろう。なにせ、彼はいつもティアナの後を雛のように追いかけていた。それほどまでに彼女のことを好いていたのだ。
そんな過去を思い返しながら、ティアナの父母は静かに屋敷へと戻っていった。
*
ティアナの目的地は『魔力測定塔』という施設だ。その名の通り、魔力を図るための場所である。なぜティアナがその魔力測定塔へ向かっているかというと。
「はぁ……。思えば魔力量って初めて測るのよね。『ロズハール魔術学院』に入学できるだけの魔力が、私にあるのかしら。今から不安だわ」
ロズハール魔術学院とは、魔力を一定以上有していると認められた少年少女が、魔法を学ぶことができる学術機関のことである。
ところで、ティアナは今16歳。
対して魔術学院の1年生は12歳。卒業は18歳で、生徒は6年の間、学園生活を過ごすこととなる。つまり今、彼女が編入してもたった2年しか魔法を学ぶことができない。
けれどそれでも良かった。
(アレンに会う前は、魔術学院に入学するのが夢だったのよね。今もそうだけれど。もし編入できたら、たくさんの魔術書を読むことができる……! そしていろんな魔法を学ぶことだってできるんだわ!)
ティアナの心は浮足立つ。
夢にまで見たロズハール魔術学院の大図書館。なぜ今までこの好奇心を抑えていられたのだろうと驚くくらいだ。それほどかけられていた魅了魔法の力は強力だったのだろう。
そんなことをぼんやり考えていると、ふいに馬車が停止した。窓越しに御者が声をかけてくる。
「ティアナお嬢様、魔術測定塔の麓に到着いたしました。ここから塔までは長い階段がありますので、馬車を降りてお嬢様自らの足で歩いていただく必要がございます」
「わかったわ、ここまで乗せてくれてどうぞありがとう」
「もったいなきお言葉。では、私はここで待機しておりますので、どうかご武運を!」
御者と別れの挨拶を交わし、ティアナは馬車から降り立った。
目の前には、思わず眩んでしまいそうになる長い長い階段。その両脇を鬱蒼とした木々が行く手を阻むように覆い茂っている。その上には小さく尖塔が見えた。おそらくあれが魔力測定塔だろう。
ティアナの胸がドキドキと早鐘を打つ。
「よしっ、頑張って昇るわよ……!」
そして彼女は、長い階段の第一段目を踏みしめたのだった。
*
「で、そろそろそなたの正式な『弟子』を決めて欲しいのだが?――筆頭魔術師、サイラス・ハーレンフォール公爵閣下殿」
そう言って、国王アルベルト・ディ・フィオレンシアがサイラスと呼ばれた男性へ向かって苦笑する。
ここは王城にある国王専用の執務室。
朝一番に呼び出され、何ごとかと急ぎ来てみればこの台詞である。すっかり気が抜けたサイラスは肩の力を緩め、執務机に腰かける彼へ向かい恭しく一礼した。
「善処いたします」
「あのな、前もそう言って結局決めなかっただろう? そなた以外の国家魔術師たちはほぼ全員弟子を選定し終えたぞ。やれやれ、そなたの苦労は分かってはいるのだがな……」
国王アルベルトがひらひらと手を振る。
王族特有の金眼。同じ色の鮮やかな金髪に陽の光が当たり煌めいている。だが何日も執務室に籠って書類をさばいているためか、国王の目の下には黒いクマができていた。初老であるはずなのに、疲れのためかいつもより老けて見える。
これでは神々しい見た目もいささか台無しである。
「――本当に決めなくてはなりませんか? 陛下もご存知の通り、俺の弟子になりたがっている者たちはいささか問題が多すぎます」
「……まぁ、なぁ。まさか弟子候補全員が、ことごとくそなたのストーカーになってしまうとは。美しすぎるのも考えものだな」
国王がサイラスへ気の毒そうな視線を向ける。
――彼の弟子選定がこんなにも難航しているのにはとある理由があった。
なぜか弟子に立候補した者がことごとく、常軌を逸するほどサイラスへ執着してしまうのである。
