2 どうやら私は、魅了魔法をかけられていたようです
「事情はわかったよ、私の可愛い娘ティアナ。後はお父様が何とかするから、お前は部屋でゆっくり休んでいなさい」
ティアナは婚約者である勇者アレンに別れを告げた後、一目散に実家であるエーデルワイス子爵邸へと戻った。
彼女はエーデルワイス子爵家当主である父親にすべてを説明し、頭を下げた。だが父親はティアナを責めず、むしろ労わった。
『いくら勇者といえど、婚約者であるティアナを第三夫人に据え置くなどという発言は、到底許されないことだ』と。
その時ティアナは久しぶりに、父親の顔をまじまじと眺めることができた。
アレンと出会ってから、なぜか周囲の人間の顔が靄がかって見えていたのだが、今は不思議とはっきりと見ることができる。
笑うと目じりにできる深い皴。白髪交じりの髪と髭。けれど記憶にある父親はもっと若かったような気がする。まるで、10年後の未来に突然タイムスリップしてしまったような感覚――。
ティアナは胸がたまらないほど切なくなった。
(お父様は、こんなに優しいお顔をされていたのね。なぜ今まで気づかなかったのかしら……)
黙り込むティアナ。すると父親はひとつ咳払いした後、口を開いた。
「――しかし、こんなことを言うのもなんだが……。少しだけ安心したよ。確かにアレンは魅力的な青年だ。だが、ティアナは彼に対して盲目的なところがあっただろう? 愛ゆえに、いつか彼のために命さえなげうってしまいそうな、そんな危うささえあった。だから私は気が気ではなかったんだよ。……あぁすまない、少し喋りすぎたな。さぁ、もうなにも悩まなくていいから、ティアナは部屋で休んでおいで」
「……はい、お父様。本当に……ありがとうございます」
そしてティアナは部屋へ戻り、その後三日三晩高熱を出し寝込んでしまう。
心配した父親は医者を呼び、ティアナを調べさせた結果――衝撃の事実が判明する。
「え、私、魅了魔法をかけられていたのですか……!?」
ベッドの上でティアナは目を丸くする。すると傍にいた医者が難しい顔で頷いた。
「はい。それも非常に強力な魅了魔法が。ほら、左手の甲に紋章が刻まれているでしょう。周囲には見えないよう、巧妙に不可視魔法がかけられていたようです。しかし魅了魔法が解除されたことで可視化された」
「そんな……っ」
ティアナは目を伏せ、手の甲にある紋を睨みつけた。医者がそれを労しそうに見つめながら言葉を続ける。
「――高熱は、魅了魔法が解けたことによるショックのせいかと。しかし心配はいりません、すぐに良くなりますよ。手の跡もしばらくは残りますが、そのうち消えてなくなるのはずですので、どうぞご安心ください。――ところで、この紋章に見覚えは? 同じ紋章が刻まれいる相手が、魅了魔法をかけた犯人のはずですが……」
魅了魔法をかけた犯人。
ティアナはハッと顔を上げる。医者の緊張した面持ちを見て彼女は察した。
医者はきっと、犯人が誰であるのかの目星がついている。なぜなら彼はティアナの父親の旧友。彼女の婚約者が誰であったのかは知っていて当然だ。サロンで『うちの娘は婚約者に首ったけでね』と談笑を交わすこともあったかもしれない。
しかしアレンを糾弾するとなればかなりの大事になる。ゆえにティアナはゆるりと首を振った。父に、迷惑はかけられない。
医者がホッと緊張した表情を和らげる。
「そうでございますか。犯人がわからないことは非常に残念ですが……今は幸運をお喜びください。この魔法はそう解けるものではございません。ですからこれからはどうぞ、ご自分の人生を生きられてください」
医者は同じ紋章が刻まれている者が犯人だと言った。
(なら、私に魅了魔法をかけた相手はやっぱり……)
勇者アレンの顔が目に浮かぶ。
彼女は左手の紋章に見覚えがあったのだ。これはアレンの舌に刻まれていた紋章と同じもの。一度、彼がお酒を飲んで大口を開けて寝ているときに見たことがあったのである。こんな場所に変わった入れ墨をしているなと、その時はあまり気にしなかったが――。
それに彼は、ティアナが去る時に「あれをかけているはずなのに」とぼやいていた。その時は彼が何を言っているのかわからなかったが、恐らく『あれ』とは魅了魔法のことを指していたのだろう。
なにより父親が言った通り、ティアナはアレンに出会ったからというもの盲目的に彼を愛し始めた。勇者には神々から様々な加護を授けられている。もしかしたらそのうちの一つに、魅了の力があったのかもしれない。
(それにしても、いつから魅了魔法をかけられていたんだろう? アレンの婚約者になったのは6歳の時だから、10年前から……?)
だとしたらティアナは、乙女として一番輝かしい10年間を魅了魔法のせいで失ってしまったことになる。
――凄まじい喪失感が彼女を襲う。
あぁ、私の今までの10年間はいったい何だったのだろうと。
医者が去り、ティアナは天蓋に描かれている魔法陣をただぼんやりと眺め続けていた。
(子供のころ――。魔法が好きすぎて寝る寸前まで勉強がしたかったから、魔法陣が描かれている布を天蓋に貼ったのよね。あの頃はアレンじゃなくて、魔法にひたすら恋をしていた……)
――これからはどうぞ、ご自分の人生を生きられてください。
そんな医者の言葉が脳内で反復する。
「……そうね。これからは、自分のしたいことを思いっきりして、自由に生きてみようかしら」
落ち込んでばかりではいられない。これからティアナは『勇者アレンの婚約者』というレッテルを張られた令嬢ではなく、何者にだってなれるのだ。
ティアナは思いっきり深呼吸した後、瞼を閉じた。そして数秒も経たないうちに深い眠りへと誘われる。その日の晩は不思議な夢を見た。
長い銀髪をたたえた美しい男の子が、一人ぼっちで泣いている夢。
ティアナが「どうしたの? 大丈夫?」と少年に語りかけると、彼が顔を上げようとする。だがそこでティアナの夢は覚めるのだ。
「顔、見えなかったな……」
目覚めた直後ティアナは、彼の顔を絶対に思い出さなければならないような、そんな衝動に駆られた。まるで喉に細骨がひっかかったような居心地の悪さ。
だが所詮、夢は夢。
ティアナは気持ちを切り替え、ベッドから身を起こす。鏡に映った彼女は、憑き物が落ちたようなスッキリとした表情を浮かべていた。左手に刻まれている紋章も昨日より薄くなっているように思える。
「さて、行きましょうか」
ドアノブに手をかけ、扉を開ける。
ティアナの私室は二階で、階段を下りて左に曲がり、廊下を真っ直ぐ進めば広い厨房がある。そういえば小腹がすいた。厨房の近くにはハウスメイドの誰かが居るかもしれない。そのうちの誰かに頼んで、アフタヌーンティー用のサンドイッチを少し分けてもらおう。
そんなことを思いながらティアナは顔を綻ばせた。
今日は天気もいいし、外で食事をとりたい気分なのだ。




