15 崩れ始める『勇者』
「指輪?」
サイラスがティアナへ差し出したのは、ひとつの指輪だった。素材は銀で作られており、輪の中心には紫の宝石が嵌め込まれている。とても繊細な造り。素人目でもわかる高価そうな品にティアナは眉尻を下げた。
するとサイラスは流れるような動作で彼女の左手を取り、迷いなく薬指へ指輪を嵌めようとした。
「えっ」
左手の薬指へ指輪を送るのは、即ち婚約を意味する。ティアナが驚いて声を上げると、サイラスの動きがピタリと止まった。
「あぁ、すまない。つい。……中指に嵌めておこう」
(つ、ついって何ですかついって)
彼女が戸惑っているうちに指輪は中指へと嵌められてしまう。
「これはただの指輪ではない、君の身を守るための魔道具だ。魔力を抑える力と自律防御機能が備わっている。危険が迫ったときは、この指輪がティアナを守ってくれるだろう。そして、この指輪をつけている間は付与の力も弱まる。力をコントロールできるようになるまでは外さないように」
「魔道具!? 魔道具といえば、豪華な家が建つほどの高級品と聞きます。いただけませんわ」
「ふ、こういう時は素直に受け取っておくものだぞ」
サイラスが薄く微笑む。
「ですが」
「この話は終わり。君が、師匠の顔を立てようと思ってくれるならな」
「う。は、はい……。ありがとう、ございます」
どうやら返品は受け付けてもらえないようだ。
(それにしても、仮の弟子にぽんと超高級な魔道具を贈るだなんて、サイラス様って超太っ腹なのね)
「これからのことについても相談しておきたい。授業が終わった後、ここで俺の追加授業を受けてもらおうと考えているが、それでいいだろうか?」
「はい、それで大丈夫です」
「良かった。学生生活や他のことでも、困ったことがあればいつでも俺を頼ってくれ。これからよろしく頼む」
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします」
ティアナが頭を下げ再びサイラスへ視線を戻すと、彼はなぜか寂しげな表情を浮かべていた。以前にもティアナは彼にこの表情を向けられたことがある。ひどく傷ついたような、今にも泣きだしてしまいそうな――。
「サイラス様?」
ティアナが恐る恐る名を呼ぶと、サイラスはハッと目を見開いた。
「あ、あぁすまない。少しぼーっとしてしまっていたようだ。……ティアナ、君にひとつ頼みごとがあるのだが」
ずいぶんと控え目な物言いだ。
「はい、私にできることでしたらなんなりと仰ってください!」
ティアナは胸を張り目を輝かせる。師弟関係と聞き最初は戸惑ったものの、今のところサイラスは良い師匠だ。仮ではあるが彼の弟子として何か少しでも役に立ちたい。
(手紙を届けるとか、図書館に魔術書を返却するとか? それとも研究室の掃除かしら。でもこの部屋って散らかってないし……)
サイラスの言葉を待っていると、彼は思いもよらない言葉を口にした。
「握手を、してもいいか?」
「握、手? え、えぇ、もちろんです!」
一瞬きょとんとしたものの、ティアナはすぐに微笑み自らの手を差し伸べた。
(でもサイラス様ってストーカーのせいで重度の人間不信じゃなかったかしら? 私が触って大丈夫なのかしら)
だが彼女の心配はすぐにかき消されることとなる。サイラスは嬉しそうに微笑み、ティアナの手をそっと握り返した。彼の手はひんやりと冷たい。ティアナの温もりがサイラスの手を温める前に、するりと手が離される。
「ありがとう……では、また放課後に」
「はい! 今日は本当にありがとうございました。これからどうぞよろしくお願いいたします」
ティアナが研究室から去っていく。
サイラスは棚の奥にしまってあった書類の束を手に取る。そこには魅了魔法の解き方について調べ上げられた文字がびっしりと並んでいた。かつて彼が心血を注いで研究していた記録書の数々。するとサイラスは真鍮の火鉢に手をかざし呪文を唱えた。
「【炎よ、灰より出でよ】」
ボッという音と共に、火鉢に炎が現れる。
サイラスはそれを一瞥すると、手に持っていた記録書を一枚ずつそこへ放り投げていく。
端が黒く焦げ灰となっていく紙を眺めながら、彼はティアナの手の温もりを思い出していた。彼女の笑顔、自らの名を呼ぶ声。
「重症だな、俺は」
熱くなる頬を手で覆う。ティアナがこれから傍に居てくれることを思うと天にも昇る心地だ。だから彼女が自分のことをまったく覚えていなくても構わなかった。
むしろ、思い出さない方がいい。
思い出せばきっと、優しいティアナはひどく心を痛めてしまうだろうから。
*
――王都近辺のとある森。勇者であるアレンは、レナとアリシアと共に魔物の討伐依頼を受け出向していた。
依頼内容はブラックウルフの討伐。Bランクの上級モンスターで、ベテランの冒険者であれば、少し手こずるものの倒すことが十分可能な相手だ。
魔王が倒されてから魔物の出没は激減したものの、こうして時折強い魔物が現れる。
久々の討伐依頼。アレン一行は近頃の運動不足解消にちょうどいいと、余裕の笑みを浮かべていたのだが――。
「ど、どういうことだ……!? ブラックウルフはBランクのはず! なのになぜこんなに強い……!?」