彼の脳裏に、かつて弟子候補から受けた行為の数々がよぎる。思い出されたことでゾクリと背筋が冷えた。
行くところ行くところへの付きまとい行為から始まり、ある者には髪の毛を収集されたり、ある者にはお菓子の贈り物に……口出すのもはばかられるようなおぞましい行為の数々。
とにかく、サイラスは今までの弟子候補たちに散々な目にあわされてきた。それも男女関係なく。
なぜ彼がそのように弟子たちからストーカーされてしまうのか。その一番の要因は彼の美しすぎる見た目にあった。
腰まで伸びた真っ直ぐな艶めく銀髪に、蠱惑的な紫水晶の瞳――。見る者すべての心を強く惑わしてしまう神がかった美貌。
そのために彼は、恋愛に無頓着な者を弟子にと昔から望んでいるのだが、まぁ、居ない。しかし居ないからと言って弟子を取らないという選択肢も存在しなかった。
――なぜなら王国お抱えの国家魔術師は、必ず弟子を選定しなければならないという、古くからの決まりがあるからだ。
だが師弟制度にはとある欠陥がある。それは師匠と弟子の婚姻率が非常に高いことだ。
共にいる時間が長いため当然といえば当然と言える。ゆえに弟子選びは婚約者選びを兼ねているという裏の一面もあった。そのためサイラスの弟子候補たちは『もしやサイラス様は自分に気があるのでは』と余計に色めき立ってしまうのである。
次代の優秀な魔術師を育成するためなのだろうが、いささか非効率的だ。しかし魔術師たちは伝統を重んじることを掟としてきた。
また、弟子は魔術学院の生徒の中でもとりわけ優秀な者が選ばれることが多い。だがもちろん、今は優秀でなくとも将来有望とみなされた者も弟子にとることはできる。
「筆頭魔術師に匹敵するほどの才能を持ち、かつそなたの見た目に惑わされない人材。……ハハ、自分で命令しておいてなんだが、無理難題だのぅ」
「笑い事ではございません」
国王は他人事のように軽やかに笑っている。だが『本当に冗談じゃない』とサイラスは心で毒づいた。
ストーカーされたトラウマもあってか正直気は進まないし、できることなら本当に弟子なんて選びたくない。しかし決めなければ掟に反するし、他の者への示しがつかなくなる――サイラスは一応、国家魔術師たちのトップである筆頭魔術師なのだから。
(――それに、俺には)
彼の脳裏に、風に吹かれなびく薄桃色の髪がよみがえる。
すると突然、国王が「ひらめいた!」と声を上げた。その声にサイラスの意識が浮上する。
「良いことを思いついたぞサイラス。弟子候補に子供を選ぶのはどうだ? 魔力測定塔に行けば、そこで魔術学院への入学を志す子供が居るかもしれん。そこで才能がある子を引き抜けば良いのだ」
「……なる、ほど……?」
「良し! そうと決まれば、さっそく魔力測定塔へ向かおうではないか!」
国王が目を輝かせ勢いよく立ち上がる。そして椅子にかけてあったコートをいそいそと羽織り出した。
(……おいまさか)
「お待ちを。陛下もご同行されるのですか?」
「そりゃそうだとも! サイラスの弟子が決定する、記念すべき瞬間に立ち会えるかもしれないのだからな! 書類にハンコを押している場合ではない!」
「いや、書類にハンコは押してください……」
サイラスが呆れたように呟くと、国王はむっと口をとがらせた。
「押すとも。だがここの所ずっと押し続けて息が詰まっているのだ。少しくらい席を外しても構わないだろう?」
「…………」
(つまり口実をつけてさぼりたいというわけか。……だがまぁ陛下の言う通り、たまには息抜きは必要か)
国王の目の下には真っ黒なクマ。見るところ相当疲れているようだ。ここはひとつ折れてやることにするか、とサイラスは内心独り言ちた。
「はぁ、今回だけですよ」
こうして二人は半ば息抜きを目的としつつも、魔力測定塔へ足を運ぶことにしたのだった。




